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2-1.裏辻という男と金色姫伝説

 盛岡に来て二日目、早朝。


 龍臣は下宿屋の自室に篭もり愛飲の煙草を吹かしていた。

 欧州大戦の終結を記念に製造された銘柄『Peace』である。生産は大正九年に中止されていたが、極楽鳥が描かれた外装(パッケージ)が気に入り、背嚢一杯ぶんを買い占めた経緯(いきさつ)があった。


 甘い香りの煙を吐き出しながら龍臣は今後の方針を()()する。依頼人である蚕影嘉多子とは接触することができた。感触も良好。願わくば、嘉多子の家族である父や姉とも会い、この地に棲まう神の情報を収集したいところではあるのだが。


 ――金色姫、か。


 龍臣は軍刀を抜いて刃を見詰める。神や妖を殺すために鍛え抜かれたまたとない逸品である。これまで幾匹狩ってきたのかは記憶にない。鍔元にある赤茶色の錆はその名残であろう。


 ――此度の任務も、神だけを殺して終わらせたいものだが。


 場合によってはそうもいかぬだろう。人身御供を望む当主も、その当主に育てられた姉妹も手に掛けねばならぬ。この不景気な世である。当主一人を殺して安寧に生きていられる保証などどこにもない。苦境の生よりも安らかな死の方が余程良いだろう。


 龍臣が短い瞑想を終えたとき。


「坂ノ上さん。お客様がお見えになりました。開けても宜しいですか」


 閉じた襖の向こうから声がした。

 老婆のものである。


 納刀した龍臣が応じれば、(ふすま)が横に(すべ)る。

 老婆の横に男が立っていた。

 黒一色の制服に身を包んだ美丈夫であった。

 最初、鏡を向けられているのかと思った。


「朝早くから悪いな。今、ちょっと良いか?」


 砕けた口調で男は言った。龍臣が返事をするより早く敷居を跨ぎ、部屋の隅に積まれた座布団を一枚取ると、(ちゃ)()(だい)の前に敷き、その上にドカリと腰を落ち着けた。


 己と同じ衣装の制服を着こなしていることから察するに、実篤が寄越した密偵班の一員なのだろうと考えてから龍臣は口を開く。


「構わない。私は坂ノ上龍臣という。貴殿、名は」

(うら)(つじ)だ。まあ好きに呼んでくれや。お察しの通り、課長殿からの命で馳せ参じた次第だ」

「やはりそうか」

「あんたが仕事をちゃんとこなしているかの監視と、困ったことがあれば手助けしてやれと言われているんだ。何を隠そう、あんたが持っている調査資料を作ったのもこの俺だぜ。まあ、好きに使ってくれ」


