夏の終わりとアフォガート
悩める女子中学生の夏の思い出になった日を書いてみました。
よろしければ読んでください。
自分も最近アフォガートを知りました笑
◇
去年までは苦かった。
けれど今はほろ苦い。
熱いエスプレッソを冷たいバニラアイスに注いでいく。
白と黒が混ざり合う。
見た目はモノトーンなのになぜか美味しそうに見えるのが不思議だ。
バニラアイスを口に含んでエスプレッソを飲むのでも、エスプレッソを口に含んでバニラアイスを食べるのとも違う味。
わたしはアフォガートを一口食べる。
甘くて苦い。
甘いのと苦いのが同時に広がる。
わたしの思い出の味。
◇
中学最後の夏休みも残すところあと7日。
今日は三者面談だった。
先生やお母さんが進路がどうのこうだと口酸っぱく言ってくる。
夏休み中はお母さんは口を開けばそのことばっかりだ。
わたしはいい加減それにうんざりしていた。
そんなこと言われなくてもわかっている。
だから今日は家出することを決心した。
かといって頼れる人はそうそういない。
なぜならわたしにはそんな友達がいないから。
でもわたしにも一人だけ頼れる人がいる。
従姉妹の樹里ちゃんだ。
樹里ちゃんは瀬川樹里という名前でわたしより15歳年上でわたしが大好きなわたしの憧れのお姉さんだ。
見た目も綺麗でショートカットがよく似合う大人の女性だ。
わたしは自宅のテーブルに樹里ちゃんの家に泊まると置き手紙を残して家を出た。
バスを乗り継いで樹里ちゃんのアパートの部屋の前に来た。
チャイムを鳴らす。
しばらく待っても出てこない。
わたしは携帯電話で時間を確認する。
先に連絡をしておけば良かったかもしれないと背中の汗と同時にジワリと後悔が滲んできた。
わたしは携帯電話の連絡先に登録してある樹里ちゃんの携帯番号へとコールをかける。
樹里ちゃんはすぐに出てくれた。
『もしもし。光、どうしたの?』
『樹里ちゃん、あ、もしかして今、バス?』
『大丈夫だよ。何かあったの?』
『あのね、家に帰りたくないから今日は樹里ちゃんの部屋に泊めてほしいの』
『わかった、いいよ。あと20分くらいで着くからコンビニで待っててね』
『わかった。ありがとね。樹里ちゃん』
『うん。それじゃあね、光。気をつけてね』
樹里ちゃんの声が無機質な機械音に変わった。
わたしは時間をちゃんと確認していなかった。18時前なのだから樹里ちゃんはまだ帰宅しているはずがなかった。多分この街に来て気持ちが浮ついていたんだと思う。
この街に来たのはこれで二度目だった。
でも樹里ちゃんがこんなにあっさり了承してくれるとは思ってもみなかった。でも樹里ちゃんは優しいから断ることはないとも思っていた。
わたしは特に買うものもないのにコンビニに向かい、しばらく店内をウロウロしていた。別に怪しくはないとは思うけど10分近く店内を彷徨っていたらさすがに怪しまれるだろうか。なんてことを考えていたら扉の方から樹里ちゃんの姿が見えた。
「光!ごめんね、待った?」
樹里ちゃんはいきなり謝ってきた。
どちらかといえば、いきなり押しかけて来たわたしが謝らなければいけないのに。
「ううん。わたしのほうこそ、いきなり来てごめんね。樹里ちゃん、本当にありがとうね」
わたしは樹里ちゃんに抱きついた。
樹里ちゃんはわたしの頭の上に手を置いて撫でてくれた。
わたしより10センチも背の高い樹里ちゃんからは柑橘の香水の匂いがした。
「それじゃ、行こっか!」
樹里ちゃんは微笑んでわたしの手を引いていく。わたしは樹里ちゃんの隣に並ぶ。
夕方の風はまだ少しだけ生温い。
熱気と湿気が混ざって全身の肌が汗ばむ。
だから樹里ちゃんの手を握るわたしの手が汗ばんでいるのは仕方のないことなんだ、と自分に言い聞かせる。
「ご飯は何がいい?うちで食べる?それとも外食がいい?」
樹里ちゃんが夕ご飯についてわたしに尋ねる。
わたしは外食がいいと答える。
「それなら、うちの近所に1ヶ月前に美味しいイタリアンのお店が出来たの。私もまだ行ったことがないから、そこに行こうか」
わたしは頷く。
イタリアンなんて凄く樹里ちゃんにぴったりだなと思った。
