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門番だった俺が、国そのものに選ばれてしまい、大陸最強の侵略帝国を一人で止めるまで成り上がる

作者: シオン
掲載日:2026/06/11


 王都グランゼル北門の朝は、今日も騒がしかった。


 行商人の馬車が列をなし、旅人が荷を背負って通行証を見せ、門兵たちがそれを流れ作業のように捌いていく。夏の始まりを告げる風は暖かく、遠くの丘は薄い金色に染まっていた。


「レオ、パン屋の娘がまた差し入れ持ってきてたぞ」


 詰所の前で槍を肩に担いだガドが、にやにやしながら言った。


 俺レオ・クラウゼルは、通行台帳から顔を上げてため息をつく。


「やめてくださいよ。その言い方だと変に聞こえます」


「変じゃねえだろ。お前、最近やたら人気あるし」


「それ、たぶん北門で魔獣騒ぎを片づけた件が尾ひれついてるだけです」


「尾ひれで済むか。北の森の大牙狼の群れを、お前ひとりで蹴散らしたって王都中で噂だぞ」


「半分は村の猟師たちのおかげです」


「残り半分で十分すげえんだよ」


 ガドは豪快に笑った。


 三か月前、王都を襲った反逆大公ルヴァルドの事件は、いまだ公式には「封印局と騎士団による鎮圧」とされていた。俺の名前も記録には残っているらしいが、表立って英雄扱いされることはない。

 その代わり、北門兵レオ・クラウゼルに対してだけ、妙に上からも下からも目をかけられるようになった。


 王城から「特務顧問」だの「外部協力員」だのという肩書きまで与えられたが、やっていることは結局、北門で通行証を確認して、時々魔獣退治に駆り出されるくらいだ。


 そして、それでよかった。


 前に一度だけ触れた、あの圧倒的な力。

 王国の加護そのものみたいな“王域解放”は、第一封印を閉じたあの日に失われた。今の俺は普通に疲れるし、普通に腹も減る。岩を殴れば拳が痛いし、夜勤明けの眠さはとんでもない。


