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2-3.蚕影天涯

 龍臣が黒煉瓦の館の門戸を叩く頃には、陽は完全に沈み夜となっていた。

 寒くも暑くもない。夜風ばかりが吹いている。


 分厚い扉が開くと同時に出て来たのは嘉多子である。

 抱きつかんばかりの勢いで、龍臣の躰に異常がないかを確認している。


「私なら心配いらない。だから離れてくれ」

「坂ノ上さん、あの化物は」

「そのことについてなのだが」


 どうも打ち損じたらしいと答えようとしたとき、廊下の奥からひとりの紳士がやって来る。胴着(ベスト)と口許に蓄えた髭が特徴の男である。


「嘉多子。そちらの御仁は何者かね?」


 警戒を隠そうともせず紳士は言った。

 嘉多子は言い淀んでしまう。当然である。ここで素直に、金色姫を撃つために帝都から招いた稀人です、などと言うことはできやしない。そう察したからこそ、龍臣は数歩前に出て、制帽を取り一礼する。


「お初にお目にかかります。特別高等警察、坂ノ上龍臣と申します」


 龍臣は(いん)(ぎん)に述べる。紳士の目に、ますます警戒が宿る。


「特高の御方が何用かね?」

「そちらの御令嬢に感謝を述べに参りました」

「ほう。感謝とな。どういうことかね?」

「私が上田堤を散策していたら、この時分には化物が出ると教えてくれたのです。自らの危険も顧みず、です。そうしたら案の定、不審な女が出て、お嬢さんが襲われそうになり――それをどうにか撃退して、私の無事と礼を伝えたく参上した次第です。このような遅い時分の訪問になってしまったことをお許しいただきたい」


 龍臣は嘘と覚られぬようスラスラと述べる。


「なるほど。事情は相分かった。しかし撃退とは――」


 紳士は顎に手を遣り、考える素振りをみせる。


「娘を護ってくれたこと感謝する。私はこれの父、()(かげ)(てん)(がい)という。この度は助けられたな。詳しい話を聞かせてほしい。入ってくれ」

「宜しいのですか」

「そう遠慮することはない。君は娘の恩人なのだからな。嘉多子、茶の用意を頼む」


 天涯はそう言うと、一度も振り返ることなく廊下の一室に消えていく。

 そこが応接室であるらしい。


 ――蚕影天涯。


 裏辻が作成した資料に載っていた。蚕影家の四代目当主であり、蚕の科学的飼育方法の研究をしており、また蚕影神社の神主であるという。


 玄関口に取り残された龍臣と嘉多子は顔を見合わせる。


「嘉多子君。私と君は今日この日に出会ったことにした方が互いのためであろう。いいかね。くれぐれも私の名前を呼ばないように頼む」

「はい。でも、そしたら何とお呼びしたら良いのかしら」

「兵隊でも邏卒でも好きに呼べばいいさ」


 本当はどちらでもないのだが今更だろう、と龍臣が言えば、そうでしたら良い名前を思い付きましたわ、と嘉多子が掌をポンと叩く。


「お兄さまなんてどうでしょう。私、ずっと兄というものがほしかったんですの」


 名案とばかりに嘉多子は言った。好きにすれば良いと言った手前、龍臣は否定できなかった。何より天涯を待たせるわけにはいかなかった。


 龍臣が応接間に入れば、天涯は黒革の椅子に腰掛けていた、入室した龍臣に、遠慮なく座ってくれ、と対面の椅子を差し示す。


「では失敬して。しかし何です、聞きたいことというのは」

「いや、なに。娘を襲ったという女についてだよ。どんな見た目をして、君はどのような手段でそれを撃退したかを知りたいのだよ」


 天涯は前のめりになりながら問うた。

 淡々と事情を説明する龍臣の発言ひとつひとつを聞き逃さんばかりの姿勢であった。


「――という経緯があり、女は蚕蛾に変じて姿を晦まし、私はそちら様を(おとな)ったというわけであります」

「蚕に姿を変える」


 天涯は言うともなしに呟いた。


「金色姫の伝説を(ほう)彿(ふつ)とさせますな」

「金色姫とは。君は知っているのかね」

「ええ。下宿屋の主人から。それが何か」

「ああ、いや。何でもないのだ」

「これは私の直感ではありますが、その女は死んでなどいないことでしょう。いずれどこかで相見えることになりましょう。私のような赤の他人が踏み入って良い話ではないことは承知しておりますが、ご息女の護衛に人員を割くべきかと存じます」

「それは、件の化物が娘を狙っている。そのような理解で宜しいかね」

「仰る通りです」

「そうか。それは難儀なことだな」


 目を瞑り天涯は嘆息した。そして。


「儀式の日取りを早めなくてはなるまい」


 と言った。


「儀式というのは」

「ああ、失礼。こちらの話だ。どうか気にしないでくれ。君に改めて礼を述べよう。本当に助かったよ」

「いえ、これも任務の一環、公僕として当然のことを果たしたまでです」

「任務とな。君は。君のような特高の人間がどうしてこんな田舎に?」

「それは――」


 龍臣が何か言いかけたときに応接間の扉が開けられる。嘉多子である。天涯と龍臣の前に珈琲の入った洋杯を置くと、盆を抱えるようにその場に控える。だが娘の待機を天涯は許さない。


「嘉多子。私達はとても大事な話をしているのだ。自室に下がっていなさい」

「嫌ですわ、お父さま。まだそちらのお兄さまにお礼をしておりません。名前すら聞いておりませんわ」

「それなら早く済ませてしまいなさい」

「はいお父さま」


 ハキハキとした返事の後、嘉多子は龍臣に命を救ってもらった謝礼を述べ、たどたどしい自己紹介をしてみせる。時折言葉を詰まらせ、頬を染めながら喋る姿は役者然としており、その演義に龍臣は内心舌を巻く。嘉多子が去った後、天涯は再び溜息を吐いた。


