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3-3.慕情と嘆願

 夕刻、下宿屋、裏辻の部屋。

 卓袱台を挟んで、黒衣に身を包んだ二人の男が向き合っている。


「呼び出して悪かったな。本当は俺から出向くのが筋なんだろうが、流石に標的の館を堂々と訪うわけにもいかなくてな。都合よく荷物を取りに来た女中に言伝を任せたというわけだ」


裏辻は卓袱台の上にザラ紙の記入用紙と鉛筆を置く。丁寧に研がれた黒鉛が窓から差し込む日差しを受けて刃物のように光った。


「早速報告を聞かせてくれ。急ぎの内容があれば俺の方から課長に電報を送ってやる」


 鉛筆を握った裏辻は用紙にサラサラと本日の日付を速記する。だが龍臣は何も言わない。目を閉じて大きく息を吐き出す。怪訝に思ったのは裏辻であった。


「うん? どうしたよ。何か言いにくいことでもあったかよ」

「ああ。何から言ったら良いものかを迷っていた」


 龍臣は瞳を開ける。思案していたのは、何をどう話せば伝わりやすいかなどではなく、話すか否かであった。即ち姫子と嘉多子に蟲の血が流れていること。姫子が本当に糸を吐き、繭を作って蛹になった時に、金色姫にその身を捧げる儀式が執行されること。その日は間近に迫っていること。金色姫が荒魂へと変貌した蚕たちの集合意識であること。儀式でしか鎮めることができないこと。かつて姫子の母も贄として犠牲になったこと。姫子は既に覚悟を決めてしまったこと。全てが終わった後に嘉多子の処遇を託されてしまったこと――。


 姫子と嘉多子が真に蟲の特徴を持つこと――即ち遺伝であることを――素直に述べれば、上役である実篤は金色姫もろともに姉妹を殺せと命令を下すことであろう。どうすれば二人を護ることができるのか、目を逸らすことができるのかと考えて、龍臣は自身が命令に背かんとしていることを自覚する。特高にあるまじき態度であり、己を律するべきと思い口を開くも、思い出すのは別れ際に見せた姫子の寂しげな微笑みであり、どうしても言葉が出てこなかった。今の今まで感じたことのない理性と本能の(かい)()であった。


 龍臣の異変を察知して心配したのは裏辻であった。後ろを向くなり、自身の大きな旅行鞄をたぐり寄せると、その中から透明な清酒が詰め込まれた一升瓶と二つの御猪口を取り出して卓袱台に並べる。御猪口は黒く艶がない。地元で製造される南部鉄器であろうと龍臣は冷静に分析する。


「裏辻殿。なんのつもりだ」

「いや、なに。喋り悪そうにしているものだから、酒でも入れりゃ少しは口を軽くなるだろうと思ってな。本当は自分の為に買った特別モノなんだが――まあ許してやらあ。銭だってまだ余っている。経世済民、金は天下の回りものだ。使ってやらなきゃもったいねえよな」


 裏辻は一升瓶を開封して二つの御猪口に、器用に酒を注いでみせる。たった今開封したことから察するに毒物の混入はないだろう。


「龍臣殿はいけるクチかい?」

「気遣い感謝する。しかしながら飲んでも酔えぬ体質でな。自白剤の変わりにはなるまい」

「面白い。ザルを通り越して(うわばみ)ってわけかい。それで一体何を悩んでいたんだ?」

「話すべきことと、そうでないことを整理していただけだ」


 答えながら龍臣は御猪口を手に取る。鼻を近付ければ、米の華やかな香りがする。そこに薬品の臭いはない。やはり毒の類は混ぜていないようである。


「乾杯」


 龍臣が御猪口を掲げれば、裏辻もそれに合わせる。ゴチ、と鉄器と鉄器がぶつかり合う鈍い音がした。互いに唇を湿らせる程度に留める。


「佳い酒だろう。(さかな)がないのはちと残念だが報告にはもってこいの品とは思わんか」

「その通りだ。だがもう少し待ってくれ。情報があまりにも多過ぎる。整理しきれんのだ」

「頑張っているところ悪いけどよ、報告すべきかどうかを決めるのはあんたじゃねえぞ」


 右手に鉛筆を握って速記の体勢を作った裏辻は苦言を呈する。


「だとしたら何だ。裏辻殿が決定権を持つとでも言いたいのか」

「まさか。俺の本職は密偵だ。要請があれば拷問でも暗殺でもやるが――俺のことなんかいいんだよ。情報をそのまま流すのが俺の仕事だ。取捨選択して決定するのは我等が課長だ。察するに、あんた、蚕影一族を庇おうとしているな。握った情報を吐くかどうか迷っているな?」


