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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第二部
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第一章 旅立ち (三)

(三)


 今夜は新月。月が白銀の光を発しないために、地上はいつにもまして暗闇に閉ざされているかのようだ。しかし夜空に浮かびながらもふだん月光に遮られてきた星々の光は、それぞれの世界が存在することを今宵こそはアリューザ・ガルド中に告げんかとするばかりに輝く。ミスティンキルはどんよりと重くなった両の眼をこすると、青白く光るエウゼンレームの星を見いだそうとした。天空にあって、常に真南にて明るく瞬く星だ。幼い時分からよく知っている星だけに、彼はすぐに探し当てることが出来た。おおよそあの星の方向に向かって今回の騒ぎの主、ウィムリーフが飛んでいるのだ。


 ミスティンキルはウィムリーフの力――青い魔力が正確にどの辺りにあるのか、探し当てようとした。

 すると自然と、ミスティンキルの口からことばが発せられる。誰かが自分の身体を借りて喋っているかのような奇妙きわまりない感覚。自分でも全く解さないし聞いたことすらもない言語が、流暢に紡がれていくというのは何とも形容のしがたいものだ。自分の口から漏れているこのことばがおそらく魔法を発動させるためのことばであり、魔力の在処を探知するための魔法が放たれようとしているのだ、ということだけは何となく分かった。

 ミスティンキルは魔導解放の折り、魔導師ユクツェルノイレから魔導のすべを継承したわけだが、だからといってミスティンキルが魔法に通じるようになったわけではなかった。いま行っているように、呪文を唱えることは出来るが、それがどのような意味を持つのかということは理解できなかったし、魔法についての知識など相変わらず皆無だった。


 ともあれ、魔力は解き放たれた。ミスティンキルの身体の中から若干力が失われたのを感じ取る。失われた力は外部に放出されて“原初の色”を伴った魔力として顕現し、呪文といわれることばによって意味をなす。

 そして発動。

 暗闇に包まれていたはずの地表が、ほんのり色を帯びて見えるようになる。木の葉の色も、岩肌の色も、どれも一様に同じ色をしているわけではなく、非常に多彩な色をあらわしている。あそこの木にとまっている紫の小さな色は、フクロウが秘める色だろうか? あらゆる事物の中には“原初の色”という魔力を秘めた力が内包されているのだが、魔法の力によってミスティンキルに見えるようになったのだ。

 すぐさまミスティンキルは、それら多くの色の中から青い魔力を察知した。澄み渡った空のように真っ青な色をした強い魔力が、南東の方角に向けて進んでいるのを知った。ミスティンキルは東に位置する星イゼルナーヴを確認すると、ウィムリーフを追うために自らに鞭を打ち、空を駆るのであった。


◆◆◆◆


 この追跡行は、自分との戦い以外の何ものでもなかった。少しでも気を抜くと、追い払ったはずの眠気がすぐに迫り来る。酔いが回った体はなかなか思い通りにならない上に、飛ぶという行動そのものが彼にとって不慣れなのだ。もし睡魔に負けて精神が混濁の中に埋まり込んでしまえば、間違いなく翼は羽ばたきをやめるだろう。そうなってしまえばたちまち真下の岩場に叩きつけられてしまう。ミスティンキルは死に対する恐怖をあえてあおることで、正気を必死に押しとどめようとした。


 ウィムリーフはかなりの速度で飛んでいる。それを上回る速度を出さねば彼女に追いつけないわけだが、ミスティンキルにとってはかなり無茶なことである。否、不可能であった。“風の司”であるウィムリーフに比べたら彼の飛ぶ力などたかがしれている。生まれながらにして翼を得ていた彼女だったら、この速度を保ちながらも二、三刻も飛んでいられるのかもしれないが、翼に慣れていないミスティンキルにとってはそれはとうてい無理なことだった。

 早くも彼の身体が悲鳴を上げようとしている。血は沸き立ったかのように凄まじい勢いで全身を巡り、その脈打つ音は風切る音よりも大きく聞こえてくる。このままでは彼女に追いつくどころか力尽きてしまうことは必至だった。

 どうすればいいのだろうか?


