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3-1.養蚕の間にて

 龍臣が姫子と出会ったのは盛岡への出張から二日後――五月四日のことであった。


 嘉多子を近場の女学校まで送り届けた後、蚕影の館に戻ると、龍臣は何をするわけでもなく宛がわれた自室の窓から桑林を眺めていた。(こう)々(こう)と照る太陽が桑の光沢ある葉を照らし、夏の訪れを感じさせる日のことであった。


 不意に、娘の後ろ姿が視界に映った。

 白菊でもなければ当然嘉多子でもない。


 白を基調とした和装に、(えん)()(いろ)の帯が特徴の少女であった。


 ――大方、あれが蚕影家長女、姫子なのだろう。


 龍臣は反射的に、窓帷(カーテン)に身を潜めながら姫子と(おぼ)しき娘を観察する。まず目を惹いたのは頭髪が真っ白であったことである。また膚の色も白い。袖から覗く小さな手には血管が透けて見える。カラン、コロン、と。履いている(ぞう)()が音を鳴らした――ような気がした。


 ――いいえ、姉さまは違いますわ――。


 嘉多子の台詞が蘇る。


 ――私と違って、御髪も膚も真っ白なんです――。

 ――だから姫子というんですわ――。


 しかし龍臣は何の感慨も抱かない。最初から呪いというものは人間の妄執にしか過ぎないと知っているためである。少なくとも嘉多子の言う蟲の呪いというものを信用していなかった。


 ――あれは先天性色素欠乏症だ。


 軍属時代、同郷の軍医から聞き(かじ)った情報を思い返す。

 ごく稀にいるのだ。遺伝子の悪戯であのように生まれ落ちる者が。


 治療は対症療法が主となる。色素(メラニン)が不足しているため、()()(がん)危殆(リスク)を抑えるために紫外線の遮断が求められる。また視覚にも弱視や(しゅう)(めい)などといった様々な障害が現れるため、眼鏡ないし色眼鏡(サングラス)といった矯正も必要となる。


 そこまで考えると自然と躰が()(かん)した。まだ年端もいかぬ少女達を手に掛けなくてはならぬかと思い、自分でも知らず知らずのうちに緊張していたのだ。

 特高しかも特務課に入って尚、己が手を穢すことに慣れ切っていない自分を発見して、龍臣はひとり赤面する。自分でも思う以上に、蚕影の姉妹に入れ込んでいたようである。要人暗殺が主任務である特務課の一員としては落第点な態度ではあったが、この調子ならば、あの祟り神を斬殺して帝都に帰るだけで良い。


 ――問題は予想される天涯の抵抗と、如何にして神を退けるかだが。


 龍臣は腕を組み考える。現状、情報不足であった。ならば贄として育てられたもう一人の娘である姫子と接触する他ないと決めてから、椅子に掛けた外套と制帽を身に着ける。


 客間を出て玄関に向かえば、白菊と鉢合わせる。白菊は、龍臣が下宿屋に置いてきた革の鞄を大事そうに()げていた。昨日天涯が言った通り回収してくれたらしい。


「坂ノ上様。ちょうど良いところに。お荷物を部屋まで運ぶ途中でした」

「手間を掛けさせてしまったな。貸してくれ。私が持つよ」

「いえ、御客人にそうさせるわけにはいきません」

「しかし女性に荷を持たせるわけには」

「軽いから、これくらいどうってことはありませんわ」


 出張ばかりの旦那様と違って荷物が少ないのですね、と感心したように白菊は言った。


 事実、龍臣の荷物は手提鞄ひとつだけであり、収められる中身も、報告書代わりの日誌一冊と国産の万年筆、煙草に燧火程度である。必要な物資は現地調達するつもりであったし、多くの荷を持っていたところで死ねばそれまでであることを身をもって知っているからであった。