 数瞬、互いに閉口する。

 龍臣は無意識のうちに裏辻を斬殺する映像を思い描くが、(かぶり)を振り、その妄想を振り払う。

 御猪口の酒を飲み干し酒精(アルコール)の匂いに集中すれば姫子の柔らかな影は霧消した。


「降参だ。裏辻殿、なぜ分かった。もしや表情に出ていたのか」

「まあ、そんなところだ。これでも俺は特高に入って長いんだよ。それにあんたのような堅物が黙りこくるのは義理か人情と相場が決まっているんだ。それか惚れた腫れたかだ」

「惚れただと。私が、惚れているだと」


 己のような人間が誰かを好きになるなどあって良いものかと龍臣は頭を抱える。驚きを隠すことができなかった。だが裏辻の発言が腑に落ちたのも事実であった。


「なんだよそんな顔をして。手前自身のことだろうに」

「いや失敬。まさか己がこのような浮ついた感情を抱くなど全くもって意想外であったのだ。そうか。これが人を愛するという感覚か。だから私は義理立てをして黙ろうとしていたのか」

「ひとりで盛り上がっているところ悪いんだけどよ。話を戻してもいいか?」


 流石にこりゃ書くに書けねえな、と呆れたように裏辻は言った。


「それで誰なんだよ。聞かせろよ」

「誰とは」

「あんたの心を盗んだ娘だよ。姉か、妹か、それとも女中か?」

「姉の方だ。姫子という先天性色素欠乏症の娘だ」

「ああ、(しら)()(しょう)の方か。女学校にも行かずに家に篭もりっきりだから資料作りには大層難儀したぞ。それで、あんたは姫子嬢の何を危惧しているんだ?」


 鉛筆を握り直した裏辻が問う。口調こそ軽薄であったが目付きは責問官に特有の禽獣(けだもの)じみた光を宿していた。ここまで語って黙秘はできそうになかった。何より特高で培った龍臣の歪な正義に抵触する行為であった。


「姫子と嘉多子には呪われた血が流れている」


 ゆえに龍臣は正直に述べる。


「ほう。呪われた血ってのは何だ?」

「あの姉妹には蟲と同じ特徴があるのだ。糸を吐き、繭を作り、蛹になり――そうして閉じこもったところを人身御供にされるのだ。儀式と称して異界の神が蚕影神社に降りてくるのだ。事実、姫子は私の前で糸を吐き出してみせた。彼女曰く、天涯殿が出張から帰る日の夜に、その儀式とやらが執行されるのだ」

「あー。待て待て。最初から飛ばしすぎだ。順序立てて喋ってくれや」

「申し訳ない。では、私が初日から如何に行動したのかを述べていく。それでいいだろうか」

「そうしてくれると助かる」


 龍臣は、時系列と、主客を交えないように意識しながら体験した出来事を語っていく。先刻まで脳内で整理していたこともあり説明には然程苦労しなかった。


「――以上が、私が蚕影の館で見聞きした全てだ」

「なるほど、なるほど。よく分かったぜ。質問いいか?」


 御猪口を呷った裏辻は、鞄から新たな記入用紙を取り出す。用紙の交換はこれで三度目であった。表にも裏にも殴り書き似た点と線が敷き詰められているが速記術を修めたことのない龍臣には何が描いてあるのかは分からない。


「なぜ最初に喋るのを躊躇(ためら)った。あまりの荒唐無稽に俺が信じないとでも思ったのかよ」

「いや、そうではない。課長に命令されていたのだ」

「おん? 命令とな」

「姫子と嘉多子を苦しめる呪いが遺伝的要因として実在するものなら斬り捨てよと。くれぐれも情で刃を鈍らせるなと出立前に釘を刺されていたのだ。裏辻殿が姉妹の件を課長に伝えたならば間違いなく殺せと命令が下るだろう。私はそれを恐れていた」

