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5-2.儀式の夜

 不意に一階の戸が開かれる音がした。受付の主人と二言三言遣り取りを交わした後、軽い跫音はこの部屋までやって来た。嘉多子が儀式の始まりを告げるためにやってきたのかと思い、龍臣が祈るように部屋の襖を見れば、入ってきたのは見知らぬ女であった。特高の制服に身を包んでいることから察するに裏辻の配下であるらしい。女は裏辻に近付くと、耳元で何かを囁くと、鉄拵えの軍刀を手渡した後、すぐに部屋を出て行った。


「裏辻殿。今のは」

「俺の部下だ。蚕影神社に動きがあったらしい」

「動きだと」

()輿(こし)を担いだ男達が神社に到着した。天涯もいる。姫子嬢、嘉多子嬢、女中の三名、および金色姫は不在。以上だ。行くぞ」


 裏辻は渡された軍刀を佩きながら立ち上がる。龍臣も続く。

 二人が下宿屋を出たとき、ひとりの娘が駆け寄ってきた。嘉多子であった。龍臣を見るや否や、胸に飛び込んできた。


「お兄さま。大変です。姉さまが神社へと連れて行かれました」

「話は既に聞いている。私達も今から向かうところだ。きっと血腥いことになるだろう。今日一日、ここで匿ってもらうといい」


 龍臣が受付の老婆へ声を掛けようとしたとき、その右肩を裏辻が掴む。


「どうした。裏辻殿」

「どうしたはこっちの台詞だ馬鹿野郎。どういうつもりだ」

「言ったはずだ。私にはどうしても斬れぬ。頼む、見逃してくれ」


 龍臣は頭を下げる。その様子を、嘉多子は何が起きたか分からぬ顔で見詰めている。


「見逃せるわけねえだろうが。さっさとやれ。さもなくば俺がやる」

「裏辻殿。待ってくれ」

「もう時間がねえぞ。早くしろ」


 裏辻が刀の柄に手を掛けた。それを見た龍臣はその場に土下座する。


「お兄さま。何をなさっているのですか」

「嘉多子君。私のことなど捨て置いて君は下がってくれ」

「裏辻さん。これはいったいどういうことですか」


 嘉多子は堪らずに(きっ)(せき)する。裏辻は抜刀していた。


「鈍いお嬢さんだな。上からお前等一族を始末するように命令されただけのことだ。それをこの男が意地になって拒んでいる。それだけのことだ」

「そんな。どうしてですか。私達は悪いことなんてしておりませんわ」

「そんなの俺だって知らねえよ。大方、その躰に流れる血が原因じゃねえのか。おい、龍臣殿。いつまでそうやっているつもりだ。急がねえと姫子嬢が金色姫に食われちまうぞ。まあ、いずれにせよ殺すからいいのかね」


 それを聞いた嘉多子の動きは速かった。


「お願いいたします」


 どうか姉さまを救ってください、と嘉多子は龍臣の隣に座り、三つ指をついて頭を下げる。


「おん? 嘉多子嬢よ。そりゃ何の真似だ」

「命乞いに決まっているじゃありませんか。私にはこれしかできることがありません」

「なんだよ(がん)(くび)揃えて。これじゃあ俺が悪者みてえじゃねえか。けどよ、残念ながら見逃してやる義理はねえんだ。ほら、立てよ」


 裏辻は龍臣の顎を蹴り飛ばし、龍臣は仰のけ様に倒れる。裏辻はその胸倉を掴み上げ、顔面を何度も殴打する。最後は鼻梁に頭突きを叩き込み、ついに龍臣は昏倒してしまう。


「――ふん。頑丈な奴め。時間をくったじゃねえか」


 一度は抜いた刀を、裏辻は鞘に収める。

 龍臣に縋り付く嘉多子に向けて。


「死に様ぐらいは選ばせてやる。俺に殺されるくらいならそいつに殺された方がマシだろう。あとは――伝えておけ。俺は先に行くから早く来いとな。急がねえと姫子嬢まで本当に殺してしまうぞってな」


