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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第二部
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第一章 旅立ち (四)

(四)


 ミスティンキルが目覚めたこの日から、ウィムリーフはラミシス遺跡について調べ始めるつもりだった。しかし、今まで冒険誌の編纂を続けていた疲労が蓄積されていたのか、はたまた昨夜の飛行が思いのほかきついものだったのか、彼女は体調を崩してしまった。それにもめげずウィムリーフは行動しようとしたが、ミスティンキルに反対されて仕方なく日がな一日休むことになってしまった。

 一方のミスティンキルもこの日は動くことが出来なかった。彼の場合は宿酔だった。強い酒を何杯も飲み干したあげく慣れない翼をはためかせ空を飛び、さらには術を行使したのだから、こうなるのは当然のことだった。頭痛と嘔吐感に苛まれながら、ベッドに横になって唸るほか無かった。

 幸いにもこの旅籠のおかみはよく気が付く人だったため、彼らは煎じてもらった苦い薬湯を飲んで回復するのをただひたすら待つのだった。


 その甲斐あって彼らは共に気持ちよく翌日の朝を迎えることができた。心身共に快く感じることができ、差し込んでくる朝の日差しもまた心地のよいものとなった。

 二人は宿の食堂で女将に礼を言うと、軽い朝食をとりつつこの後どうするかを話し合った。

 ラミシス遺跡を冒険するという計画を思いついた当の本人――ウィムリーフは、食事を終えたらさっそく本をじっくりと読み返すことにした。

 この千年あまりの歴史において、かの島を訪れた者は二人しかいない。アルトツァーン王国のカストルウェンとメケドルキュア王国のレオウドゥールである。それぞれの王国の初代国王である彼らは、その若い時分にラミシスの島を冒険したと伝えられており、正式な文献こそ遺されていないものの、詩人達によって多くの唄が詠まれてきている。

 それらの唄をまとめた本、

『未踏の地ラミシス ~カストルウェンとレオウドゥールが行いし、魔導王国ラミシス遺跡の冒険行について――数多くの吟遊詩人の歌より~』

 と題された本をじっくりと読み、ためになりそうな箇所を写すことで、彼女なりのラミシス島のイメージを掴むつもりだった。


 朝食をとりおえて部屋に戻るやいなや彼女は本をひもとき、最初の頁から読み始めるのだった。

「今回はあたしが思いついた冒険だから、ミストが調べ上げる必要はないわ。旅を始めるまでの間、度が過ぎない程度であれば、デュンサアル周囲で遊んでいてかまわないから。もちろん、女遊びは厳禁だけどね!」

 彼女はそう言うと、本につきっきりとなった。その様子は、役人の試験に打ち込むバイラルの学生でも、これほど熱心に打ち込むことはないのではないかと思わせるほどだったので、ミスティンキルは言葉を返す機会もなくただ部屋の中で手持ちぶさたになってしまった。少しでも暇つぶしになればと思い、前の冒険行の大ざっぱな下書きを読んでみることにしたが、彼が判読できるだけの単語は数箇所程度しかなく、茶一杯を飲み干す時間で文章の最後まで行き着いてしまった。

 どうやら部屋に閉じこもって読めもしない文字と格闘するという行為は、自分にとって苦痛に感じるだけで暇つぶしにすらならない。かといって文字をあらためて勉強するだけの気力などは持ち合わせていない。何かできないものだろうか。

 色を取り戻すための冒険を終えて、冒険誌の下書きを書く際にはウィムリーフの手伝いを強いられたが、この時はあまり乗り気がしないものだった。何せウィムリーフときたら、休むことなく一日中この作業を行っているのだから、ミスティンキルも休む機会をしばしば失ってしまって愚痴をこぼしていた。しかし人間の感情とは不思議なものだ。今回のように、何もしなくていいと言われるとかえって何かをしたくなるものだ。この部屋に留まったところで本を読むことなどできやしないし、読書に没頭しているウィムリーフが遊びに付き合ってくれるなど考えられない。

 ならば。

 ミスティンキルは思い立ち、ウィムリーフに声をかけた。

「ウィム。おれはちょっと外に出てくる」

 ウィムリーフは顔をミスティンキルの方に向けて小さく頷くと、再び机に向かった。


 ミスティンキルが宿の外に出ると、ちょうど戸口でアザスタンと出くわした。今まで空を滑空していたのだろう、アザスタンの翼はまだ広がったままだった。

「あんた、また来たのか。ご苦労さま。残念だけどな、ウィムに用事があるってんなら今は無理だぜ。あいつ、熱中しだすと他のことなんか目に入らなくなるからな」

「ぬしらの調子が元に戻ったというのならば問題ないのだが。まあ、お前もこれから自重することだ。無鉄砲に行動すればああいう目に遭うと、身にしみて分かっただろう」

 たしなめられたミスティンキルは、うるさいな、と言わんばかりに顔をしかめた。

「とにかくだ、この数日はあいつに近づこうとしても無駄だぜ。話し相手にするには無愛想きわまりないだろうしな。……そうだ、あんたが暇だっていうんなら、おれと一緒に来ないか?」