 裏辻がそこまで言うと、遣り取りを見守っていた老婆は、お茶を淹れてきますからどうぞごゆっくり、と言って一階に下がっていく。


「それで龍臣殿よ。首尾はどうだい?」

「首尾と言われてもな。まだ一日が経っただけだ。討つべき相手が金色姫という名前であることしか分からない」

「昨日は蚕影家の次女に出迎えてもらってその程度とは。先が思いやられるな」

「なぜそれを知っている」

「尾行させてもらった。龍臣殿、期限は一週間しかないんだ。良心が咎めるのは分かるが、尋問でも何でもして情報を吐かせるべきだと思うぜ」

「尋問も拷問も苦手だ。女子供が相手なら特に。私は妖怪や疫病神を祓うことしかできない」

「そりゃ分かる。婦女子を甚振(いたぶ)るのは胸糞悪いものだ。しかし、そうも言ってられないだろう」

「嘉多子君には、何か分かれば報せてもらうように頼んでいる」

「それなら俺達は金色姫について探るとしようじゃないか。龍臣殿は金色姫についてどこまで知っている?」

「何も知らん。ここの主人曰く、御伽草子に出てくる姫君であり、この辺りでは人を喰らう物の怪をそう呼ぶらしい」

「ほう。それはそれは」

「裏辻殿は知っているのか」

「御伽草子の方はな。この辺りに出没する妖怪をそう呼ぶのは初耳だ」

「語ってくれないか」

「待て。俺もそう詳しくない。婆様に語ってもらう方が良いだろう。茶も飲めて事情も聞ける。一石二鳥だ」


 裏辻は懐から紙巻き『朝日』を取り出し、燧火で着火する。最初の一口はゆっくりと喫い、白い煙を長く吐き出す。喫煙家のみが知る愛すべき静寂(しじま)であった。


 すぐに茶は来た。

 老婆は二人分の湯飲みを置くと退室しようとするが、裏辻が呼び止める。


「はいはい、何でございましょう」

「俺達に金色姫について語ってくれねえかな」

「金色姫について、ですか。それはどちらの方でしょうか」


 老婆は問うた。

 御伽草子か、人食い妖怪かを聞いているのだろうと龍臣は解釈する。


「まずは昔話の方から頼む。生憎、陸軍士官学校にいたせいでな。この手の話には疎いのだ」


 温い茶を啜ってから龍臣は答える。

 そういうことでしたら語らせていただきましょう――と老婆は畳に膝をついた。


「金色姫というのは蚕影神社に祀られている蚕神の俗名なんです。蚕影神社。知っていますか。茨城県の(つく)()(やま)にある蚕を祀る神社で、その分社が上田堤の(ほとり)にも建てられているんですよ。金色姫伝説は次のような話になります」


 老婆は居住まいを正し、龍臣を真正面から見据えた。


「時代は(きん)(めい)天皇の頃になりましょうか。(てん)(じく)(きゅう)(ちゅう)(こく)という国がありました。そこは(りん)()大王と、その皇后である(こう)(きつ)夫人、そして金色姫という姫君がおりました。皇后は病にかかり亡くなってしまい、王は後妻の后を迎えます。後妻の継母は、金色姫を(うと)み、亡き者にしようと考えて様々な奸計を(くわだ)てますのじゃ。


 最初の計略です。後妻の后は、獅子吼山という獣がたくさん住んでいる山へ姫を捨てさせてしまいました。ところが獅子が来ると、姫に危害を加えるどころか姫の面倒を見ますのじゃ。獅子は姫を背に乗せ、無事に宮殿へ送り届けました。


 二番目は、四季を問わず雪が降る鷹群山へ姫を捨てます。そこは鷲や熊、鷹が多く住み、山の名前もそれに由来していたほどのところです。ところがある日、帝が鷲を討つために遣わした家来たちが思いがけず山中で姫を見付け、鷲も捕らずに姫を都へ連れ帰りました。


 三番目は、海眼山という離島へ姫を流してしまいました。このときは風で流された釣り船が島へ漂着して、釣り船の主は姫を見付けて哀れに思い、船に乗せて帰ってきました。


 四番目の話です。王が留守にしたとき、継母は役人に金を握らせて、清涼殿の小庭に深い穴を掘らせ、姫を埋めてしまいました。しかも帰還した王に姫の行方を告げる者はおりませんでした。王は金色姫に会えずに嘆き悲しむ日々を送っておりましたが、清涼殿の小庭で、地中から光が差していたのでそこを急いで掘ったところ金色姫が現れて救い出すことができました。


 そこで、この国に住んでいて憂き目を見るよりは、他の国へ流した方が良いと考えた王は、桑の木で造った(うつぼ)(ふね)に姫を乗せて、また一寸八分の(せい)()()(さつ)を守護として授けました。船は蒼波万里をしのぎ、何年もかかって、()(たちの)(くに)(つく)()(ぐん)(とよ)(うら)(みなと)に着きました。釣りに出ていた権太夫が船を発見します。権太夫は船を薪にしようと陸に引き上げて、斧でそれを割ると、そこには金色姫が座しておりました。権太夫夫妻は姫の面倒を見ますが、姫は病に倒れて死んでしまいます。夫婦はその亡骸を棺に入れました。


 ある晩、この夫婦は姫の夢を見ます。そこで夫婦は早速姫を収めた棺を開けて見ると、姫の姿は消えており、そこには小虫がおりました。姫が乗っていた船は桑で作られていたため、この虫に桑の葉を与えたところ、虫どもは喜んで食べ、次第に成長しました。


 しかしあるとき虫は一様に葉を食べなくなり、頭を上げてワナワナとしているので、夫婦は驚いて何事かと心配しました。するとその夜、姫が夢に現れます。姫は、これは自らの国で受けた、捨てられたときの苦しみから休眠しているのであり、このような休眠は四度繰り返すといったところで夢は覚めます。


