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1-3.嘉多子という娘

 盛岡を訪れた龍臣を迎えたのは帝都より幾分か涼しい()(つき)の風であった。


 初夏の陽光が盛岡駅の円形停留所(バスプール)に停まる数台のバスを照らしている。

 米国から輸入されたばかりの大型車輌は次々と乗客を吐き出し、それと同程度の人数を呑込んでは走り去っていく。当然ながら地方都市である盛岡は東京に比べて人も少ない。汽車から降りた(たく)(さん)とは言い難い乗客達は、東京人よりも緩やかな足取りでホームを出て行く。


 西欧化を掲げ(まい)(しん)を続けた明治も、天皇が崩御したことでいとも容易に終わってしまった。元号が明治から大正に移って早くも十年。欧米の文化や思想が日ノ本に流入するようになって久しい。蝕んでいったと言う方が適切だろうか。

 出歩く連中の恰好も気取った洋服姿が増え、それを奇異の目で見る者も減った。モダンガール、モダンボーイという蔑称も、いつの間にか好意的なものに変わっていった。


 ――さて、どうやって行ったものか。


 龍臣は事前に貰った地図を懐から取り出す。目的地は()(たび)の出張で世話になる下宿屋である。中心街からは外れた位置にある。タクシーを利用するつもりでいたのだが駅の駐車場に車輌はなく、バスも路線図を把握していないため却下である。地図を片手に歩行(かち)で進む他ないかと諦めたときである。


「すみません。もしかして、坂ノ上さんでしょうか」


 龍臣の後背、待合室から声が聞こえた。柔らかな娘の声であった。


 振り返れば、ひとりの女学生が立っている。濃紺の海軍襟(セーラー)に膝下の洋袴(スカート)、足首までを包む革靴といった装いである。ごきげんよう――と微笑しながら、洋袴の端を指先で摘まみ、優雅な膝折礼(カーテシー)をしてみせる。


「いかにも。私は坂ノ上龍臣だが、君は」


 龍臣は聞き返す。

 答えが分かっている問いであった。


 ――蚕影嘉多子。


 手紙の差出人にして呪われた姉妹のひとり。


 東京から盛岡へ至る汽車の中で、任務概要が書かれた指令書および関係者の調査資料を読み(こな)していたため、龍臣は標的(ターゲット)になるかもしれない娘のことを覚えていた。


「蚕影嘉多子と申します。この度は私の願いを聞いてくださり真にありがとうございます」


 嘉多子はそう言うと、丁寧過ぎるほど丁寧に(こうべ)を垂れる。教養なのか人格なのか。内面が窺える所作であった。


「可憐なお辞儀をありがとう。坂ノ上龍臣と申します。以後、お見知り置きを」


 龍臣は述べると、制帽を取り礼を返す。年齢の離れた娘に対して(うやうや)しいと思わないでもないが、この娘の前では身を正さなくてはならぬ畏れを感じた。名家であろう蚕影家に(へりくだ)ったのか、はたまたこの少女の整った造形にある種の神性を見出したからなのかは分からない。

 いずれにせよ、嘉多子という娘は龍臣に頭を下げさせるだけの魅力を内包していた。


 帽子を被った龍臣は、改めて嘉多子を観察する。


 (べっ)(こう)(いろ)をした癖のある毛髪(かみのけ)は肩口で揃えられ、英国少女宜しく純白のカチューシャをつけている。瞳は薄い(しゃく)(どう)(いろ)をしており、白磁の如く()()細やかな膚をもっていた。


「嘉多子君。君はどうしてここに。私を待っていたのか」

「ええ、そうです。本日、坂ノ上さんがお越しになることは伺っておりましたので、お待ちしていた次第です」

「しかしいつになるとも、人相についても知らないだろうに。よく私だと分かったな」

「そのことでしたら、後藤実篤さんより、真っ黒な制服に外套を羽織った方が来ると聞かされておりましたので、すぐに分かりましたわ」

「なるほど。課長が根回しをしていたのか」

「鬼を討った兵隊さんと聞いておりましたから、どのような御方なのかと心配しておりましたが、真面目で誠実そうな方で安心しましたわ」

「私は決して真面目でも誠実でもないよ。第一印象で人を判断するのは早計に過ぎるな」

「あら嫌ですわ。そんなに謙遜されなくても。それに女の勘を馬鹿にしてはいけませんわ」

「失敬。馬鹿にしたつもりは全くないのだ」


 嘉多子は(まなじり)を上げて抗議する。だが龍臣は自身がそのように言われることに納得がいかなかった。その証左に、いつ何時、嘉多子を暗殺しても良心が痛まぬよう余計な交流を避けようとすら考えていた。


