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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第二部
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第六章 オーヴ・ディンデを目指して (三)

(三)


 明くる日。身体を揺り動かされているのに気付いてミスティンキルは目を覚ました。視野に龍戦士アザスタンの姿が映り込む。

 ――と、ミスティンキルの胸元で銀髪の頭部がわずかに動き、毛布からウィムリーフが顔をのぞかせた。彼女はミスティンキルの顔を見上げて、一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。が、すぐに納得がいったのか、決まりが悪そうにいそいそとミスティンキルの寝具から抜け出ていった。

「お、おはよう」

 そう言ってウィムリーフはそそくさと自分の髪を手櫛てぐしで整える。照れているのか、やや顔を赤らめているあたりが愛らしい。

「おはよう……すまねえアザスタン。すっかり朝になっちまったようだな」

 疲労のため深く寝入っていたようだ。ミスティンキルは長時間アザスタンを見張りに立たせていたことを詫びた。

「気にするな。一日や二日眠らない程度で龍はくたばらぬよ。……まあ時に我らは、長い眠りを必要とすることもあるがな」

 アザスタンはそう言うと笑ったようだった。龍頭ゆえに表情は読み取れないが、今までのつきあいからミスティンキル達には分かった。

 ミスティンキルは起き上がると大きく伸びをした。荷を背負って一日中湿原を歩き通し、普段使わない筋肉を使ったのだろう、身体の節々が痛む。

「……だりぃ……アザスタンみたいにピンピンとはしてられねえな」

 ミスティンキルは座り込んで大きくあくびをした。

「歩いていればそのうち身体の調子も良くなるわよ。たぶん」

 そう言うものの、ウィムリーフも今ひとつ元気がなさそうだ。起き抜けというせいもあるだろうが、語気に覇気が無い。ウィムリーフは咳払いをした。

「……まああれだけ頑張った甲斐あって湿原を抜け出たわけだし、まずは一安心していいわ。ここから先は平原が続くから、山を目印にまっすぐ進めばいいだけ。少しばかり遅れても支障は無いはずよ。今日は早めに休むことにしましょう。正直なところ、あたしも疲れが抜けてないわ。でも進まないと! ほら、出ましょう、ミスト!」

 ウィムリーフは自分を含めた皆に発破をかけ、テントから出て行った。追ってミスティンキルとアザスタンも外に出る。


 昨日とは打って変わり、今朝はメリュウラ島の全域で晴れ渡っている。見渡すと、南東のロス・オム山も南西のロス・ヨグ山もくっきり鮮やかに見える。また気候は暑くもなし寒くもなく、ちょうどいい。ミスティンキルは大きく深呼吸した。

「うん。気持ちいいな!」

 気持ちを切り替えるようにそう言って、ミスティンキルは乾かしていた衣服へと着替えた。ウィムリーフもテントの裏で着替え終えたようだ。手足を動かして身体をほぐしている。

「飯を食おうぜ! ああ……美味い干し肉が食いてえなあ。たまらなく肉が食いたい」

 ミスティンキルがため息をつきながらそう言うと、ウィムリーフはにこりと笑って返した。

「あたしは蜂蜜をかけたパンが食べたいわね! それに牛乳も。……残念だけど今それは叶わないから、冒険が終わったあとの楽しみとしましょう」

 そして彼らは質素な携帯食を食べ終えると、今日の旅路の支度に取りかかるのだった。


 一行は“枯れ野”を闊歩する。この日は前日の疲れを取るために、二刻ごとにしっかりと休憩をとって体調を整えた。晴れやかで涼しいため、歩いていても前向きな気分のままでいられる。

 途中、土着の悪鬼の一隊に弓矢で攻撃されたが、“竜殺し”の一行は軽くひねるようにこれらを撃退した。以降、一行の行く手を阻む者はまったく現れなくなった。

 三人は夕方前には野営地を決め、ゆっくりとくつろいだ。そして夕食が済んだ頃、またしてもウィムリーフの身体は青い光に包まれた。だんだんと、光が現れる時間が早まっているのはなぜなのだろうか。オーヴ・ディンデに近づくにつれて。

 未明となり、見張りの交替でミスティンキルがウィムリーフを起こしたとき、彼女から青い光は消え失せていた。


◆◆◆◆


 こうしてまた次の朝を迎えた。メリュウラ島に着いて早五日目となった。


 一行が歩いていくと、やがて木や石で造られた建造物の名残のようなものが散見されるようになった。このあたりの平原はかつて、ラミシス王国の一般市民が居住区域としていた地域なのだ。だが九百年以上時を隔てているために今やすっかり風化している。

 住居跡がある程度集まって存在していることから、かつては町や村といった集団で人々が生活していたことが見て取れる。そして農耕や牧畜が行われていたであろう痕跡もかすかに残っていた。ウィムリーフは時々歩を止め、こうした周囲の風景を日誌に描写していた。

「肉体と魂の不死を追求した魔導王国――か。生け贄を使った悪魔的な儀式が連日のように行われていた――。この遺跡からはとてもそうは感じないわね。ここの人々は普通に生活していたとしか……」

