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第32話

 正規のルートでは埒が明かないと判断した俺は、マドカ博士の非公式な協力を得て、二日後の夜、一つの結論にたどり着いた。

 全ての謎を解く鍵は、既に廃棄されたはずの旧第7軍事区域内にある、元・特殊能力者研究施設――コードネーム『サイレント・グレイドセンター』に眠っている可能性が高い、と。


 漆黒の闇に、まるでインクを垂らしたかのように冷たい雨が静かに降り注いでいる。


 俺はJDFの制式暗視ゴーグルを装着し、その緑色に染まる視界の中で、雨に煙る巨大な廃墟――サイレント・グレイドセンター――へと慎重に接近していた。


 周囲には、放棄されて久しい軍事施設特有の、金属の錆びた匂いと、湿ったコンクリートの匂いが立ち込めている。


「聞こえるか?  ポイントアルファに到達した。これより内部へ潜入する」


 俺は、首元に装着した小型指向性通信機に向かって、囁くように告げた。

 

『クリアよ。でも、くれぐれも気をつけて。そこのセキュリティシステムは、10年以上前の旧式とはいえ、まだ完全に生きているわ。特に、熱探知センサーと音響センサーの感度はかなり高いみたい』


 マドカの冷静な声が、イヤーピースを通して鼓膜に響く。

 彼女のハッキング能力とナビゲーションがなければ、この単独潜入作戦は不可能だっただろう。

 

 これは、俺の責任だ。

 バニー・フォースの指揮官として、部下の安全と、その過去に責任を持つ。

 早乙女カレンのあの苦しむ姿を、二度と見過ごすわけにはいかない。

 

 だが、心の奥底では、単なる職務上の責任感だけではない、もっと個人的で、そして強い何かが俺を突き動かしているのを感じていた。


 施設の裏口にあたる、腐食して歪んだ通用口のロックを、マドカが遠隔で解除する。

 ギィィ、と耳障りな音を立てて開いた扉の向こうは、完全な闇だった。


 暗視ゴーグル越しの緑色の世界の中を、俺は慎重に進んでいく。

 かつては最新鋭の研究施設だったのだろう廊下は、今や打ち捨てられ、床には埃が積もり、壁は雨漏りのシミと錆でまだらに汚れている。


 所々、用途不明の実験器具の残骸が転がり、壁には、子供が描いたのであろう、色褪せた太陽や花の絵が、この場所の異様さを際立たせていた。

 

 だが、奇妙なことに、廊下の奥へ進むにつれて、壁に取り付けられた非常灯や、いくつかの制御パネルの小さな表示ランプが、弱々しいながらも点灯しているのが見えてきた。


 完全に放棄された施設にしては、不自然なほどに電力が供給されている。


「古いサーバールームの正確な位置はどこだ? 『オメガ計画』のデータが残っているとしたら、そこしかないはずだ」

『建物のほぼ中央、地下2階のセクターDね。でも、気をつけた方がいいわ。さっきから、その周辺で複数の熱源を探知している。それも……何か、規則的に動いているみたいよ』

「……了解した」

 

 動くもの、だと?  こんな場所に、一体何が……。


 俺は慎重に歩を進め、やがて中央階段へと到達した。

 

 錆びついた手すりに手をかけながら、一歩一歩、息を殺して地下へと下りていく。

 耳を澄ますと、マドカの言った通り、かすかな、しかし確実に何かが作動しているような機械音が、地下の闇の奥から聞こえてくる。


 地下2階に到達すると、そこは地上階よりもさらに空気が淀み、カビ臭さが鼻をついた。

 廊下の突き当たりに、周囲の壁とは不釣り合いなほど堅牢な、分厚い金属製の扉が見える。

 古いタイプのテンキー式電子ロックが取り付けられていた。

 

「ここだ。サーバールームに間違いない。解除コードを頼む」

『了解。すぐに送信するわ……でも、やっぱり何か変ね。この施設のメインサーバーは、公式記録では10年以上前に完全にシャットダウンされ、全てのデータは消去されたことになっているはずなのに……なぜ、今も電力が供給されて、しかもこれだけのセキュリティが維持されているのかしら……』


 マドカが送信してきた解除コードを入力すると、重々しい音と共に金属扉がゆっくりと横にスライドする。

 

 俺は、息を呑んだ。

 扉の向こうに広がっていたのは、俺の予想を遥かに超える光景だったからだ。


 そこは、埃一つない、まるで現役で稼働しているかのような、広大なサーバールームだったのだ。

 壁一面に最新鋭と思われるサーバーラックが整然と立ち並び、無数のLEDライトが青や緑の光を点滅させている。


 そして、部屋の中央には、巨大なホログラフィック・ディスプレイを備えたメインターミナルが鎮座していた。

 誰かが、この「廃棄された」はずの施設を、極秘裏に、そして継続的に使用し続けている。


「……これは……一体どういうことだ。ここは、完全に現役の施設じゃないか」

『……ありえないわ……。私のハッキングでも、ここまでの深層システムが生きているなんて、全く検知できなかった……。一体、誰が、何のために……?』


 マドカの声にも、隠しきれない驚愕の色が滲んでいる。


 だが、今はその謎を解明している時間はない。

 俺はメインターミナルに駆け寄り、マドカが事前に仕込んでくれていたデータ解析プログラムを起動させ、強引にシステム内部へのアクセスを試みる。


 古いOSをベースにしているようだが、そのセキュリティは驚くべきことに、最新の暗号化技術と多重のファイアウォールでガチガチに固められていた。

 