 そう思ったと同時に、意味不明の言葉が再び口をついて出た。今度発動させようとしている魔法は、風の力を借りるもののようだ。やがて風を切る音が――空を飛んでいるというのに――ぱたりと止み、周囲がしんと静かになる。次の刹那、ミスティンキルの身体を押し出すように、後方から風が吹き始めた。やがて追い風はごうごうとうなりを上げるまでに強くなり、ミスティンキルが羽ばたくまでもなく、突風が前へ前へと彼を推し進めていった。

 ミスティンキルは他のことに気をとられることが無くなり、ただウィムリーフがどこにいるのかを常に把握していればいいのだ。青い魔力の持ち主との距離が、見る見る間につまっていくのが分かる。ウィムリーフは彼女の出し切れる最大限の速さで飛んでいるようだったが、ミスティンキルの起こした風の速さたるや、それをはるかに上回るものだった。


 程なくして、ミスティンキルの目はウィムリーフの姿を捉えるようになった。後方から突風が吹いていることに彼女も気づいたのだろう。ウィムリーフはその場で滞空した。振り返ることはない。時を同じくして、それまで猛烈な勢いで吹きすさんでいた風がぴたりと止んだ。ミスティンキルは不意に風を失ったことで落下しかけたものの、自分の翼をはためかせることで押し留まった。

 未だウィムリーフは前方――ラミシス遺跡の方角を見据えたまま動こうとしない。

「ウィム!」

 声が届く範囲にまで近づくと、ミスティンキルは声をかけた。だがウィムリーフは振り向こうとしない。もうろうとする意識を必至で振り払いながらもミスティンキルは近づき、また声をあげた。

 ようやくウィムリーフは彼の方に首だけを向けた。月の光を受けたかのように、彼女の群青色をした瞳はぎらりと輝いている。美しくもあやしく光るその双眼は、獲物をにらむ豹のそれを想起させるかのよう。今の自分の瞳も、赤く輝いているのだろうか? ミスティンキルは青い瞳に魅せられながらそう思った。ウィムリーフは頭のみをこちらに向けたまま、なにも言おうともしない。

 しばし二人は、お互いの顔をじっと見ながら対峙していた。

 何とも言えない静けさに耐えられなくなったミスティンキルは、ようやく口を開いた。

「……なあウィム。一人で行こうだなんて無茶にもほどがあるぜ。一体どういう……」


 次の瞬間。

 急にミスティンキルの脈がどくり、と大きく音を立てる。と同時にミスティンキルの身体は崩れ落ち、意識は暗転していくのだった。

 ウィムリーフの声が遠くから聞こえてくるようだったが、なにを言っているのかもはや聞き取ることが出来ない。突如押し寄せた圧力に抗うことが出来ず、ミスティンキルは落下していくほか無かった。


◆◆◆◆


 目に映るものは灰色。

 いつしかミスティンキルは、灰色をした石の壁――民家の天井を自分がずっと見続けているのに気が付いた。

 背中に感じるのはやや固いベッドの感触。さっきまでは空を飛んでいたはずだというのに、これは一体どういうことなのだろうか? 突然の状況変化に驚いた彼は、がばりと跳ね起きた。

 頭の中はずきずきと痛み、体は自分のものではないかのようにうまく動かない。明らかに宿酔だった。

 ミスティンキルはこめかみを右手で押さえながら、顔をしかめて周囲を見渡した。窓からは昼の陽光が差し込んできている。

 ここは間違いなく、二人が滞在している宿の一室だった。ミスティンキルが目覚めたことを察知して、ウィムリーフとそれにアザスタンがベッドの傍らまでやって来た。アザスタンはいつもであれば龍の姿をとりデュンサアル山近辺に棲んでいたはずで、この村に来ることは久しく無かったというのに、どういうことだろうか。

「ミスト! 起きたのね!」

 いつもと変わらぬ様子でウィムリーフが声をかけてくる。そのどこか奇妙な差異。ミスティンキルは、あの追跡行が夢の中の出来事だったのかと一瞬いぶかしんだ。ウィムリーフは申し訳なさそうな表情を浮かべ、彼の顔をのぞき込んだ。


「その様子だと、なんで自分がここで寝ているのか分かっていないようね。ごめん。あたしのせいで……だいじょうぶ?」

「……大丈夫なわけがあるかよ」

 声を出すのもおっくうだと感じるほどに、ミスティンキルの体は参っていた。

「ウィムらしくもない。過ぎちまったことにあれこれは言わねえけど。もっとよく考えてから行動してくれよな……。どうかしてたぜ、あの時のお前さんは」

「そうね。昨晩は……あたしはどうかしてたんでしょうね……たぶん」

 ウィムリーフはひとりごちるように言った。

「それで、なんでおれはここにいるんだ? おれは、空にいたはずだ」

「昨日のこと、どこまで覚えてる? ミストがあたしに追いついたところまで? アザスタンが駆けつけてくれたことは覚えてる? そう、それは覚えてないのね」

「たまたま居合わせたわけではなく、お前達を追ってきたのだがな」

 龍戦士のなりをしたアザスタンが言った。しゅるる、と彼の鼻から煙が漏れる。人間で言うところの溜息をついているのだろうか。

「もしわしがお前達の気配に気が付かなかったらどうなっていたことやら。陸が連なっているうちはいい。だが海は違う。およそドゥロームやアイバーフィンの翼で渡りきることが出来るほど、海は小さいものではないのだぞ」

