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4-1.負傷

 龍臣が意識を取り戻したのは蚕影の館、己に割り当てられた客間の寝台であった。

 慌てて上半身を起こそうとすれば全身に痛みが走り、側にいた何者かにやんわりと押し留められる。嘉多子であった。龍臣を心配そうに見詰めている。だが龍臣は無視して起き上がる。優先すべきは現状確認であった。


「嘉多子君。ここは。どうして私はここに」


 龍臣は自分の声が酷く(しわが)れていることに気付く。咽頭と肺に土埃が入った感覚がして乾いた咳が出た。しばらく噎せていれば気を遣ったであろう嘉多子が背中を撫で付けてくれる。温かい掌であった。そこで龍臣は自身が隊服のままでいることを認識する。軍刀は机の横に立て掛けてあった。


「お兄さまは昨日夜になってもお帰りにならなかったのです。今朝、上田堤の畔に倒れていたところを裏辻さんという方が見付けて、ここまで運んでくださったんですよ」

「ということは今日は五月五日か」


 平日じゃないか学校は良いのかね、と龍臣が言えば、そんなものはどうでもいいんです、と(ふん)(がい)した嘉多子は言い返す。その剣幕に龍臣は発言を封じられてしまう。


「お兄さま。申し訳ありません」


 沈黙を破ったのは嘉多子であった。

 だが龍臣には謝罪される謂われが分からない。


「どうして君が謝るのだ。むしろ手間を掛けさせた私が謝るべきだろうに」


 ゆえに尋ねれば。


「昨夜のうちにお兄さまを探しに行かなかったからですわ」


 と嘉多子が答える。目の周囲は泣き腫らしたように赤い。人情の機微に鈍感な龍臣ですら酷く心労を掛けたと察することのできる表情であった。


「夜は化物が出る時間だ。外出を控えたのは正解だったよ。事実、私はあの金色姫にやられたのだからな」

「嗚呼、やっぱり。私達だけじゃなくてお兄さままで狙うなんて」

「どうか落ち着いてくれ。私はこの通り平気だ」

「平気なわけないでしょう。酷い怪我をされていたんですよ」

「酷い怪我だと」


 身に覚えのない龍臣が聞けば、もしかして覚えていらっしゃらないのですか、と嘉多子は間合いを詰める。


 龍臣が己に掛けられている毛布を払い退ければ、下半身の損傷は酷く、あちこちが裂け、土と血に塗れている。特に右膝周りの損傷が酷く、膝小僧は露出しているし、刃物で強引につけたような生傷だらけであった。それでも一応の手当は済んでいるらしく、大きな裂傷には綿布と包帯が巻かれ、消毒液の匂いがした。これならば化膿や破傷風の心配はないだろうと龍臣は安堵する。足首も膝も可動域には問題はない。腱や関節は無事である。然程の痛みも感じないことから骨折もしていないようである。


「嘉多子君。そう心配しないでくれ。昨日は不覚をとってしまったが、この程度など怪我のうちにも入らぬ。それよりも治療をしてくれてありがとう。助かったよ」

「怪我の手当ては白菊さんがしてくれました。私は狼狽えるだけで何もできませんでした」


 気落ちしたように嘉多子は言った。


「お兄さま。何か、何か私にできることはありませんか」

「何かと言われてもな」

「お願いします。でなければ、私は自分を許すことができません。姉さまだって――」


 嘉多子は言い淀む。その顔を昼前と思しき光が照らす。その丸い輪郭に龍臣は姫子の虚像を見た。だからこそ。


「姫子君が。彼女に何かあったのか」


 龍臣は聞いてしまう。その切羽詰まった態度に不審を抱いたのは嘉多子であった。困惑したように頷く。


「はい。お兄さまの怪我を、自分のせいだと思い詰めておりました」

「どういうことだ。私の負傷は、私の油断が招いた失態だ」

「姉さまは、そのように考えられませんでした。部屋に篭もって――」

「部屋に篭もって、どうしたというのだ」


 龍臣が催促すれば。


「繭を作っておりますわ」


 嘉多子は答えた。


「繭だと」

「そうです。繭です」


 龍臣は、蚕影神社の前で、姫子が絹糸を吐き出したことを思い出す、


 ――私はじきに、蚕達と同じように糸を吐いて繭を作り、その中で蛹になります――。

 ――そうして眠っているうちに夜になって私は食い殺されるでしょう――。


 龍臣の描いた姫子は笑った。太陽光によって溶けていく初雪の如し淡い微笑みであった。


 堪らずに龍臣は寝台から立ち上がる。一歩目を踏み出した途端、右脚が自重に耐えきれずに崩れ落ちてしまった。あまりの激痛に全身から脂汗が滲み出す。


「お兄さまっ」


 嘉多子が声を上げて近寄るが、龍臣は掌でそれを制する。


「失敬、足が思うように動かなくてな。そこの軍刀を取ってくれないか」


 杖の代わりになるだろう、と龍臣が痛みを堪えながら言ったとき、客間の扉が開かれる。

 顔を上げれば裏辻と白菊が入ってきたところであった。


「裏辻殿、どうしてここに」

「いや、なに。茶を馳走になっていたら、何やら大きな音がしたものだから心配になって飛んできたんだ。そもそもあんたをこの家まで運んできたのも俺だぜ。おら、立てるか。怪我人は寝台にいるものだぜこの間抜けが」


 憎まれ口を叩いた裏辻は龍臣に手を差し出す。だが龍臣はそれを無視して、嘉多子から受け取った軍刀を頼りに立ち上がる。


「気遣い感謝する。だが心配無用だ、立てる」

「無茶するな。というか恩賜の軍刀を杖代わりにするなよ」

「恩賜だろうが関係ない。これくらい平気だ。退()いてくれ」

「嘘吐け。どう見たって痩せ我慢じゃねえか。どこに行く気だ」

「姫子君の元に。たとえ、躰がそういうふうにできているからとはいえども、儀式など必要ないことを。金色姫など私が差し違えてでも退治してみせると伝えなければならん」

「差し違えてでも、は余計じゃねえのかね」

「揚げ足を取らないでくれ。裏辻殿。救援感謝する。だが今は喫緊の事態なのだ」

「そうには見えねえけどな。とりあえず頭を冷やして座りやがれ」

「嘉多子君。姫子君の部屋まで案内してもらえるか。私には場所が分からん」


 二人の応酬を見遣っていた嘉多子は、すぐには答えなかった。

 長い長い沈黙を経た後。


「お兄さまは、姉さまのことが大切なのですね――」


 と言った。消え入りそうな声であった。


 その発言を聞いて、龍臣は理由こそ分からぬが、責められているのだと思った。姫子によく似た嘉多子の寂しげな顔を見て、全身の熱がどこかへ消えていくのを感じ取った。


「お兄さま。姉さまには、私の方からしっかりと伝えておきますから、どうか今だけはご自愛くださいませ。白菊さん、行きましょう」


 嘉多子は龍臣を強引に寝台へ押し戻す。元より抵抗の気概が削がれてしまった龍臣は尻餅を突くように座り込む。嘉多子は右膝に巻かれた包帯が血を吸って赤黒くなっているのを気にする素振りを見せたが、結局何も言わぬまま部屋を出て行った。白菊もこの場に残るか嘉多子を追うか迷ったが嘉多子を放置できなかったらしく、失礼します、と言って退室していった。

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