 それでも昔とは少し違った。


 剣の握り方が身体に染みついている。

 敵意の流れが読める。

 そして何より、「必要なときに前へ出られる」という感覚だけは、もう消えなかった。


 そんな平穏な朝が壊れたのは、昼前だった。


 北の街道から一頭の軍馬が飛び込んできた。


 騎乗していた兵士は、血と泥にまみれている。馬から落ちるように降りると、そのまま門前で叫んだ。


「緊急伝令! 北辺第七砦、陥落! 帝国軍、本隊を伴って侵攻開始!」


 門前の空気が一瞬で凍りついた。


「……帝国?」


 俺が聞き返すと、兵士は荒い息を吐いたまま頷く。


「**アルディウス帝国**です……! 黒旗、飛竜部隊、移動要塞、全部確認! 先鋒だけで一万、後続不明! 第七砦は三時間と持ちませんでした!」


 ガドの顔から笑みが消える。


 アルディウス帝国。

 北のさらに向こう、大陸最大版図を誇る軍事国家。七つの属州を呑み込み、二つの王国を従え、ここ十年で急速に勢力を拡大した怪物だ。


 もちろん王国と帝国の関係が良かったわけではない。国境では小競り合いもあった。だが、それはあくまで辺境の摩擦で、正面からの全面侵攻は避けられていたはずだった。


「上へ回します!」

 門兵の一人が駆け出す。


 そのとき、上空で鈍い音が鳴った。


 見上げる。

 空の高み――雲の切れ間のさらに上に、巨大な黒い影があった。


 城かと思った。

 だが違う。浮いている。


 巨艦のような岩塊に鉄の塔を何本も突き立て、腹の下に魔導炉を抱えた、**空飛ぶ要塞**だった。


 王都中から悲鳴が上がる。


「まさか、もうここまで……!」


 兵士が蒼白になる。


 ガドが俺に怒鳴った。


「レオ! 市民を門内へ! すぐ閉門準備だ!」


「了解!」


 俺が前に出ようとした、その瞬間だった。


 胸の奥が、どくり、と脈打った。


 嫌な予感でも、既視感でもない。

 もっと直接的な、**呼ばれる感覚**だった。


 王城の地下深くから、何かが俺を呼んでいる。


 ぞくりと背筋が震える。


 あの日、第一封印の前で感じたものに似ていた。

 だが、あれよりずっと大きい。もっと古くて、もっと重い。


「……レオ?」


 ガドが怪訝そうに見る。


「悪い、ガド先輩。俺、先に王城へ行きます」


「はぁ!? お前、何言って――」


「たぶん、呼ばれてる」


 それしか言いようがなかった。


 そして不思議なことに、ガドは一瞬黙ったあと、真顔で頷いた。


「……行け。ここは俺たちで持たせる」


「すみません」


「あとで十回分働けよ」


 俺は苦笑して、それから全力で駆けた。


 王都の中央へ。

 王城へ。

 石畳の先、すべての中心へ。


 空では黒い要塞がゆっくりと旋回し始めていた。


***


## 二


 王城は、蜂の巣をひっくり返したような騒ぎだった。


 近衛兵、伝令、文官、封印局員が入り乱れ、廊下という廊下を人が行き交う。戦備命令、避難命令、各地への通達。怒号と報告が重なり、普段の厳粛さは見る影もない。


 そんな中を、俺は半ば顔パスで通された。

 今や「北門兵なのに王城の警備線を普通に越えていく男」という微妙な立場を確立してしまっている。


 地下へ続く階段で、銀髪の少女が待っていた。


 **イリス・ヴァレンティア**。


 封印局筆頭補佐官。あの日から何度も一緒に危険な現場をくぐってきた相手だ。相変わらず淡々とした顔だが、今日はさすがに緊張が見えた。


「来ると思ってた」


「呼ばれた気がした」


「ええ。たぶん正しい」


 彼女はそれだけ言って踵を返した。


 俺たちは地下へ降りる。

 第一封印神殿よりさらに奥。封印局員でも滅多に入れない、王城の最深部へ。


「帝国は何が目的なんだ」


 走りながら聞く。


「表向きは領土拡張。でも本命は別」


 イリスは短く答えた。


「帝国は“王土”そのものを奪いに来てる」


「……は?」


「国境線、土地そのもの、そこに蓄積された守護の歴史。そういう見えない基盤を、帝国は兵器として利用する技術を持ってる」


「ちょっと待て、意味がわからない」


「わかりやすく言うと、奴らは“国を土地ごと食う”」


 冗談を言っている顔ではなかった。


 最深部の大扉が開く。

 その先にあったのは、神殿というより、巨大な地下空洞だった。


 天井の見えない闇。

 底に広がる黒い鏡のような水面。

 その中央に、石の橋で繋がれた円形台座があり、台座の上には――ひとつの**巨大な心臓**があった。


 いや、正確には心臓に見えた。


 白銀の鉱石とも水晶ともつかない塊が、脈打つように明滅している。

 そのたびに空洞全体が共鳴し、俺の胸の鼓動と同じ速度で震えた。


「……何だ、これ」


「**王脈核おうみゃくかく**」


 イリスが低く言う。


「この国そのものの心臓。王国が建国されて以来、土地と民と歴史が積み重ねてきた“守りの意志”の結晶」


「そんなものが、地下に?」


「普段は眠ってる。第一封印よりさらに深い場所だから。そもそも、起動条件が厳しすぎる」


 イリスが俺を見る。


「起動できるのは、継承者の中でも、“いったんすべてを捧げた者”だけ」


「あの日の……」


「ええ。第一封印を閉じるために、あなたは王域解放の核を使い切った。本来ならそこで終わり。でも逆だったのよ」


 彼女は王脈核を見上げた。


「あなたが王域を失ったからこそ、逆に国そのものがあなたを認識した」


 意味を飲み込むのに数秒かかった。


「つまり……俺に、もう一回力を渡すつもりか?」


「前の比じゃない」


 イリスの声には、わずかなためらいが混じっていた。


「前は“王国内で強くなる”程度だった。でも今度は違う。王脈核が起動したら、あなたは一時的に**王国そのものの代行者**になる」


「規模がでかすぎて逆にわからないな」


「簡単に言えば」


 彼女は淡々と告げた。


「**この国の敵なら、軍だろうが将軍だろうが要塞だろうが、まとめて潰せるようになる**」


 正直、笑うところかと思った。


 だが、王脈核の脈動は冗談の余地を一切感じさせない。


「代償は?」


