第34話
俺とマドカは、あまりにも重い事実に、ほとんど一睡もできないまま朝を迎えていた。
そして、まるで運命が嘲笑うかのように、その朝一番に、JDF総司令部から緊急招集がかかった。
緊張感に包まれたJDF中央作戦司令室。
壁一面の大型ホロスクリーンには、首都圏の各所に出現し始めているデビルズの進攻パターンが、赤い警告と共にリアルタイムで表示されている。
その数は、ここ数ヶ月で最大規模。
しかも、その動きは明らかに異常だった。
「……これは、通常のデビルズの侵攻パターンではないな」
皺の刻まれた顔を険しく歪め、統合参謀本部の山城将軍が低い声で唸った。
「奴らの動きは、まるで高度な戦術アルゴリズムに基づいて統制されているかのようだ。我々の防衛ラインの薄い箇所を的確に突き、陽動と本命の攻撃を巧みに使い分けている。まるで……人間の、それも極めて優秀な指揮官の戦術思考を読んでいるか、あるいは……持っているかのようだ」
集まったJDFの上層部の将校たちの顔にも、焦りの色が濃く浮かんでいる。
俺は、そのホロスクリーンの赤い光点を見つめながら、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。
隣には、不安げな表情を浮かべたカレンが、小さな身体をさらに縮こまらせるようにして立っている。
彼女は、昨夜の『本来の彼女』との邂逅と、その衝撃的な告白の内容を、断片的にではあるが、確かに記憶していた。
そして、自分の中に、もう一人の、恐ろしいほどに冷静で、そして強力な人格が存在することを、受け入れざるを得なくなっていたのだ。
「……司令官……。あの、スクリーンに映っているデビルズの動き……。あれは……もしかして……わたしの、思考パターン、なのでしょうか……?」
カレンが、消え入りそうな小さな声で、俺にだけ聞こえるように尋ねてきた。
その紫色の瞳は、恐怖と、そして信じられないというような色で揺れている。
「……可能性は、高い」
俺は、静かに、しかし残酷な事実を告げざるを得なかった。
「マドカ博士の調査によれば、君がかつて所属していた『オメガ計画』の元最高責任者であり、数年前にJDFから離反したアーサー・グレイブスという男が、秘密裏にデビルズとの接触を試み、君の戦術思考パターンを、何らかの形で奴らに組み込んだ可能性があるらしい」
カレンの顔から、サッと血の気が引いていくのが分かった。
「――バニー・フォース、真田ハヤト司令以下全隊員に告ぐ! 直ちに出動準備を整え、指定ポイントへ急行せよ!」
山城将軍の鋭い声が、作戦室に響き渡る。
「敵の戦術は、我々の通常部隊では対応しきれん。君たちの……その、特殊な能力と、型破りな戦術に期待するしかない!」
その言葉には、期待というよりは、藁にもすがるような響きがあった。
作戦司令室を出て、出撃準備のために自部隊の格納庫へと向かう途中、カレンが、おずおずと俺の制服の袖を引いた。
「……あの、司令官……。わたし……やっぱり、出撃すべきでは……ないのかもしれません……」
彼女の大きな瞳には、明らかな恐怖の色が浮かんでいる。
「もし……もし、わたしの中の、あの『もう一人のわたし』が……デビルズを操っている側と……協力、してしまったら……わたしは……」
「君を信じている、カレン」
俺は、彼女の言葉を遮るように、しかし力強く言った。
そして、彼女の震える両肩を掴み、その目を真っ直ぐに見つめ返す。
「表の君も、奥にいる君も、どちらの人格も、早乙女カレンという一人の人間だ。俺は、君が本気で仲間を裏切り、人を傷つけるような選択をするとは、到底思えない」
「で、でも……わたし……少しずつ、思い出し始めているんです……」
カレンの声が、涙で震える。
「わたし……昔……本当に、たくさんの人を……この手で……殺した、ことがあるんです……! たくさんの、たくさんの人を……!」
「それは、君の本当の選択ではなかったはずだ!」
俺は、彼女の肩を掴む手に、さらに力を込めた。
