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第36話

 月明かりだけが頼りの、暗く湿った森の中。

 俺たちバニー・フォース――俺、橘ミナ、そして白雪アイリの三人は、息を殺し、慎重にあの忌まわしい廃神社の本堂へと接近していた。

 

 マドカ博士が、カレンの身に着けていた逆バニースーツから発信される、極めて微弱な生体信号とエネルギー反応を追跡し、俺たちをここまで導いてくれたのだ。


『司令官、目標本堂内部より、カレンさんの生体反応を明確に感知しました』


 アイリが、小声ながらも的確な状況をヘッドセット越しに伝えてくる。


『ただし、バイタルサイン、脳波パターン共に、極めて不安定かつ異常な波形を示しています。危険な状態かもしれません』

「何か……すごく大きなエネルギーの揺らぎも感じるんだよね……。良い感じなのか、悪い感じなのか、全然わかんないけど……」


 ミナもまた、不安そうに付け加える。

 彼女の野生の勘のようなものが、本堂内部の異様な気配を察知しているのだろう。


 俺は、周囲の闇に鋭い視線を走らせながら、短く問う。

 

「敵の気配は?」

『……デビルズと思われる反応が、神社の周辺に多数確認できます。ですが、奇妙なことに、一切の動きがありません。まるで……何かの指示を、じっと待っているかのようです』


 アイリの分析は常に冷静だ。

 一刻の猶予もない。

 

 俺は決断した。

 

「突入する。アイリは後方より狙撃支援、及び周囲の警戒を。ミナは俺と共に前衛、カレンの救出を最優先とする!」

「「了解!」」

 

 ミナとアイリの、力強い返事が闇に響いた。


 ◇ ◇ ◇


 本堂内部。

 

 カレンの身体を包んでいた淡い光は、今や部屋全体を白く染め上げるほどにその輝きを増していた。

 その中心で、アーサー・グレイブスが、血走った目で手元の制御装置を必死に操作しながら、何事か喚き散らしている。


「な、何が起きているというのだ!?  融合プロセスが、私の設定したパラメータを完全に逸脱している!  馬鹿な、こんなことはあり得ん!」


 そのグレイブスの狼狽する声など、もはや耳に入っていないかのように、カレンはゆっくりと、しかし確かな足取りで立ち上がった。

 

 彼女の大きな紫色の瞳には、もはや昨夜までの混乱や恐怖の色はない。

 そこには、まるで深淵を覗き込むかのような深い叡智と、そして全てを包み込むような、穏やかで力強い光が宿っていた。


 表情には、これまでのどちらの人格とも違う、優しさと厳しさ、知性と感情が、完璧な調和をもって共存している。

 

「……残念だったわね、グレイブス博士」

 

 彼女の声は、以前の二つの声が、まるで美しいハーモニーのように重なり合った、全く新しい、そして凛とした響きを持っていた。


「あなたの、その歪んだ計画は……どうやら、失敗に終わったようね」

「ば、馬鹿な……!  不可能だ!  私の完璧な制御プログラムなしに、二つの人格が、これほど短時間で、しかも安定した形で融合するなど……あり得ない!  あり得ないはずだ!」


 グレイブスは、怒りと 不信感で顔を歪ませ、わなわなと震えている。

 

「私たちは、私たち自身の意志で、一つになることを選択したのよ」


 カレンは、その狂気に満ちた老人を、どこか憐れむような、それでいて揺るぎない眼差しで見つめながら、静かに言った。


「あなたが、幼い私から奪い去った、自分自身の生き方を選ぶという、当たり前の自由を……今、この瞬間に、取り戻しただけのこと」


 グレイブスは、その言葉に、一瞬だけ虚を突かれたような表情を浮かべたが、すぐに狂気的な哄笑を上げた。

 

