赤い屋根の家
五分大祭前祭参加作品です。
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時折、唐突に――月に一遍くらい、どうしようもなく悲しくなる時がある。この世の幸せがみんなそっぽを向いてしまったような気がして、そうなると中々元には戻らない。胸の中に閊えていたものが澄んだ水になって私の中を湧き上がって来る。
また目をこする。もうマスカラもはげて、私の顔は散々だった。
『不細工だな……私』
せめてもの救いは、今乗っている車輌に私以外誰もいなかったことだ。
タタントタン、タタントタン……。
列車が走って行く音も陽射しも、いつもより優しかった。
もうすぐ、馴染みの町を抜ける。車窓には光る風が流れて、それを見詰めているとだんだんと目蓋は重くなった。
もうすぐ、あの町が見えるのに。もうすぐ、あの家も見えるのに。
私の意識は、いつしかふっつりと切れた。
―― 瑞穂、瑞穂ってば。瑞穂 ――
誰? 私の名前を呼ぶのは。
痺れた目を少し開けると、そこには女の人の顔がのぞいていた。
「あ、瑞穂? やっぱり瑞穂だ」
こんな所で寝てたら風邪引くよ、と言うその顔に、私は首をかしげた。
「あの……ありがとうございます。でもどなた様で」
「えーっ、覚えてない?」
ウソぉ、とその人は目を丸くする。でも寝起きにははっきりと記憶が出て来なくて、やっと思い出したのは、やわらかなその眼差しだった。
「まぁ……もう十年も経つし。仕方ないかな」
私がぼんやりと見詰めていると、葉子、と微笑みを見せる。
「葉子よ、私。槙葉子」
その言葉で、私は目が覚めた。
「葉……子? ほんとに葉子?」
「そ! あなたの親友、槙葉子」
一気に。何かがほぐれるように心の中へ光がさして、その中にいたのは確かに、ヨーコ――私の一番の親友、槙葉子だった。
「久しぶりっ」
「ひ、久しぶりってもんじゃないよヨーコ! なかなか会えなくて心配したんだよ、それに」
「えー、会って一番にお小言? 他にないの」
眉をひそめるヨーコにハッとして、私はまた目をこすった。
「あ……ご、ごめん、つい……」
「ま、いいのいいの」
ほんっと、変わってないんだからって言うヨーコも、見てみると、その笑顔は昔のままだった。私は、ふっと心があたたかくなる。
「……久しぶり。ヨーコ」
小学時代から、私のそばにはずっとヨーコがいた。いつも同級、時には隣の席になったこともあって、まるで姉妹みたいと言われたこともある。ちょっと振り向けば、いつもヨーコの優しい笑顔があった。
「でも、髪どうしたの?」
「髪?」
「あんな長かったのに。あ、だから最初分からなかったんだよ」
「あー。とうの昔に切った」
「え、どうして。もったいない」
「って言っても! 女には女のそれぞれの都合があるもんでしょ」
「……え、もしかしてフられたの!?」
「……言わないでよ、思い出す」
あ、ごめんごめん、って言うと、それには苦笑顔で、もう、瑞穂ってばと返ってくる。
「もう大分前のことだけどね……今の会社に就職する前にスッパリ、よ」
そう言ってふと、鞄を探る。うじなあたりで切りそろえた髪が、アイボリーのスーツに映えていた。
「それ、あげるよ」
あたしの会社、こういうグッズを作ってるの、と言うヨーコの手には、リボンが結わえられたハートを象った、鈴のキーホルダーがあった。
「え、いいの? こんな立派なの」
「いいっていいって! バレンタインの時に作ってたんだけど、もう時季外れだし」
私の手にヨーコは、強く握らせてくれる。そっと見ると、手の平でピンクのハートが、リン、と鳴った。
「……ありがと」
「いーえいーえっ」
列車に合わせて揺れる、ヨーコの笑顔を見るとなぜかホッとした。
それから私たちは、会えなかった数年分の時間を埋めるのではしゃいだ。
喋りたいことが山ほどある。高校を卒業してからのこと。大学でのこと。そして今、これからどうするのか。
今までとこれからを分け合ったその時間は幸せそのもので、私の心をふうわりと明るくした。
でも。私の中にはどこか、暗がりが残っている気がした。引っかかっていた。覚め切らない夢のように。それが何かはまだ分からなかった。
「そういえばね。私あそこに住むんだ」
唐突に、ヨーコはそんな言葉を口にする。
「え? あそこって」
ヨーコは目線で車外を指す。それを辿ると、車外に流れる景色にぽつりと浮かぶ影があった。
「もしかして、あの赤い屋根の!」
うん、とヨーコは強く頷く。それは、郊外にある古い家だった。
「へー! あそこに住むんだ。いいな、昔、あそこに住んでみたいって話したよね」
「そうだよね」
赤い大屋根。昔から丘の上で目立っていて、列車の中からじゃないと見えない。でも行こうとすると結構ある。私とヨーコは、この列車に乗る度にいつもあの家を見つめた。
―― いつか、あの家に行ってみたいよね。私たち二人で ――
「ずっと空家だったみたい。でもボロくないし、この際と思ってね」
私たちが、昔憧れた場所に――。
その時だった。
不意に、辺りの音が一遍に消え出した。驚いて目を向けると、ヨーコは寂しそうに笑っていた。
「あたし、あそこにいるからね」
突然の変化に驚く私に、なぜかヨーコの声だけが届く。隣りなのに、いやに無機質的な声だった。
「……ずっと。ずっとあそこで瑞穂のこと見てるから。だから」
泣かないでね。マスカラ、はがれてるよ ―― そう言ったのが、ヨーコの声を聞いた最後だった。
次の瞬間、私は弾かれたように目を覚ました。
誰もいない列車の中。せわしなく揺れる吊皮。私は一人、取り残されていた。
「……ヨーコ」
そう、呟いてはっきりと思い出した。
死んだんだっけ。ヨーコ。高校二年で引っ越してから会ってなくて、死に目も拝めなかった……今日はその葬式だったことが、突然に、かつまざまざと脳裡に蘇った。まるで、長い夢が覚めたように。
何があったかも分からずにぼうっとしていると、手の中にチクリ、痛みが走った。反射的に指を開くと、そこには一つキーホルダーがあった。見ようによっては、リボンで飾られた贈り物に見えるそれは、私の手の上で、リン、と鳴った。
―― 泣かないでね。瑞穂 ――
私は。しばらく涙を堪えるので必死だった。小さなハートのプレゼントを握りしめて。
あの、赤い屋根が見えようとしていた。
本日、四月三十日に急場しのぎでどうにか仕上がった作品です。
よって、お見苦しい点、他様々あったと思いますが、ここまで見て下さったならば作者として幸甚です。