「ああ、そういえば」


 二人で客間まで引き返す途中に白菊が声を上げた。


「裏辻さんとはどういう関係ですか?」

「奴は私の監視係のようなものだな。裏辻殿と会ったのか」

「はい。その際に言伝を頼まれました」

「そうか。奴は何と」

「本日の夕暮れ、下宿屋に顔を出してほしいと。その際に報告も、とだけ」

「分かった。この件、確かに承知した」


 龍臣が頷けば、半歩後ろに続く白菊は口を閉ざす。少々の(ちゅう)(ちょ)をみせてから。


「報告というのは、私達についてでしょうか?」


 と意を決したように尋ねる。

 龍臣がどう答えたものかと足を止めて振り向けば、白菊も龍臣を見詰めていた。


「まあ、そうだな。そういうことかもしれない」

「かもしれないだなんて曖昧な答え方ですこと」

「私達に関しては答えられないことの方が多いのだ、分かってくれ。しかし悪いようにはしないつもりだ」

「本当ですか」

「本当だ。昨日も言った通り私が憎むのは人間ではない。神の方だ。君の言いつけに従い、早まった真似もしない。信じてはくれないか」


 龍臣が下手に出れば、白菊はそれを無視して歩き出す。

 今度は龍臣が白菊を追う形となる。


「どうしますか。旦那様が説得に応じず、金色姫に縋るような人物であったとしたら。姫子さんや嘉多子さんを生贄に差し出そうとするような人物であったとしたら」


 直角の廊下を曲がったとき、白菊は聞いた。口調こそ質問の(てい)を為してはいたが、龍臣には事実の追認のように聞こえた。だからこそ龍臣はその問いを黙殺した。無言こそが何よりの答えであった。だが白菊は口を閉ざさなかった。


「旦那様は筋金入りです。あの人は骨の髄まで金色姫の信奉者です。今だって遠くの農村にまで足を運んで蚕の効率的な育て方を説いて回ってはおりますが、きっと本心では、坂ノ上様が金色姫を退けたことを――金色姫がお怒りではないかを――気にしておられるでしょう。姫子さんを捧げてしまいたいのだと願っておいででしょう。そうすれば万事丸く収まるのだと信じておいでなのです」


 そうまで語ったとき、白菊は足を止めて、鞄を龍臣に差し出す。

 いつのまにか客間に着いていた。龍臣が鞄を机の上に置き廊下に戻れば、白菊は扉の前で待っていた。監視されているような気がしたが、白菊の立場を思えば当然であろう。


「坂ノ上様は先程廊下におられましたが、どこかへ向かわれる途中だったのですか?」

「ああ。部屋の窓から姫子君らしき人物が見えたものだからね。同じ館に住む者として挨拶しよう外に出るところだったのだ。昨日の夕食にも、今日の朝食にも会えず終いだったからな」


 そこに偶然君と会ったわけだよ、と龍臣は正直に述べる。


「窓から。ということは、姫子さんは桑畑にいらっしゃったのですか」

「白い髪に白い和装のお嬢さんだろう」

「そう――ですね」


 白菊は曖昧に頷いた後。


「坂ノ上様は、姫子さんの容姿について何も思わないのですか」


 と尋ねた。だが龍臣には質問の意図が掴めない。


「何も、とは」

「だって、不気味な見た目をしているでしょう。私はちっともそうは思いませんが。蚕のように真っ白な外見をしているせいで尋常小学校にも通えず、侍女の私には到底考えつかぬ苦労があったことでしょう。近頃は食事も摂らず、部屋に篭もってばかりとなりました」


 ですから今日のように外出するなど珍しいことなのです、と白菊は言った。その横顔は家族を心配する姉宛らであり、龍臣はこの冷たい侍女にも、縁者を思い遣る情緒があったことに多少の驚きを覚えた。


「白菊さん。私は、姫子君のことを不気味とは全く思わない」

「どうしてですか。口ではどうとでも言えるでしょう」

「そう邪険にしないでくれ。知っているからだよ」

「知っている。何をですか?」

「姫子君の特徴が、ただの――と言ってはあんまりにもあんまりな話だが――遺伝性の疾患なのだ。分かりやすく言おう。あんなものは蟲の呪いでも何でもない。ごく稀に産まれてしまうのだ。人間だけに限った話ではない。兎も鼠も、蛇でも(なまず)でも、そういう例は普通にあるのだ。これは医学的な話なのだよ」

「医学的――」


 目を瞬かせながら白菊は(はん)(すう)する。


「もっとも、だからといって先天性色素欠乏症に対する奇異や偏見、差別がなくなるわけではない。日本は狭い島国だからな。だが、そう言っては何も始まらない。身近にいる私達が正しい理解をもって接すれば良いだけなのだと私は思う」


 龍臣の持論に、白菊はしばらく黙っていた。その時間があまりにも長いものだから、失言であったかと。()(ざま)の人間が口を差し挟んで良い問題ではなかったかと龍臣が後悔したとき。


「だとすれば、姫子さんという名前は何て残酷なことでしょうか――」


 白菊は呟くように言った。事実、その呟きは誰に向けたものでもなかったのであろうが、龍臣はその懺悔を、その嘆きを確かに聞き取った。


「名前がどうしたのだね」

「姫子さんだけではありません。嘉多子さんだってそうです」

「白菊さん。二人がどうしたというのだ」

「姫子さんにしても嘉多子さんにしても、蚕の幼虫が名前の由来なんですわ」


 蚕の幼虫が名前の由来?