 と言い放つ。見逃されたのだと嘉多子が気付いたときには、裏辻は夜の闇に溶けていた。


「お兄さま。お兄さま。起きてください」

「嘉多子君。私は、どれだけ眠っていた」

「ざっと一分程度ですわ」

「そうか。裏辻殿に酷いことはされなかったか」

「いいえ。見逃してくださいました。それと――」


 嘉多子が裏辻の言葉を伝えれば、龍臣はふらつきながらも立ち上がる。


「――お兄さまは、私を殺さないのですか?」

「まさか。何を言っているんだ。私は君を、君達を救うためにここまで来たのだ」

「命令に背いても、ですか」

「そうだ。それが私の本懐だ」


 龍臣が即座に答えれば、嘉多子は大きな瞳をそっと閉じた。その悲しげな表情のまま。


「お兄さまのお心には、姉さまがいるのですね」


 と言った。その言葉の真意を正しく汲み取れなかった龍臣は、ひとまず嘉多子を立たせて、髪や衣類に付着した土埃を払ってやる。


「先刻も言ったが、今日のところはここで匿ってもらうといい。館に帰ってはいけないよ」

「もう、行くのですね」

「ああ。行かねばならん」

「姉さまのこと、よろしくお願い致します」


 嘉多子は両手を躰の前に揃えて、深く礼をする。

 任せてくれ、と答えた龍臣は、夜の中を駆け出す。夜道は確かに暗かったが、(こん)(てつ)(いろ)の空には(くちな)()(いろ)(もち)(づき)が浮いており、走る分には問題なかった。


 龍臣は桑林を囲う柵を軽々と跳び越え、中央に位置する蚕影神社へ向かう。

 社の両側に篝火が焚かれているのが見えた。大きいとは言えぬ社の前に方形の(はこ)が置かれている。神輿――否、輦輿であろう。屋形の四方を囲う(すだれ)は取り払われ、純白の塊が鎮座しているのが見て取れた。降り積もった氷雪の如し塊は、時折蠢(うごめ)いてみせる。


 輦輿を囲うように男達が立っている。数にして五名。男達は皆、立烏帽子に、(かり)(ぎぬ)(さし)(ぬき)を纏った神主然とした格好をしていた。あの輦輿をここまで担いできた(にん)()であろう。そのうちの一人――蚕影天涯は(しゃく)(じょう)を抱くように持っている。背後から忍び寄る龍臣に気付いた者はない。


 龍臣が四方の気配を探れば、桑木の影に黒装束の者達が点在して息を潜めている。先行していた密偵班の面子である。龍臣は、開いた目が光を反射しないように目を細めながら、傍らに隠れていたひとりへ近付く。見れば、裏辻に異常を報告しにきた女であった。


「おい。()(はず)はどうなっている」

「急に声を掛けないでください。驚きましたよ」

「それは悪かった。それで、手順はどうなっている」

「祟り神の相手はあなたに任せます。私達は他の者達を始末します」

「合図はあるのか」

「ありませんし、必要ありません。強いて言うならあなたが動き出したときです」

「承知した。金色姫が来るまで、ここで待たせてもらうぞ」

「それは構いませんが、よろしいですか」

「どうした」

「蚕影嘉多子はどうされました」

「どうもしていない。下宿屋で待たせている」

「やはり、あなたは甘い」

「目的にそぐわぬ殺人はしないようにしているだけだ。――む?」


 天涯が錫杖を地に打ち付けた。(おごそ)かな音が()(だま)する。

 他の者達も、祝詞(のりと)とも経ともつかぬ(ことば)を唱える。


 そのとき、きぃ――という音がした。木の(きし)む音である。重厚な雰囲気にはそぐわぬ軽い音であった。何事かと龍臣が目を凝らせば、社の扉が開いていた。暗い社から生白い腕が伸びていた。細い女の腕であった。一本目が掌で地面の感触を確かめると、次いでもう一本の腕が生え出す。そして顔が出て来た。能面の如し貌であった。


 神主達が祝詞と錫杖で歓迎する中、とうとう祟り神が這い出てきた。

 輦輿に男達、そして繭に篭もった姫子を見下ろす。

 女が笑った。舌舐めずりをする。穢らわしい表情であった。


 龍臣は飛び出す。音もなく疾駆すると、輦輿を跳び越え、着地と同時に女の手首を切り落とす。切り離された肉塊はたちまち白い蚕蛾に変化する。龍臣は返す刀で女の首を狙うが、間一髪のところを避けられる。女は驚愕するが、それよりも騒然としたのは神主達であった。


「龍臣君。なぜ、君がここに。ここは神域だぞ。神事の真っ最中だぞ。今すぐにでも――」


 狼狽えた天涯の声はそこで途切れた。背後には裏辻が立っていて――その裏辻が背後から軍刀を突き立てたらしい。天涯は口から血を吐いて、崩れ落ちるように死んでいった。

 天涯だけではない。他の男達も密偵班によって次々と斬殺されていく。残ったのは、金色姫だけである。

 篝に突っ込まれた薪の一本が爆ぜた。


「龍臣殿。神殺しの剣技、今ここで発揮していただこう」


 軍刀に付着した血を外套で拭いながら裏辻は言った。酷く落ち着き払った声であった。殺人に何の忌避も抱いていない様子である。


「そこで見ていろ。すぐに終わらせる」


 地に落ちた蚕蛾達を踏み躙りながら龍臣は答える。それを挑発と受け取ったであろう金色姫は人外の脚力で天高く跳躍すると、龍臣めがけて真っ直ぐ襲い掛かるが。


 ――遅い。


 最初は袈裟に斬った。胸部が両断して、真っ白な骨と肉が露出した。二の太刀は水平に薙ぎ払い、首を斬った。


 (しっ)(こく)の御髪、(しん)()の口唇、(げっ)(ぱく)の皮膚をもった金色姫の首級(しるし)(まり)の如くその場で一回転するが、地に落ちる前に。蚕蛾に変化する前に、龍臣の左手が金色姫の髪を引っ掴む。