「うん。ごめんなさい」

 ウィムリーフは頭を垂れる。そして昨日の顛末についてミスティンキルに語ったのだった。


 あの時――ミスティンキルが翼の揚力を失って落ちそうになった時のこと。

 ウィムリーフいわく、どこか意識がぼうっとしていた、ということらしい。そしてはたと気が付いた時にはミスティンキルの身体は地面に向けて落下し始めていた。驚いたウィムリーフは急降下してなんとかミスティンキルの腕を掴み上げるが、ウィムリーフ自身も思いのほか疲労していたらしく、その場に滞空するのが精一杯だった。

 仕方がない、このまま下に降りて休息をとろうと思っていた矢先、龍の姿をとったアザスタンが現れて背中に乗るようにとうながした。ウィムリーフはミスティンキルの身体をアザスタンの背に乗せた。

「ありがとう。ミストを連れて帰ってくれるの?」

【ウィムリーフ。お前も来るのだ。ここからとって引き返せ】

「なぜ? あたしはこれから旅立たなきゃならないのよ?!」

【おのれを過信しているのに気づかない者には、知らずのうちに災厄が忍び寄る、というもの。今のウィムリーフはまさにそれだ】

「なにを言うの! あたしは自分をわきまえているつもりよ!」

【……今の自分の言葉が正しいかどうかすら、お前はまったく分かっていないようだ。ミスティンキルとともに戻り、少し頭を冷やせ。……三度目は言わぬぞ】

 アザスタンは、力を秘めた言葉をウィムリーフに浴びせた。龍の言葉とは、それそのものが魔力を持つのだ。ウィムリーフは渋々ではあるが龍の言葉に従わざるを得なかった。だが、龍の背中に乗りながらデュンサアルに引き返しているうちに、自分の行動がひどく軽率だったことがようやく分かりはじめた。一体なにをあれほどまでに急ぎ、いきり立つ必要があったというのだろうか? なにが自分をこうまで突き動かしていたのかもはや分からないが、ウィムリーフは龍に謝罪した。龍はそれ以上なにも言わず、彼らをデュンサアル村の入り口まで送り届けると、自らも龍戦士の姿に化身して村に入っていった。

 そして一晩が明けた。


「……とにかく、今はゆっくりお休みなさいな。あたしも軽はずみだった。きちんと前もって調べられるところを調べないとね」

「なんだよ。何だかんだ言って、結局お前はラミシス遺跡に行くつもりなんだな?」

 ミスティンキルの問いかけにウィムリーフは頷いた。

「昨日の夜も言ったけど、こんな機会はめったに来るもんじゃないもの! あたしは、ラミシス遺跡がどういったものなのか、また冒険誌を書きたい! きちんとしたかたちで世に伝えたいのよ」

「……頑固だな」

「おあいにくさま。あんたと同じにね」

 ウィムリーフは舌を突きだして軽口を叩いた。

「でもまだ前の冒険誌の編纂が終わってないだろう?」

「あれは、またここに帰ってきたら続けることにするわ。今は……遺跡への冒険のことしか頭にないもの」

「しかたねえ。おれもウィムに付いていくことにするか」

「ならばわしも付いていくぞ」

 最初からその言葉を言うつもりであったかのようにアザスタンが言うものだから、それを聞いたウィムリーフは驚いて目を丸くする。

「ミストも、それにアザスタンも? 嬉しいけど、どういうことなの?」

「昨日みたいに勝手に飛び出していくようなやつを放ってはおけねえだろうに。それに、一人で出かけるには危なっかしそうな場所だろう?」

 ミスティンキルはベッドにごろりと横になり、再び灰色の天井を見据えながら、ぶっきらぼうにそう言った。

「わしが動くのは、龍王様からのご命令ゆえ」

 アザスタンは言った。

「それに先ほども言った。人間の翼ではおよそ海を渡りきれるものではない。……だが龍は違う」

「……うん。ありがとう、二人とも」

 ウィムリーフは目を閉じて頭を下げるのだった。

「一週間。その間にラミシス遺跡の事について出来る限り調べ上げて……出発することにするわ。あたしたちは!」

 ウィムリーフの群青色した瞳は、きらきらと輝いているようだった。

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