2人の会話
「………」
格士と爽子が向かいあっていた時、双方の携帯は沈黙を守っていた。
「尭実さんですね。あなたが操縦しているのはわかっています」
「………」
何も言わず格士を見続ける爽子の後ろにも、爽同様に逃げ場のない行き止まりになっていたが、二人のいる道路は広く格士の隙をつければ楽々と逃げられるだろう。
しかし、爽子の足は動くことなく、その目も隙を伺うために格士を見つめてはいなかった。
「あなたが、茶果木 爽ではないのは、わかっています。茶果木爽だと思わせるために、爽の持ち物を持たせたんだろうけれども、見分ける側としてはそれ以上にわかりやすい事はないですから。
彼女も連絡とれるように携帯を渡したのは明らかですからね。持ち主は自分の番号ぐらい知っていますから公衆電話にいけばすぐに連絡がとれますし」
「………」
「あなたが尭実さん以外の奴でもないことも。両手を腰に手を当てて、悪ガキをしかる母親の様に俺を、図体も態度も大きな男を見られるのは一人しかいません」
格士に言われた通りの姿勢でいる事に気付き、爽子は苦笑を浮かべた。
「応見さんが、あなた達を閉じ込めたのは、目立ちすぎる体格でうろうろされないようによ」
爽子は口を開いた。
ロボットを操縦していない時のように。
「あいつは、でかすぎるから」
「あなたも、でしょ」
爽子のつっこみに、格士は苦笑、ではなく頬をほころばせていた。
格士の耳に届く声は爽のものだが、その口調は間違いなく聞き慣れたものであった。
「やっぱり、間違いなく、尭実さんだ」
にっこりと小学生のように笑う格士に尭実も微笑み返していたが、すぐに表情を消した。
それは格士も同じであった。
「尭実さん、一体、何があったんですか。教えてください」
「…」
尭実は、格士から目を反らし、灰色の地面を見つめるだけであった。
「黙るなんて、あなたらしくもない。紅子の行方不明なのと、何か関係があるのですか?」
「………」
「尭実さん」
尭実は、首を振るだけであった。
「格士。洵を連れて帰ってちょうだい」
「嫌です。今、ここで、理由を聞かない限り、絶対に帰りません」
「それは、心の整理がついたら話すわ」
「……」
格士の目は、僅かに変わってゆくロボットの表情を読み取った。
暗く、悲しく、孤独なものを。
それは前、爽も読み取ったものだが、格士は首を振った。
「尭実さん、今、あなたは、どういう状態なんですか、それだけでも、教えてください」
「五体満足よ。
バーチャルライフというロボット操縦しているけれども、生命の危険はないわ。
もちろん、あなた達が狙っているものも、誰の手に触れることなく」
「そんな物はどうでもいいことです」
格士は、きっぱりと否定した。
「確かに、俺達と尭実さんとは『その物体』で繋がっている。
その物体は、誰の手に入るところにあって、今まで、誰一人とて、手に入れようとすらしない。
それは尭実さん、あなたとの関係が崩れるからです。
あなたと離れ離れになること。特別任務に就いた者にとって、その物体を手放す事は尭実さんが悲しむのを知っています。だから誰も手に入れ様とはしないんです。
あなたの温かさにずっと触れていたい、あなたのために何かしたいと皆、思っています。
皆、あなたに慕っているんです。だから、俺と洵がここに来たのは、尭実さん、あなたが心配なだけです」
特別任務に就く者たちは、皆、陽本尭実を家族、母親のように慕っていた。
それは彼女の接し方が、エリートとして鍛え上げられた者たちにとって触れたことのない、親しみがあり、飢えた愛情に何よりも応えていた。
「………」
格士の声は尭実の耳に届いていたが、格士を見上げることはなかった。
「…。尭実さん、あなたが無事だと聞いてほっとしました。あなたの言いつけ通り、洵を連れて帰ります。
でも、もう一つだけ、教えてください。紅子は、紅子の行方をあなたは知っていますね」
「…」
尭実の口は開くことはなかったが、視線は格士から離れていた。
「まさか…」
「格士…。何も言えない。何も…」
首を振る尭実の今にも泣きそうな表情に、それ以上問い詰めることはできず、格士は尭実から背を向けた。
「洵たちと合流するまで、お供します。あなた一人にはできません」
格士の球体電話が洵の着信を告げたのは、この時だった。
離れ離れになった二組の待ち合わせ場所は、駅の南口となった。
「爽。君は羨ましいよ」
駅に向かう途中、爽の隣を歩く、でかい図体から声が届いた。
「何が?」
「尭実さんと『負い目』を持つことなく、一緒にいられることだよ」
爽は、慣れない角度に合わせて洵を見上げると、穏やかな顔がわずかに曇っていた。
「特別任務に選ばれた俺達は、尭実さんから『ある物』を取らなければならない。
その物は、尭実さんの婚約者が作り上げた、異なる星の者たちにとって喉から手が出るものだが、尭実さんにとって、失踪した婚約者の唯一の手がかりとなる」
「それは、聞いたことがある」
「尭実さんに慕う者たちにとって、それを奪うことはできない。だが、各星の代表に選ばれた以上、尭実さんと接し、いつかは奪わなければならない」
洵の口は閉じたが、爽は、その後に隠された言葉を知り、頭の中で続けた。
『奪えば裏切りを表し、尭実さんを悲しませることになる。
だから、誰一人として成功した者はいない』
「爽は、その鎖がない。尭実さんと純粋に接することができる。俺らにとって羨ましいよ」
「まあね。私は紅子の補欠だし、万が一、紅子に何かあっても、よっぽどのことがない限り、私に周ってくることはないから。
もし、紅子に何かあったら、特別任務権は私ではなく、別の星に渡ってしまうから」
「羨ましいよ。本当に」
補欠にとってその言葉は皮肉なものであったが、今の爽は素直に喜ぶことができた。
あと3歩先にある角を曲がると、爽と同じ姿をしたロボットを操る陽本尭実と、三森格士がいる。
彼女は、重要人物である陽本尭実であるが。爽の口は『爽子さん』と呼び、重要人物という言葉に関係なく接する事に決めていた。
爽にとって特別任務など関係のない話なのだから。
「それにしても…一目でわかるね」
三森格士のでかい姿は一目がつき、向こうも洵の図体に気づき、手を振っていた。
そこで4人は合流し、再び二組に分かれるはずだった。
『ぱぁん』と音をたてた銃声により、それは一変した。
「な、何なの?」
音を立てたそれは、爽の数十センチ左のコンクリートにめり込んでいた。
襲撃者を捜そうと見上げようとしたとき、黒い何かが目の前に現れた。
「捜すよりも、逃げろ」
それは洵の太い腕だった。洵の大きな手が肩をつかみ方向転換させようと軽く後ろに押した。
返答よりも早く、爽はあと数メートル先にある爽子達のいる南口に向かって走り始めた。