 これが理由で、最初の眠りを獅子の休み、二度目を鷹の休み、三度目を船の休み、四度目を庭の休み、と言い、その後に繭を作ることが靱船に乗ることなのです。


 この繭をどうすれば良いのかよいのか知らなかったところ、筑波山の神である仙人が現れて、この繭を練って綿というものにして、そこから糸を取ることを教えました。これが日本の養蚕の始まりであり、権太夫はこのお蔭によって豊かとなりました――。蚕影神社が建てられた豊浦という場所は、金色姫が流れ着いた場所という話であります」


 そこまで言うと、以上が金色姫伝説であります――と老婆は頭を垂れた。


「なるほど。それにしても詳しいな」

「私達のように養蚕をする者にとっては守り神のような存在でございますから」

「それでは次に。金色姫と呼ばれる人食い妖怪について教えてほしい」


 龍臣が聞けば、老婆はぎょっと目を見開いた。ややあってから、どうしてそんなことを聞きまする、と問うた。


「婆様。聞いているのは俺達だぜ」

「お言葉ではございますが、余所者が首を突っ込んで良いことはないでしょう」

「俺達は金色姫を懲らしめるために帝都からやって来たんだぜ。なあ、相棒」


 裏辻が同意を求めるが、龍臣は無視をして老婆に向き直る。


(おうな)。どうか教えていただきたい」


 龍臣が頼み込めば、根負けしたのか老婆は渋々と頷いた。


「あなた様が帝都から来たのはそういうことですかい。私が語る前にひとつだけ約束を」

「約束とは」

「金色姫が出るのは日が暮れてからです。獲物に見境なんてありゃしません。男だって女だって関係なしに取って食らってしまうんです。昨年は藤田さんところの奥さんが、一昨年は千葉さんところの爺様がやられてしまいました。だからあなた様方もお気を付けなされ。そんな立派な刀があったとしても、相手は化生なのです。お役目は分かりますが、決して無茶だけはしないでくださいな」

「承知した。しかし、それほど被害が出ているのに警察は動かないのか」

()(そつ)だって()(しょう)の仕業だって分かっているんですよ。だから調査なんてしないんだ。突然いなくなって、躰を喰われた屍体が池に浮いて――それきりさね。この(さと)の人間は、それが普通になっちまったんだよ」

「あなたは金色姫を見たことがあるのか。そも、どうして金色姫などと呼ばれているのだ」


 老婆は答えなかった。その皺だらけの顔、血色が失せていることに龍臣は気付く。


「媼。どうされた」

「私、見ちまったんだよ」

「見た。何をだ」

「金色姫に決まっているじゃないか」


 老婆は叫ぶように言った。


「あれは私が嫁入りしたての頃だから明治の中頃だね。夕方の上田堤に、若くて綺麗な格好をした娘ッコがひとり立っていたんだよ。嫌な感じがしたけども、何か困っているようで下を向いているものだから、どうなすったと聞いたら、その娘は顔を上げて――私は肝を潰したよ」

「何があったのだ」

「娘の顔に、びっしりと白くて丸々と肥えた(うじ)が――いやあれは蛆じゃない。蚕だ。蚕がへばりついていたんだ」

「蚕」

「そう。あの白くて可愛い、絹糸を吐いてくれる蚕だよ。顔だけじゃない。手も指も、襟から覗く首許にも、ウジャウジャとついていたんだ。髪は黒くて、口許は真っ赤で――私は一目散に逃げ出したよ」

「なるほど。ゆえに金色姫だと思ったわけか」


 龍臣の相槌に、老婆は小さく頷いた。


「その日からしばらくして、幼馴染みが水死体で見付かって――私は思ったよ。金色姫が、蚕が、人間を呪っているんだって」

「呪いだぁ?」


 様子を窺っていた裏辻が声を上げる。


「他に何があるんだい」

「どうして蟲が人を呪うんだよ」

「どうしてって――帝都の人間しかも男は養蚕なんかしないか。いいかい。生糸っていうのは。絹というのは。蚕が作った繭を熱湯で煮殺してから糸を(つむ)ぐんだ。私達は繭をそのまま出荷しちまうからそういう感覚は忘れていたけれど――ほうら見たことか。たくさんの犠牲の上に私達の生活は成り立っているんだ。こんなの呪われて当然じゃないか」


 溜息を吐いた老婆は。


「蚕屋敷の御嬢様も呪われて当然ってもんだよ」


 と呟くように言った。


「蚕屋敷?」


 呪われて当然?