 俺が聞くと、イリスは一瞬だけ目を伏せる。


「ある」


「何だ」


「王脈核は“国を背負う覚悟”を持つ者にしか反応しない。そして起動中、あなたは王国の痛みを全部感じる」


「痛み?」


「国境で人が傷つけば、あなたの身体にも返る。土地が焼かれれば熱として走る。民が恐れれば、心に流れ込む」


 なるほど。

 強くなる代わりに、背負うものも桁違いというわけだ。


「下手をすれば、精神が壊れる」


 イリスは続けた。


「それでもやる?」


 帝国の空飛ぶ要塞が王都の上まで来ている。

 北辺砦は陥落。軍勢はすでに国内へ流れ込み、各地の村と街は火の中だろう。


 やるかどうかを選ぶ余地なんて、最初からなかった。


「やる」


 そう言うと、イリスの瞳がわずかに揺れた。


「……即答ね」


「門番やってると、判断の遅いやつから死ぬんですよ」


「今のは少しかっこいい」


「少しなんだ」


「かなり」


 珍しく素直に言われて、逆に反応に困る。


 俺は橋を渡り、王脈核の前に立った。

 目の前で見ると、本当に心臓みたいだった。鼓動して、光って、ただそこに在るだけで圧倒的な存在感がある。


 右手を伸ばす。


 触れる寸前、王脈核の内部に景色が見えた。


 王都の石畳。

 農村の畑。

 国境砦の旗。

 雪深い山村。

 市場で笑う人々。

 泣く子ども。

 祈る老婆。

 剣を構える兵士。

 家族を抱いて震える父親。


 全部、この国だった。


『守れるか』


 声がした。


 男でも女でもない、老いても若くもない、不思議な響き。

 けれど恐ろしく重い問いだった。


『それでも、立つか』


 俺は息を吸った。


 王でもない。騎士団長でもない。

 ただの門番の俺に、国を背負う資格なんてあるのか。そんな疑問は当然あった。


 けれど、もっと単純な話だ。


 守りたいかどうかだ。


「……ああ」


 俺は王脈核に手を置いた。


「守る」


 世界が反転した。


***


## 三


 最初に来たのは、音だった。


 膨大な声。

 遠くで剣が打ち合う音。炎の音。悲鳴。祈り。馬の嘶き。

 そして、その全部の底に流れる、この国そのものの鼓動。


 次に来たのは、痛みだった。


 北辺で矢を受けた兵士の肩。

 焼かれた村の熱。

 踏みにじられた畑の悲鳴。

 幼い子が泣く息苦しさ。


「っ……!」


 膝が折れかける。


 だが、倒れる前に体の奥から別の何かが湧き上がった。


 途方もない力。

 いや、力というより、**後押し**だ。


 立て、と無数の声が押してくる。

 行け、と土地そのものが背中を押してくる。


 脈動が俺と重なった。


 右手の甲から、今度は紋章ではなく、金と白の線が腕全体へ走る。

 鎖のようにも、根のようにも見える光が全身を巡り、最後に胸の中心へ収束した。


 視界が晴れる。


 王脈核の前。

 イリスが息を呑んでいた。


「レオ……」


「大丈夫だ」


 声は落ち着いていた。驚くほどに。


 身体は軽い。

 それでいて、足元の床一枚、地下を流れる水脈、地上の城壁、王都の石畳が全部、自分の延長みたいに感じられる。


「……これ、前の比じゃないな」


「見ればわかる」


 イリスが苦笑するように言った。


 近くの黒い鏡面に、俺の姿が映る。

 髪の色はそのままだが、瞳の奥に薄い金の光が宿っていた。纏う空気まで違う。重いのに、静かだ。嵐の中心みたいな感じがする。


「王脈接続、成功」


 イリスは深く息を吐く。


「時間はそんなに長くない。国全体を同時にカバーするには、出力を戦場に集中させる必要がある」


「どこへ行けばいい」


「北部。帝国先鋒軍は三方向から侵入してる。しかも」


 彼女が杖を振るうと、空中に光の地図が浮かぶ。


 三本の赤線が王国北部を食い破るように進んでいた。


「先鋒だけじゃない。**本命は空飛ぶ移動要塞グラド・バルム**。あれが王都上空で“地脈杭”を打ち込めば、帝国は王土そのものを侵食できる」


「つまり、あの空の城を落とせばいいんだな」


「それと地上軍も止める必要がある」


「一人で全部?」


「あなたならできる」


 ものすごく重いことを、平然と言う。


 でも不思議と、無理だとは思わなかった。


 むしろ、今の俺にははっきりわかる。

 王国のどこで何が起きているか、薄くではあるが感じ取れるのだ。


 北辺第三街道。帝国重装騎兵。

 西の山道。魔導機兵部隊。

 東の平原。飛竜二百。

 そして王都上空。移動要塞。


 全部、見える。


「じゃあ、片づけてくる」


「待って」


 イリスが俺の腕を掴んだ。


「……絶対に戻ってきて」


 その目だけ、いつもの冷静さを失っていた。


「もちろん」


 俺は答える。


「門の勤務、まだ終わってないからな」


 一瞬ぽかんとしたあと、イリスが吹き出した。


「何それ」


「俺なりの生還理由だ」


「なら、守り切りなさい。国も、あなたの勤務も」


「了解」


 次の瞬間、俺は跳んだ。


 地下最深部から地上へ。


 本来ならありえない高さと距離を、一足で突き抜ける。

 石と土と階層を、まるで薄い布みたいに感じながら貫いた。


 王城の屋上に着地する。

 空には黒い移動要塞。

 街では避難が進み、城壁では弓兵が上を睨んでいる。


 兵士たちが俺を見てざわめいた。


「……誰だ、あれ」


「北門兵レオじゃないか?」


「いや、何だあの気配……」


 説明している暇はない。


 俺は空の要塞を見上げた。


 高い。

 けれど届かない高さじゃない。


「まずは、上から潰すか」


 石造りの塔の縁に立ち、膝を曲げる。


 風が止まった。


 次の瞬間、俺は空へいた。


***


## 四


 空気が裂けた。


 王都の誰もが、のちにそう語ったらしい。

 「一筋の光が、地上から空の要塞へ真っ直ぐ飛んでいった」と。


 実際のところ、俺はただ跳んだだけだった。


 だが、王脈接続した身体は、常識の“高さ”や“重さ”をまともに受け取っていない。地上に立っていようが空中にいようが、自分が“国の中”にいる限り、足場の概念すら曖昧になる。