「私を待っていたというが、それはなぜだい。褒めてくれるだけではないのだろう」

「盛岡を案内しようと思いましたの。それに、私達のことを少しでも知ってもらいたくて」

「そういうことであれば是非もない」

「坂ノ上さんは、宿はもうお決まりですか」

「ああ。既に一週間の予約は済ませている」


 龍臣が下宿屋の名を挙げれば、あそこですか、と嘉多子は頷いてみせる。


「知っているのかい」

(うえ)()(つつみ)のすぐ側にある小さな宿ですわ。案内いたしますわ」

「ありがたい。どうやって行ったものか考えていたのだ。それはそうと上田堤というのは」

「湖ですわ。池ともいいます。慶長から寛文にかけて、治水のために造られた堤で、明治の頃には周辺の開発が進み、桜や躑躅(つつじ)が植えられたのだと聞いておりますわ」

「ほう。すると花見にはもってこいの場所というわけか」

「それだけではありませんわ。春は躑躅、夏は桜、秋は紅葉(もみじ)、冬になれば白鳥が飛んできます。一年を通して綺麗なのよ。実際に見れば分かっていただけることでしょう」

「夏に桜とは。桜は春に咲いて散るものではないのかね」

「見れば分かりますわ。きっとびっくりすることでしょう」


 言の()に思わせぶりな色を含ませた嘉多子は、そろそろ参りましょう、と言った。


「そうだな。このままでは日が暮れてしまう。ここから宿は近いのか」


 龍臣が腕時計――服部(はっとり)時計店で購入した日本初の国産品ローレル――を見れば、既に十五時を回っていた。


「一里ほどでしょうか」

「それならバスもタクシーも使うことはないな。案内を頼むよ」

「はい。嘉多子に万事お任せ下さい」


 盛岡駅から少しばかり東に歩けば大きな橋に行き着く。一級河川である(きた)(かみ)(がわ)に架けられたトラス式橋長八〇メートルの架橋であり、左右には時代遅れのガス灯が設置されている。人や馬車、車輌の往来が絶えず、荒々しい車が通る度に、土埃が舞い上がる。


 水溜まりの淵にとまっていた二頭の(もん)(しろ)(ちょう)が砂塵に驚き、(もつ)れ合うように飛んでいった。


 その蝶達を視線で追っていた嘉多子が振り向いた。


「坂ノ上さん。この橋は開運橋という名前なのですが、『二度泣き橋』という別名があるのはご存知ですか?」

「いいや。今初めて聞いたよ。どんな由来だね」

「転勤族の方々がつけたらしいのです。一度目はこのような僻地にまで飛ばされてしまったという事実から涙して、二度目はこの地を離れたくないという理由で涙する――住めば都とでもいうのでしょうか。帝都の方には想像できないのかもしれませんが、盛岡は住みやすいところなんですよ」


 嘉多子は水溜まりを跳んで跨いだ。軽やかな跳躍であった。


「なるほど。私の場合は、去り際に涙するかもしれないということか」


 喋りながらも、そうはならないだろうと龍臣は思う。特高に入隊してから――否、軍属だった頃から涙は()れていた。最後に涙した記憶など、幼少の頃、兄妹喧嘩の後、(ぶりき)の玩具を妹に取られた挙げ句に壊されてしまったときであった。


 嘉多子は北に逸れた小路を選んだ。


 市街地から一本外れれば、混凝土(コンクリート)で塗り固められた建築物(ビルディング)はなりを潜め、明治の匂いを残す木造建築ばかりとなる。履物屋の前では和装の婦人達が何やら話し込み、火薬店の前では子供達が走り回っている。


