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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第一部
13/68

第三章 “炎の界”へ (一)

(一)


 “炎のデ・イグ”への門が存在するというデュンサアル山。

 麓の町をあとにして“門”に至るまでには相当の道のりがあることを、ミスティンキルは“炎の司”の長老エツェントゥーから聞いていた。

 長達が住む“集いの館”がある山の、その隣にそびえる岩山を登ることおよそ一刻。今度は山を割くようにして断崖が待ちかまえているのだ。底知れぬ奈落を越える手段は二つ。吊り橋を渡るか、翼を用いて飛び越すか、である。この絶壁の向こう側は平原となっており、一本の小径がデュンサアル山へと続いていく。

 デュンサアル山の登坂路をしばらく登ると傾斜が緩やかになり、空き地が広がっているという。そこにそびえる二本の石柱こそが門――次元を越えて“炎のデ・イグ”とアリューザ・ガルドを繋げる唯一の場所なのだという。


 “炎のデ・イグ”へと赴かんとする二人の若者は、最初の内こそ他愛もない話を交わしていたが、山道を登るにつれ空も暗くなり、次第に言葉少なになっていった。とくに、この半日歩きづめのミスティンキルは、少しでも気を抜いたら倒れてしまいそうなほどに疲れ果てていた。

 だというのに、なぜ歩みを止めようとしないのか。先ほどからウィムリーフがさんざん言うように、長に侮辱されたあまり、依怙地になっているせい、なのかもしれない。だが、単にそれだけではないような気もしていた。彼自身把握できていないが、なにかが自分の奥底に触れているような、そんな奇妙な感覚をも覚えているのだ。


 岩山を登りきると、いよいよとっぷりと日は暮れ、山々の黒い輪郭が夜闇の中から浮かび上がってくる。デュンサアル一帯の山々の中にあって、ひときわ存在感を誇示するのは、やはり雄大なデュンサアル山に他ならない。漆黒にそびえるあの山からは、人の住む地域では感じることの出来ないある種独特の雰囲気――自然をも超越した何らかの力が伝わってくるようだ。

 暗闇の中で活発になるのは野生の動物に限ったことではない。自然と共に生き続ける精霊達や、太古から存在し続けてきた闇の力、さらには魔界の眷族すらもうごめくと言われている。黒き神が封印されて長い時が流れたとはいえ、魔族の力が悪ふざけをすることもあるのだ。世界の色すべてが薄れている今、ランプや月のほのかな光だけでは、こういった闇を照らし、消し去るにはあまりにも頼りないというものだ。

 ウィムリーフはランプを地面に置くと、一言二言呪文を唱える。すると彼女の右の掌から小さな光球が浮かび上がり、二人の周囲を煌々と照らし出した。

「へえ。そんな魔法が使えたんだな」

「冒険家としてのたしなみ、かしら。でもあたしが使えるのはいくつもないわ。魔法使いにとっては、こんなものは魔法の初歩みたいなものなんでしょうね。でも、アイバーフィンらしく風の力を使役するほうが、あたしにとってはしっくり来るけどね」

 風の司たる娘は得意げに答えた。例えばあの長のように、人によっては嫌味にも聞こえるような言葉でも、彼女の口から聞くと不思議と気にならない。それはウィムリーフの飾らない性格のせいなのだろう。


「っとっと……」

 ふっと気が抜けてしまったミスティンキルは、足をふらつかせて地面に倒れ込んでしまった。

「ミスト!」

 ウィムリーフが心配そうに顔をのぞき込む。

「へへ。情けねえ。岩山を登りきったから安心しちまったんだろうな。でもまだ道は長いんだから……」

「道は長いんだから、少しここで休んでいきましょう」

 ミスティンキルの言葉を遮ってウィムリーフが言った。

「……徹夜の護衛。昼間から山道を歩きづめ。加えて食事もろくに摂ってない。それじゃあへばって当然よ。……ねえ、少し眠りなさいな。あたしが見張っててあげるから」

 ミスティンキルは意地になって上半身を起こそうとするが、もはや体が言うことを聞こうとしない。

「せめて……もう少しでも先に進みたいんだ……」

「はいはい。ミストの決意が固いのは感心するわ。これだけ頑なな意志をもってすれば、試練だって難なく突破できるかもしれない。けれどもね、意志が強いっていうのと、聞き分けがないっていうのはまた別。それに、ここから平原に行くのに吊り橋を渡らなきゃならないでしょう。そこで今みたいに倒れ込んだら、奈落の底に真っ逆さま、よ。そうなっちゃったら、いくらあたしが翼を持っているといっても助けられないわよ。……おとなしく休みなさい。それともあなたたちには、『“炎のデ・イグ”に行く前には断食して、不眠不休で歩きづめなきゃならない』という掟でもあるっていうの?」