 黒い要塞の側面へ着地する。

 垂直の鉄壁に、普通に立てた。


「……我ながら意味がわからないな」


 要塞外壁には帝国兵が並んでいた。弩砲兵、魔導兵、見張りの銃士。

 全員がこちらを見て凍りつく。


「侵入者だッ!」

「何者だ!?」

「いや、どうやってここまで――」


「細かい説明は省く」


 俺は腰の剣を抜いた。


「落ちてもらう」


 最初の一歩で、外壁が陥没した。

 踏み込みの反動だけで前方十数人が吹き飛ぶ。弩砲が火を噴くが、もう遅い。矢も魔弾も遅すぎて、止まって見える。


 右へ二歩、左へ半歩。

 槍を持つ兵の腕を叩き、銃士の胴を蹴り、隊長格らしい重装兵の剣ごと鎧を叩き割る。


 悲鳴と衝撃が連鎖する。


 前は「強くなった」と驚いていたが、今は違う。

 **負ける気がしない**。

 それどころか、何千いようが同じだと、身体が理解している。


「ば、ばかな! 白兵要員では止められん! 内壁を閉じろ!」


 帝国兵が叫ぶ。


 鋼鉄の隔壁が下りてくる。

 分厚い城門並みの装甲板。


 俺は足を止めず、そのまま拳で殴った。


 轟音。

 隔壁が内側へ弾け飛び、通路の兵ごと吹き抜けた。


「なっ――!?」


 驚く顔を見ると、少し気の毒になる。

 でもこっちも忙しい。


 要塞内部は入り組んだ鉄の回廊で、動力炉へ通じる道が何本もある。

 普通なら迷うところだが、ここが今や“敵の巣”である以上、流れは手に取るようにわかる。


 一番強い魔力。

 一番深い振動。

 そこが核だ。


 回廊を駆けると、途中で巨大な足音が響いた。


 角を曲がった先にいたのは、四脚の帝国戦闘機兵だった。全長は六メートルほど、狼のような形をした鋼の魔獣で、背中には砲塔が三つ、口部には高熱刃が装着されている。


 王国の城門すら破る対拠点機兵。

 そんなものが三体並んでいた。


「……ああ、うん」


 俺は軽く肩を回す。


「このくらいは出てくるよな」


 三体が一斉に吠え、砲塔が閃く。


 雷撃、火炎弾、貫通砲。

 回廊を埋め尽くす飽和攻撃。


 普通なら絶対に避けられない。

 だから、避けなかった。


 真っ直ぐ突っ込む。


 火炎が肩を舐める。雷撃が背を打つ。砲弾が脇を裂く。

 だが王脈の守護は、それらを“致命”として通さない。


「おおおおおっ!」


 先頭の一体の脚を掴む。

 鋼の質量が腕に乗る。重い。だが持てる。


 そのまま振り回し、隣の二体へ叩きつけた。


 機兵同士が潰れた果実みたいにぶつかり、回廊の壁ごとひしゃげる。

 さらに空中で剣を抜き、一閃。


 三体のコアをまとめて断ち切った。


 機兵が爆発し、火花が吹き荒れる。


 その炎の向こうに、帝国将校らしい男が立っていた。銀の鎧に赤い肩章。鼻筋の通った、いかにも貴族じみた顔。


「……なるほど。王国にも異物がいるらしいな」


「誰だ、お前」


「帝国第六侵攻艦隊戦術長、**ゼルハルト・ロウガン**」


 男は細剣を抜いた。


「空要塞グラド・バルムは、帝国の誇りだ。名も知れぬ蛮国兵に落とされるわけにはいかん」


「俺はレオ・クラウゼル」


「覚える必要はない」


「じゃあ、こっちも覚えなくていいか」


 ゼルハルトの眉がぴくりと動く。


「舐めるなッ!」


 細剣が伸びた。


 いや、伸びたのではない。

 空間ごと切り裂いて突きが飛んできたのだ。突きの軌跡に沿って、無数の刃が遅れて襲う。


 見事な技だった。

 王国の騎士団でも、ここまでの使い手はそういない。


 だが。


「遅い」


 俺は半歩ずれて懐へ入る。


 ゼルハルトの目が見開かれる。

 そのまま剣の柄で胸を打つ。鎧を貫いて衝撃が通り、彼の身体が後方の扉まで吹き飛んだ。


「ご、は……!」


 まだ終わらない。

 立ち上がるより早く間合いを詰め、細剣を上から叩き折る。


「ばかな……私が、見えなかった……?」


「お前はたぶん強いよ」


 俺は低く言った。


「でも今の俺は、その“強い”を基準にしてない」


 剣閃。


 ゼルハルトの肩口の鎧が両断され、彼は失神した。

 殺してはいない。事情を聞かれる立場だろう。


 そのまま奥へ進む。


 要塞中央動力炉。

 そこでは巨大な地脈杭が充填されていた。


 王都へ打ち込めば、土地そのものに帝国式の侵食術式を差し込める代物だと一目でわかった。


「こんなもの、使わせるか」


 俺は杭を持ち上げる。


 工房用の塔ほどある巨大質量。

 だが今の俺には、少し重い柱程度にしか感じない。


 動力炉の炉心へ叩き込む。


 臨界が始まった。


 赤く警報灯が回り、要塞全体に非常ベルが鳴り響く。


「動力炉暴走!」

「脱出しろ!」

「何が起きた!?」


 帝国兵たちが錯乱する中、俺は空いた外壁から外へ出た。


 そして、落ちていく移動要塞を見下ろしながら呟く。


「ひとつ片づいたな」


 次の瞬間、グラド・バルムが王都の北外れに墜落した。


 轟音は雷鳴を超え、衝撃波が空を震わせた。

 だが反応炉の爆散前に核を破壊していたため、市街への被害は最小限で済む。


 王都の城壁からどよめきが上がった。


「空要塞が……落ちた?」

「誰がやった」

「いや、おい、あれ……」


 空中から降りてくる俺を見て、兵士たちの口が開く。


 感動されるのも変な感じだが、いちいち止まっていられない。


 北部戦線がまだ二本残っている。


 視線を向けると、遠く北の平原で土煙が上がっていた。

 重装騎兵。戦車列。魔導砲台。


 俺は息を整える間もなく、次の戦場へ駆け出した。


***


## 五


 王都北方二十里。

 フォルネ平原。


 ここは普段、牧畜民が行き来する穏やかな草原だった。今はその面影もない。数千の帝国重騎兵が横列を組み、後方には魔導戦車、さらにその奥には黒衣の軍楽魔術師たちが呪歌を響かせている。


