表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

5-1.姉妹を生かすか否か

 龍臣が蚕影の館を去ったのは昼を過ぎてからであった。その頃には制服の修繕も終わり、龍臣自身の体力も(おおむ)ね回復していた。怪我の治りが早いとは我ながら便利な肉体であると龍臣は思う。跳ぶも走るも可能であった。


 ――今夜だ。今夜に全てが終わる。


 館を出る際、嘉多子に(こと)(づて)を任せていた。天涯に動きがあれば下宿屋まで来るようにと。

 その下宿屋に龍臣が入れば、いるのは老婆だけで裏辻の姿はなかった。報告や雑務で出払っているのだと了解した龍臣は老婆に手数料を払い、部屋に上がり込んで時間を潰すことにする。


 煙草の『Peace』に火を灯し、紫煙を(くゆ)らせながら龍臣は意識するでもなく姫子を思う。

 身体的特徴を挙げれば、何てことはない。ただの先天性色素欠乏症である。白い髪に白い膚、薄紅の瞳。だが、あれには蟲の血が流れるというのである。事実、龍臣の前で糸を吐き出してみせたが。


 ――何が呪いだ。馬鹿馬鹿しい。


 煙草の灰を灰皿に落としながら龍臣は顔を顰める。確かに、普通の人間にはできぬことであろう。繭に篭もり、五度目の眠りに堕ちるのだってそうだ。その有り様はまさに蚕宛らであり、それゆえに儀式の贄となり、それ以前に抹殺の対象ともなるのだが、許せるわけがなかった。


 龍臣は気紛れに軍刀を引き抜き、刃を見詰める。磨かれてこそいるが、鍔元には赤錆が浮き上がり、先端から一尺にかけては()(こぼ)れが目立つ。人智を超えた神や妖を着るための道具であり、決して人を斬るための道具ではないつもりであった。手を穢したことがないとは言わないが、この刀で姫子を貫くくらいなら、命令違反の処分で銃殺された方がましとすら思えた。


 階下から跫音が聞こえ、龍臣は軍刀を鞘に収める。ドカドカという無粋な跫音は部屋の前で止まった。襖が開かれる。見れば部屋の主――裏辻であった。龍臣を認めれば、勝手に上がってんじゃねえよまったく、と言いながら龍臣の正面にドカリと座る。疲れた表情から察するに報告に際して一悶着あったようである。


「悪い報せだ。結論から言うぜ。手前の負傷を課長に伝えたら『蚕影の血を撃滅せよ』とのお達しがあった。分かるか、撃滅だ。要は根絶やしにしろってことだ」

「馬鹿な。なぜそのような話になる。たかだか負傷だぞ。それももう治った」

「真実は課長にしか分からねえよ。それか、姉妹について伏せていたため、俺達の目論見に気付いたのかもしれねえな」

「まさかとは思うが、裏辻殿が余計なことを吹き込んだのではないだろうな」

「心外だな。俺は、仲間を売る真似だけはしないと決めている。もっとも、命令に背かないという但し書きがついてしまうがな」

「すまない。気が動転してしまったようだ」


 龍臣が謝罪すれば、気にすんなよ俺だって気にしてねえから、と裏辻は軽く言った。


 裏辻は一枚の紙切れを卓袱台に乗せる。電報の記録用紙であった。手に取ってみれば、確かに『コカゲノチスジヲ」ゲキメツセヨ」』と書かれてある。


「それよりもどうするか――いや、どうしようもねえ。俺達の行動は決まっちまったな」

「どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。上の命令に逆らったって仕方ねえことくらい分かっているだろ」


 裏辻は懐から一本の紙巻きを取り出すと、断面を叩いて(なら)した後、銜えて着火する。黒焦げになった燐寸棒を灰皿に突き立てる。


「裏辻殿。それは姫子や嘉多子を手に掛けるということか」

「だからそう言ってんだろ。察しの悪い奴だな畜生」

「私は反対だ。なぜ必死に生きている姉妹を殺さねばならん。前にも言ったかもしれんが、あれは思想犯でも政治犯でもない。無辜の民だ。それを手に掛けるのは信義に悖る。その行為に正義はない」

