第三章 “炎の界”へ (三)
(三)
まことを語るただひとつの歴史書には、このように記されている。
幾百万の昼夜をさかのぼってもまだ足りないほど太古のこと。
原初の世界には“色”という概念そのものがありえなかったという。
暗黒と、漠然とした白のただ二つのみが存在していた、と歴史は語り継ぐ。
殺伐とした原初の世界を統治し、幾千年に渡って栄華を誇っていたのは古神といわれる荒くれる神々達。だが彼らは始源の力、つまり強大な“混沌”の力の氾濫によって滅びの時を迎え、その後アリュゼル神族に取って代わられた。
アリュゼル神族は、もともとは古神達と時を同じくして原初世界に誕生したのだが、世界の果てへと飛び去ってしまった。諸次元の彷徨の果てにふたたびこの世界へ復帰したのだ。
そしてアリュゼル神族とともにこの世界へと流入してきたものこそが、“色”。
魔力そのものを内包する“原初の色”だ。世界の新たな構成物であるこれら原初の色は、いくつもの帯状となって空を包み込むと互いに絡み合い、無数の色を織り上げていく。やがて原初の色は万象事物へと染みこんでいった。それまで無機質だった世界は、無数の色をして美しく彩られるようになったのだ。
これがアリュゼル神族により創られる世界――アリューザ・ガルドのはじまりとなる。
“炎の界”が、物質界アリューザ・ガルドと繋がるようになったのは、アリュゼル神族によって世界創造が行われているさなかであった。
次元の隔壁を飛び越えてアリューザ・ガルドに顕現した最初の龍こそが、美しい深紅の巨躯を持つ龍王、イリリエンである。
アリューザ・ガルドに現れた龍王は、アリュゼルの神々にこう申し立てた。
【各次元へと繋がる門――“次元の扉”を解き放たれよ。さすれば事象界は地上と近しい存在となり、火が、水が、大地が、そして風が、この地にさらなる祝福と癒しをもたらすのだ】
イリリエンの言葉どおりにアリュゼル神族は次元の扉を開け放った。これによって火・水・土・風の事象界はアリューザ・ガルドと密接に繋がるようになった。“炎の界”の住人であった龍の多くも、物質界目指して飛び去っていった。
世界に関するすべての原理が整ったアリューザ・ガルドでは、アリュゼル神族が最後の創造を行った。人間の創造である。
水の加護を受け、森と共に生きるエシアルル、空を駆ける風を力とするアイバーフィン、大地に息づく力――龍脈を感じ取るセルアンディル(のちのバイラル)。彼ら三種族がアリュゼル神族によって創造された。だが火は――すでに龍達が司る事象であったために、火の加護を受ける人間は創造されなかった。
しかし意外なことに、孤高の存在であると思われた龍達の一部は人間に大きな関心を寄せ、また人間の生き方に憧れたのだという。彼らはおのの叡智を結集して人化のすべを形成し、人間となった。
炎の加護を受けるドゥローム族とは、人化したドゥール・サウベレーン達の末裔なのだ。
アリューザ・ガルドでは四種族によって人間の生活が営まれていくことになった。
それから歴史は数々の激動とともに幾星霜を重ね、現在に至ることになる。
◆◆◆◆
火という事象そのものの発祥の地であり、龍達の生まれ故郷である“炎の界”。
そこに今、新たな訪問者が流入してきた。ミスティンキルとウィムリーフ。彼らは見事に次元の壁を飛び越えて、“炎の界”への転移を果たしたのだった。
ゆらゆらと舞うようにして、二人は炎の中に佇んでいた。人の姿から、<赤>と<青>という色の固まりへと姿を変えて。