 その前面で王国軍は必死に食い止めていた。


 槍衾は崩れ、陣形は半壊。

 それでも引かないのは、ここを抜かれれば王都への最短路が開くからだ。


 指揮を執る若い騎士隊長が、馬上で血を吐きながら叫ぶ。


「第三列、前へ! 後退するな! 一歩でも王都に近づけるな!」


 その声さえ、帝国騎兵の轟きに飲まれそうだった。


 彼の名は**エルネスト・ディーンハルト**。

 王に剣を捧げた三家の一つ、ディーンハルト家の末裔だと、王脈接続した今の俺にはわかった。まだ若いが骨のある男だ。


 ただ、戦況は絶望的だった。


 帝国重騎兵は普通の騎馬隊ではない。馬そのものが魔装化され、走るだけで地面に圧殺術式を刻む。前列は人の槍が届く前に王国兵を吹き飛ばし、後列の戦車がその上から砲撃を浴びせてくる。


「隊長! 左翼、崩れます!」

「増援は!?」

「ありません!」


 エルネストは歯を食いしばった。


 ならばここで死ぬしかない。

 そう決めた顔だった。


 だからこそ、その背後から落ちてきた影に気づくのが一瞬遅れた。


 空から、誰かが降ってきた。


 その人物は騎兵列のど真ん中に着地し、半径十メートルの草地をまとめて沈めた。

 土煙が吹き上がり、最前線の双方が唖然とする。


「……何だ?」


 帝国騎兵が呟く。


 土煙の中から、ひとりの男が歩き出た。

 門兵の軽鎧に、見慣れた剣。だが目には金の光が宿り、纏う圧は軍勢そのものより重い。


「王国軍、下がれ!」


 俺は叫んだ。


「ここから先は、俺がやる!」


「な、何者だ――!?」


 エルネストが叫ぶ。


 答えるより早く、帝国騎兵の指揮官が剣を振り下ろした。


「轢き潰せぇッ!」


 数千騎が、一斉に突撃した。


 前方が黒い壁になる。

 馬蹄、槍、鉄、土煙、殺意。

 普通なら、そのまま国ごと呑まれそうな圧迫感だ。


 だが俺は、右手を前に出した。


「――止まれ」


 そのひと言で、平原が震えた。


 地面から白金の線が走る。

 王都から伸びる見えない王脈が、この平原を“王土”として再定義する。


 次の瞬間、先頭の千騎が**本当に止まった**。


 馬も兵も、見えない壁に激突したように空中で制動し、後続がそこへ玉突きのように突っ込んでいく。重騎兵同士がぶつかり合い、列が破綻し、戦車が横転する。


「……は?」


 王国兵たちの声が揃った。


 俺にも自分が何をやったのか、理屈では説明できない。

 ただ、「この先へは通さない」と王土が認めた。だから止まった。


 それだけだ。


 しかし、止めるだけで終わるつもりはない。


「今度は、返すぞ」


 前へ踏み込む。


 その一歩だけで、百メートルが縮んだ。


 重騎兵の密集中央へ入り込み、剣を振るう。

 風圧が円になって広がり、周囲の騎兵が一斉に宙へ浮いた。


 真上からの一撃で戦車二台をまとめて両断。

 返す刃で右列の指揮官旗を切り落とし、さらに蹴りで魔導砲車を転倒させる。


「化け物だ!」

「一人だぞ、なぜ止まらん!」

「包囲しろ!」


 包囲? むしろ助かる。


 囲まれれば、一気に片づけられる。

 俺は呼吸を整え、地面へ剣を突き立てた。


「**王脈波おうみゃくは**」


 勝手に言葉が口をついて出る。


 剣先から白金の紋が広がり、平原を駆け抜けた。

 接触した重騎兵が馬ごと吹き飛び、戦車の車輪が砕け、魔導砲が沈黙する。まるで土地そのものが敵だけを弾いているみたいだった。


 一撃で前線三列が消し飛んだ。


 王国軍も帝国軍も、しばらくその光景を理解できなかったらしい。


「…………」

「…………」


 全員が絶句する中、俺は普通に次の列へ歩いた。


「まだやるか?」


 問うと、帝国騎兵たちが本気で怯んだ。

 その中央から、漆黒の大斧を担いだ巨漢が馬を進めてくる。


 全身に刻傷。顔の半分を鉄面で覆い、背中に帝国元帥旗を背負っている。

 将軍だ、とすぐにわかった。しかも相当な格。


「よい。下がれ」


 低い声が響く。


「ここから先は、俺が相手をする」


 騎兵たちが左右に割れた。


 巨漢は馬から降りる。地面が沈むほどの重さ。

 大斧の刃には黒い炎がまとわりついていた。


「帝国北征軍第一将、**バルドゥス**」


 男は名乗る。


「王国にも面白い化け物がいると聞き、退屈しのぎにはなるかと来てみたが……期待以上だ」


「俺はレオ・クラウゼル」


「ただの門兵にしては、立派な目だ」


「門番でも、止めるべき相手は止める」


「ならば試そう」


 バルドゥスは唇を歪めた。


「お前がどこまで戦場そのものを背負えるかを!」


 斧が振り上がる。


 その瞬間、平原全体が黒炎に包まれた。


 大斧の一撃は地面を裂き、炎の谷を作る。馬も兵も巻き込む殲滅の一振り。もしここで受ければ、周囲の王国兵もごと焼かれる。


 俺は横へ跳び、迂回しながら距離を詰めた。


 バルドゥスは速い。見た目に反して異常な機動力で踏み込み、斧の連撃を叩き込んでくる。振り下ろし一発ごとに地面が弾け、火柱が上がる。


「どうした、門兵! さっきの勢いは!」


「あるよ」


 黒炎の間を抜け、懐へ潜る。


「十分にな!」


 腹部へ掌底。

 バルドゥスの巨体が浮く。そこへ蹴り上げ、さらに空中で剣を叩き込む。


 だが硬い。

 鎧だけでなく、肉体そのものが岩みたいだ。


 バルドゥスは着地と同時に笑った。


「良い……! この重さを通すか!」


「そっちもな」


 久しぶりに「強敵」という感触だった。

 それでも、勝てない相手ではない。


 いや、むしろ王脈が告げている。

 **ここで叩き潰せば、戦線は折れる**と。


 俺は剣を構え直した。


「終わらせるぞ、将軍」


「来い!」


 激突。


 斧と剣がぶつかり、衝撃波が平原を薙いだ。

 王国兵が思わず伏せ、帝国騎兵の馬がいななく。


 二合、三合、四合。


 バルドゥスの斧は巨大なのに技が細かい。受ければ押し潰され、避ければ炎が追う。だが俺はそれらをぎりぎりで外し、腕、肩、脇腹へ確実に傷を入れていく。


「ははっ! いいぞ! もっとだ!」


「付き合ってやるほど暇じゃない!」


 斧を受け流し、踏み込みの軸足へ剣を滑らせる。

 片膝が崩れた。


 そこへさらに肩口へ一撃。鎧が割れ、黒炎が散る。


「ぐっ……!」


 バルドゥスがよろめく。


 その一瞬で十分だった。


 俺は大地を踏みしめる。


「――王土加圧」


 平原そのものが、バルドゥスにのしかかった。


 見えない重圧に巨体が沈む。

 膝が地へめり込み、斧の柄が軋む。


「……なっ、これは……!」


「お前が戦ってる相手は、俺一人じゃない」


 剣を大きく振りかぶる。


「この国全体だ」


 振り下ろした。


 大斧ごと鎧を叩き割り、バルドゥスを地面へ沈める。

 巨漢は、起き上がれなかった。


 帝国騎兵たちが息を呑む。


 俺はその場で剣を払った。


「将を失った。まだ続けるなら、次は軍ごと沈める」


 沈黙。


 そして、前列の一人が槍を落とした。


 次に二人。十人。百人。


 やがて帝国重騎兵の大半が武器を捨てた。


 それを見て、王国軍から遅れて歓声が上がる。


「勝った……?」

「勝ったのか!?」

「たった一人で……!」


 エルネストが馬を駆って近づいてくる。

 若い顔には信じられないものを見た色があった。


「君は……本当に何者だ?」


「北門兵レオ・クラウゼル」


「門兵?」


「門兵」


 しばらく見つめ合ってから、彼は真顔で言った。


「王国は人材の使い方を根本から見直したほうがいい」


「それは俺もそう思う」


 だが和んでいる場合ではない。

 まだ、西の山道と東の平原に帝国軍がいる。


 そしてその奥、さらに強い“核”が感じられた。


 王国を呑み込もうとする本命。

 帝国本軍の中心人物が、すでに国境を越えている。


「エルネスト隊長」


 俺は彼を見る。


「この戦線を立て直して、捕虜を拘束してください。俺は次へ行く」


「次……? まだ行くのか?」


「当たり前だろ」


 俺は北を振り返る。


「侵略軍、本隊がまだ残ってる」


 エルネストが絶句する。

 でもこれは誇張でも何でもない。


 王脈が感じる。

 王国の北東、黒い塔を立てながら進軍する本隊。

 その中央にいる怪物のような意志。


 おそらく、それが帝国の総指揮官だ。


 なら、そこを潰せば終わる。


「王都へ伝令を」


 俺は剣を肩に担いだ。


「侵攻はここで終わらせる」


 そして、また駆けた。


***


## 六


 西山道、東平原の戦線も、結果から言えば長くはかからなかった。


 西山道では、谷を埋める魔導機兵の縦列を、俺は山肌ごと斬って止めた。