「だけどそういった悪行が知れ渡って、アズニール王朝が軍を差し向けて滅ぼしたんだろ?」

「実際、歴史上そうなのよね。もっと奥へ――魔導塔から先の中枢域に行けば違った印象を受けるのかしら?」

「魔導の興った地だからな。もっと魔法的ななんかがあってしかるべきな気がするぜ。実際おれ達は呪いを受けたんだから」

「……そうね。目的地に着いたからって浮かれないで、気を引き締めていかないとね」

 うんうんと、ウィムリーフは自身を納得させるように頷いた。


 さらに進んでいくと、黒くてごつごつした巨大な岩塊が平原のところどころに見受けられるようになった。これは遙かな昔、火山だったロス・ヨグ山とロス・オム山から噴出した火成岩が集まってかたまったものだ。またミスティンキル達が通った湿原地帯にしても、その形成に際しては火山の堆積物が大きく関わっている。ウィムリーフは火成岩の小さな欠片を拾って熱心に眺めたあと、自分の荷物の中にしまい込んだ。彼女の住んでいた西方大陸エヴェルク北方域には火山がないため、とても珍しかったのだ。

 遺跡と岩塊が混在する奇妙な景色だ。やがて霧が立ちこめてくると、白いもやに包まれた風景は、まるでこの世のものとは思えないまでの不可思議さを醸し出すようになった。太陽は頭上にあり、光輪を作って幻想的に地上を照らす。

「なんていうか不気味な感じだな」

 とミスティンキル。もやで山が見えなくなったので、彼は魔法の球を発現させた。

「怖くなったの?」

 ウィムリーフがにやりと笑ってみせた。

「ばか言え。そんなわけあるか」

 ミスティンキルはぶっきらぼうに返答する。

「ふふ。でもまあ、まさにこれこそ魔境、遺跡って雰囲気よね」

「なんだろうな。いつか見たような気もするんだよな。そうだなあ……ピンと来たのは死後の世界ってイメージかな……」

「そうね。でも“幽想のサダノス”のことは誰も知らない……死後の世界というのはこの世界最大の謎のひとつね」

 アリューザ・ガルドに生きるものは死後、月を通って“幽想のサダノス”へ至る。これは誰しも知っていることだ。しかし“幽想のサダノス”がどういう世界で、そこでは自分達がどのように存在しているのか、具体的に知るものは一人としていないのだ。それがアリューザ・ガルドを創造したアリュゼル神族であっても。

「ミストの言うことも分かる気がする。あたしも死後の世界って印象を感じるわね。それとも“幽想のサダノス”に至る道……? うまく言い表せないけど……心象風景として、あたし達の心の奥底に存在する景色なのかしら」

 ウィムリーフは首をかしげて言った。

 とその時、ミスティンキルが鼻をひくつかせた。

「このにおい……ウィム、分かるか?」

「ええと……?」

 とっさの問いかけにウィムリーフは戸惑った。

「どうやらどこかで温泉が湧き出てるみたいなんだ。そんなにおいがする。ウィム、久々に湯浴みができるかもしれないぜ?」

「本当?!」

 ウィムリーフの顔が一転、ぱあっと明るくなった。

 島にある二つの山は死火山となったとはいえ、大地の躍動を今なお伝えている。それが温泉だ。

「野営する付近にもあるといいんだけどな、温泉。……なんなら一緒に入るか?」

「あはは、それはだめ。ちゃんと見張りの役をこなしてなさい」

 一笑に付すと、ウィムリーフは断った。

「ほおう。湯浴みを見張る役でもいいってことだな?」

「ばか言ってなさい。そんなことあるわけないでしょう」

 ウィムリーフはミスティンキルの右頬をつねった。

 奇妙な白い闇の中にあって、三人は足取り軽く歩いて行くのだった。


 夕方には霧は晴れた。一行は湯がこんこんと湧き出る泉を見つけ、そこを野営地とした。そして悲しいかな、ミスティンキルは己が欲望を果たすことができず、見張りの勤めをきっちり果たしたのだった。ウィムリーフが湯浴みしている最中に青い光が発現したようだが、その時の様子をミスティンキルが見ることは叶わなかった。


 それから夕食をとり寝るまでの間、彼女の身体は青く光り続けた。「気にしていない」と気丈にウィムリーフは振る舞うが、なぜ魔力が顕現しているのか、なぜ制御できないのかまったく分からないため、内心はかなり困惑していただろう。実際にミスティンキルは見たのだ。星空のもと宙のとある一点をじっと見つめ、ひとりで物思いに耽っているような彼女の姿を。


◆◆◆◆


 翌日の昼下がり。一行が歩を進めるにしたがい遺跡の数は減っていき、そろそろ居住域の終わりが近いことを知らせた。それまで道を形成していた石畳跡も姿を消していく。やがて彼らは何もない荒野を、ただひたすら歩くようになった。