 龍臣には白菊の動揺が理解できない。


「すまないが何のことだか分からない。分かるように説明してくれないか」

「私と共に来てください。百聞は一見にしかずと申します」


 そう言ったかと思うと、白菊は龍臣を無視して廊下を進み出す。仕方なしに龍臣が続けば、案内されたのは風通しと日当たりの良い居室であった。窓からは太陽光が(さん)々(さん)と降り注ぎ、十畳ばかりの、板張りの空間を照らしている。


 真っ先に目を惹いたのは、天井から吊された木製の連なる格子――(かい)(てん)(まぶし)であった。枠のひとつひとつには三寸ばかりの、蚕の幼虫が居座り、絹糸を吐き出して繭を作っている個体すらあった。


 白菊は蔟から落ちた一匹の幼虫を素手で掴むと陽にかざした。嬰児(みどりご)の指にも似た、丸々と肥えた幼虫の躰は(あめ)(いろ)に透き通り、養蚕というものを()らぬ龍臣には、神秘的でありながらも、どこまでも日常生活に根付いた通俗的なものという感動を抱かせた。


「この子は(ズウ)になっているわ。迷い()になる前に戻さないと」


 白菊は幼虫を木枠のひとつに戻す。幼虫は重力に逆らうように頭を(もた)げると、左右に振って力むような姿勢を取る。回転蔟が僅かに傾くが、すぐに均衡(バランス)を取り戻す。


 他に、床に落ちた幼虫はいない。耳を澄ませば、一匹一匹が絹糸を吐き出す、雨粒が垂れる音にも似たピチピチと弾けるような音が聞こえる。


「この館では養蚕をしているのか」


 龍臣は蔟に顔を近付け、一匹の幼虫を凝視する。蚕の胴体は十三個の体節からなっており、背側の第二体節には半月紋が、第八体節には星状紋がある。(えい)(けん)の真っ最中であり、このまま待っていればすぐに蛹になってしまうかのように思えた。


「その子は形子ですわ。繊細ですからその手袋で触らないでくださいませ」


 何でもないことのように白菊は言った。だが、龍臣にはその言葉の意味を瞬時に汲み取ることができなかった。間抜けのような顔を浮かべて、今何と言ったのだ、と聞き返すので精一杯であった。


「今、あなたが熱心に見ているのが形子というんですよ。黒い紋様が特徴なんです。反対に、何の徴もない真っ白なものを姫子というんです。姫子さんと嘉多子さんの名前の由来なんです。確か旦那様が――いえ、奥方様がおつけになったと記憶しております」


 悲しそうに白菊は言った。


「なるほど。姫子に形子か」

「おかしなことだと。奇妙で残酷なことかと思われますか?」

「いや、取り立て奇妙なこととは思わない。むしろ良い名前ではないか」

「でも()(さん)ですよ。繭を作って蛹になったら煮殺されて、絹糸を紡ぎ取られる――呪われた、可哀想な姉妹ですよ」

「白菊さん。先刻も言ったが蟲の呪いなど存在しない。たとえあったとしても、そんなものは断じて認めない。金色姫共々斬り捨ててくれる。私はそのために帝都からやってきたのだ」

「期待して良いのですか?」

「ああ。考えてもみてくれ。確かに人を化かす妖怪はいる。人を恨み神罰を下す祟り神もいる。だが今は大正だ。人間中心の世の中だ。刀を差して(まげ)を結っていた江戸も、開国して富国強兵を唱えた明治も今となっては遠い昔のことだ。贄を欲する神など、この世に存在してはならないのだ」


 龍臣が熱弁しても、白菊は何も言わなかった。何も言わぬ代わりに、蔟の一室から楕円形に形成された白い繭を丁寧な手付きで取り出すと人差指と親指で挟み、静かに揺さ振ってみせる。カラカラと乾いた音が龍臣にも聞こえた。


「良かった。ビショじゃない。ちゃんと蛹になっておりますわ」

「ビショとは」


 耳馴染みのない単語に龍臣が尋ねれば。


「死に篭もりのことですわ」


 と短く白菊は答えた。


「繭を作っても、蛹になれず死んでしまう子も少なくありません。そうなったらさっきのような気持ちの良い音はしませんの。濡れたような音がするのです。幼虫の体液が繭について変色してしまうし、当然売り物にはなりませんわ。(くず)(まゆ)です。良い繭かどうかは蔟を回した時の音で分かりますわ」