 東平原では、二百を超える飛竜隊が王都へ回り込もうとしていたので、空へ跳んで先頭の竜騎将を叩き落とし、そのまま雲の中で一隊ずつ砕いた。


 竜の鱗の硬さも、魔導機兵の装甲も、今の俺には大した問題にならなかった。

 むしろ厄介なのは、王脈接続によって流れ込んでくる国中の声のほうだった。


 村が燃えれば熱い。

 砦が落ちれば胸が痛い。

 避難民の恐怖は、波のように心へ押し寄せる。


 重い。

 正直、かなりきつい。


 だが、だからこそ止まれない。


 俺が立っている限り、その痛みは減らせる。

 だったら走り続けるだけだ。


 夕刻。

 北東国境、**ロドア大渓谷**。


 帝国本軍はここにいた。


 断崖を跨ぐほどの巨大な橋を仮設し、その上に十万規模の軍が整然と並んでいる。黒旗、魔導砲、飛竜塔、重戦車、補給列、儀式陣。まるで町ひとつが動いてきたみたいだった。


 そして、その中央――橋の終端に、異様な黒塔が建っていた。


 高さ五十メートルを超える逆杭。

 先端が地面に向けられ、周囲に無数の鎖術式が浮いている。


「あれが“王土侵食杭”か」


 見ただけでわかる。

 あれは土地の意味を塗り替える兵器だ。刺さった場所を「帝国の支配下」に変質させ、王脈を汚染する。


 周囲では帝国兵が歓声を上げていた。


「本杭が立てば王国は終わりだ!」

「帝都に栄光あれ!」

「明日にはこの地も帝国領だ!」


 ふざけるな、と思った。


 怒りが、静かに沸いた。


 俺は断崖の上に立ち、本軍全体を見下ろす。


 十万。


 普通なら国が揺らぐ数だ。

 王国軍の主力を集めても正面から受けるのは難しい。


 でも。


「……数え間違いじゃないよな」


 思わず独り言が漏れる。


 十万でも、今の俺には「多いな」くらいの感想しか湧かない。


 王脈が囁く。

 この地はまだ王土だ。

 この空も、谷を渡る風も、崖の岩も、こちら側だ。


 なら、負ける理由はない。


 俺は一歩、崖から踏み出した。


 落ちるのではなく、風の上を走るみたいに前へ出る。


 帝国本軍の前線がざわついた。


「前方上空、何か接近!」

「飛竜ではない、単騎!?」

「馬鹿な、歩兵が空を――」


 言ってる間に着地した。


 橋のど真ん中。

 数万の視線が一斉にこちらへ向く。


 普通なら膝が震えてもおかしくない。

 だが不思議と、静かだった。


「聞け、帝国軍」


 俺は剣を抜き、橋上に立つ。


「ここから先は王国領だ。侵略をやめて退け」


 一瞬の間。


 そして、爆笑が起こった。


「何だあいつは!」

「単騎で停戦勧告か!?」

「頭がおかしい!」


 まあ、そう見えるだろうな。


 前に出てきたのは、紫の司祭服に鎧を重ねた長身の男だった。

 顔色は死人みたいに白く、両目だけが紫金に光っている。右手には儀杖、左手には生き物の骨を束ねたような書板。


 王脈がその名を告げる。


 **帝国宰相兼大侵攻軍総司令、アシュベル・マグナス**。


 帝国の頭脳。

 属州をいくつも飲み込んできた策謀家であり、王土侵食術の完成者。


「……面白い。これが王国の切り札か」


 アシュベルは橋の中央まで歩み出る。


「報告では、空艦グラド・バルムを落とし、第一将バルドゥスを退け、西山、東平原も単騎で崩したと聞いた。なるほど、確かに怪物だ」


「誉め言葉として受け取っておく」


「だが、所詮は個だ」


 アシュベルは儀杖を掲げた。


「国家には勝てぬ」


 その言葉とともに、橋の両側の軍が動いた。


 前列五千の大盾兵。

 その後ろに魔導砲百門。

 空には飛竜隊、左右から機兵列。

 明らかに俺一人を消し飛ばすための布陣。


「撃て」


 命令は簡潔だった。


 大砲が火を噴いた。


 雷、氷、炎、呪弾。

 数百の砲撃が橋上の一点へ集中する。さらに飛竜の火炎と魔導兵の射撃が重なり、そこだけ夜みたいに光が潰れた。


 帝国兵たちが歓声を上げる。


「決まった!」

「塵も残るまい!」


 だが、煙の中から聞こえたのは、俺のため息だった。


「……いちいち派手だな」


 煙が割れる。


 俺はその中心で、片手を上げたまま立っていた。足元に白金の盾が幾重にも重なり、砲撃を全部受け止めている。


 帝国軍の歓声が止んだ。


「な、に……?」

「無傷……?」


「国家には勝てない、だったか」


 俺は一歩前へ出る。


「なら見せてやるよ。**個が国家を叩き潰すところを**」


 盾を解いた瞬間、俺は前線へ突っ込んだ。


 橋が鳴る。

 空気が裂ける。

 最前列の大盾兵たちが、何が起きたかもわからないまま吹き飛ぶ。


 そのまま五千の盾列を真っ二つに貫通。

 魔導砲列へ飛び込み、砲身を蹴り折り、砲台を担いで投げ返し、爆発の連鎖を起こす。


「止めろォ!」

「包囲しろ包囲!」

「空から押さえろ!」


 飛竜が降下してくる。

 俺は砲台残骸を蹴り上げ、即席の投擲弾にして先頭三騎を撃墜。残りは足場にして空中へ跳び、竜騎士ごと叩き落とす。


 橋の中央部はもう戦場というより災害だった。


 帝国兵が百人単位で吹き飛び、機兵がねじ曲がり、砲台が爆散し、飛竜が谷へ落ちる。

 だが不思議と、俺は冷静だった。無駄な殺しはしない。隊長格と危険兵器を優先して潰し、あとは戦意を折る。


 十分だ。今の俺なら、それで軍は崩れる。


 実際、十分も経たないうちに本軍前衛は半壊した。


 それでもアシュベルは動揺しない。


 むしろ、口元を歪めていた。


「良い。実に良い。やはり君は核に相応しい」


「核?」


「王土侵食杭の本命さ」


 儀杖が橋を打つ。

 瞬間、黒塔が鳴動した。


 橋の奥、王国側の地面から黒い鎖が噴き上がる。

 見れば、いつの間にか帝国兵が別働隊を潜り込ませ、王土侵食杭の基部に何かを組み込んでいた。


 嫌な予感が走る。


「お前……俺を足止めに使ったな」


「君が暴れるほど、王脈は君へ集中する。つまり、君がここにいる今こそ、王国の守護の“心臓”が最も露出する瞬間だ」


 黒塔の先端がこちらを向く。


「君ごと、王土を貫く」


 まずい。


 あれは単なる破壊じゃない。

 俺を媒介に、王脈核そのものへ逆流させる気だ。


「レオ!」


 どこからかイリスの声が届く。

 封印通信だ。距離を越えて意識へ響く。


「その杭、撃たせたらだめ! 王城地下まで汚染が通る!」


「わかってる!」


 アシュベルが笑う。


「遅い」


 黒塔が発光した。


 俺は踏み込む。

 だが橋の中腹。距離がわずかに足りない。


 なら。


「――橋ごと持っていく!」


 剣を両手で握り、王土そのものを掬い上げるように振るった。


 白金の巨大な刃が、橋の基部へ走る。


 帝国軍が何かを叫ぶ。

 次の瞬間、長大な軍橋そのものが根元から断ち切れた。


 十万の軍勢を載せた橋が、丸ごと傾く。


「なっ!?」

「橋が!」

「正気かあいつ――!」


 正気も何もない。

 撃たれるより遥かにましだ。


 橋が崩落し始める中、俺は最奥の黒塔へ一直線に走った。落ちゆく足場を蹴り、崩れる砲台を飛び越え、帝国兵の悲鳴と粉塵の中を突き抜ける。


 アシュベルが初めて顔色を変えた。


「止めろ! 奴を塔へ近づけるな!」


「無理だ」


 もう遅い。


 黒塔の根元へ到達。

 両腕で抱え、そのまま持ち上げる。


 地響き。

 ありえない質量が持ち上がり、帝国兵たちの顔が凍りつく。


「……うそ、だろ」


「こんなのが国に刺さったらたまらないからな」


 俺は黒塔を谷底へ投げ捨てた。


 杭は渓谷の底で爆散し、黒い光を撒き散らしながら消えていった。


 橋は半壊。

 軍勢は崩落中。

 残るのは、宰相アシュベルだけ。


 彼は崩れゆく橋上で、それでも儀杖を構えていた。


「……やはり、化け物か」


「今さらか」


「だが、まだ終わりではない」


 アシュベルの背後に、巨大な魔法陣が展開する。

 帝国本軍の残存兵力、崩壊する橋、空の飛竜、谷底の死者。あらゆるものから紫黒い力が吸い上げられていく。


「帝国は属州の多くで“信仰”を喰らってきた。その蓄積が、今ここで君を呑む」


 かなりろくでもない術式だということはわかった。


 だが、これまでと違って焦りはない。

 むしろ、ようやく敵の大将を真正面から叩ける。


 俺は剣先を向けた。


「来い、帝国の頭脳」


 アシュベルも儀杖を大剣へ変える。


「王国の代行者」


 崩れる橋の上で、最終決戦が始まった。


***


## 七


 アシュベルは、今までの敵とは別格だった。


 バルドゥスが純粋な武威の怪物なら、こいつは**戦場そのものを術式に変える怪物**だ。剣が触れた場所から呪文が走り、崩れた橋の破片すら刃になる。谷底から紫黒い腕が伸び、空中に浮く飛竜の血潮が槍となって降ってくる。