 ミスティンキルは折れた。大の字になって天上の空を見上げる。と、頭が起こされてウィムリーフの膝に乗せられた。

「そう。一刻の間だけでも眠るといいわ。次に鐘が聞こえてきたときに起こしてあげるから」

 言われるままにまぶたを閉じる。ウィムリーフの優しさ、暖かさを感じながら、ミスティンキルは眠りへ落ちていった。


◆◆◆◆


 どこともしれない虚ろな空間。これが夢の産物であることをミスティンキルは自覚しながらも、周囲を包む白い闇に四肢を捕らわれたように、動くことがまるで出来ないでいた。


〔呪われたウォンゼ・パイエめが。貴様などが龍人を名乗る資格などありはせぬぞ!〕

 どこからともなく、罵る声が聞こえてくる。これは“司の長”――あのマイゼークの声か。

「“司の長”たちは、海に住むドゥロームなど同族だと思っていない。……俺もそうさ。ましてお前などに、我らが村長の葬列に居合わせてほしくないものだ」

 今度聞こえてきたのは、デュンサアルに着く前、葬儀に参列していた男の声。

 こんなものは幻聴だ。実際に聞いたことなどない、おれが勝手に思いこんでいるだけだ――そう思っている最中でも、さらにさまざまな罵言が容赦なく頭の中に響いてくる。

 旅商達、酒場に居合わせた者達、波止場の水夫、街道ですれ違った旅人達。かつての旅先でミスティンキルが出会ってきた人々が口々に罵る。“忌まわしい力の持ち主”と嘲笑する。


「黙れ! おれの持っている力が忌まわしいだと?!」

 たまらずミスティンキルは声を張り上げた。すると怒りの感情と共に赤い色が――魔力が顕現した。“司の長”達を襲ったあの時にも似て、それは空間を覆いつくすように膨張していき――ついに雷鳴のような音と共に弾けた。

 途端、それまで激しく飛び交っていたすべての雑言は消え失せ、空間には静寂のみが佇む。


――ほら、見るがいい。お前の持つ力とはかように恐ろしいものなのだよ。

「親父殿?!」

 模糊もことした空間から浮かび上がってきた姿は他でもない、彼の家族だった。ミスティンキルが避けたくもあり、しかしながらもっとも会いたいと望む人々。

 ミスティンキルの抱く複雑な想いとは裏腹に、父母も兄も一様に、悲しさと恐れを併せ持った表情でミスティンキルを見つめる。少年時代から見慣れていたその表情こそ、彼がもっとも見たくないものであった。だからミスティンキルは家族の眼差しから目を背けようとした。が、全身がこわばっているためにそれすらも出来ない。

 耐え難い視線を一身に受けていた時間はいかほどのものだったのだろうか。彼らはくるりと身を返し、漠然とした白色の中へと消えていった。最後までその表情を変えぬまま。


 ようやく呪縛から放たれたミスティンキルは天を仰いだ。はち切れそうなまでに膨らんだ感情の中にあってなお強く感じとれたのは、あまりに深い悲しさだった。漁師の次期首領としての後継者争いが始まり、“力”を持つがゆえに一族から疎んじられ――ミスティンキルが孤独を覚えるようになってからずっと、誰に知られることなく密かに抱え込んでいた感情。


 そして彼の意識が現実へ戻ろうとしているのが分かる。それは嬉しいことだった。いつもと変わらずに振る舞えば、この夢のように辛い感情を吐露することもない。なにより、ウィムリーフが自分を包み込んでくれるのだ。

 最後に、ミスティンキルは思った。

 自分の力の強大さゆえに迫害され続けてきたのなら――

「なんでこんな力を、大きな魔力なんかを……おれは持ってなきゃならねえんだよ?」


 それはミスティンキル、運命という名の必然が待っているから。

 歴史という名の物語の流れへと飛び込んでいくから。

 その時が、いよいよ始まる。


 意識が覚めていく中で最後に聞こえたのは、覚えのない声。それはいったい誰の言葉だったのだろう――。

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