「君は、ただ兵器として、道具として、非道な大人たちに利用されただけだ。だが、今の君には、選択肢がある。自分の意志で、どう行動するかを選ぶ権利がある。そして俺は、君が正しい選択をすると信じている!」
カレンの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。
「……怖い、んです……! もし、あの『もう一人のわたし』が、完全に目覚めてしまったら……今の、このわたしは……消えて、しまうのかもしれないって……思うと……!」
「消えたりはしない」
俺は、静かに、しかし彼女の心の奥底に届くように、力強く言った。
「君たちは、元々一つの、同じ人間の、分かたれた二つの側面に過ぎないんだ。それが統合されれば、より強く、より完全な、本当の君自身になれるはずだ。俺は、そう信じている」
俺のその言葉に、カレンは、ゆっくりと、本当にゆっくりとだが、確かに頷いた。
「……わかり、ました……。司令官の言葉を……信じて、みます……」
◇
数十分後。
俺たちバニー・フォースは、火災と爆発が各所で発生し、黒煙が空を覆う、地獄絵図のような都市部の戦闘現場の最前線に立っていた。
市民の避難はまだ完了しておらず、あちこちで悲鳴が聞こえる。
そして、デビルズの動きは、これまでのどの戦闘とも明らかに異なっていた。
知的で、狡猾で、そして何よりも……俺たちの次の行動を、完全に予測しているかのような、不気味なまでの的確さだった。
「くそっ、なんなのよ、こいつら! 全然動きが読めないんだけど!」
ミナが、オレンジ色の逆バニースーツを泥と煤で汚しながら、通信機を通して叫ぶ。
彼女の得意とする猪突猛進な突撃も、ことごとくデビルズの巧妙な罠に阻まれ、空回りを続けている。
『通常の攻撃パターン、及び予測回避アルゴリズムが、ほぼ完全に無効化されています』
アイリの冷静な報告にも、焦りの色が隠せない。
俺は、指揮車両の中で戦況を分析しながらも、常にカレンの様子に細心の注意を払っていた。
彼女は、チームの最後方で、負傷した隊員への回復サポートと、味方全体の逆バニースーツのエネルギー効率安定化に努めている。
だが、その表情は青ざめ、明らかに動揺し、本来の能力を発揮しきれていないのが見て取れた。
「カレン、大丈夫か? 無理はするなよ」
『は、はい……! な、なんとか……大丈夫、です……!』
彼女の声は、震え、上ずっている。
その時だった。
それまで統率の取れた動きで俺たちを翻弄していたデビルズの群れが、突如として、まるで一つの意思に導かれるかのように、中央の一点へと集結し始めたのだ。
そして、複数の個体が、おぞましい光と音と共に、互いに融合し、その姿を急速に変化させていく。
やがて、そこに現れたのは―――全長20メートルはあろうかという、黒曜石のような禍々しい光沢を放つ、巨大な人型のデビルズだった。
その全身からは無数の赤い単眼がこちらを睨みつけ、胸部には、まるで人間の脳みそをそのまま埋め込んだかのような、不気味に脈動する半透明の構造物が見える。
「……あ、あれは……」
カレンが、息を呑むのが通信機越しに伝わってきた。
『わ、わたしの……わたしの脳波パターンを……完全にコピーした……思考、ユニット……!?』
巨大デビルズは、その巨体からは想像もつかないほどの俊敏さで動き、そして、まるで俺たちの次の行動を予知しているかのように、あらゆる攻撃をいなし、無効化していく。
バニー・フォースの連携は完全に分断され、チームは徐々に、しかし確実に、絶望的な状況へと追い詰められていった。
「……このままでは……確実に、全滅する……」
俺は、目の前のモニターに表示される絶望的な戦況データを冷静に分析しながら、苦渋の結論を導き出した。
「……総員に告ぐ。現時点をもって、作戦行動を中断。これより、撤退行動に移行する!」
『で、でも司令官! 市民の避難がまだ完了してないのに……!』
ミナが、悲痛な声で反論する。
分かっている。
だが、このままでは犬死にするだけだ!