「わしはお前達の行動を見守る身だ。暇、という言葉にはひっかかるものがあるが……お前は何をしようとしている?」

「“司の長”の所に行ってみる」

 ミスティンキルは答えた。

 宿場の通りを共に歩いていると、人々の視線を感じる。アザスタンはまたもや龍戦士の格好をしているため、界隈の人々は敬意のまなざしを彼に向けているのだ。中にはひざまづいて頭を地面につける者すらいる。こういった雰囲気にミスティンキルは慣れていない。注目されている対象は龍戦士アザスタンのほうで、自分に向けられているわけではないのだが、衆目の視線が自分達に集中するというのは苦手だった。そんな人々の視線から逃げるように、ミスティンキルは上空へ舞い上がるのだった。アザスタンも遅れて飛び上がる。

「一体なにをしようというのか?」

「昨日ウィムが言ったとおりだ。ラミシス遺跡に行くための手がかりがないか、訊きに行くんだ」


 ミスティンキルは、岩山の頂にある司の長の居住区を目指した。かつて“司の長”を訪れた時には一刻近くもかけて登ったものだが、翼を得た今となってはそのような苦労をしなくて済む。

「ミスティンキルよ、もう少しはやく飛べんものか? この遅さでは翼をはためかすのにかえって気を遣うのだぞ、わしは」

「あんたにとっては遅いかもしれねえけどな、こっちは頑張って飛んでるんだ。だいたいさっきから文句ばっかり、たらたら言いやがって、龍ってのはあまり喋らないもんじゃあねえのかよ?」

「龍のことばはそれが魔力を持っているからともかく、共通語にはそう大した力があるわけでもない。だからこうして思う存分にお前に対して存分に文句が言えるというものだ。そら、早くしないとおいていくぞ」

「ああもう! あんたってやつは、どうしてこうも気の障ることばっかりぬかしやがるんだ。むかつく!」


 彼らが口げんかをしているうちにも、岩山の頂にたどり着こうとしていた。

 人が住まうアリューザ・ガルドにあって、ラミシス遺跡から最も近い場所がデュンサアルだ。そうであれば、デュンサアルの長達が何かしら遺跡についての事柄を代々継承して知っていてもおかしくはないだろう。あのマイゼークの面を見るかもしれないということはミスティンキルにとって嫌なことではあったが、エツェントゥー老であればこころよく自分達を迎えてくれるに違いない。

(ウィムに知ったふうな顔をされてあれこれ教えられるってのも、なんとなく癪だからな。あいつが本から知識を吸い出そうっていうんなら、おれのほうで調べられるところを調べておいて、いざとなったらあいつにすごいと思わせてやろうじゃないか)

 当初はまったく気乗りのしない冒険行であったが、いざ調べ上げることになると、彼が元来持っている負けん気の強さが顔を出すのだった。

 地面に降り立ったミスティンキルは咳払いをして、“集いの館”の扉を叩いた。


◆◆◆◆


 しばらく経って扉から顔を出したのは、はじめてここに来た時と同じく、司の長の一人で彼らの中ではもっとも若いファンダークだった。

〔アザスタン様。それにミスティンキルどの。ようこそおいで下さった。今回はどのようなご用向きかな?〕

 最初会った時と同一人物かと訝りたくなるほど、彼の言動は慇懃いんぎんだった。ミスティンキルは、ラミシス遺跡のことが知りたいのだが長達が何か知っているかどうかと尋ねた。ファンダークは二人に中に入るよううながすと、二人を先導するかたちで廊下を歩いていった。

〔ラミシス遺跡というと、ここから海を越えて南東の島にあるといわれる昔の国のなごり、ですな? かの国は魔法学に――忌まわしい魔法ではあったわけですが――長じていたのですから、ミスティンキルどのが興味をいだくのも分かる話です。残念ながら私には遺跡の詳細は分かりかねますが……〕

 最初にここを訪れた時とはまったく異なる対応だった上に、ファンダークがあまりにも丁寧な言葉遣いをするものだから、思わずミスティンキルは吹き出しそうになってしまった。

