願い
ラスタ王国全土に訃報が轟いたのは、バンデル国王の四十五歳の生誕祭の六日後だった。
誕生日の四日後、夜、入浴中に心臓が止まり、バンデル国王は苦しむこともなく、あっけなく死んだのだ。
治癒士や魔法士、そして同じ城内に住んでいる后や王太子でさえ、死に際にも間に合わなかった。
騎士の砦の寄宿舎にいたラジールは風メールでその事を知り、馬で城に駆けつけた。宰相や大臣、王太子である二一歳のマクベスは取り乱していたが、正妻であるルーナ王妃は涙も見せず、不気味なほど冷静だった。その冷静さはラジールも同様だ。
風呂上がりのバンデルの遺体を見た時、「裸になれば王族も平民も変わりない」と昔、ピアナと話したのを思い出した。
欲深く、傲慢で、ある意味、王らしい王だった。ラジールにとってバンデルは父親ではなく、あくまでも王だった。
「近隣諸国にバンデル国王の訃報が漏れてはいけません。マクベスの戴冠式の準備を進めなさい。訃報を流した翌日に、戴冠式を行います」
王の崩御で混乱する中、他国に攻められる可能性は大いにある。
「…ピアナ嬢のネダート国への輿入れを早めた方がよろしいかと…」
宰相のハミルトンがそう言った。混乱に乗じてネダート国がラスタ王国を攻める可能性もゼロではない。早くピアナを送ることで、ネダート国がラスタ王国と親戚関係にあるとなれば、他の国にも牽制できる。
「…戴冠式の翌日に、ピアナ嬢をネダート国に輿入れさせましょう」
ルーナ王妃はそう決断した。ピアナが憎いわけではない、むしろルーナ王妃はピアナを可愛がっていた。利発で我慢強く、それでいて前向きな性格。バンデルの駒にするには胸が痛んだ。しかし、昔は自分も同じ立場でこのラスタ王国に嫁いできた。悲しいかな、王族に生まれた女の使命だ。
「…明後日、国民に崩御を知らせます。翌日、戴冠式を執り行うよう、明日一日で準備をして。その間、他国にこのことが漏れないように」
バスローブを身に着けたバンデルの遺体を一瞥し、ルーナ王妃はそう言った。
ラジールは翌朝、早朝に寄宿舎に戻った。騎士団長に事情を説明するためだ。朝稽古に向かうジェイドを呼び止めた。
「…大丈夫か?」
何も言わずとも、ジェイドはラジールの表情で父親であるバンデルが亡くなったことを悟った。
「…不思議だが、陛下が亡くなったことに関して特に何の感情もないんだ」
「…」
「ピアナの輿入れが早まった。明後日、兄上…いや、マクベス王の戴冠式がある。翌日、ピアナはネダート国に送られるんだ」
「!…」
ジェイドの胸が痛んだ。政治的にそうなるのは当然だが、三日後、ピアナがラスタから出て行くと言う現実を突きつけられても、自分にはどうすることもできない。
「俺は…無力だな」
自分が思った言葉を、ラジールが口にした。
「…急に父親が死んで、自分が第二王子で良かったと思っているくせに、妹のようなピアナも救えない。親友であるお前にもそんな顔をさせてしまうことが悔しいなんて」
「…お前のせいじゃない」
「ああ…でも、結局、俺は何もできないんだ」
「…俺達の役割は必ずあるはずだ」
ジェイドの言葉にラジールは軽く頷き、朝稽古に行くジェイドを見送った。
夕暮れ時、騎士の砦の寄宿舎の前にグレーのローブを着た小柄な少女が立っていた。目立たないよう、目深にフードをかぶり、あまり人目のつかない場所に立っている。
「お嬢さん、騎士の砦に何か用ですか?」
仕事を終え、帰って来た騎士達の中で一番気の利く、サマールが声をかけた。
「…あ、えっと…ジェイド、ジェイド・ハルク様に用が…」
それを聞いたサマールの横にいた騎士が口を挟んだ。
「…またあいつのファンか。無駄無駄、ジェイドはこないだも他の女の子に言い寄られてたが、好きな女がいるからって断ってたぜ?」
「!」
「こら、勝手にそんなこと言うなよ」
サマールはそう言って周りを見渡した。
「あ、ジェイドが来るよ、ちょっと待ってな」
サマールはそう言って向こうから歩いて来るジェイドに駆け寄り、耳打ちした。
「ジェイド、お前を待ち伏せてる女の子がいるんだ。ローブを着てるけど、多分、身分が高いみたいだ。ここじゃ目立つから、離れてから話した方がいい」
「…ありがとうございます」
