2-4.嘉多子への聴取
龍臣は嘉多子やその姉のような女子供を手に掛けたくないと思ったが、今迄頑強に鍛えられた理性と積み重ねてきた人妖の屍がその人間らしい情緒を雑音として処理してしまう。
「お兄さまは」
嘉多子は言った。
その声で龍臣は我に返る。
「私達とっての救世主ですわ。そうに決まっていますわ」
「救世主とはまた大きく出たな。猶太教でもあるまい。だとしたら私は悪魔だよ」
「謙遜なさるのね」
「そういうわけではないのだが――まあ良いだろう。君は勿論として、君の姉御にも嫌われぬように振る舞おうじゃないか」
諦めたように龍臣が言えば、私がお兄さまを嫌うだなんてありえませんわ、と嘉多子は嬉しそうに答える。どうやら兄という単語が気に入ったようであった。その人好きのする笑顔に龍臣は何も言えなくってしまう。
「君の姉御についてなのだが、少し教えてくれないか」
龍臣は仕方なく話題を変える。
「私は君の姉御についてほとんど知らない。知っているのは病弱であることと、神の妻として生贄にされるという手紙に書いてくれた内容ばかりだ。そもそも、なぜ生贄や人柱が必要になってしまうのだ。そんなものは神が本当に信仰されていた前時代の遺物、負の側面だろうに」
「そうですね。何からお話したら良いでしょうか」
嘉多子は言葉を探すように目を伏せる。対する龍臣は、制帽と外套を脱ぎ、椅子の背凭れに掛けると、自身は座部に浅く腰掛ける。日本人にしては長い脚を組まぬのは、龍臣なりに威圧感を与えまいとした工夫である。
「焦らなくても結構だ。ゆっくりと、君の言葉で教えてほしい」
「これはお父さまが仰っていたことなのですが、蚕影家の人間は、代々その命を神様に捧げて、周りの土地と共に栄えてきた家系だというのです」
「神に命を捧げる」
「はい。その神というのが金色姫という御方です。蚕影の家が、女しか生まれないというのは前にも話した通りですが、蚕影の娘を食らった神は、家と土地に豊穣を齎すのだと。私達姉妹はそのために生まれてきたのだと。幼い時分よりそう言い聞かされて育てられてきました」
「しかし人間をそう何人も捧げていたら血が途絶えてしまうのではないかね。何年に一度という周期が決められているのかね」
「蔵にあった書物に依れば、およそ二十年に一度、あるいは飢饉が起きた時に行われるのだそうです。お父さまもそのように仰っておりました」
「なるほど。納得はしてやれないが理解はできる話だな。神を信じる者にとってはまさに人身御供というわけか」
民俗学は専門外なのだがな、と龍臣が頭を掻けば、理解できるなんて悲しいことを言わないでください、と嘉多子は小さな反発をみせる。
「軽率な発言だったな。すまない」
「私は巫女として、贄として、斯くあるべしと育てられましたが、やっぱりこんなことはおかしいと思います。お兄さまもそうは思いませんか。蚕影の血を引いているというだけで、どうして未来を奪われないといけないのですか。どうして神様に食べられないとならないのですか。お父さまは名誉あることだからと言って聞く耳を持ちませんし、お姉さまは仕方がないことと諦めてらっしゃるけれど、私にはどうしたって飲み込めませんでした。だから――」
嘉多子は背筋を伸ばし、握り拳を作りながら喋る。決して声を張ることも震わせることもなかったが、嘉多子なりの懸命な抗議なのだと龍臣は察したつもりになる。
「だから私はお兄さまを頼る他なかったのです。改めてお願いします。私達を助けてください。あの悍ましい化物を祓ってください」
「承知した。この軍刀に誓って、君を害する神を討つことを誓おう」
龍臣が承諾すれば、嘉多子は勢いよく振り向いた。
その瞳には透明な雫が浮いていた。
「どうして、ですか?」
「私は何かおかしなことを言ってしまったかな」
「違いますわ。手紙にも書いたかとは思いますが、私にはお兄さまにお支払いできる報酬など持ち併せてはおりません。なのに、どうしてこんなにも優しくしてくださるのですか」
「なんだ、そんなことか。あらかじめ言っておくが、私は優しくも何ともない。冷酷な男だ」
「先刻から謙遜してばっかり。つれないのね」
「君は勘違いをしている。確かに私は君達のことを気に掛けてはいるが、それ以上に、人に仇為す鬼や妖怪、神というものが憎いのだ」
どうしてそう思うのか、と嘉多子は聞かなかった。
乞うように龍臣を見詰めるだけであった。
その反応を催促と受け取った龍臣は続ける。
「私には妹がいたんだが、酒呑童子と名乗る鬼に攫われてしまってな。ゆえに当時陸軍の将校だった私は決死隊に志願して――あとは君も知る通りだ。攫われた娘達の多くを救い出し、鬼も退治することこそできたが、肝心の妹の方は間に合わなくてな。だから私は鬼というものが。妖というものが。神というものが。到底好きにはなれないのだ。利害の一致と言ってもいい。だから君は報酬など少しも気にしなくて良いのだ。元より、私は仕事として上役に命じられてここにいる。君に何かを求めるつもりはないよ」