「フハハハハ!  そうか、そうか!  ついに目覚めたか、私の最高傑作!  だが、それももう手遅れだ!  お前が完全に融合したのなら、お前のその素晴らしい戦術思考パターンと完全にリンクしているデビルズの軍勢は、さらにその力を増し、お前の意のままに動く、最強の私兵となるだけのことよ!」

 

 彼は、懐から取り出した別の小型制御装置を操作し、その先端をカレンへと向けた。


「お前は、まだ完全に私のものだ、カレン!  その脳に埋め込まれた最終コントロールコードを起動させれば、お前は永遠に――」


 その瞬間だった。

 

「そこまでだ!」


 ◇ ◇ ◇

 

 俺は、本堂の古びた木製の扉を蹴破り、ミナと共に内部へと突入した。


「カレン!」

「……司令官……! ミナさん……!」

 

 俺たちの姿を認めたカレンの顔に、一瞬だが、確かに安堵の表情が浮かんだのが分かった。

 そしてそばにいる老人はグレイブス。

 間違いない、研究資料で見たグレイブスの写真と同一人物だ。

 

「フン……愚かなネズミどもめが! ここまで嗅ぎつけてくるとはな!」

 

 奴は、本堂の奥にある隠し通路から、素早く逃げようとする。

 

 だが――。

 

 パンッ! という乾いた音と共に、グレイブスの右足のすぐ脇の床板が弾け飛んだ。

 

『アーサー・グレイブス博士。これ以上の抵抗は無意味です』


 アイリの、氷のように冷静な声が、ヘッドセットから響く。

 さすがは我が隊の狙撃手、完璧な威嚇射撃だ。


 だが、その直後、神社全体が、まるで巨大な獣の咆哮に呼応するかのように、激しく揺れ始めた!


  外からは、地鳴りのような轟音と、無数のデビルズの鬨の声が、夜空を引き裂くように響き渡ってくる。

 

「な、何が起きてるの、これ!?」


 ミナが、窓の外の異様な光景を見て叫ぶ。


「デビルズが……デビルズたちが、一斉に暴れ出してる!」

「私の思考パターンを元に、グレイブスに操られていたデビルズたちよ」


 カレンが、冷静に状況を分析する。


「私の人格が、彼の予測を超えて統合されたことで、奴らの制御システムに致命的なエラーが発生し、暴走を始めている……!」


 グレイブスは、アイリに撃たれた脚の痛みに顔を歪めながらも、床に這いつくばったまま、狂ったように高笑いを始めた。

 

「ククク……愚かなことだ!  奴らは、たとえ制御を失ったとしても、この聖域を、そしてお前たちバニー・フォースもろとも完全に破壊し尽くすよう、最終命令プロトコルがインプットされているのだよ!  この地で消え失せるがいい!」

 

 建物が、さらに激しく揺れ、天井の一部がガラガラと崩れ落ちてくる。


「総員、一時撤退するぞ! 急げ!」


 俺は、即座に命令を下した。

 

 だが、カレンは、その場から動こうとしなかった。

 彼女は、グレイブスが落とした制御装置の一つに駆け寄り、その複雑なコンソールを、驚くべき速さで操作し始めたのだ。

 

「……まだ、諦めるのは早い。このデビルズたちを、完全に無力化できるかもしれない。少しだけ……少しだけ、時間が欲しい……!」

「カレン、何を言ってる!  危険すぎるぞ!」


 俺は、彼女の方へ駆け寄ろうとする。


「信じて、司令官」


 カレンは、俺の方を見ずに、しかし確かな口調で言った。

 彼女の白い指が、まるでピアノを奏でるかのように、信じられないほどの速度で装置のキーボードの上を舞っている。


「私なら、彼が構築したこの歪な制御システムの構造を、完全に理解できる。そして、書き換えることも……。ほんの少しだけ、時間を稼いでくれれば……!」

 

 俺は、一瞬だけ迷った。

 だが、彼女のその真剣な眼差しと、言葉に込められた絶対的な自信を見て、決断した。

 