「あれが騒がしくてすまないね。次女であるからといって奔放に育て過ぎたようだ」

「いえ、とんでもない。礼儀正しく聡明な御嬢様ではありませんか」


 龍臣は本心からの感想を述べる、入室の時機(タイミング)を見るに、廊下に張り込み、今か今かと待ち構えていたのかもしれない。ともすれば、今も扉の向こうに立ち、聞き耳を立てているのかもしれないと龍臣は思う。


「話を戻しましょう。ご息女の護衛の件です」

「ああ、うん。そういう話であったな。しかし困ったな。うちには護衛に割くことのできる人員などいないのだよ。私を除けば、なにせこの館にいるのは娘二人と住み込みの侍女という女所帯だ。とても衛兵なんぞ務まらない。しかし娘には学校もあるし閉じ込めておくわけにもいかないな。さて、どうしたものか――」


 天涯は珈琲を口に運んだ後、腕を組んで勘案する。


 ――取り入るならば今が好機か。


 龍臣は、湯気の立つ黒い液面を見ながら考える。


「天涯殿。ご息女の護衛、私に任せてはいただけませんか」

「君が? それはありがたい話だが、君にも仕事があるのではないかね」

「仰る通り、私はある任務で盛岡に立ち寄ったに過ぎません。ある無政府主義者を追ってやってきたという仕事柄詳細を明かすことはできませんが、しかしながら仲間の行動を中央へ報告する監視役のようなものですから、時間を持て余しているのです。どうです、護衛にもってこいの人員だとは思いませんか」


 龍臣は淀みなく答えるが、視線は天涯から逸らさない。だが天涯はすぐには了承しなかった。眉根を寄せて何やら考え込んでいる。


「どうされました。私では不服でしょうか。不都合があるのならば無理強いはしませんよ」


 特高など恨みを買う仕事ですから進んで関わりたくもないでしょう、と龍臣が言えば、いや違うのだそういうことではないのだよ、と天涯が言い淀む。


「龍臣君。君はどれだけ盛岡に滞在しているつもりだね?」

「概ね一週間を想定しております」

「そうか。それは――好都合だな」


 好都合?


「龍臣君。君とここで会ったのも何かの巡り合わせだ。娘の護衛、君に任せてしまっても良いだろうか。無論報酬も用意させてもらおう。まあ護衛とはいえども、女学校への送迎と、今日のように、ふらりとどこかへ行かぬようにお目付役という意味合いが強いがね。その間の衣食住はこちらで用意しよう。客間があるからな。どうだ。引き受けてくれないだろうか」

「承知いたしました。是非もありません」


 龍臣が承諾すれば、天涯は椅子の背凭れに上体を預け、ホウと息を吐いた。ひとつ肩の荷が下りたという様子であった。表には出さぬが、龍臣も内心握り拳を作る。


「ああ、そうだ」


 天涯は思い出したように言った。


「一週間という滞在ならば既に宿は取っているのだろう。どこだ?」

「菅原という下宿屋です」

「分かった。明日にでも侍女を遣わせて君の荷物を取りに行かせるから、今日からこの館に泊まるといい」

「お気遣い感謝いたします」


 宿が近いことから通ってくれと言われるかもしれないと龍臣は危惧していたが、それは杞憂に終わった。天涯の言うように、お目付役の役割が大きいのだろうと龍臣は納得した気になる。


「では娘に客間まで案内させるから待っていてくれ。改めて娘のことを宜しく頼む」

「お任せください」


 美味しい珈琲をありがとうございます、と龍臣が述べれば、その感謝は娘に伝えてくれ喜ぶだろう、と天涯はにこりともせず言った。


 天涯と入れ替わるように嘉多子はやって来た。先刻までの遣り取りを聞いていたかのように、客間まで案内します、と龍臣を先導する。客間は廊下の一番奥にあった。寝台(ベッド)と机、窓と納戸があるだけの質素な部屋であった。


 ――まずは一歩前進だな。しかし今後の展開は不明だ。


 己は天涯を殺すことになるのだろうか、できればそうならぬことを祈りたいが、と龍臣が密かに溜息を吐けば、退室するかと思われた嘉多子は寝台の縁に座って龍臣を見上げる。


「嘉多子君。どうしたのだね」

「お兄さま。改めてお礼を言わせてください。本日は私を助けていただき真にありがとうございました。あなたがいなくては、私はきっと金色姫に食い殺されていたことでしょう」

「待ってくれ。そもそも私が出歩いていたのを見付けたから君が来てくれたのだろう。ならば礼を言われることではないよ」

「そんなことありませんわ。私達姉妹のためにわざわざ帝都から来ていただいたこと、重ね重ねありがたいことでございます」


 嘉多子は、細い躰を折り畳むように深々とお辞儀をしてみせる。


「そのように畏まることはないよ。以前にも説明したかもしれないが、大正の世を浄化するのが私達の仕事なのだから。それに私はまだ盛岡に訪ったに過ぎない。しかも君の御尊父を騙すような真似をしてだ。まだ何も為していない。そも、私は悪党だ」

「悪党? お兄さまが」


 嫌ね冗談ばかり、と嘉多子は笑う。だが龍臣は本心であった。特務課の仕事など、とても善良な人間にはこなせないものばかりである。その証拠に、異形の神を殺すのは当然として、天涯がその神を信奉して抵抗するならば標的になり得る。今目の前にいる姉妹のひとりだって、呪いという物が遺伝として実在するならば殺せと上長から命じられている。もっとも、膚に半月状の斑点があるだけの特徴を呪いと見做すつもりはなかったが。

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