「ハハァ。そういうことかよ。俺の報告ひとつで姉妹の生死が決まるというわけか。文字通りの死活問題ってわけかよ」

「裏辻殿。頼みがある」


 龍臣は帽子を取り、染みばかりの畳に両手を突き、頭を下げる。その態度に困惑したのは裏辻であった。


「おい急にどうしたよ。男がそう簡単に安くねえ頭を下げんじゃねえよ」

「私は今まで、数多の怪異供を狩ってきた。その道が正しいと信じて疑いもしなかった。だが人殺しとなると話は別だ。しかも相手は政治犯でも思想犯でもない。ただの女子供だ。私には姫子と嘉多子を斬ることができない。だから頼む、裏辻殿。便宜を取り計らってくれないか」

「一応聞いてやるぜ。何だよ便宜ってのは?」

「此度の報告、姫子と嘉多子に関する詳細を伏せてほしいのだ。二人は、ただの哀れな生贄だと課長には伝えてほしいのだ」

「手前、俺に嘘の報告をしろというのか」

「嘘ではない。黙っていてほしいのだ」

「同じことじゃねえか」

「頼む裏辻殿。私には貴殿しか頼れる者がいない」


 龍臣は姉妹の生命を嘆願しつつも、そのような己を意外に感じていた。先刻は正義感に身を貫かれ洗いざらい白状したかと思えば、現在は薄汚れた畳に額を擦りつけている。


 ――嗚呼、そうか。己は、己が思う以上に姫子を好いているのだ。


 そこまでを考えれば自身の行動が意外でも何でもなくなっていた。むしろ誉れ在る人間らしい行動とさえ思えてくるのだから不思議なものである。初めて人を好いたがゆえの新鮮な驚きであった。


「龍臣殿。いつまで頭を下げているつもりだ」

「貴殿が頷いてくれるまでだ」

「いい加減にしやがれ。話ができないだろうが。立場や実績がある奴はみだりに頭を下げないもんだろうが」


 裏辻に(さと)され龍臣は渋々頭を上げる。

 頭蓋に上っていた血が下がっていったのか、はたまた酒精の効果か、心臓が火が灯ったかのように熱を宿していた。初めて体感する現象に龍臣は戸惑うが決して不快ではなかった。


 両者は互いに睨み合う。

 裏辻が根負けしたように視線を逸らし、ボリボリと自身の頭を掻いた。


「ふん。()()でも動くつもりはなさそうだな。分かったよ。その要求、呑んでやらあ」

「本当か」

「本当だ。男に二言はねえ。課長には上手く報告しといてやるよ。だが気を付けろ。俺にできることはあんたが言ったように事実を隠蔽することだけだ。嘘の報告をするわけじゃねえ。往々にして、そういう報告には違和感がどうしても残るというもんだ」


 紙巻きを銜えた裏辻は燧火で点火する。部屋の上方に向けて煙を吐き出した。突然の風に驚いたのか、裸電球にしがみついていた蝿が逃げ惑うように飛んでいった。


「違和感とは」

「この場合における達成目標は、上役の連中に、姫子嬢と嘉多子嬢は取るに足らぬ人間であり敢えて報告する必要がないと思わせることだ。そしてそのために、二人については極力語らないものとする。すると――どうなるかだ。この案件の軸なる中心人物は間違いなくその二人だ。嘉多子嬢はあんたを盛岡に呼び付けた訳だし、姫子嬢は化物に命を狙われた可哀想な令嬢だ。ここまでは良いな」

「ああ、続けてくれ」

「姫子嬢にしても嘉多子嬢にしても、何かしらの疑問は生まれて然るべきものだ。例えば――そうだな。なぜ姫子嬢が生贄に選ばれなくてはならなかったのか。嘉多子嬢にしても、あんたに出した手紙に蟲の呪いが云々なんて書いてあるものだから尚のこと具合が悪い。だからこそ課長だって、呪いが実在するかなんて、普通なら(へそ)で茶を沸かすようなことをあんたに調べろなんて言ったんだろ。良いか。内務省の上役連中は馬鹿じゃねえ。むしろ帝大を出た生え抜きの精鋭(エリート)だ。案件の中心人物である二人に関する情報が少ないことに――現場の俺達が黙っている件に――すぐ勘付くだろう。要するに時間稼ぎにしかならねえってことだ」