「煩え奴だな。それは信義でも正義でもなくて、手前が姫子嬢に惚れているからだろうが」

「ああ、そうとも。私は確かに姫子を気にかけている。認めよう。だが尚のこと、このような意味の分からぬ命令には従うことはできぬ」

「手前の言い分は理解できねえこともねえ。だが、なあ」


 持て余したように裏辻は煙を吐いた。『朝日』特有の、癖のある香りが部屋を漂う。


「だが、何だというのだ」

「この通り、命令が下りているんだよ。手前も俺もコレを見ている以上、知りません存じませんは通用しねえだろうが。いいか、よく聞きやがれ。俺達は特高という組織で働いているんだ。内務省を総元締めとする法の番人なんだ。上が殺害しろと言った以上、命令は絶対に遵守しなきゃならん。俺達のような()()役人には自我なんて大それたもんは要らねえんだ。現場が命令を守らなきゃ部隊は壊滅だ。組織だって、あってないようなもんに成り下がっちまう」

「貴殿の言うことはもっともだ。返す言葉もない。だが、私にはその命令はどうしても飲み込めぬ。分かってくれ」

「まあ、手前の感情は分かるぜ。弱い者を殺したって胸糞悪いだけだ。けどよ、無視はできねえだろうが」

「何か知恵はないだろうか」

「あん? 知恵だあ」

「そうだ。この理不尽な命令をどうにかしてやり過ごせないものか。良い案はないだろうか」


 龍臣は短くなった煙草の灰を落とし、灰皿の縁で揉み消す。二本目に手を伸ばしかけて――止めた。喫煙をしようがしまいが、この不快な感情が消えないだろうと覚ったからである。


「手前も諦めの悪い男だな」

「できる限り、自分が納得できる仕事しかしたくないと決めているのだ。そのせいで課長にはいつも渋い顔をされてばかりだ。いつ服務規程違反で銃殺されるか分かったものではない。内心冷や冷やしてばかりだ」

「ふん。課長が俺達密偵班を手前についけた理由が何となく分かったぜ。だが都合の良い方法なんざねえ。諦めろ。やるしかねえんだ」

「断る、と言ったらどうなる」

「その場合は――二つだな。手前の代わりに俺達が駆り出されるだろう。姫子嬢と嘉多子嬢、それに天涯は勿論、女中も暗殺することになる。屍はそこの池に投げ捨てれば(こい)(ふな)が食ってくれるだろう」

「気分の悪くなる話だな」

「それだけじゃない。神の始末もせにゃならん。いや、これは手前の仕事になるのかね。いずれにせよ命令に背いた手前の仕置きは課長にやってもらうことになるだろう」

「そうなれば本当に私は殺されるだろうな。二つ目は何だ」

「今ここで手前を射殺して、特務課に応援を求めることだな。その場合、応援が来るまでは、俺達は大人しくしているぜ」

「結局私が死ぬことには変わりはないというわけか」

「だから言ってんだろうが。やるしかねえんだよ」


 龍臣は黙り込む。考えを巡らせるも現状を打破する名案は浮かばなかった。それどころか、いかように姫子を斬れば姫子を苦しめずに済むのかという、人斬りに慣れたもう一人の自分が考え出す始末であった。だが龍臣は諦めない。己と姉妹の生存という両立不可な問題を、(いち)()の望みをかけて思考を続ける。その姿勢に疑問を抱いたのが裏辻であった。


「理解できねえな。どうして手前はそこまで姫子嬢に肩入れする?」

「私が殺したくないのは姫子だけじゃない。嘉多子もだ」

「そんなことは分かってんだよ。いくら惚れたからって、命令より優先するほどのことじゃねえだろうが。手前だって特高の――しかも特務課の人間だろうが。今更殺人に怖気付いたわけじゃねえだろ?」