「……分かった。ミナ、アイリ!  グレイブスを拘束して、先にここから脱出しろ!  俺は、カレンと共に行動する!  急げ!」

「「了解!」」

 

 ミナとアイリは、躊躇うことなく俺の命令に従い、抵抗するグレイブスを力ずくで引きずりながら、崩れ落ちる本堂から素早く脱出していった。


 建物は、もはや限界に近いほど激しく揺れている。

 外では、巨大なデビルズの影が、本堂を取り囲み始めているのが見えた。

 

「……彼が仕掛けた制御システムのコアプログラムを、完全に再プログラミングする必要がある」


 カレンは、額に玉のような汗を浮かべ、息を切らしながらも、必死にコンソールの操作を続けている。


「デビルズの行動パターンは、元々私の思考ルーチンがベースになっている。だから……私自身から、全く新しい、そして絶対的な命令を、彼らに送ることができるはず……!」

 

 彼女の薄紫色の逆バニースーツが、内側から発光するかのように、ますます明るく輝き始める。

 その神々しいまでの光は、彼女の指先から、まるで生きているかのように制御装置の中枢へと流れ込んでいくようだ。


「カレン……!  君の身体に、これ以上負担をかけさせるわけには……!」


 俺は、彼女の顔色が急速に悪くなっていくのに気づき、思わず叫んだ。

 

「……だ、大丈夫……。これが……これが、私の……本当の責任の取り方、だから……」


 カレンは、息も絶え絶えに、しかし決してその手を止めようとはしない。

 彼女の額には、脂汗がびっしりと浮かび、その小さな鼻からは、一筋の赤い血が滲み始めていた。

 

「……私の思考が、彼らをここまで狂わせてしまった以上……この手で、私が、全てを終わらせなければ……」

「一人だけで、全てを背負い込む必要はないと言ったはずだ、カレン!」

 

 俺は、彼女の隣に膝をつき、その震える肩に、そっと自分の手を置いた。

 

「俺たちは……いつだってチームじゃないか!」


 カレンは、その俺の言葉に、ふっと、本当に美しい微笑みを浮かべた。

 

「……その、通り、ですね……」


 彼女は、まるで新たな力を得たかのように、さらに速く、そして正確に、コンソールの操作を続けていく。

 

「……もう少し……あと、ほんの少しで……終わる……!」


 外で暴れ狂っていたデビルズの咆哮が、徐々に、その勢いを失っていくのが分かった。

 奴らの動きも、明らかに鈍くなり、統制が取れなくなってきている。

 カレンの再プログラミングが、確かに効果を発揮し始めているのだ。


 そして――。

 

「……やった……!  デビルズの全行動プログラムを、強制自滅コマンドへと、完全に書き換えることに……成功しました!」


 カレンが、歓喜に満ちた、しかし疲れ切った声で叫んだ。

 

「よくやった、カレン!  今度こそ、ここから脱出するぞ!」


 俺は、彼女のその小さな手を、今度はしっかりと掴んだ。


 俺たちは、今まさに崩れ落ちようとしている神社の本堂から、間一髪で飛び出し、外の森へと駆け込んだ。


 背後では、俺たちの勝利を祝福するかのように、制御を失ったデビルズたちが、次から次へと自ら爆発四散し、夜空に巨大な花火を打ち上げている。


 森の中、安全な距離まで到達したところで、俺は、荒い息をつくカレンの状態を改めて確認した。

 

「……大丈夫か、カレン?  無茶をしすぎだ」


 カレンは、地面に膝をつき、肩で大きく息をしながらも、ゆっくりと頷いた。

 その表情は、極度の疲労困憊の中にも、どこか晴れやかで、そして穏やかな光を宿している。

 

「……はい……。不思議と……これまでになく、良い状態、です。頭も、心も……すごく、スッキリしています……」

「……君は……」


 俺は、一番聞きたかった、そして一番聞くのが怖かった質問を、ようやく口にした。


「今の君は……どちらの、カレンなんだ……?」


 カレンは、その俺の問いに、ふわりと、本当に優しい微笑みを浮かべて答えた。

 