その時だった。
『……一つだけ……一つだけ、方法が、あります……!』
カレンの、か細い、しかしどこか決然とした声が、通信機に割り込んできた。
全員の意識が、一瞬にして彼女に集中する。
『わたしの中の……あの『もう一人のわたし』を……完全に、解放することができれば……もしかしたら、あのオメガ・デビルズの思考パターンを読み、対抗できる……かもしれません……!』
カレンは、震えながらも、しかし、確かな決意を込めてそう言った。
「だが、それはあまりにも危険すぎる、カレン!」
俺は、即座に懸念を示した。
「マドカ博士の話では、君の脳に埋め込まれた抑制装置が完全に解除されれば、君の精神そのものに、取り返しのつかないほどの大きな負担がかかる可能性が高いんだぞ!」
『……それでも……やるしか、ないんです……!』
カレンの声が、悲壮なまでに強くなる。
『みんなを……司令官を……守りたい……! それは……きっと、どちらのわたしも……同じ、気持ちのはずですから……!』
俺は、一瞬、言葉に詰まった。
彼女のその、あまりにも真っ直ぐな瞳と、捨て身の覚悟。
……もう、迷っている暇はないのかもしれない。
「……博士!」
俺は、通信機のチャンネルを切り替え、マドカ博士に呼びかけた。
「早乙女カレンの脳内抑制装置を、ここからリモートで、一時的に完全解除することは可能か!?」
『……やってみるわ! でも、成功する保証も、その後、彼女を元に戻せる保証も、どこにもないわよ! それでも、本当にいいのね!?』
マドカの焦った声が返ってくる。
『……やって、ください……! マドカ博士……!』
カレンが、強く、そしてはっきりとした声で言った。
マドカが、何かのコードを送信しようとした、まさにその瞬間だった。
それまで俺たちを翻弄していた巨大デビルズが、突如として、その全ての赤い単眼を、カレン一人に向けて固定したのだ。
そして、まるで彼女の意図を完全に察知したかのように、その巨体を揺るがし、一直線に、カレンのいる後方支援ポイント目掛けて突進を開始した!
「カレンッ!! 危ない!!」
俺は、絶叫した。
だが、俺の声も、ミナやアイリの悲鳴も、次の瞬間、巨大デビルズが叩きつけた巨大な拳による、天を揺るがすかのような大爆発と衝撃波によって、無残にかき消された。
視界が真っ白になり、通信は完全に途絶。
俺の指揮車両も、その衝撃で大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
全身を打撲する激痛の中、俺は何とか体勢を立て直し、煙と粉塵が立ち込める戦場を見渡す。
「……くそっ……! カレンは……早乙女カレンは、どこだっ!!」
俺の焦燥に満ちた叫びが、虚しく響き渡る。
煙がゆっくりと晴れていくが、そこに、カレンの姿は……どこにも見当たらなかった。
『司令官! 緊急事態です! 巨大デビルズの周囲に、さらに大規模な敵部隊が出現! このままでは、我々も包囲殲滅されます!』
アイリの冷静だが切迫した報告が、途切れ途切れの通信で入ってくる。
俺は、唇を噛み締めた。
目の前が、怒りと絶望で真っ赤に染まりそうになるのを、必死でこらえる。
……今、俺がすべきことは、何だ?
苦渋の、そして屈辱的な決断を下すしかなかった。
「……総員に告ぐ。現時点をもって、戦闘行動を完全に放棄。これより、全力で戦線を離脱する。繰り返す、全力で戦線を離脱せよ! 生き残ることが、今の我々の最優先任務だ!」
『 でも、カレンちゃんが……!』
ミナの悲痛な声。
「……再編成後、早乙女カレンの捜索及び救出作戦を、最優先事項として実行する! だから、今は……生き延びろ!」
俺たちバニー・フォースは、渋々と、そして無念の思いを胸に、戦場からの撤退を開始した。
俺の心は、鉛のように重かった。
カレンを、あの状況で見失ってしまったという、取り返しのつかない事実。
そして、彼女が今、一体どんな状態にあるのかという、想像を絶する不安が、俺の心を容赦なく苛んでいた。
基地への帰還途中、俺は、血の滲むほど固く握りしめた拳を見つめながら、静かに、しかし心の奥底で、固く固く誓った。
「……カレン……。必ず、必ずお前を見つけ出す。そして……何があっても、お前を、その呪われた運命から……元の、本当のお前に、戻してみせる……!」
それが、今の俺にできる、唯一の償いであり、そして……指揮官としての、最後の責任だった。