「言わなかったか。私は自分が納得できる任務しか受けないようにしているのだ。それに私が憎んでいるのは人間じゃない。人間に仇為す神や妖だ。進んで人間を斬ろうなどとは思わない。この命令は私の正義が許さない」

「正義か。久々に聞いたぜ。そんな青臭い言葉」

「青臭くとも結構だ。貴殿にはないのか。矜持や信念というものは」

「無いね。あったとしても忘れちまった」


 裏辻は即答する。


「俺の話なんかどうだっていいんだ。問題は手前が命令を呑むかどうかだ」

「呑むつもりはない」

「そうかい。それならそれでいいさ。俺だって鬼じゃない。無理強いはしねえ。手前の代わりに俺達が動いて蚕影一族を全員斬り捨てるだけだ。手前はあの金色姫とかいう神をやっつけてくれればそれでいい。課長には上手く報告しといてやるから心配すんな」

「止めてくれと言っても無駄なんだな」

「ああ、無駄だ。諦めろ」


 断言した裏辻も煙草の火を消す。灰皿には吸い殻ばかりが(うずたか)く積み重なり、それが幼虫の死骸に見えた龍臣は堪らずに視線を逸らす。


「やるかやらないかの話は一度置いておくとしてだ」


 裏辻が二本目の煙草を銜えながら言った。


「手前にあの祟り神が討てんのか? 昨夜は相当酷い目に遭ったようだが」

「討てるとも。否、討たねばならん」

「軍隊染みた根性論なんざ求めてねえよ。なぜそう言い切れる。根拠は何だ?」

「根拠はこの軍刀だ」

「へえ。特別な仕掛けでもあるのか?」

「その通りだ。清められた油が塗布された退魔の刃だ。ゆえに人を斬るには適さない。裏辻殿だって、私が奴の躰を両断するところを見ただろう」

「見たから聞いてんだよ。あの時は蚕蛾になって消えちまっただろうが。殺したと思ったら、実は生き延びてましたという結果は御免だぜ」

「そうはならない」

「なぜそう言い切れる?」

「今度は首を()ねるからだ」

「首?」

「そうだ首だ」


 龍臣は頷く。


「神だろうが人だろうが、首を斬れば死ぬものだ。そこに例外など存在しない」

「流石は腐っても特務課だな。神を殺すことに何の感慨も抱かないとは、おっかねえ」

「何を今更。神とは人間のために存在しているのだ。それを違えた荒魂を斬って捨てるなど造作もないことだ。そもそも、人間を殺すことに慣れ切った裏辻殿には言われたくないな」

「言いやがる。そんじゃあ、まあ、儀式とやらになったら金色姫の相手は手前に任せるぜ。俺達は他の連中を抑えておこう」

「他の連中とは」

「その胡散臭い儀式に参加するような奴等がいたら殺してやるさ。主催の天涯は言わずもがな、贄となる姫子嬢も同様だ。儀式の全容が分からん以上、大枠しか決められないのが辛いがな。手前は何か聞いていないか?」

「細かいことは私にも分からん。夜に執行されること、姫子が贄にされることだけだ。何か動きがあれば、嘉多子にここまで報せに来るように頼んではいる」

「手際が良いじゃねえか。こりゃわざわざ見張りをつけるまでもなかったかな」

「見張りだと」

「俺の配下を、天涯と蚕影神社につけているんだ。何かあれば報せるように任せている。それはそうと、嘉多子嬢がここまで来るなら話は早いな。どうする? 俺達がやるか。それとも手前がやるか」

「話は戻ってしまうというわけか。言ったはずだ。私は絶対にやらん」

「そうかよ。なら死ぬか?」


 裏辻は手にした拳銃を龍臣に向けていた。安全装置は外されている。取り回しに優れた小型拳銃である。銃口よりもどす黒い瞳が龍臣を捉えていた。()(かつ)なことを言えば裏辻は躊躇なく引鉄を絞るであろう。そう察せられるほど冷たい眼であった。しかし龍臣は怯まない。