「嘉多子君。よければ君達のことを教えてくれないか」

「はい。でも、何から話したら良いでしょうか」

「君には姉がいたな。何という名で、どんな人物なのかね」


 龍臣は口調が刺々しくならぬように努めて問う。これは普段からしている尋問などではなく、ただの世間話であると己に言い聞かせる。


(ひめ)()といいます。私とは五ツ離れた姉さまで、幼い時分から私のことを可愛がってくれた優しい御方ですの」

「ふむ、姫子君か。覚えておこう。他に兄弟はいるのかね」

「おりませんわ。蚕影は女系の家ですから男児は生まれません。蚕影の屋敷には私と姉さま、お父さまとお手伝いさんしかおりませんわ」


 四人しかいないのにお屋敷を建てるなんて父さまもどうかしているわ、と呟くように嘉多子は言った。


「ご母堂はいないのかね」

「はい。お母さまは、私を産んだ時に亡くなったと聞いておりますわ」

「それは済まないことを聞いてしまったな。許してくれ」

「構いませんわ。だってとっくに昔のことですもの。それに姉さまがいるから寂しくなんてありませんもの」


 嘉多子は明瞭(はっきり)と言い切る。その口調だけで、姉妹の信頼関係が窺えるものであった。


「それならば、手紙に書いてあった内容について聞かせてほしい」

「なんですの?」

「君と姫子君を呪う蟲についてだ」

「端的に申し上げます。蚕影の血は呪われておりますのよ」

「呪いとは具体的にどのようなものなのかね」


 龍臣が問うた途端、嘉多子は足を止めて振り返る。身長差は頭一つ分。色素の薄い眼が龍臣を捉えて離さない。


「坂ノ上さんは笑わないのですね」


 嘉多子は言った。ゆっくりとした歩調となり肩を並べる格好となる。


「笑うものか。確かに、この大正という時代には似つかわしくない言葉ではあるが、私は君の頼りを受け取って、その悩みを排除するために遠路遙々やって来たのだ。何より前時代的なものはまだまだこの世に蔓延(はびこ)っている。酒呑童子を討った私が言うのだ。君だって私が鬼を討ったと聞いたから、わざわざ文を送ってくれたのではないかね」

「申し訳ありません。仰る通りですわ」

「いや、私の方こそ責めるような物言いになってすまなかった。それでだ。呪いとは、神とはどのようなものか私に教えてはくれないか」


 嘉多子はすぐには答えなかった。目の端に浮いた雫を拭ってから、すみません、と小さく詫びた。だが龍臣には謝罪の意味が分からない。


「どうしたのだね」

「いえ。いままで誰にも相談できなかったことでしたから気が緩んでしまいました」

「良かった。泣かせてしまったのかと思ったよ。改めて聞くが、神というのは何者なのだ」

「実は私も正体をハッキリと見たわけではありませんの。ただひとつ、蟲を――呪われた蚕影の血肉を――(すす)る化物であると。私達姉妹は、その化物に捧げられるために生まれてきたのだとお父さまから聞かされて、いままでこうして生きてきました」

「血肉を啜る化物、か」

「信じてください。坂ノ上さんに信じてもらえなければ、他に頼れる方が」

「分かっている。私は信じるよ。だから落ち着いてくれ」

「すみません」

「話題を戻そう。君達姉妹が御尊父により神への贄として育てられ、今、姫子君が窮地にあることは理解した。しかし、なぜ君達なのだ」

「それは、どういう意味でしょうか」

「依頼の手紙にも書いてあったとは思うが、君の言う蟲の呪いとは一体何のことだね。それは血筋に関わるものなのかね」


 龍臣は尋ねる。呪いが遺伝であるならば。この大正という御代に相応しくないものであるならば。神もろともに斬り捨てなくてはならない。


 ――(はや)るな。確定事項ではないのだから。


 ただ、そういった可能性もあるだけだ。無論、見逃すことだってできる。

 龍臣は軍刀に伸びた左手を撫でつけ、腕を組む。上司の実篤だってそこまで慈悲のない人間ではない――はずである。その沈黙をどう思ったのかは龍臣の知る由ではないが、嘉多子は萎縮したように俯いた。

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