 龍臣は女の首を篝に焼べた。髪が焦げる臭いがした。女の顔がみるみるうちに崩れていく。


「見事。あとはこいつをどうにかするだけだな」


 白刃を手にしたままの裏辻が輦輿に近付く。

 納刀しようとした龍臣の動きが止まる。


「待て。裏辻殿。その繭をどうするつもりだ」

「決まってんだろ。ぶった斬るんだよ。それ以外にあるかよ」

「なぜだ。怪異は――金色姫はたった今成敗した。この事件はそれで終いだ」

「そうはいくかよ。上から蚕影の血は絶やせと言われているのを忘れたのか。この中には姫子嬢がいるらしいじゃねえか。いまここで殺さなきゃならん。ああ、そうだ。手前、嘉多子嬢はしっかり殺しただろうな」

「馬鹿を言うな。手を出せるわけがない。下宿屋に匿っているだけだ」

「けっ。やっぱりそうなるなるか」


 情けを掛けた俺が間違いだったよ畜生、と裏辻は独り言を呟く。


「あのな、一度しか言わないからよく聞けや。俺達は蚕影一族を撃滅せよと言われてんだよ。手前のそれは命令違反だ。大人しく黙って見ていろ。そうすりゃ課長には、手前が品行方正に、任務に励んでいたと伝えてやらあ」

「断じて断る。姫子に手を出すことは絶対に許さない。その必要はないはずだ」

「それを決めるのは現場の俺達じゃねえ。上の連中だ。もっと言ってやろうか。手前の好悪や正義を仕事に持ち込むのは金輪際止めときな。心を壊すぞ」

「忠告は有り難いが私は己を曲げられん。課長には私から直訴する。密偵班が大いに活躍してくれたことも併せて伝えよう。裏辻殿。その繭から、姫子から離れろ」

「分かっていたことだが平行線だな。どうする。俺は譲る気はこれっぽっちもねえぞ?」

「無論私もだ。こうなればひとつしかない。もとより貴殿と私は水と油だ。こうなる予感はしていたのだ」

「同感だな。――密偵班、傾注。全員でかかれ。殺しても構わん」


 裏辻が命じた途端、龍臣を囲んでいた密偵班の全員が武器を携えて龍臣に迫る。一人目は共に隠れた女であった。匕首(あいくち)を腰の高さに構えて突進するが龍臣は焦らない。武器だけを刀で弾き飛ばした後、真正面から蹴り飛ばせば、女はその場に尻餅をついた。二人目、三人目も大差はない。振りかぶられた軍刀を叩き折ることで無力化に成功する。


 最後の相手は裏辻であった。軍刀と軍刀が幾度もぶつかり合い、文字通り(しのぎ)を削る接戦となったが、それも長くは続かなかった。


 銃声がした。パン――という乾いた音であった。それが裏辻の構えた拳銃から発せられたと分かった時には、右膝に火箸を押しつけられたかのような痛みが走った。堪らず龍臣が膝をつけば、顎に衝撃が走り、脳を揺さ振られた。龍臣は吹き飛ばされる。


 ――不覚。早く起きろ。起きなければ、姫子が。


 軍刀を握り直した龍臣が跳ね起きたときには、輦輿に近付いた裏辻が刀を振りかぶっていた。

 無情にも刀は振り落とされる。

 四方の支柱ごと、繭は両断された。白い液体が周囲に飛散する。


「半端な正義感を持つからこうなるんだ。全員撤収するぞ」

「お待ちください。蚕影嘉多子、蚕影白菊、両名の死亡確認がまだです」 


 密偵班の女が言った。裏辻は逡巡の後、放っておけ、と言った。


「よろしいのですか」

「これ以上、奴に追い打ちをかけることもあるまい」

「しかし命令違反では?」

「奴は俺達を殺さなかった。その借りを返すだけだ。何、心配すんな。責任は俺が取る」


 裏辻が言えば、女は不承不承と頷いた。


「龍臣殿。俺達は一足先に帝都に戻る。もう二度と会うこともないだろうが、達者でな」

「裏辻殿。私は貴殿を許せそうにない」

「だったらどうする。仲間同士、今度こそ本気で殺し合うか?」


 龍臣は立ち上がろうとするが、脚が動かずに立ち上がることがどうしてもできない。


「いいんだよ、それで。存分に恨むといいさ。恨みを引き受けるのも密偵の仕事だ。あばよ」


 そう言うと、裏辻は一度も後ろを顧みることもなく、夜の闇に消えていった。

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