携帯電話と推測
「…ただより高いものはない。学校休めるほど甘い仕事はないって所よね」
爽は浮遊する携帯に向かって小さな声で愚痴をこぼした。
「今回は、ずいぶんと濃い霧がたちこめていますね」
浮遊する赤い球体型携帯電話はずいぶんと面白い表現で例えた。
「そうなのよね。ほんと?ばっかりよ。ロボットを遠隔操作する人もわからないし」
「紅子さんじゃないんですか?」
携帯電話の問いに爽は自信を持って首を横に振って否定した。
「それはないわね。電話で遠隔操作する人を応見は『あの御方』って言ってたから。
いくら、紅子が特別任務に選ばれたエリートであっても、応見から見れば呼び捨てできるただの高校生。応見の呼び方はワンランク高い位置にいるのは間違いないわよ」
「そうですか…となれば、遠隔操作する人が言った『紅子さん』については、どう考えていますか?」
携帯電話の問いに、爽は首を振った。
「わかんない。
紅子を知っているのは確かだけれども」
「マスター。マスターは紅子さんが最近見かけないと申してましたが、もし。紅子さんが何らかの事件に巻き込まれて、行方不明になっていたとしたら…。遠隔操作をする人は、紅子さんの居場所について何か知っている…ってことになりますね」
携帯電話の考えに、またしても首を振った。
「ホォボス君(爽の携帯電話の愛称)。それは考え過ぎよ。ここ何日か紅子を見ていないだけで。彼女が行方不明になっている証拠はないし。何かの事件に巻き込まれたどころか、何か事件が起きた噂すら聞いていないのよ」
「そうですか。すみません。どうも考えすぎたようで」
フォボスは簡単に自分の間違いを認め、謝罪した。間違いを認めない人間に爪の垢を飲ませてやりたい正直さが携帯電話にはプログラムされている。
「でも。何か関わっているのは間違いないわね」
床に座り、最高級のソファーに背を預けている爽は、そこで静かに寝息をたてる少女を見上げた。
家族構成に『双子または三つ子以上の兄弟』というものがいない者にとって、同じ姿が近くにあるのはどうも落ち着かないものであり、爽も例外ではなかった。
「見れば見るほど妙な気分よ」
校則違反ぎりぎりの茶色の髪を左右に分けて三つ網し、中華風にまるめた髪型も、凹凸のあまりない体格も。
どこをどうみても、違いのない少女ロボット。でも、どこかの別人が動かしている。
「スリーサイズ、一ミリの狂いもなかったら、嫌だなぁ」
「でも、誰がマスターのサイズを知っていたんでしょうね…」
「………」
爽のバイトおよび学校内の細かい管理をするのは嫌な冷血野郎、応見のただ一人しかいない。もちろん、応見に寸法なんて言った覚えすらないのだが。
「もしかして、応見さんは精密なロボットだから、外見からでもマスターのサイズを測れるんでしょうか」
「恐ろしい事を言わないで」
携帯電話のありえる話に、頭をかかえるしかかなった…。
なんともいえない奇妙な気分だが、少女ロボットが動かない限り変化のない平穏な空間であった。
その、妙な気分は長いこと続いた。
というのも、彼女、爽と同じ姿をしたロボット操縦者は一向に目を覚ます気配がなく、ロボットも眠り続けていた。
それは、一時間たっても日が沈んでも。
爽は応見が用意したと思われる冷蔵庫に保存してあった冷凍食品をレンジにかけ晩御飯を済ませた。
風呂に入って、寝る時間になっても。
ずーっと彼女は眠り続けていた。
「この子。大丈夫なのかな…」
「念のため、応見さんに報告した方がよろしいんじゃないですか。極力、電話をしないようにとおっしゃっていましたから、メールでも送っておきましょう」
「そうね。そうしてちょうだい」
未来の携帯電話は執事のように助言をして、メールも勝手に出してくれる。
とはいえ、本文は爽が考えなければならない。
「押入れの中に布団があるから…彼女を寝かせて、私はソファーの方がいいわね」