「光はイタリアン料理なら何が好き?私はパスタならなんでも好きかな」
楽しそうに樹里ちゃんが話してくれる。
「わたしはピザが好きだよ。マルゲリータも好きだけどクアトロ・フォルマッジも好きだよ」
私はパスタよりピザ派だった。
「どれも美味しいよね」と樹里ちゃんが微笑む。
そんな話をしてるうちにお店に着いた。
テーブル席に向かい合う。
樹里ちゃんがメニュー表に手を伸ばす。
わたしの正面に向けて置いてくれた。
そういう何気ない気遣いが好きだ。
わたしはメニューを見てマルゲリータに決める。
「ねぇ私はボンゴレビアンコを頼むから光のマルゲリータとそれぞれシェアして食べない?」
樹里ちゃんの提案にわたしは頷く。
「うん。わたしもパスタ食べたかったから!」
嬉しくて少し語尾が強くなってしまった。
樹里ちゃんにバレてないだろうか。
樹里ちゃんは夏休みどう過ごしてたいたのか、わたしに聞いてくれた。
わたしは受験勉強のことや息抜きに読んだ漫画や観た映画やアニメの話をした。
樹里ちゃんが笑顔でわたしの話を聞いてくれるので楽しかった。
注文した料理がテーブルに並ぶ。
ボンゴレビアンコからオリーブや魚介の香りが広がる。マルゲリータからのトマトの芳醇な香りと焦げたチーズの香りがお腹の底からわたしの食欲を湧き立てる。
自分で口元が綻んでいるのがわかる。
樹里ちゃんはそんなわたしの顔を見つめて笑っていた。
「それじゃあ、食べようか。いただきます」
「いただきます!」
小皿にマルゲリータとボンゴレビアンコを取り分ける。
わたしはマルゲリータを一口かじる。
「んっ!……うわぁ美味しい!」
わたしは樹里ちゃんの顔を見た。
今まで食べたピザの中で一番美味しいと感じた。
「ふふっ。そんなに喜んでもらえるなら、このお店を選んで大正解だったね」
樹里ちゃんもマルゲリータを一口かじる。
「ほんとだ。美味しいね」
そう言って食べ進める。
次にボンゴレビアンコを食べる。
パスタに絡まったアサリの魚介エキスとニンニクの匂いが鼻に効いて口に入れた瞬間に旨みが爆発していく感覚がした。
フォークを持つ手が止まらなかった。
わたしはぺろっと皿に取り次いだ分を平らげていた。
「まだ食べてもいいよ」
樹里ちゃんが微笑んでわたしを見ている。
わたしは樹里ちゃんに申し訳なさそうな顔をしたが目の前にある欲には抗えずにまたパスタを小皿に取り分けていく。
「マルゲリータもボンゴレビアンコも凄く美味しい〜」
わたしは久しぶりに食事に満足感を得ていた。
もちろんお母さんが作ってくれる料理も美味しいけれど、普段の日常とは切り離されたオシャレな空間で食べる異国の美味しい料理にお腹も心も満たされていた。そして今のわたしにとって樹里ちゃんと一緒にいられることが何よりも嬉しい出来事だった。
マルゲリータとボンゴレビアンコを堪能したわたしたちはデザートを選んでいた。
脳はお腹が膨れたと信号を出しているのに不思議なものでデザートは別腹になる。
アイスかパフェか迷う。でも子どもっぽ過ぎるかもしれないと、意識してしまう。
わたしがメニュー表とにらめっこをしていると樹里ちゃんに「アフォガートって食べたことある?」と聞かれた。
わたしは「アフォガート?」という聞き慣れない単語を樹里ちゃんに疑問系で聞き返していた。
「知らない。初めて聞いた名前だよ。どんな食べ物なの?」
わたしが尋ねると樹里ちゃんは優しく教えてくれた。
「バニラアイスに熱いエスプレッソコーヒーをかけて食べるデザートなの。イタリアでは定番のデザートなのよ」
確かにアイスとコーヒーの相性は良いような気もする。でも……。
「わたしコーヒー苦手なんだ」
残念ながらわたしはコーヒーが苦手だった。
去年中2の時に好奇心で飲んでみたが苦いだけで何が美味いのか理解が出来なかった。
お母さんやお父さんは毎朝こんなにも苦いものを飲んでいたのかと目を疑ったというより口を疑った。それ以来飲んでいない。グリコのカフェオレならたまに飲むけど。
「意外と食べれるかもしれないよ。私はこれにするけどな〜」