〔ですが、長老ならばきっと何か知っているはず。エツェントゥー老は今、自分の居室におられるはずですので、そこまでご案内しましょう〕


 三人は、会議室の扉の前まで着いた。するとファンダークは突き当たりを右へと曲がり、会議室に沿うようにして左に曲がりくねっている廊下を歩き始めた。程なくして彼らはひとつの扉の前に行き着いた。扉の上にある表札にはなにやら文字が書いてあるようだった。

「……エツェントゥー。そう書かれているな」

 アザスタンは言った。お前も文字を習得したらどうだ、とうながすような感情が込められているように感じられたので、ミスティンキルは憮然としてそっぽを向いた。文字などいまさら習わずとも十分に生活できるし、ウィムリーフのように本の虫になろうなどとは思いもしない。だいいち魔法にしても文字など知らずとも習得しており、すでに自分の力になっているではないか。

 そんな彼の感情など知らぬまま、ファンダークは扉を軽く二回叩いた。

〔エツェントゥー老。アザスタン様とミスティンキルどのがお見えになっています。部屋にお通ししてもよろしいでしょうか?〕

〔入っていただきなさい〕

 扉ごしにくぐもった声が聞こえてきた。ファンダークは古めかしい木の扉をぎいっと開けて、二人に中に入るように言った。二人が部屋の中に入ると扉は閉められ、ファンダークは立ち去っていった。


 エツェントゥー老は椅子から立ち上がり、両手を広げて二人を歓迎した。とくに龍であるアザスタンに対しては深々と頭を垂れて挨拶をした。

〔ようこそいらっしゃった〕

 そう言って老人は顔中にしわをつくった。

〔色が戻ってから早二週間、ようやくわしら長の仕事も落ち着いてきましてな。今日などは暇をもてあましていたところです。アザスタン様がわざわざお見えになったということは、また何かご相談ごとでもおありなのでしょうか?〕

〔わしではない。用事があるのはこっちのミスティンキルの方だ〕

 アザスタンはここに来た目的を言うようにミスティンキルにうながした。

〔しばらくです、エツェントゥー老。用事っていうのはですね、あなたがラミシスの遺跡について何か知っていることがないかどうか、訊きに来たってわけなんです〕

 ミスティンキルが簡潔にそう言うと、老人はミスティンキルの本意をはかるかのように目を細めた。

〔ほう。どうしてまたあんな場所なんかに? 確かにわしはまったく知らないと言うわけではないがな。それでもいいというのなら、わしの知りうる範囲で話そう〕

 “司の長”は穏やかな口調でそう言って、二人に席につくように勧めた。


〔お二方とも、こんなちっぽけな部屋で申し訳ないが、とりあえずくつろいでくだされ。……なにか喉を潤すものがあったほうがいいかな? それとも酒がよろしいかな?〕

〔酒はとうぶん見たくないです〕

 ミスティンキルはすぐさま言葉を返した。

〔ほっほう、その顔は酒に失敗した、と言ってるようじゃな。まあいい。ならば冷えた茶でも差し上げよう〕

 エツェントゥーは、二人が入ってきた扉とは別の扉を開けてその中に入っていった。がらがらという滑車の回る音と水音が聞こえてくる。どうやら井戸に吊していたなにかを引き上げようとしているようだ。しばらくして彼は水滴に覆われたガラス瓶を一瓶手にして戻ってきた。

〔地下水で冷やした飲み物ほどうまいものはない。それが酒であればなお上等じゃがな〕

 グラスに茶を注ぎながらエツェントゥーは言った。雪解け水のように冷たい飲み物というのは、平野に広がるバイラルの王国ではおよそ口にすることなど出来ない。冬の間か、さもなくばデュンサアルのような高地でなければ味わえない冷たさを、ミスティンキルは喉で堪能した。

 長老はアザスタンにも飲み物を振る舞おうとしたが、彼は断った。

〔飲食という概念は龍にはないのだ〕

 アザスタンは言った。

〔失礼。そうでしたな。高位の龍ともなれば食物を摂らずとも、空気の流れや大地から直接、活力を得ることができるという事を失念しておりました。さて、と〕

 長老は話題を転じた。

〔なにから話せばいいかな。いや、その前になぜラミシス遺跡のことを知りたいと思ったのか、聞かせてはくれぬか、ミスティンキル〕

 しばしミスティンキルは言葉に詰まった。この老人は自分に少なからぬ期待を寄せているようであり、他人に随行して行動をする、と正直にいうように言ってしまっていいものだろうか。それよりは、あたかも自分が主導権を握っているように話を作ってしまったほうが、長老の受けがいいように思えた。