「……両方、ですよ。そして……どちらでもない、新しい、わたし、です」


 彼女の声は、以前の二つの声が完全に溶け合い、調和した、どこまでも自然で、そして美しい響きを持っていた。


「二つの人格は……先程の戦いの中で、完全に一つに融合しました。私の弱さも、強さも、優しさも、冷徹さも……そして、あの忌まわしい過去の記憶も……その全てが、今の、このわたしの一部です」


 月明かりの下、そっと立ち上がったカレンの姿は、以前の彼女と同じように見えながらも、その内側から放たれるオーラは、何か根本的に、そして圧倒的に変化しているのが分かった。


 彼女の立ち姿には、以前にはなかった、凛とした自信が溢れ、その大きな紫色の瞳には、深い深い叡智と、そして全てを包み込むような慈愛の光が宿っている。


 だが同時に、その唇に浮かぶ微笑みには、俺たちが知る、あの早乙女カレンの、変わらない優しさがあった。


「……全て、あなたのおかげです」

 

 カレンは、そっと俺の手を取り、その両手で優しく包み込んだ。

 

「あなたが、こんな私を信じ、そして辛抱強く、待っていてくださったから……私は、ようやく、本当の自分自身を見つけ出すことが、できました……」


 森の向こう、少し開けた場所から、ミナとアイリが、拘束したグレイブスを引きずりながら、こちらへ駆け寄ってくるのが見えた。

 カレンが、その二人を見つめると、友人たちの顔には、安堵と、そして驚きとが入り混じった表情が広がっていく。

 

「 カレンちゃん!  無事だったのねー!  よかったー!」


 ミナが、勢いよくカレンに抱きついてくる。


「……カレンさん。その雰囲気は……一体、何が……?」


 アイリもまた、その冷静な表情を崩し、驚きを隠せないでいる。

 カレンは、そんな二人を、本当に嬉しそうに、そして優しく微笑み返した。

 

「……少し、長い話になりそうですね。でも、今は……みんなで、無事に基地へ帰りましょう。そして、ゆっくりとお話ししましょう。私の、新しい物語の始まりを」


 グレイブスは、ミナとアイリに両脇を固められ、もはや抵抗する気力もないのか、ただ黙ってうなだれていた。

 だが、その虚ろな目の奥には、自分の「完璧な兵器」が、自分の意図とは全く異なる形で、しかしある意味では、より完全な形で「完成」してしまったことへの、敗北感と、そしてほんのわずかな……畏怖のような感情が浮かんでいるように、俺には見えた。


 基地への帰還の途、俺とカレンは、少しだけ他のメンバーから離れて、月明かりに照らされた森の小道を、並んで歩いていた。

 

「……これから、どうするつもりだ、カレン」


 俺は、静かに尋ねた。

 

「……まだ、よくは分かりません」


 カレンは、正直に、そして少しだけ楽しそうに答えた。


「新しい自分自身を、もっともっと理解していくのに、きっとたくさんの時間がかかるでしょう。でも……一つだけ確かなことがあります」


 彼女は、そこで一度言葉を切り、俺の顔を真っ直ぐに見つめて、言った。

 

「――私は、これからも、バニー・フォースの一員であり続けたい。あなたたち、大切な仲間たちと、一緒に」


 その紫色の瞳には、もう一片の迷いもなかった。

 

「だって……あなたたちは……もう、私の、かけがえのない『家族』なのですから」


 その言葉に、俺は、ただ静かに微笑み返し、そして、力強く頷いた。

 

 俺たちの間に生まれたこの絆は、もはや単なる上官と部下、あるいは戦友という言葉だけでは表しきれない、もっと深く、そして温かいものへと、確かに変わっていたのだ。


 早乙女カレンの、そして俺たちバニー・フォースの、本当の戦いは、そして本当の物語は、まだ、始まったばかりなのかもしれない。

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