樹里ちゃんにそう言われると、わたしは真似をしたくなる。わたしは樹里ちゃんに憧れているからだ。
「なら食べてみるよ。樹里ちゃんと一緒に」
わたしは決意した。
これをきっかけにコーヒーが少しは好きになるかもしれないし、なんていうのは建前で。本当は樹里ちゃんと同じ味を共有したかったのだ。
「ほんと?でも無理しなくていいんだよ?」
樹里ちゃんは心配そうにわたしの顔をうかがう。わたしは「大丈夫」と頷く。
わたしは人生で初めてアフォガートを注文した。
なんだか呪文みたいな名前だと思った。
でもイタリアン料理ってだいたいが呪文っぽいことに気づいた。
わたしがそのことを樹里ちゃんに話すと樹里ちゃんも笑って乗っかってくれた。
そしてついにアフォガートがわたしの目の前に置かれた。
といってもエスプレッソとバニラアイスがそれぞれ置かれただけだ。
なんとなく出来心でエスプレッソを一口分掬って舐めた。やはり苦かった。急いで隣のバニラアイスで苦味を中和する。やはりバニラアイスは甘い。
「このエスプレッソをバニラアイスのほうに注いでくの」
樹里ちゃんをお手本にして、わたしはエスプレッソをバニラアイスに注いでいく。
冷たいバニラアイスに熱いエスプレッソをかけていく。丸いバニラアイスが熱いエスプレッソで溶けていく。見た目はバニラとチョコのミックスアイスみたいで美味しそうだ。けどそれはチョコではなくてコーヒーだった。
アフォガートの本来の形が完成された。
わたしはアフォガートを一口分掬う。
よく食べるバニラアイスの甘い匂いと朝の食卓を感じさせるエスプレッソの独特の匂いが香る。
子どもっぽい匂いと大人っぽい匂い。
わたしはアフォガートを口に含む。
甘くて苦い。
子どもっぽい味と大人っぽい味。
まるでわたしみたいだと思った。
早く子どもから大人になりたい自分。
子どもっぽさをなくしたい自分。
大人っぽさを身につけたい自分。
けど本当は子どものままでいたい自分。
けど本当は大人になることが不安な自分。
子どもの甘みと大人の苦味が混ざり合って口の中で溶けていく。
始めは美味しいよりも食べれたという驚きを感じた。
味はなんていえばいいのだろうか。
わたしは樹里ちゃんに尋ねた。
「樹里ちゃん、アフォガートってどんな味?」
樹里ちゃんはもう一口掬って食べてこう言った。
「ほろ苦い味、かな」
わたしももう一口掬って食べる。
「ほろ苦いってさ、この味なんだ。甘くて苦いのがほろ苦いなんだ」
未知の味覚との出会いを今日わたしは果たした。
それから食べたアフォガートは少しだけ美味しいものに変わっていった。
不思議なもので舌が慣れて肥えたら苦かったものも美味いと感じてしまうのだ。
なんだかクセになってきた。
「樹里ちゃん、美味しいね」
途中からわたしは堰を切ったようにアフォガートを頬張っていった。
樹里ちゃんはそんな子どもっぽいわたしの姿を見て笑っていた。
けどわたし自身は今日少しだけ大人に近づけた気がした。
ほろ苦いを体験したわたしは少なくともさっきまでのわたしに比べたら大人になれたと思った。
◇
デザートを食べ終えたわたしたちは会計を済まして樹里ちゃんのアパートに向かった。
わたしの分の食事代は樹里ちゃんが支払ってくれた。やはりわたしはまだまだ子どもだということを実感した。
わたしは今日樹里ちゃんと食べたアフォガートの味をたぶんずっと忘れないと思う。
ほろ苦いを美味しいと感じられる、樹里ちゃんみたいな大人になれたらいいなって思う。
「わたし樹里ちゃんみたいな大人になるね!」
わたしは隣に並ぶ樹里ちゃんにそう宣言した。
樹里ちゃんはわたしを優しく見つめていて穏やかに笑っていた。
「春にまた二人であのお店に行こっか」
樹里ちゃんがわたしの手をそっと握る。
夜風がわたしたちの間を吹き抜ける。
風は少しだけ冷えていた。
わたしの手に汗はない。
もうすぐ夏休みが終わる。
そして夏もそろそろ終わる。
夜空に浮かぶ星を見ながらわたしたちは手を繋いで歩いて帰った。
読んでくれてありがとうございます!
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