 龍臣は聞き流すことができずに尋ねる。


「そ、蚕屋敷。そこの窓から見えるはずだよ。上田堤の畔に建つ黒い大きなお屋敷がね」


 立ち上がったのは茶を飲んでいた裏辻だった。開放された窓から身を乗り出す。


「なるほど。確かに見えやがる。成金趣味全開の館だぜ」

「媼。呪われて当然という発言だが、どうして呪われていると知っている」

「そんなの見たままじゃないですか。上の娘は病弱で屋敷から出られないというし、下の娘だって躰中変な斑点まみれでしょうに。近所の者は口々にしていますよ。あれは呪いだって。あくどい商いをした報いが娘に降りかかったって。いやはや、あそこの主人も見てくれは立派で着飾っているけれど、裏では何を考えているのか分かりやしませんよ」


 嗚呼怖ろしや、と老婆は黄ばんだ歯を剥き出しにして猿の如く()()と笑った。分かり易い(ねた)(そね)みの感情であった。


「呪いなんてあるものかよ」


 窓の先を眺めながら、つまらなそうに裏辻は言った。


「婆様。今は大正だぜ。しかも科学全盛の時代だ。呪いが実在した明治も江戸も過去だぜ」

「帝都から派遣された兵隊さんには分からぬことでしょう。金色姫には気を付けなされ」


 朝食の仕度がありますゆえこれで失礼します、と言って老婆は部屋を去って行った。

 丸い背中を見送りながら、醜いもんだな人間っていうのは、と裏辻が呟く。


「裏辻殿は、呪いなど存在しないと考えているのだな」

「そりゃもちろん。そういうあんただってそうだろう」

「相違ない。だが、嘉多子君に聞いたところ、呪いは実在するらしい。嘉多子君は腕にある奇妙な紋様を見せてくれた。長女の姫子君は体中真っ白であるらしい。課長は、呪いが遺伝的なものなら殺せと仰った」

「ふうん。要するにあんたは迷っているというわけかい」

「当然だ。神や妖を討つのは別に構わない。だが無辜なる少女を手に掛けるのは私の正義に(もと)るのだ。私には妹がいてな。生きていればちょうどあれくらいの歳になる」

「だがそうは言ってもだ。課長の――内務省の命令は絶対だろう。あんただって市民を虐殺したことくらいあるだろう。特高しかも特務課にいるんだ。無いとは言わせねえよ。俺はあるぜ。ある思想家を虐めていたらついやり過ぎてな。医者には心臓麻痺なんて診断書を一筆、(したた)めてもらったが――まあそんな話はどうでもいいんだ」


 裏辻は窓の(さん)で煙草の火を揉み消した後、吸い殻を屋外に放り捨てた。


「此度の任務は、標的を生かすも殺すもあんた次第だって聞いているぜ。口裏くらいは合わせてやるぜ。せいぜい好きにすればいいさ。俺だって進んで殺したがる物狂いじゃねえ。まあ、課長直々の命令が来ない限りは、俺はあんたの味方さ」

「かたじけない。恩に着る」

「それよりも問題は金色姫とかいう奴だぜ。何か案はあるのか」

「当初の予定では、嘉多子と連絡を取りつつ、姫子を捧げるその場に乗り込んで制止しようと思っていたのだが」

「だが、何だ」

「私の逗留する一週間のうちにことが起きるとも限らない」

「ならば待つしかないようだな」

「待つ、とは」


 龍臣が聞けば、婆様も教えてくれたことじゃねえか、と裏辻は言った。


「金色姫とやらが出張るのはどういうわけか決まって夜なんだ。だったら張り込んで、ノコノコと出て来たところを返り討ちにしてしまえばいいって算段だ」

「ふむ。現状できることはそれしかないか」

「先に言っておくが、俺はあくまで密偵だ。事前の情報収集が専門だから、戦力としては何の役にも立たねえからな」

「腰に下げたその護拳刀(サーベル)は飾りか。貴殿も特高の一員だろう」

「実はこれ、竹光なんだよ。護拳刀なんて重い物、下げて歩けるかよ。腰を痛めるぜ」


 裏辻は左腰に()いた護拳刀を三寸ばかり抜いてみせる。鋼ではない。白い竹であった。


「さて、と。俺はもう行くぜ。といっても隣の部屋だけどな」


 立ち上がった裏辻は部屋を去る。後ろ手に閉められた襖に描かれた(たん)(ちょう)(づる)を見詰めながら、龍臣は今後の動向について考えを巡らせる。

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