 まともに付き合えば、際限がない。


「どうした、王の犬!」


 アシュベルが笑う。


「国を背負うとはそういうことだ! 敵の国もまた、食い千切らねば立てぬ!」


「知るか!」


 飛んでくる呪刃を叩き落とし、懐へ飛び込む。

 だがその瞬間、橋の破片が足に絡みつき、アシュベルの剣が斜め下から伸びた。


「っ!」


 受ける。

 重い。見た目以上だ。術式で質量を何重にも積んでいる。


「君は優しすぎる」


 アシュベルが低く囁く。


「民を守り、土地を守り、敵すら無意味には殺さぬ。その甘さでは国家に勝てん」


「同じことを何度も言うな」


 剣を押し返し、足元の橋片を踏み砕く。


「俺はな、優しいんじゃない」


 一歩踏み込む。


「ただ、守りたいものがはっきりしてるだけだ!」


 剣閃が走る。

 アシュベルの肩口が裂けた。


 だが宰相は距離を取るより早く、血そのものを術式へ変えた。紫黒い星が空へ浮かび、橋の残骸と谷風を巻き込んで巨大な槍を形成する。


「では、これはどうだ」


 空が暗くなった。


 巨槍の名は、感覚でわかった。

 **属州喰らいの杭**。

 集めた国々の敗北と屈従を束ね、一本の侵食槍にしたもの。


 まともに受ければ、この谷一帯が王土として死ぬ。


 王脈が唸る。

 無数の痛みが一気に流れ込む。

 きつい。だが、まだ立てる。


「レオ!」


 イリスの声。


「その槍、王土の意味を書き換える! 受けないで!」


「受けない。逆に折る」


 俺は剣を水平に構え、深く息を吸った。


 王脈接続は時間が経つほど重くなる。

 このまま長引かせれば、国中の痛みで俺の意識が潰れる。


 なら、ここで終わらせる。


「王脈、収束」


 国中の光が見えた。


 王都の石壁。

 村の井戸。

 畑の土。

 森の根。

 国境砦の旗。

 市場の声。

 泣いていた子どもが、母に抱きしめられるぬくもり。


 全部が一本の線になって、剣へ流れ込む。


 重い。

 でも、暖かい。


「これは、国のための一撃だ」


 アシュベルが巨槍を投げる。


 俺も剣を振るった。


 白金の斬撃が、空を真っ二つに割った。


 巨槍と剣光がぶつかる。

 世界が止まる。


 次の瞬間、巨槍が中央から割れた。


「……ば、かな」


 アシュベルの顔から余裕が消えた。


 白金の斬撃は止まらない。

 そのまま彼の術式障壁、鎧、背後の黒い紋陣、全部まとめて断ち切る。


 アシュベルは血を吐き、膝をついた。


「帝国が……大陸の秩序が……一人に、覆される、だと……」


「一人じゃない」


 俺は剣を下ろす。


「さっきから言ってるだろ。俺はこの国全体を背負ってる」


 宰相がなお何か唱えようとしたので、その前に柄で気絶させた。

 殺す価値すらない。こいつは敗北を帝国へ持ち帰る役目がある。


 周囲を見回す。


 橋は崩れ、本軍は壊滅、指揮系統は消滅。飛竜は逃げ、機兵は停止。谷の向こうでは帝国兵が戦意を失っていた。


 これで終わり――そう思った、そのときだった。


 空が、裂けた。


 上空はもう夕焼けのはずなのに、そこだけ真昼のように白い。

 眩い光が円環を描き、その中心から何かが降りてくる。


 槍だ。


 いや、槍というには大きすぎる。

 塔ほどの長さを持つ純白の槍。表面には帝国の古語が幾重にも刻まれ、降下するだけで周囲の空間を“帝国の天”へ塗り替えていく。


 王脈が悲鳴を上げた。


「……まだ隠し玉があったのか」


 遠く、帝国本陣の崩壊した祭壇から、最後の術式が起動していた。アシュベルが万一敗れても起動する帝国の最終兵器。


 感覚がその名を告げる。


 **天槍アルカディア**。


 帝国建国神話において、国境を定めたという神槍。

 今は逆に、他国の国境を消すための兵器として降りてくる。


 狙いは――王都。


 こいつが王城を貫けば、王脈核そのものが砕かれる。


「レオ!」


 再びイリスの声。

 今度は明確に切迫していた。


「アルカディアはだめ! 落ちたら終わる! 封印も王脈も全部壊れる!」


「だよな!」


 問題は、距離だ。


 王都まではかなりある。

 普通に走れば間に合わない。


 だが俺は今、普通ではない。


 王国のどこにでも繋がっている。

 なら――王都までの道を、**今ここで作ればいい**。


 俺は地面へ手をついた。


「王土接続――王都北門」


 次の瞬間、谷の岩肌から王都の石畳まで、見えない路が一本で繋がった。


 理屈ではない。王国の内部である限り、そこはもう“同じ場所”だ。


 俺は走る。


 一歩で谷が消える。

 二歩で平原が後ろへ飛ぶ。

 三歩目で王都外壁。

 四歩目で王城の尖塔。


 兵士たちが空を見上げていた。

 街中の人々が白槍に怯えている。


 イリスが王城塔の上で封印陣を展開していたが、止めきれない。

 アルカディアはまっすぐ降りてくる。王脈の上から国境そのものを削り取るつもりだ。


「……いい加減にしろ」


 俺は塔の頂へ立ち、空を見上げた。


 白槍はすでに目の前まで迫っている。

 巨大。神話級。笑うしかない規模。


 でも不思議と、怖くはない。


 これを止めれば、本当に終わる。

 それがわかるからだ。


「レオ!」


 イリスが叫ぶ。


「やれる?」


「やるしかないだろ」


 俺は剣を握る。

 王脈が最後の力を注ぎ込んでくる。

 国中の光が、これまでで最大の奔流となって集束する。


 体中が軋む。

 骨も、血も、意識も、今にも砕けそうだ。


 それでも笑えた。


「だいたいな」


 俺は空の神槍に向かって言い放つ。


「この国の門を、勝手に壊しに来るな」


 そして、跳んだ。


 真正面から白槍へ突っ込む。


 空中で交差する瞬間、俺は全力で剣を振るった。


「――**王断おうだん**!」


 音が消えた。


 世界そのものが息を止めたみたいな、一瞬の静寂。


 次に来たのは、夜明けみたいな光だった。


 白槍アルカディアが中央から裂け、両断され、粉雪のような無数の光粒へ変わって空全体へ散る。

 帝国の術式は断ち切られ、白い破片は王都の上でただの光となって降り注いだ。


 兵士が、民が、誰もが息を呑む。


 そして次の瞬間――王都中から、とんでもない歓声が湧き上がった。


「やった……!」

「止めたぞ!」

「空の槍を、斬った――!」


 俺はそのまま、ゆっくりと塔の上へ降り立つ。


 膝が少し笑う。

 さすがにきつい。


 イリスが駆け寄った。


「レオ!」


「終わった、か?」


 彼女は空を見上げ、王脈の流れを確かめるように目を閉じた。

 それから大きく息を吐く。


「……終わった。帝国の侵食術、完全停止。北部の敵性反応も一斉に退く。侵攻軍は壊滅よ」


「そっか」


 そこでようやく、体中から力が抜けた。


 俺は塔の床に座り込む。


 王脈の光が少しずつ薄れる。

 国そのものの鼓動が、遠ざかっていく。


 ああ、これで終わったんだな、とわかる。


 俺が倒れ込む寸前、イリスが肩を支えてくれた。


「お疲れさま、門兵さん」


「門番だよ」


「どっちでもいい」


「よくない」


「じゃあ、王国最強の門番」


「それはちょっと長いな」


 彼女が、珍しく声を立てて笑った。


 王都の空には、まだ砕けた白槍の光が降っていた。

 まるで、勝利を祝っているみたいだった。


***


## 八


 帝国の大侵攻が完全に終息したと公式に宣言されたのは、その三日後だった。


 侵攻軍十万は壊滅。

 空飛ぶ要塞グラド・バルムは墜落。

 北征軍第一将バルドゥスは捕縛。

 宰相アシュベル・マグナスもまた無力化され、帝国本国へは「王国への侵攻失敗」という最悪の報せが戻ったらしい。


 戦を仕掛ける側にとって、これ以上ない大敗だ。


 王都は歓喜に包まれた。


 といっても、表向きの公式発表はかなりぼかされている。

 「王国軍と封印局の総力により帝国軍を撃退」「一部特務戦力の活躍あり」程度のものだ。どう考えても一人で空要塞と十万軍を叩き潰した、などとそのまま公表したら、逆に国内外が混乱するだろう。


 ただ、隠しきれない噂というものはある。


 “光を纏った門兵が空の城を落とした”

 “平原で一軍を止めた”

 “白い神槍を斬り裂いた”


