空色のワンピース
八月のお盆。太陽は未だ衰えることを知らず、さらに夏の生命力を吸収して、ぎらぎらと青天井の真ん中でかがやいている。
家族と休みを合わせ、ひさしぶりに帰った実家は、猫のなまぬるいにおいで満ちていた。
俺がいない間に、どうやらまた新しく猫を迎え入れたらしい。
この家の動物好きは呆れるほどで、猫を保護しては里親を見つけて、また保護しては見つけて、を繰り返している。
慈善家な両親に育てられた割には、俺はそれほど動物好きではなく、人工的なメカや人間が多いところを好む大人に育った。
ただ、日向を体いっぱいに浴びたような猫のにおいは嫌いではない。
今日は俺の子どもがそのにおいを気に入って、深くその体に顔を埋めている。
「凜太、やーめーなって。お義母さんたち見てるでしょ!」
「えー。だってぽんちゃんのお腹、やわらかくて気持ちいいんだもん。においも香ばしいし」
「恥ずかしいってば、もう……」
俺の嫁・歩音が息子の凜太を制しているのを、俺は微笑みながら隣で見ていた。
俺の母と父は、俺よりもさらにやわらかな笑みを浮かべて、ふたりと一匹をみつめている。
愛猫と孫が戯れている姿は、祖父母にとっては最高の癒しになるのだろう。
居間は今、あたたかな空気に満ちていて、そこには確かな幸福があった。
古い階段が軋む音が背後でしている。
背中にさっと嫌な汗が滲んだ。
「ひさしぶり。お兄」
つめたく澄んだアルトの声。夏でも結わないロングの黒髪が、剥き出しの白く細い肩にふれている。
ノースリーブの深い青のチュールワンピースを纏って、よそ行きの格好をした女。
俺の妹の繭子だ。
「繭子……。よぉ」
歪に口角をあげて振り返ると、妹の繭子が階段の手すりに手をかけたまま、体をぷらぷら揺らして立っていた。
「あー! まゆこちゃんだ」
「ひさしぶりっ! 凜太。元気してた?」
「繭子さん、お久しぶりですー」
「歩音さんもお元気そうで何よりですー!」
明らかに俺の時と態度が違うじゃねぇか。
あかるい笑顔で歩音と凜太に手を振り、繭子は居間へふわりと入ってきた。
俺は繭子のほうは見ずに、凜太に撫でられながら寝転がっている猫のぽんずに集中している素振りを見せた。
繭子とは仲がとても良いとは言えない。微妙な関係だった。
俺が思春期の時、部屋に隠していたエロ本を発見されて(勝手に俺の部屋に入ってんじゃねぇよって話だが)、繭子が大泣きして以来、あまり会話も無いまま過ごして今日まで来てしまった。
互いが互いを避けたまま、冷戦状態だったが、凜太が産まれてから、繭子も甥が可愛かったようで、なんとなく凜太経由で少しずつ距離は縮まってきている。
だが、未だにふたりきりでの会話は無い。
別に繭子のことは嫌いではないが、一度気まずくなってしまうと、異性ということもあり、なんとなく深く仲良くなることは無かった。
思春期前は一緒にゲームしたり、仮面ライダーの映画を観に、映画館まで一緒に自転車漕いで行ったりして、けっこう仲よくやってたんだけどな。
俺は就職して、金をためて家を出て、職場で出会った歩音と結婚して、凜太も産まれてそっちで普通に暮らしているが、繭子は美大を出た後、フリーのイラストレーターになって家で仕事してる。画材やら機具やらに結構金を使っているらしく、一人暮らし用の金をまだ完全には貯められていないようで、実家暮らしを継続している。
だから、実家に帰るってことは、繭子とも会うってことに必然的になる。
それは別に嫌ではないんだけど、両親と会うのとはまた別の、微妙な感情になるんだよな。
繭子は凜太と猫をひとしきり撫で終わると、思い出したように目を瞠り、ぽつんとひとこと「そうだ」と言った。
「え、なにー?」
立ち上がった繭子を、凜太がふしぎそうに見上げる。ちいさな手はぽんずに置いたままだった。
「皆が来るって聞いて、家の押入れ探してたらおもしろいもの見つけたんだ。見せてあげる。ちょっと待ってて」
繭子は微笑み、凜太に短くウィンクすると颯爽と居間を出てゆき、二階へと駆け上がっていった。
長い黒髪が彼女の動きを追うように、からまらずにゆらめいていた。
俺はさらに嫌な予感がして、背中をつめたい汗が伝う。
繭子のやつ、何を持ってくるつもりだ?
数分経ち、かろやかに階段を駆け下りる音と共に、繭子は再び俺達の元へ現れた。
背中に何かを隠して、不敵な笑みを浮かべている。長い黒髪と白い肌に相まって、暗くもないのに我が妹ながらホラー映画の幽霊のような不気味さがあった。
居間の真ん中までやってくる。裸足の白さがやけに目に映えた。
ふふふ、と不敵な笑いをこぼすと、さっと背中に隠していたものを前へ出した。
「わっ! なにこれ! 男の子がワンピース着てわらってる!」
繭子のてのひらに載る古い写真に顔を近づけて、凜太は目をかがやかせた。
きらきらとひかる息子のかたわらで、俺は絶句していた。
それは、紛れもなく子供の頃の俺の姿。
繭子の空色のワンピースを着て、恥ずかしくもうれしそうにすました笑顔で立っている写真だ。
「あっ、これ清一が十歳のころの写真じゃない? あのとき、清一、繭子の着てたワンピース、自分も着てみたいって駄々こねてね。おもしろいから、記念に写真撮ったのよ」
母さんが説明してくれたが、そんな説明は嫁と息子の前でしないでくれ……。
「お兄、可愛いよね! すっごい女の子のワンピース似合ってる!」
繭子、てめえ。何ひとの黒歴史、うれしそうに晒してんだ!
ワンピースを着ている俺は、かつらも被らず坊主頭で、上半身はやんちゃな少年、下半身は清楚な女の子と、ちぐはぐな生き物になっていた。
歩音から言葉はない。わらいがこらえきれなかったようで、腹に手をあてて背を曲げ、苦しそうにしている。
こんな爆笑してる歩音、今まで見たことねえぞ。
父もおもしろそうに、腕を組んで現在の俺と写真の俺をちらちら見比べて、にやにやしている。
絶望して青くなり、白目をむく俺だけを残し、家族は夏の白いひかりの中で、幸せそうにわらい合っていた。
こんなにわらいに満ちあふれたお盆は初めてかもしれない。
クーラーの効いた部屋で、家族のわらい声と重なるように、猫のぽんずがにゃあと鳴いてあくびをこぼした。




