1-4.蟲の徴
「先刻も申し上げた通り蚕影は女系の家です。私が知る限り男児は絶対に生まれません。生まれたとしても病弱で、生後間もなく死んでしまうと聞いております。そして生まれた女達には蟲の呪いが引き継がれます」
「蟲の呪い、とは」
「躰に、蟲の特徴が発現してしまうのです」
「蟲の特徴」
龍臣が首を傾げれば、ご覧に入れた方が宜しいでしょう、と言い嘉多子は学生服の袖を肘まで捲ってみせた。
白く細い腕であった。
だが手首から肘にかけて半月状の黒い紋様が等間隔に並んでいる。
痣でも刺青でもない。
先天的な徴であった。
「嘉多子君。それは一体」
「蚕蛾の幼虫に出てくる紋様と同じものですの。気持ち悪いでしょう。醜い痕でしょう。ゆえに私は形子なんですの」
そこまでを言うと、嘉多子は捲った袖を戻して、歩む速度を上げる。
また龍臣が嘉多子を追う形となる。
「すると、君の姉御である姫子君にも、同じものが」
「いいえ。姉さまは違いますわ。私なんかとは違って、御髪も、膚も真っ白なんです。だから姉さまは姫子なんです」
嘉多子が言の端に秘めた悲哀と覚悟に龍臣は気付かない。斑点の有無が蟲の呪いと言われたところで戸惑うばかりであった。そんなものが呪いというのであれば、この世に生を受けた者の多くが呪われてしまうだろう。
己など、任務とはいえども実に多くの者を痛めつけてきた。呪いとはまさに己にこそ相応しいとすら思えた。少なくとも安堵したのは確かであった。姉妹を斬り殺さずに済むのだと。蟲の呪いなど、取るに足らぬ形質遺伝にしか過ぎないのだと。
「嘉多子君。君は先刻、蚕影の家に男児は生まれないと言ったが、君の御尊父はどうなる」
「お父さまは分家から来てくださった方ですの。ですから厳密に言えば蚕影の血など引いておりませんわ。そうです。ですから姉さまを神に捧げようなんて残酷なことが言えるのです」
「ふむ。では、姫子君はいつ捧げられるのだ。そもそもなぜそのようなことになるのだね」
「正式な日取りは分かりませんわ。聞いても教えてくださらなかったわ。それにお止しになってと頼んでも聞き入れてくれませんでした。どうしてかについては、古来のしきたりであるからとだけ」
「しきたり、か。結局分からないことが多過ぎるな」
「帝都から呼びつけたのに、申し訳ございません」
「いや、君を責めているわけではないのだ。こと任務においては最初から分かっていることの方が少ないものだから気に病むことではない」
龍臣は、此度の仕事は神とその信奉者をどうにかすれば良いのだと分かったつもりになる。上長からも手段は問わぬと前もって許可を得ている。現当主とその神を殺せばすむのだから楽な仕事であるのかもしれない。宿に着いたら資料を再読しようと思ったとき。
「坂ノ上さんは」
嘉多子が口を開いた。
「鬼や神といった、人ならざる者が視えるのですか?」
「ああ、まあな」
龍臣が肯定すれば、嘉多子はその横顔をそっと見遣る。
消極的な確認であった。
「いままで、どのようなお仕事をされていたのでしょうか」
「大正という時代を浄化するようなことだ」
「浄化、ですか」
「これは上司の受け売りなのだが、未だに、この大正にもなって、前時代的なものや、雑多で、穢れたものが存在しているのだ。人に仇なす鬼や妖怪、和魂から荒魂に変貌した神や仏だな。私はそれらを殺し、時には調服して、次なる世代に持ち込ませないようにしている。謂わば、大正を終わらせることが私の仕事なのだよ」
「大正を終わらせること――」
「所詮綺麗事だな。血腥い仕事であることに変わりはない」
強引に会話を終了させた龍臣は、すぐ先に目的の下宿屋があることに気付く。瓦屋根の、二階建ての木造建築である。古びて錆だらけの看板には『菅原旅館』と書かれている。
腰の曲がった老婆が竹箒で軒先を掃き清めている。龍臣が老婆に話し掛ければ、お待ちしておりましたゆっくりしていってください、と老婆は東北訛りの物言いで愛想笑いを浮かべる。
「オヤ。そちらの別嬪さんはどちら様で」
「私をここまで案内してくれた親切なお嬢さんだ。さて、嘉多子君。今日は助かったよ。ひとまずこれでお別れだ。私はこに逗留するから、何かあれば訪ねてくれ」
空を見れば夕陽が沈もうかという頃合いであった。嘉多子の家がどこにあるのかは定かではなかったが、暗い夜道を一人で歩かせるには可哀想であった。だからこそ龍臣は帰宅を促したが嘉多子は控え目に龍臣の袖を掴んだまま放さなかった。
「嘉多子君?」
「不躾なお願いで恐縮なのですが、私を家まで送ってはいただけないでしょうか?」
「それは構わないが、理由を聞いても」
龍臣は近傍を見廻す。
下宿屋は四辻に面しており道路も広い。
道に迷うことはなさそうであった。
「もう陽が落ちてしまうからですわ」