いくらロボットとはいえ、金をもらって彼女の世話をする以上、布団に使う気になれない爽であった。
「でも、マスター。大丈夫なんですか?」
「何が?」
「私、気になっていましたが。このロボットを操作する方って、女性とは限らないのでは…ないでしょうか」
… … …
爽から表情が消えた。
昼間『紅子』とつぶやいた声は、ロボットに組み込まれた爽の声であり、爽と同じロボットを操縦しているもの声ではない。
なので、ロボットを操作する人が下手したら男だって事もありえるのだ。
「…え。じゃあ、見知らぬ男と一つ屋根の下で寝泊りするって事」
「…。いや、大丈夫ですよ。何といっても応見さんがまわして来た仕事なんですから。安全です」
携帯の返答はフォローにはならず、爽は頭をかかえた。
「ど~しよ。
でも、まだ。男だと決まったわけじゃないし…。
もし、男だったとしても…護衛する以上、何かあった時、駆けつける範囲じゃないとならない」
「マスター…」
「……………」
さんざん悩む爽であったが…睡魔の力に『もう、ど~にでもなれ』という気分に陥った…。
とりあかず、携帯フォボスに『ロボットに動きがあったら、即刻、起こして』と命令してから。
ソファーに身を預け熟睡モードに入った。
目が覚めた時、爽の目の前にいたのは赤い浮遊する球体型携帯電話フォボスだった。
「おはようございます。マスター。朝の7時です」
「………」
寝る前の心配はいらなかったようだ。
「ロボットは?」
「まだ、眠っています。マスターが寝ている間、一度も起きることなく」
「そう…」
無事、朝を向かえたものの、爽の気分は表情は暗く、携帯電話にも読み取る事ができた。
「どうしましたマスター。お顔がさえませんね」
「嫌な夢を見たのよ」
「嫌な夢…というと、笑いながら応見さんが追試テストを山ほど持って追いかけて来る夢ですか」
「…。その夢も嫌だけれども。(どうやら何度も見ているらしい…)今回のは、そんな単純な夢じゃないのよ」
爽が見た夢は、紅子に会うものだった。
夢は一日の情報を脳が整理するためのものといわれていて『紅子』というキーワードも記憶整理の一つと考えることもできた。
そんな夢の中で紅子は、爽に剣を向けていた。
刃の上には高級そうな卵型の物体が乗せられていた。
「それだけの夢だけれども…」
「残念ながら、私には夢判断するプログラム設定はありませんので、マスターの夢の意味を知ることはできませんが…今あるプログラム内で推測するには、剣を向けることと、その卵に意味があるとおもいますね」
携帯電話の返答に爽は苦笑した。
「鋭いわね、ホォボス君。剣はわからないけれども。卵は『特別任務』で手に入れるものよ」
特別任務
様々な星の選ばれた者だけが行うことができる任務。
その任務もすべの星が参加できるわけでもない。非常に限定されたものだった。
特別任務に参加できるのは星は順番に一星一人ずつとなっていて、よほどの事がない限り、特別任務に決められた星内での入れ替えはなく。次の星に特別任務権が移ってしまう。
限られた星。選ばれた者だけが挑むことができる特別任務
しかし、その任務内容は、比べ物にならないほどに単純なものであった。
それは、
『ある人の家に行って、卵型のあるものを奪ってくる』
ただそれだけ。
でも、卵型のそれは、地球以外、すべての星にとって喉から手が出るほど手に入れたい物で、もちろん宇宙にたった一つしかない。
それが特別任務というものだった。
「だから、特別任務に選ばれた子とそうでない子の差は歴然だし、ましてや、紅子は近づけないオーラがたちこめているからね…仲良しにはなれないのよ」
身支度を整えた爽は、朝食の用意を始めた。ロボットは目を覚ます気配はないし、覚ましたとしても、人間の食べ物を処理できないと思うから、一人分。
小型の冷蔵庫を開けると卵と牛乳。マーガリンなどがあって、あとは缶詰とかの既製品が隣の棚につまれていた。