「時間稼ぎ、か」

「それならまだマシかもしれねえ。俺達現場の兵隊を見限った課長が、懲罰部隊を編成して金色姫ともども抹殺されかねん。いや、鬼殺しの実績がある手前は生かしてもらえるだろうが、いち密偵にしか過ぎねえ俺は文字通り切り捨てられるだろうな。どうだい。手前がいかに無謀なことを言っているのかを理解したか」


 あんたなんかと心中するなんざ御免蒙(こうむ)るぜまったく、と言った裏辻は美味そうに煙草を吸ってみせる。台詞とは裏腹に口の端を釣り上げて笑っていた。


「そうか。無理を言ってすまなかったな。気の迷いだ。忘れてくれ」

「おい待てよ。何ひとりで納得してやがる。先刻言っただろうが。男に二言はねえよ」

「いいのか。命がかかっているのだろう」

「命が惜しくて特高ができるかよ。それに先刻の話はあくまで最悪を想定した一例だ。考えてもみろよ。ここは帝都じゃねえ。遠く離れた田舎の地方都市だ。連絡手段だって限られる。情報伝達の失態や過不足くらいない方がおかしいってもんだ。まあ、いずれにせよだ。時間稼ぎにしかならないってことだけは頭に入れておけ。本当に姫子嬢を救いたいというなら正式な手段をもって課長に抗議することを勧めるぜ。――うん? どうした。他人様の顔を見て」

「いや、なに。裏辻殿はどうしてそこまでしてくれるのだと思ってな」


 龍臣が素直に聞けば、何だよそんなことか、と裏辻はまた笑った。


「よく言うだろ。他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえってな」

「恋路というほどのものではない。私が勝手に想ってしまっただけだ」

「それならそれで上等じゃねえか。任務だからといって、好きになった娘を(むし)(けら)のように殺すのは人間のやることじゃねえだろ。そうやって狂っていった連中が特高には(こと)の外多いんだ。俺なりの抵抗ってやつだから気にすんな」


 裏辻は長くなった煙草の灰を灰皿に落とす。龍臣には、その言葉が実体験を伴った(ざん)()のように聞こえたが根掘り葉掘り聞くのも悪いと思い――元より口下手な人間であり、慰めることもできぬだろうと思い――言及はしなかった。


 窓を見れば陽が沈むところであり、西の空は燃えるように光っていた。


「裏辻殿。私はそろそろ戻る。長く居座って悪かった」


 帽子を被り直した龍臣は立ち上がる。


「おうよ。夜は化物が(かっ)()する時間だ。せいぜい気を付けることだな」

「その時は刀の錆にするだけだ」


 下宿屋を出た龍臣は鋭い視線を感じて振り返る。見上げれば下宿屋二階の窓から煙草を銜えた裏辻が見下ろしている。制帽が庇となり、どんな表情をしているのかは分からなかった。

 龍臣に気付いた裏辻は片手を挙げた後、ガラガラと窓を閉めた。きっと速記した用紙を元に、報告書を仕上げる作業があるのかもしれない。


 ――私が姫子に惚れている、か。


 龍臣は裏辻との遣り取りを思い返す。悪い気分ではなかった。姫子の寂しげな、諦めの混じった表情を想起すれば、それだけで全身に活力が漲るのだから不思議なものであった。幸せそうな顔を見たい。贄という境遇から救ってやりたいとも思う。初めて他人を愛したがゆえの、使命感が混じった、清々(すがすが)しくもあり同時に欲深くもある、無垢なる純情であった。


 ――そのためには金色姫を討たねばならぬ。ならぬのだが。


 龍臣の足が止まった。

 初日、五月二日に金色姫と遭遇した場所であった。


 視線の先に女が立っていた。

 龍臣を認めた途端、憤怒の表情になる――。

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