「今私が死ねば、誰が神を殺すのだ。困るのは裏辻殿の方だろう」

「その軍刀さえあれば良いんだろ。手前である必要性はどこにもねえ」

「貴殿にこの刀を使いこなせるとは思えんな」

「俺達を舐めんじゃねえ。剣術に秀でた奴ならごまんといるんだ。そも、手前の代わりに応援を呼ぶつもりだ。特務課の連中なら扱えるだろ。自分だけが特別だと思い込むのはガキのすることだぜ」

「なるほど。確かに増援組ならそれだけの技量はあるだろうが、果たして素直に協力してくれるものかな」

「あん? そりゃどういう意味だ」

「如何なる理由があれど貴殿は私を殺すのだ。特務課の教えに、仲間の仇は絶対に取れというものがある。貴殿が引鉄を引いた瞬間、特務課の人間は貴殿の敵だ。協働など夢のまた夢だ」

「それなら俺は特務課など頼らん。密偵班だけで全てを片付けてやるよ。手前は不慮の事故で死んだことにして処理させてもらうぜ」


 それならば万事解決だ、と裏辻が口許を歪めれば、そうとも限らんぞ、と龍臣も笑う。


「課長が私の死を見過ごすと思うか。私と貴殿が伏せていた姉妹の秘密をいとも容易に見抜いたあの課長だぞ。あの人でなしは、私が任務で死ぬなどと全く考えていないのだ。貴殿に以後何らかの圧が課せられないとも限らんぞ。報復部隊だって動くことだろう。どうだ。これでも貴殿は私を撃てるか」


 龍臣と裏辻は(しば)し睨み合い、舌打ちの後、裏辻は拳銃を静かに下ろした。


「今は撃たないでやるよ。しかし、俺はそんなに難しいことを言っているのかね。何も、惨たらしく殺せと言っているわけじゃない。麻縄一本ありゃ事足りる。何なら俺の暗殺道具でも貸してやろうか。ドイツから輸入した特製の薬がある。苦しまずに逝けるぜ?」

「手段の問題ではない。私には、恩義ある娘達を斬れぬと言っているだけだ。私の方こそ無理を言っているつもりはないのだがな」

「普通の感性ならそれでいいさ。人間、やはりそうではなくてはならねえ。だが忘れるな。俺達は特高だ。俺はしがない密偵で、手前は兵隊上がりの特務課だ。細かな規則は違うんだろうが上の命令には服従だ。こればかりは変わりがねえだろ」

「それは、そうだな。違いない」

「俺だって殺さずに済むならその方がいい。面倒や危殆を敢えて抱えることはない。だがそうは問屋が卸さない。問題はこいつだ」


 裏辻は電報の用紙を二度指先で叩いた。


「標的の抹殺命令がこの通り出ちまっているんだよ。知らぬ存ぜぬは通用しねえ。手前もいい加減腹を括れ。手前だけだぞ文句を垂れてんのは」

「貴殿はそれでいいのか。良心は痛まないのか。人間性は持ち合わせてはいないのか」

「ああ無いね。良心なんか疾うの昔に捨てちまった」


 面白くなさそうに裏辻は答える。


「ここにいるのは心を喪くしたただの密偵だ。命令に(だく)々(だく)と従うだけの人間だ。それが良いか悪いかを考えるのは無駄だ。諦めろよいい加減」


 裏辻は諭しにかかるが、龍臣にはどうしても頷くことができなかった。


 己が生命と姉妹の生命を天秤にかけるも――均衡を保ち、右にも左にも動かない。さりとて、他の方法は浮かばない。


 龍臣が己の不出来を呪っているうちに夜が訪れた。窓はいつの間にか閉められ、天井から吊された裸電球が生温い光を放っていた。部屋の壁にへばりついた()(とう)()が二三度翅を動かしたかと思えば、ポトリと床に落ちた。起き上がろうと手脚を必死に動かして藻掻いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