爽はそれらを取り出しながら、携帯に身の上話を続ける。
「私にみたいに特別任務の補欠ともなれば、ただ学校に行って生活するだけ。応見が仕事をくれなかったら、本当にやることなんてないわよ」
「マスターにとって応見さんは、恩人なんですね」
「…」
浮遊する携帯電話の言葉にうなづきたくないけれども、否定はできなかった。
「………」
爽は牛乳をコップに注ぐと一気に飲み干した。
「…。まあ、応見の存在はありがたいわよ。
ましてや特別任務に選ばれたエリートと、補欠の接し方に差別はない…というより、誰に対しても見下ろした態度で接してくれるだけなんだけれどもね…。
とはいえ、肯定したくないわね。あの冷血サディスト野郎なん…」
「ほぉ…。恩人に向かって良く言える言葉だね」
携帯電話から放たれる声を聞いて、フリーズしたのは言うまでもない。
『マスター…私は、何度となく着信を告げました事を報告しておきます』
最悪な事態を察知した携帯電話は、自分の球体内にメッセージを表示させから、冷笑する応見の姿を立体映像化させた。
「…。ははは。応見様。ご機嫌麗しゅう」
「爽の二重人格については、後で言わさせてもらうが」
『重要な話で電話したんだなら、忘れてよ』と、声に出さず訴える爽であった。
「ロボットの様子はどうだ」
「寝てばっかり。
で、応見君」
「お前の聞きたいことには一切答えない。
そうか、眠りつづけているか」
「私はどうすればいいの?」
「爽はロボットの世話と護衛をする事だから。ロボットが起きるまで、待機だ」
「え~。何もできないの?」
「退屈ならば、爽が受けるはずだった昨日の授業内容と、宿題。予習、復習をメールで送っておく。めいいっばい、頑張れ」
「い~や~」
「ならば、大人しくしていろ。
いいか、爽。訪問者が現れても絶対に入れるな。誰であろうと。役職を使ってくるならば、俺の名前を使え。
いいな。絶対に入れるな」
念を押して、通話は終了した。
ロボットの睡眠は24時間続いた。
途中、目を覚まし起き上がることはあるものの、左右を見まわして再び眠ってしまう。
「………」
応見に注意された訪問者も現れることなく、待ちつづける者にとって『暇』以外なんでもなかった。
「マスター。暇を持てあそばしているならば、携帯のゲームをダウンロードしますか?それとも。ネットワークにつなげますか?」
未来の携帯電話にも、アプリやウェブ能力はあり、気を回してくれたが…。
「う~ん、そんな気分にはなれないな…」
ロボットがようやく動き始めたのはもう一晩必要だった。
『いい加減飽きてきた』と愚痴をこぼしながら朝ご飯を用意しようとしていた時、それはゆっくりと起きあがった。
またしても左右を見まわし、眠ってしまうかと思っていたけれども、ロボットはとうとう立ちあがった。
「………」
爽と同じ姿をしたロボットは、辺りを見回して
爽に視線を向けた。
「おはよう。爽、さん」
ロボットから放たれる爽と同じ声。ロボットがとうとう起きたことに緊張する爽にさらなる緊張を与えた。
「お、おおはようございます」
ロボットは、緊張し硬直する爽の前まで近づくと、微笑んだ。
「こんな姿でごめんなさいね。驚いたでしょう」
爽と同じ姿、同じ声であるのに。そのロボットのものは爽とは違う。どこか大人びたものがあった。
「…。ええ。まあ…。さすがにびっくりしました。
あの、ところで何と呼べば…いいんですか?」
ロボットは、爽の正直な返答に苦笑してから、更なる問いに天井を見上げ思案した。
「そうね…あなたは爽さんだから、爽子でいいわ。よろしくね、爽」
差し出された手を握るとロボット(爽は応見の肩を叩いた事があるからわかる)特有の冷たい感触がした。
「こちらこそ」
ロボットと握手をした瞬間、爽の新しい仕事は、ようやくスタートをきった。




