海
「爽…海に行きたい」
爽子は、朝ご飯を食べる爽を観察しながら、ぽつりと言った。
視線は爽に向けているものの、彼女を見ているようには思えなかった。
目の前にいる爽を通り越して、どこか遠い世界を見ている。そんな感じがした。
『警戒を怠なければ』と、応見から許可がおりたため、二人の同じ姿をした者たちは、外に出た。
爽にとって初めての町であり、どこをどう行けば海に着くのかわかるはずもなかった。
しかし、ここは未来であり、未来の携帯電話がある。『海まで案内して』と一言命令すれば、問題は解決することができた。
「マスター、その先にあるスーパーを右に曲がって500メートルほど進んでください」
あとは携帯が車のナビゲーター同様、主人の歩行速度に合わせ丁寧に教えてくれる。
「何か、においがする」
「磯の香り。海のにおいでしょう。私は携帯なので、海の近くにいるから『磯の香り』と判断しているだけですが」
爽は爽子に問おうとしたが、実行することはなかった。
「………」
爽子に表情というものがなかった。
人形のような顔と目を持つ爽子の心は深い見えない所に沈んだまま、浮上する様子はないようだ。
だから、角を曲がった途端に現れた広大なる海を目にしても無感情なままだった。
今の彼女にとって大きな駐車場を見ているのと変わらないだろう。
「ほら、爽子さん、海ですよ」
一人の世界に入り込んでしまった爽子に、この声は聞こえるのか不安になったが、爽は指を伸ばし、爽子に知らせた。
海
違う星から来た爽にとって、湖よりも大きな水の存在は、ただ『すごい』以外、言い表しようがなかった。
「……壮大なる水たまり…」
「マスター。水たまりは、ちょっと…」
ただ、ただ驚く爽であるが、そこは仕事人。周囲の警戒は怠っていない。
爽は大きな海と砂浜という、何の障害物もない場所は、敵側にとって狙いやすい場所となり、不安をげに再度辺りを見回した。
「………」
そんな爽の警戒を知ってかしらずか、警備される本人はというと。
波に触れる一歩前(ボディは防水加工になっているから水に触れても問題はない)で止まり、その先にある大自然をぼうっと見続けていた。
「……」
感情を回復しようとする気配はなさそうだ。
爽は周囲を警戒しながらも、腰を下ろした。
「………」
海の音。波には癒しの力がある。それは、海を知らない爽でさえも、耳から聞こえてくる音に安らぎを感じ、仕事でなくても、ここにずっと座っていたい気分になった。
「………」
爽子が振り替えなければ、爽も波を永遠に見続けていただろう。
『どうしました?』と、聞きつつ爽は立ち上がり、辺りを伺った。
今のところ、怪しい気配は感じ取れない。
「………」
爽と同じ姿をした爽子は、ただじっと爽を見つめていた。
相変わらず無表情のままだが、その目には、先ほどにはない、力があった。
爽子はしっかりと爽を見つめ、唇を開いた。
「………
………
………。
信じていいかしら」
長い沈黙が続いた後、彼女はそう聞いた。
「……」
「あなたの事。信じていいかしら?」
爽は聞き返そうとしたが、それよりも早く、ぐらりと体制を崩した爽子を抱き止めた。
抱き止めた時に伝わってくる冷たい感触。
爽と同じ姿をした得体のしれない者は、深く、冷たい。
暗い孤独
それがロボットから放たれていた。ロボットを遠隔操作する彼女の心そのものなのかもしれない。
「………」
爽は腕に力をこめた。
爽子から伝わってきた孤独の感触を知った時、爽は言葉を放っていた。
「大丈夫です、爽子さん。
ここには、私がいます」
同じ姿をした他人。
だが、他人であるが同じ姿をした者であり、爽は、その者の孤独を埋めたくなった。
「大丈夫です。あなた一人ではありません。
ここに、私がいます」
他人であっても、爽には他人のままで終わらせたくなかった。
「…。
信じていいのね」
「信じてください」
爽の返答に爽子は目を閉じた。
そして、鳥や小動物が安全と判断した大木で休息をとるように。
彼女は、その身を完全に預けた。
「信じてください」
こうして私は木になった。大木にはほど遠いけれども。
この日以来、この人の大木になりたいと強く思うようになった。
私と同じ姿をしたロボットを遠隔操作する爽子さんはどんな人なのかわからない。
口調は年上っぽいけれども、何才、何十才離れているのか、男なのか女なのか、地球の人なのかすら。
でも、今の私には関係のないことだった。
爽子さんのためにやりたい。それ以外の考えがなかったから。