龍臣が答えれば、嘉多子は何かを言わんと口を開くが、結局言葉にならなかったらしい。
嘉多子は口を噤み、俯いてしまった。
「つまらぬ話をして悪かった。私の話などどうだっていいのだ。君のことを聞かせてほしい。まだ分からぬことがあるのだ」
「私に答えられることであれば」
「君達を蝕む呪いについてだ。呪いが現れるといういことは前に聞いたが、それと生贄になることに何の関連があるのだ」
「私も詳しくは知らないのですが、蟲の徴がなければ贄となることはできないのだそうです」
「それならばなぜ、天涯殿は私を君の護衛にしようとしたのだろうか。君達を神に捧げようとするならば、私の存在は邪魔以外の何者でもないように思うのだが」
「きっとお父さまは、お姉さまを贄にすると決めているからではないでしょうか」
「姫子君を」
「はい。そうと口に出したことはありませんけれども、同じ家にいるのだから、まして血の繋がりがあるのだから、考えていることくらい察しがつきますわ。きっとそう遠くないうちに、姉さまを神に捧げる儀式が執り行われるのでしょう」
「儀式か。確かに天涯殿もそのようなことを口走っていたな」
日程を早めなくてはならないのだと。
如何に古来より続く慣習とはいえども。富や豊穣が約束され、飢饉や凶事を回避できると言い伝えられているとはいえども。大切に育てたであろう娘を人外に差し出すなど龍臣にはその思考が理解できない。
「ねえ、お兄さま」
圧し黙った龍臣の代わりに嘉多子が口を開く。
その声は強請るような色を含んでいた。
「姉さまのこと、お願いしても良いかしら。最近ずっと塞ぎ込んで部屋から出てこないのよ。どうにか元気づけてあげてほしいわ」
なんなら帝都に攫っても構わないわ――と投げ遣りに嘉多子は言った。
「私にできることなら力になろう。最後にひとつだけいいだろうか」
「何かしら」
「君と天涯殿の関係だよ」
「どういうことかしら」
「君の姉である姫君が神に捧げられてしまうこと。それを阻止することが私の役目であることは理解した。そのためには金色姫なる神を排さなくてはならないこともな。だがそうなった場合、君の御尊父である天涯殿がどういう対応をするのかが私には予想できない。無論、説得に応じてくれるのであればそれが満点だろうが、最悪、抵抗されないとも限らないだろう。そうなった際、天涯殿の生命は保証の限りではない。君にはその覚悟をしてもらいたい」
「覚悟――」
「必ずしもそうなると決まったわけではない。あくまでも可能性の話だ」
「そのとき、お兄さまは迷わないのですか?」
「言ったはずだ。私は悪党だと。私の手は既に汚れているのだよ」
婉曲的な肯定をすれば、嘉多子は弾かれたように立ち上がり、怯えたように龍臣を見る。
「わ、私は」
嘉多子が何かを言いかけたとき、扉が叩音された。指の裏を靱やかに遣った規則的な音であった。龍臣が返事をすれば、控え目に扉が開かれる。
入ってきたのは給仕服に身を包んだ女であった。
「坂ノ上様。嘉多子さん。夕食の仕度ができましたので食堂までお越しください」
龍臣が返事をするよりも早く、嘉多子は侍女の横をすり抜けるように部屋を出て行った。
取り残される形となった龍臣と侍女の間に気拙い空気が流れる。
「お初にお目にかかります。白菊と申します」
瞳に険を残したまま、侍女は形式張った礼をする。
「丁寧にありがとう。もう知っているだろうが特別高等警察の坂ノ上龍臣だ。短い間になるがよろしく頼む」
龍臣は椅子から立ち上がり、帯刀した軍刀を調帯から外す。
その一挙手一投足を、白菊は監視するような眼差しで見詰めていた。
「坂ノ上様。ひとつ宜しいでしょうか」
表情を変えずに白菊は言った。
退室しかけた龍臣が振り返れば、バチ、と視線が交差する。
「いかような事情があるのかは存じませんが、この屋敷の事情に深入りするのは堪忍してくださいませんか」
「聞いていたのか」
「盗み聞きをするつもりはありませんでしたが聞こえてくるものですから。どうか早まった真似だけはしないようにお願いします」
「分かっている。私とて事を荒立てるつもりはない。穏便に解決できるならそれに越したことはない。私が憎んでいるのは人間ではなく、人間を利用する神の方だ」
「その言葉、信じていいのですね」
「ああ、言葉にすれば安っぽく聞こえてしまうが私を信じてほしい。少なくとも、好き好んでこの手を穢すほど乱暴な性格ではないつもりだ」
龍臣の弁明に納得したのか、白菊はそれ以上の追求はしなかった。
ただ一言。
「嘉多子さんと姫子さんのことを、どうかよろしくお願いします」
と言って薄く微笑した。