 この子は生涯を全うしたようですわ、とどこか誇らしそうに言った白菊は、手に取った繭を蔟に戻す。


「白菊さんは養蚕に詳しいのだな」

「これでも蚕影の女ですから。旦那様にも色々と教わっておりますもの。姫子さんも嘉多子さんも昔は手伝ってくれて、三人で桑の葉を取りに行ったり、温度管理をしたりなどしてくれたのですが、殺されるために育てられるなんて哀れじゃないかと言って、今では全然やらなくなってしまいましたわ」

「しかしそうは言ってもだ。知識も経験もない私が言えたことではないのかもしれないが、人間は他者の命を奪って生計を立てる生き物だ。私達が口にする肉や魚、野菜だって生きている。生糸に至っては今や国策だ。軍備費を稼ぐために品質の良い製品が求められているのだ」

「まあ、旦那様と同じことを仰るのですね。蚕を何だと思っているのですか」


 白菊は控え目に言いながらも龍臣の反論を封じてしまう。


「この子達だって立派に生きているのです。桑の葉を食み、糸を吐いて繭を作り、蛹になって煮殺される――やっぱり可哀想な蟲ですわ。私はもう慣れてしまいましたけれども、姫子さんや嘉多子さんの言うこともよく分かるのです。もちろん、この館にいる以上、旦那様のお言葉が一番ではありますが」


 白菊は窓辺に寄ると、(がら)()に手指を当てて向こうの景色を眺める。龍臣の立ち位置からは陽が反射して白菊の見ている世界が分からない。館の立地を考えれば桑畑が見えるはず。ならば視線の先には姫子がいるのかもしれないと龍臣は分かったつもりになる。


「坂ノ上様。先刻の言葉、(たの)みにして良いのですか」


 外界に視線を遣ったまま白菊は静かに問うた。

 養蚕の(せい)(ひつ)を乱さぬように心遣った言葉であった。


「先刻の言葉というと」

「あなたが金色姫を討つというお話ですわ。もうお忘れですか」

「勿論覚えているとも。意外に思っただけさ」

「意外。何がですか?」


 白菊は振り返る。光の加減により、その表情は窺えない。


「君はあくまでこの館の――天涯殿の侍女だ。その天涯殿が信じる神を(しい)すなど認めないものだと思っていた。密告や追放も覚悟していた」

「見くびらないでくださいませ。私は確かにこの館に、そして旦那様にお仕えしているしがない侍女ではあります。まして蚕影の分家から来た人間ではありますが、本当の主は姫子さんと嘉多子さんなのだと心に決めております。そもそも私は奥方様が()(まか)られたときに、お二人の世話役として――姉代わり、母代わりとして――来た人間ですもの。お二人のためならば。蚕影の女を食い物にする神へ逆襲するためなら、どんな協力だって惜しみませんわ」

「それは心強い。ならば是非教えてほしいことがあるのだ」

「何でしょうか」

「金色姫という化生についてだ。女人に聞かせる話でもないのだが、あれは一体何なのだ。拳銃で撃ち抜いても、刀で胸を貫いても、白い蚕蛾となるだけで、まるで手応えなどなかった。神を殺すと息巻いたは良いものの、どうすれば祓えるのかが皆目見当もつかぬのだ」

「申し訳ありません。専門家である坂ノ上様がお分かりにならないのならば、私などには到底分からないでしょう。ですが、それでしたら姫子さんにお尋ねになるのはいかがでしょうか」

「姫子君に」

「そうです。姫子さんは、学校にこそ行けず終いでしたが、とても聡明な御嬢様です。そして金色姫のことを誰よりもお調べになっているはずですわ。私が誘ったばかりに足止めをさせてしまいましたが、もとより坂ノ上様は姫子さんにお会いになるために部屋を出たのでしょう」

「そうだな。護衛対象に相談するなど格好がつかないか、(すべ)が思い付かぬ以上やむなしか」

「何も手段がなかったとしても、儀式なんて悍ましいことなんてせずに、どこにだって逃げてしまえばいいんですよ。こんなお屋敷なんかを建てて、蚕のことばかり考えているから、神に娘を差し出すなんて(むご)いことを、しかもそれを惨いとすら気付かずに考えてしまうんですよ」


 姫子さんも嘉多子さんも坂ノ上様についていけば良いのです――と言って白菊は笑ったようであった。


「なるほど。白菊さんの言うことはもっともだ。それはそうと邪魔して悪かった。貴重なことを教えてくれてありがとう」


 蚕達にも宜しく伝えてくれ、と龍臣が言えば、それ冗談の類と受け取ったであろう白菊は、はい確かに、と言ってやはり微笑んだようであった。

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