 太陽が西に傾く頃、三人は大きな川に突き当たった。ぐるりと周囲を見渡すが、橋の形跡はまったく無い。川の流れはやや急で、川の深さも定かではない。けっきょく、ここを歩いて渡るのは危険だと判断した。ではどうするのか? 三人はしばらく思案に暮れたが、とりあえず川をさかのぼっていくことに決めた。

 その判断は正しかったようだ。川沿いをしばらく歩いて行くと、ちらほらと石畳の形跡を見受けるようになった。

「あたしの勘が正しければ、このまま上流に向かえば湖に行き着くはず。そしてそこに塔が立っていると思うの」

 湖畔に立つ塔。

 かつてのカストルウェン王子達の記録によると、その塔こそ魔導王国中枢の四つの塔のひとつ、ヌヴェン・ギゼ。ラミシス中枢域の北西域に立つとされ、他の三つの塔と同様に魔導の研究に使われていたほか、中枢域を守護する役割も担っていたとされる。

 いよいよオーヴ・ディンデが近くなってきた。そのことは一行の士気を高めた。


 しかし日はもう没しようとしている。はやる気持ちを抑え込んで三人は野営地を決め、テントを張った。

 そしてウィムリーフが発する青い光は早くも設営時に現れたのだ。

「またこんなこと。じゃあ明日には昼過ぎにあたしは青くなっちゃうというの? あたしはどうかなっちゃうの……?」

 膝を抱えてウィムリーフは座る。そして目を閉じ、顔を伏せると彼女はひとりふさぎ込んだ。

「……ウィム……」

 ミスティンキルはそれ以上何も言えなくなってしまった。

 長い時間を経て、彼女は考えるのを止めたのかゆっくりと目を開く。そしてぼうっとした表情で立ち上がり日誌を取って帰ってくると、何か――今日の出来事だろうか?――を黙々と記し始めた。

 だが、なにかがいつもと違う。気軽にウィムリーフに話しかける、そんな雰囲気ではないのだ。かといって他者を拒絶しているというわけでもない。異質な感じ。時折ウィムリーフは記述を止め、ぼうっとした眼差しで天上の月を見上げる。月は真円を描いていた。

「ふふっ……」

 彼女は目を細めてほくそ笑む。その様子を見てミスティンキルは言いようのない畏れを感じたのだ。ふと、彼は同じような経験があったことを思い出した。二週間ほど前のこと。ウィムリーフが一人でデュンサアルを後にしようとしたあの夜。互いに滞空したまま、無言で対峙したあの時を。

(そういや、あの時は新月だったっけな……。月でおれは魔導の力を得た。あの時、ウィムはなにか違ったものを得たのか?)

 ミスティンキルは訝しんだ。と唐突に、ウィムリーフはついと歩き出し、テントの中へと入ってしまった。


 その後、三人は奇妙な雰囲気に包まれたまま各々食事を取り、夜を迎えた。

 そして夜半には、彼女を覆った光は収まった。


◆◆◆◆


 島に到着してとうとう一週間が過ぎた。

 三人は旅支度を整え、川をさかのぼっていく。昨夜の奇妙な違和感はどこへやら。一行を包む雰囲気はまったくいつもと変わらないものとなっている。

「川の名前は決めてあるのか?」とミスティンキル。昨夜のことはウィムリーフにはあえて訊いていない。

「この先にあるのがヌヴェン・ギゼの塔だというのが間違いなければね。決めてあるわ」

 ウィムリーフは今までどおり、得意げに言った。

「湖の名前と川の名前は一緒のもの。ヌヴィエンにするわ」

「今度は塔の名前からとったのか」

「そうよ。塔と関連性のある場所だから、同じ系列の名前にした方がいいと思ったのよ」


 そうこうしているうちに道は森へと入り込んでいく。ここまで来ると川幅もずいぶんと狭くなってきている。一行は石畳が導く先、薄暗い森の中へと足を踏み入れていった。

「森、か。シヴァウムの森林みたく、だだっ広かったらどうする?」

「“シュバウディン森林”ね」

 ウィムリーフは訂正した。

「……この森はあんなに広い大森林だとは思わないわ。ヌヴィエン川の流れ方から察すると、半刻もこの川をさかのぼっていけば開けた場所に出るはず」


 ウィムリーフの予想は違わなかった。

 ヌヴィエン川は大きな滝に行き着き、滝の側面の急な傾斜地を一行はよじ登っていく。そうして苦しみ抜いて登り切ったところに――

「……着いた」

 森の終わりがあった。一行はヌヴィエン川のはじまり、ヌヴィエン湖へ辿り着いたのだ。そして彼らの目は、湖の左手側の岸をなぞっていく。

 そこには乳白色をした石造りの塔がひとつあった。高さは半フィーレほどだろうか。“壁の塔”ギュルノーヴ・ギゼには遠く及ばないが、湖畔のどんな木々よりも高くそびえている。

「ヌヴェン・ギゼの塔よ。とうとうここまで来たわ!」

 ウィムリーフは目を輝かせた。

「塔に到着したらお昼休みにしましょう。そして塔を探索してみるの。冒険家としてね!」

 そう言ってウィムリーフはミスティンキルに目くばせをした。

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