〔ええと、そうですね。ご存じのとおり、おれは“炎の司”となったわけですが、そのう、炎を操るという能力は、術、いわゆる魔法に通じるところがあるんじゃあないかと思ったわけなんです。それにおれは魔法についても習得したわけですし、魔法の発祥の地であるラミシス遺跡に行ってみたい、と思い立ったわけなんです〕

〔正しく言えば魔法の発祥の地というわけではないがな〕

 とすかさず返したのはアザスタン。

〔……とにかく、ラミシスが魔法と深い関係にあったのは間違いがない。だからおれは行こうと思ったんです。ラミシスに〕

 暗示というのだろうか。こうして言葉に出して言うと、まるで本当に自分がラミシスに行きたがっているかのような感覚にすらとらわれた。確かに思い返してみれば今度の冒険では、未踏の地に乗り込んだはじめての人間として名を残すことが出来るかもしれないのだ。多少の困難が待ち受けているかもしれないが、それも帰ってきてみれば冒険譚の一部として唄に詠われることになるだろう。そう思うと自然とミスティンキルの気持ちは高揚していくのだった。だが。

〔行こうと思いついたのは、もとを正せばウィムリーフだろうに〕

〔……〕

 ミスティンキルのもくろみは早くも打ち砕かれた。彼はばつが悪そうな顔をしたまま龍戦士を睨みつける。


 長老はそんな彼らの間に入り、仲裁するようにゆっくりとした口調で問いかけた。

〔正直に話してみなされ〕

〔ラミシスに行こうと言い出したのはおれじゃない。連れのウィムリーフです〕

 ミスティンキルはそういって、今までの経緯を言葉足らずな説明ながらも長に打ち明けた。

〔……でまあ、あいつが本をもとにして調べるってんのなら、おれはおれなりにラミシスを知る手がかりを掴もうと思って、あなたの所に来たってわけです〕

〔なるほどな。じゃがわしも人から伝え聞いた知識をそなたに告げるに過ぎない。なにせ、かの遺跡に行った人間といえば、あの二人の国王を置いて他にいないのだからな〕

〔じゃあ、ここらへんのドゥロームでラミシスに行こうとしたやつはいないんですか?〕

〔おることはおる。特にそなたのように血気盛んな若者が、な。じゃがこの大陸とかの島を隔てる海を乗り越えることができるほど、ドゥロームの翼は長くは持ちこたえられぬ。そうそう。過去唯一もっとも島に近づいた者がおったのだが、その者とてついに願い叶わず辿り着くことはできなかった〕

〔力尽きて死んじまったのですか?〕

〔そうではない。彼は今でもデュンサアルにおるわ。若き頃のマイゼークなのだがな。彼を呼ぶか……いや、ぬしの顔はやめてくれと言っておるようじゃな。ではわしが話そう。なにがマイゼークの行く手を阻んだかというと――龍じゃ〕

 ミスティンキルは目を見開いた。

〔龍が、島の周囲に棲んでいるんですか?! ……アザスタン、それっていうのは誰だか分かるか?〕

〔わしとて久方ぶりにアリューザ・ガルドにやってきたのだ。それぞれの龍の住まいなど分かるわけもない〕

〔その龍がマイゼークに名乗った名は、ヒュールリット。そう、朱色あけいろのヒュールリットじゃ〕

 エツェントゥーが返答した。


 朱色のヒュールリット。

 その名前は広く知れ渡っている。龍王の名を知らずとも、この龍の名は聞いたことがある者もいることだろう。かつて魔導師シング・ディールに協力をし、さらには眠れる龍達を覚醒させ、ディールらアズニールの軍勢と共にラミシス王国に乗り込んで“漆黒の導師”スガルトを討ち果たした龍だ。

〔龍が相手でも大丈夫だろう? あんたが何か言えば済むことだ〕

 ミスティンキルはアザスタンに言った。

〔龍は他の者の言うことなど耳も貸さぬ場合が多い。龍王様の命令ならばともかく、たとえばわしがそのヒュールリットとやらに立ち去るように命じても無駄だろう。確かに、わしがいたほうが交渉がはかどることは間違いがないが、確かなことはなにも言えぬ〕

 アザスタンは言葉を返した。

〔どうやらヒュールリットは、人間がおいそれと遺跡に立ち入らぬようにと、雲を住まいにして見張っておるようじゃ。龍を相手にするかもしれぬというのに、それでもミスティンキルよ、お主らは行こうと思うか?〕

〔はい〕

 ミスティンキルは決意した。

〔行きます。ラミシスに〕

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