 王都の酒場や市場では、その手の話でもちきりだった。話に尾ひれがつきすぎて、今では俺が身長三メートルになっていたり、目から光線を出したことになっていたりする。


 もちろん、そんなものは全部間違いだ。

 身長は変わってないし、目から光線も出していない。今のところは。


 問題は、その噂の中心人物である俺が、今日も普通に北門に立っていることだった。


「通行証を」

「あ、はい……」

「荷車の中、確認します」

「ど、どうぞ……」


 旅人が妙に緊張している。


 そりゃそうか。

 北門を守っているのが「帝国軍十万を返り討ちにしたかもしれない男」なら、そりゃ緊張もする。


「レオ、お前もう少し柔らかい顔しろ。旅人が怯えてる」


 ガドが横から言う。


「普通ですけど」


「普通の基準が変わったんだよ、お前は」


 確かに、以前とは少し変わったかもしれない。

 王脈接続は戦後に解除され、今の俺はまた普通の門兵に戻っている。超人的な感覚は薄れ、身体もちゃんと疲れる。


 ただ、完全に元通りではなかった。


 身体に残ったものがある。

 膨大な剣技。

 戦場勘。

 それと、ほんのわずかな王脈の残光。


 たとえば今でも、この門を通る人の不穏な気配くらいは見抜けるし、魔獣程度ならまず遅れを取らない。前よりずっと強いのは確かだ。


 そこへ、王城から使者がやってきた。


「北門兵レオ・クラウゼル殿。謁見の間へお越しください」


 ガドが横で口笛を吹く。


「また呼ばれたぞ、英雄様」


「だからやめてくださいって」


 でも断れるわけもない。

 俺は詰所の剣を取り、王城へ向かった。


 謁見の間には、国王陛下、近衛、騎士団長、封印局長、あとイリスまで揃っていた。なんだこの物々しさ。


 国王は穏やかな壮年の人で、俺を見るなり苦笑した。


「そう緊張せずともよい、レオ・クラウゼル」


「は、はい」


「まずは礼を言おう。そなたのおかげで国は救われた」


「いえ、俺一人の力じゃ――」


「その謙遜を続けるなら、ここにいる全員が泣くぞ」


 騎士団長が真顔で言う。

 どうやら冗談ではないらしい。怖い。


 陛下は玉座から立ち上がり、一枚の羊皮紙を手に取った。


「本来なら爵位、領地、勲章、騎士位、いずれを与えても足りぬ。だが、そなたはそれらを望まぬのだろう?」


「……その、はい」


 正直、性に合わない。


 偉い椅子に座るより、門で人見てるほうが落ち着く。


 陛下は笑った。


「わかっておる。ゆえに、そなたには別の形で報いる」


 羊皮紙が広げられる。


「本日付で、レオ・クラウゼルを**王国北門統括守備官、兼王土特務執行官**に任ずる」


「…………はい?」


「要するに」


 イリスが横から補足する。


「北門勤務のまま、国の危機があれば最優先で出動してもらう」


「前より責任が重くなってません?」


「かなり」


「給金は上がるぞ」


 騎士団長が言う。


「どのくらい」


「お前が今まで十年働いた額より多い」


「やります」


「即答か」


 場が少し和んだ。


 そのあと陛下から正式に剣を授与された。王国刀匠が仕上げた、白銀の長剣。名はまだなかったが、「そなたが好きに呼べ」とのことだった。


 俺は少し考えてから、こう答えた。


「じゃあ、\*\*門守もんしゅ\*\*で」


「……ずいぶん実用的だな」


 近衛が困った顔をする。


「気に入ってます」


 するとイリスが小さく笑った。


「らしい名前」


 授与の儀式が終わり、王城を出るころにはもう夕方だった。


 王都の空は柔らかな茜色で、戦の傷跡も少しずつ修繕されている。崩れた石垣、焼けた家屋、折れた旗――それでも人は動き、笑い、再び暮らしを始めていた。


 それを見ていると、やっぱり守れてよかったと思う。


 北門へ戻る途中、城壁の影でイリスが待っていた。


「……隠れてるつもりですか」


「待ってただけ」


「待つ必要ありました?」


「ある」


 彼女は俺の横に並んだ。


 しばらく無言で、王都の夕景を見る。

 こういう沈黙が苦ではない相手というのは、思ったより少ない。


「王脈の残光、まだ少し残ってる」


 イリスが言った。


「ああ、なんとなくわかる」


「前みたいに国そのものを背負うほどじゃない。でも危機があれば、また反応する可能性は高い」


「平和が一番なんだけどな」


「同感」


 彼女は頷く。


「でも、たぶんあなたは何度でも呼ばれる」


「国に?」


「人に、土地に、厄介ごとに」


「最後のは嫌だな」


「でも行くでしょう」


「……行くな」


 否定できない。


 イリスは少しだけ目を細めた。


「それでいいと思う」


 風が吹く。

 王都の鐘が鳴る。

 門へ帰る時間だ。


 だが、その直前だった。北門のほうから、全力で走ってくる兵士の姿が見えた。


「レオ殿! イリス殿!」


 嫌な予感しかしない。


 兵士は息を切らしながら報告した。


「南方街道にて、大型輸送隊が襲撃されました! 敵は不明、ただし生存者の証言では“人型の黒い群れ”が……!」


「もう次かよ」


 思わず天を仰ぐ。


 イリスが横で淡々と言う。


「勤務開始ね、王土特務執行官」


「初日からですか」


「おめでとう」


「全然めでたくない」


 でも、口元は少し緩んでいた。


 北門の向こうには、きっとまた面倒が待っている。

 魔獣か、反逆者か、帝国の残党か、それとももっと別の何かか。


 それでももう迷いはない。


 あの日、王国の鼓動を聞いた。

 土地の痛みも、人の祈りも、全部感じた。

 だから知っている。守るべきものが何かを。


 俺は白銀の剣――**門守**を抜き、肩に担いだ。


「行きましょう、イリス」


「ええ」


「ガド先輩にはなんて言おうかな……」


「“少し遅れます”でいいんじゃない?」


「絶対怒られるだろ」


「じゃあ“国を守ってきます”」


「それはもっと怒られる」


 イリスが笑う。


 俺も笑った。


 夕焼けの北門が開く。

 街道の先に、次の戦場がある。


 俺はもう、ただの無力な門番じゃない。

 けれど同時に、根っこのところではやっぱり門番のままだ。


 門を越えて入ってくる災いを止める。

 門の向こうにいる誰かを守る。

 それが俺の仕事で、それが俺の誇りだ。


 もしこの先、また国を呑もうとする敵が現れるなら。

 軍でも、要塞でも、帝国でも、神話の槍でも。


 その全部を、俺が止める。


 門の前で。

 国の前で。

 俺自身の意志で。


「さて」


 俺は一歩踏み出した。


「次はどいつが相手だ」


 風が吹き抜ける。

 街道の先で、闇がうごめく。


 けれど不思議と、胸は軽かった。


 だってもう知っているからだ。

 守ると決めた男は、何度だって無双できる。


 たとえ肩書きが、ただの門番のままだとしても。

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