嘉多子が答える。その表情には憂いと怯えが混じっていた。
何となく反論をしてはならぬという気にさせる令嬢の顔であった。
「これこれお兄さんや。暗い夜道を娘ッコひとりで歩かせるものじゃない。今の時期は金色姫が出るから用心に越したことはない。送ってあげなさい」
老婆が言った。
掃除は終わったらしく、三和土に腰掛けて、いつのまにか火を点けた煙管を銜えている。
「金色姫?」
龍臣が聞けば、なんだい知らないのかい、と老婆は言って煙をプウと吐いた。
「金色姫っていうのは御伽草子に出てくるお姫様だけど、この辺りじゃ人を喰らう物の怪のことを言うんだよ。もう何人も犠牲になっているんだ。ホラホラ、そんなことより行った行った。本当に陽が沈んぢまうよ」
老婆は追い払うように手を三度振った。聞き捨てならぬことは多々あったが、これ以上の聴取は諦めて、龍臣は嘉多子を連れて下宿屋を後にする。
「嘉多子君。君の家はここから近いのかい」
「はい。上田堤の畔にありますからすぐに着きますわ」
龍臣は空を見上げる。烏の群が夕焼けの空を泳いでいる。彼方の山にある塒に帰るところであろう。空が更に暗くなった気がした。
「ここの躑躅畑の先に池があります、きっと驚くことでしょう」
路肩に群生した躑躅を指し示しながら嘉多子は言った。今が時期であるらしく、鮮やかな桃色と慎ましい白色の花が咲いている。緩やかな傾斜と躑躅の茂みを超えた先には。
満開の櫻花であった。
広大な湖沼の外周に植えられた多くの桜は、初夏の青東風に撫でられるたび、氷雪の如し花弁を散らしていく。薙ぎ払われた桜色の霞は、宙を舞って次々と湖に吸い込まれていく。
赤丹を塗られた欄干の先、微かに揺れ動く水面は夕陽を照り返し、黄昏刻にも関わらずやけに眩しく感じられた。
山際に沈まんとしている太陽は、世界を深緋に染め上げんと最後の輝きを放っていた。その陽が光を放たんと足掻く程、龍臣と嘉多子の、墨を垂らしたが如し影が存在感を増していく。
桜の白に、太陽の紅、そして影の黒きこと。
鮮明過ぎる極彩の光景であった。
「これは驚いたな。見事な光景だ」
「私の言った通りでしょう?」
立ち止まった龍臣を嘉多子が返り見る。
悪戯が成功した童女のような声であった。
「理由までは存じ上げませんが、ここの桜は春に咲くということを致しません。今の時期、つまり夏の始まりに咲いてしまうのです。ですから、この池の桜に葉桜というものはございません。芽吹いて、咲いて、散って、枯れて――それでお終いの短命な花なのです。どうでしょう。佳い場所だと思いませんか」
龍臣の反応に気を良くしたらしい嘉多子は饒舌に語り出す。
「さあ、坂ノ上さん。急ぎましょう。暗くなる前に着きませんと、お父さまが心配してしまいますわ。それに私だって怖くて歩けなくなってしまいますわ」
嘉多子は周囲を警戒するように見回す。影法師が不安そうに彷徨い、龍臣もつられて辺りを見る。時間帯のせいか人影は皆無であった。
――怖くて歩けないとは少々大袈裟ではないか。
そう言おうとして龍臣は口を噤む。不意に、この冷たい世界に取り残されたかのような錯覚を抱いた。明るいうちに帰らなければ、何か恐ろしい目に遭うのではないか。
そうだ。いくら電燈や灯火で闇を打ち払ったとしても、人間は闇夜には適さない。人は昼間に活動し、暗くなれば床に就く。夜は妖魅が跋扈する時間なのだ。
根拠はないが龍臣は考える。
「君の御実家はこの辺りなんだろう。急かすわけではないが、もう少し案内を頼むよ」
「お任せください。庚申様のお社を過ぎたところですから、もうすぐですわ」
嘉多子は逃げるように歩き始める。
「君は、夜が苦手なのかい」
先程よりも足早に進む嘉多子の背を見ながら龍臣は尋ねる。
「坂ノ上さん。ひとつ、私と約束をしていただけませんか」
龍臣の問いを無視して、嘉多子は問い返す。
何を誓えばいい、と龍臣が訊けば、簡単なことですよ、と嘉多子は振り返る。
今この瞬間も、空は刻一刻と夜に近づいていく。
「あなたが盛岡にいる間で構いません。どうか、陽が落ちてからの外出はお控えください。たとえいかなる都合があったとしてもです。これに背いた場合、身の安全は保障しかねます」
嘉多子は凝然と龍臣を見る。
鈴を張ったような円い瞳には有無を言わさぬ威圧が秘められていた。
「それは構わないが、理由を聞かせてくれないか」
「夜は、神様の――金色姫の時間ですから」
嘉多子は薄く笑った。
光の加減により、その美しい貌は翳りを帯び、どこか不吉めいて見えた。
「盛岡へようこそ。歓迎いたしますわ――」
鳶色の双眸が龍臣を捉える。
嘉多子の背後、彼方の奥羽山脈は燃えているように見えた。
東北の夕暮れは、これ程までに鮮やかであったか。
それが、初日――五月二日の感想であった。