ジェイドはサマールにお礼を言うとそっちの方を見た。
「!」
ジェイドは驚いて駆け寄り、その少女の手を取り、騎士の砦から離れた。
「ピアナ…な、なんでこんな所に!?」
騎士達からは見えない建物の影に隠れ、ジェイドは尋ねた。ピアナはエメラルドのような瞳でジェイドを見上げ、いたずらっぽく笑った。
「来ちゃった」
「来ちゃったじゃないよ…もうすぐ暗くなるのに、危ないじゃないか」
「ふふ。最後の冒険よ? お願いがあるの」
最後のと言う言葉にジェイドは胸が痛んだ。ピアナは笑っているが、三日後、この国を発つ。
「あの噴水に連れて行ってほしいの」
どの噴水かすぐに分かった。ジェイドはピアナの心中を察し、頷いて笑った。
「行こう」
ジェイドはそう言ってピアナの手を握り、歩き出した。夕暮れの街はピンク色に染まり、風が少し冷たくなって来ている。
二〇分ほど歩き、二人が噴水に着いた時にはもうあたりは薄暗くなっていた。広場に街灯が灯り、祭りの時とは違うロマンチックな雰囲気にピアナは辺りを見回した。
「なんか…お祭りじゃない夜の街も素敵ね」
「ああ」
ジェイドは自分のジャケットを脱ぎ、ピアナの肩にかけてやる。
二人は噴水の縁に腰掛け、クレープを食べた。
「…知ってるでしょ? 私、三日後、ラスタを発つの」
「…ああ、ラジールから聞いたよ」
「別に嫌じゃないのよ。バンデル国王が亡くなって…私がネダートに行く意味は強くなったから」
「…」
「前にこの泉でコインを投げた時、嫁ぎ先が平和で優しい王様でありますようにって願ったの」
「…」
「お皿の上にコインは乗らなかったから、きっとそれは叶わないけど…」
「ただの迷信だよ」
「今日は違うお願いでやってみるわ」
ピアナはそう言ってコインを取り出した。
「__ジェイドがずっと…幸せでありますように」
ピアナは笑い、そう言ってコインを投げ入れた。
「!」
「ジェイドのことを考えると胸が痛くなって…切なくなって、でも温かくなって。この気持ちは…一生、私の宝物だわ」
ジェイドは胸が熱くなり、思わずピアナを抱き寄せた。
「!」
コインはひらひらと舞い、皿の上に落ちた。二人はそれを見もせず、黙って抱き合っていた。胸が熱くなり、心臓の音が互いに聞こえる。
「…ピアナ、君が好きだ」
口にしてはいけない言葉を思わずジェイドが吐き出した。
「!」
ピアナは驚いてジェイドを見上げた。
「君が望むなら…」
ジェイドは口を開いた。声が掠れる。胸からこみ上げてくる重たい鉛のような気持ちを吐き出す。
「…この街から君を連れ出して…誰も知らない…遠い国で暮らしたい」
「!」
思ってもみない言葉だった。嬉しさが込み上げ、ピアナの頬を涙が伝う。
「…私も」
そう言いかけ、ピアナは目を閉じ、大きく深呼吸をした。
「…望まないわ」
ピアナは泣きながら笑った。
「あなたは…ラスタの英雄になるべき騎士よ。私は…ラスタを守る為にネダートに行くの。その為に十五年、王妃教育を受けてきたわ」
「…」
「…私を好きと言ってくれた…その言葉だけで、私はこれからどこに行っても、幸せに生きていける」
「ピアナ…」
「ありがとう、ジェイド。あなたのお陰で、いい思い出ばかりしか思い出せない。私には何も返せないけど…あなたの幸せを祈ってる」
「…」
ジャケットをジェイドに返し、ピアナは微笑んだ。
ジェイドはかける言葉が見つからない。
「…お母様が外出を許してくれたの。最初で最後の娘の我儘を聞いてくれたの。従者が付いてきてるから…ここでお別れよ」
ピアナはそう言って遠巻きにこちらを見ている馬車を見て手を挙げた。馬車が近付いてくる。
ピアナは白くしなやかな指先でジェイドの手を握り、最期にもう一度笑った。ジェイドはその手を握り返す。
馬車が直ぐ側で止まり、御者がジェイドに深々と頭を下げた。あの時の御者だった。キャビンのドアを開けると、ピアナはジェイドの手を放した。
「さよなら」
「…」
スルリと自分の手から抜けたピアナの手の温もりが残っている。ピアナは背を向け、馬車に乗った。
「ピアナ…」
馬車が走り出した。
ジェイドは交わした温もりが冷めていくのを唇を噛みしめて感じていた。