「『オメガ計画』……関連ファイルを検索中……!」


 スクリーンに、凄まじい勢いで文字列が流れ、そして、いくつかの機密ファイルがリストアップされていく。


『特殊適性能力者選別及び育成計画(極秘)』

『高次脳機能外部接続及び強制開発プロトコル』

『記憶領域隔離及び人格再構築に関する実験記録』


 ……そして、その中に、俺が探し求めていたファイル名があった。


『被験者データ:E-7(コードネーム:カレン・S)/オメガ計画最終フェーズ移行記録』


「……見つけたぞ」


 俺は、緊張で乾いた喉から、かすれた声を絞り出した。


 俺がそのファイルを開くと、モニターに、古びた記録映像が再生され始めた。

 

 そこに映し出されたのは、まだ10歳になるかならないか、といった風貌の、小さな少女だった。

 薄紫色の髪、大きな紫色の瞳。

 間違いなく、早乙女カレンだ。


 だが、その表情は、俺たちが知っている穏やかで優しい彼女とは似ても似つかない。

 瞳には、まるで硝子玉のような、冷たく、感情のない光が宿っている。


『――被験者E-7は、極めて卓越した戦術予測能力及び指揮統制適性を示す。彼女の脳内に観測される特異な脳波パターンは、他の被験者とは比較にならないレベルでの情報処理能力と、並列思考を可能にしていると推測される。しかし、感情の起伏に伴う共感能力の過度な増大が、指揮官として必要な冷徹な判断力を著しく阻害する状況が、頻繁に確認されている――』


 淡々とした、感情の抑揚のないナレーション音声が、映像と共に流れる。


 次の映像では、カレンが、複雑怪奇な三次元戦術シミュレーションに挑んでいる様子が映し出された。

 彼女の小さな指が、コンソールの上を舞うように動き、次々と的確な指示を仮想部隊に与えていく。

 その判断は完璧で、あらゆる変数、あらゆる可能性を瞬時に計算に入れているかのようだ。

 

 だが、シミュレーションが佳境に入り、仮想空間で味方ユニットが次々と撃破されていくと、突然、彼女は激しく震え始め、頭を抱えて叫んだ。

 

「もう、やだ……!  誰かが傷つくのも、誰かを傷つけるのも……もう、見たくない……!  やめて……!」


『――被験者E-7の精神分裂傾向が、許容範囲を超えて悪化している。本来の戦術的ポテンシャルを最大限に維持しつつ、この深刻な精神的負荷を軽減するための、抜本的な解決策の実行が急務である――』

 

 別の記録音声が、冷酷にそう告げていた。


 そして、最後のファイル。

 それは、今から約7年前に作成されたもので、『人格能動的分割及び再構築手順(オメガ計画最終段階)』と題されていた。

 モニターに、タイプされた声明文が映し出され、感情のない合成音声がそれを読み上げ始めた。

 

『――オメガ計画最終段階実行に関する声明。被験者E-7(早乙女カレン)は、比類なき戦術的素質を有するが、その過度な共感性と脆弱な精神構造により、完全なる戦闘資産としての安定運用は不可能と判断された。よって、解決策として、人工的な二次人格の創出、及び既存の主人格の徹底的な再構築を実施する。戦闘能力及び指揮統制能力は、新造された二次人格へと完全に隔離・移植。一方、主人格は、周囲に親和的かつ従順な、穏やかな性質を持つよう再プログラムし、社会生活への適応を優先する――』


『――神経接続型抑制装置の頭蓋内インプラントにより、通常時は二次人格の活動を完全に抑制する。ただし、主人格が生命の危機に瀕するような極限状況下においては、限定的な状況下でのみ、二次人格の覚醒を許可するセーフティプロトコルを設計・実装する――』


 俺は、言葉を失っていた。全身から血の気が引いていくのが分かった。

 

 早乙女カレンは……あの、いつも穏やかで、優しくて、誰よりも仲間思いだった彼女は……全て、作られた人格だったというのか?

 

 彼女の「天然で優しい性格」は、非人道的な実験によって人工的に植え付けられ、本来の彼女――あの、冷徹で、鋭敏で、そして天才的な戦略家であったはずの彼女――は、忌まわしい二次人格として、心の奥底に封印されてしまっていたというのか……!


「……なんて、ことを……」

 

 俺の口から漏れたのは、怒りに震える、か細い声だけだった。

 

 許せない。こんなことが、許されていいはずがない!


 その瞬間だった。


 けたたましい警報音が、サーバールーム全体に鳴り響いた!

 

『警告!  警告!  未許可アクセス及びデータ流出を検知!  セキュリティレベルを最大に移行!  侵入者排除プロトコル、起動!』


「すぐにそこから撤退して!  施設のセキュリティシステムが完全に再起動したみたい!」

 

 マドカの焦りきった声が、通信機から飛び込んでくる。

 

 廊下の奥から、重々しい金属の駆動音と、複数のキャタピラのような走行音が、急速にこちらへ近づいてくるのが分かった。

 旧式だが、破壊力だけは折り紙つきの、多脚型警備ロボットだ。

 両腕には、回転式のガトリングガンが装備されているのが、暗視ゴーグル越しにもはっきりと見えた。


「チッ……!  博士、データを可能な限りコピーしてくれ!  俺は別の脱出経路を探す!  裏口はどこだ!?」


 俺は、メインターミナルから緊急離脱し、迫り来る警備ロボットの群れを睨みつける。

 

『一番近いのは……東側の第3換気ダクトよ!  でも、かなり狭いし、古いから崩落の危険も……!』

「文句を言ってる暇はなさそうだ!」


 俺は、警備ロボットが放つ無数の銃弾を、床を転がり、壁を蹴って必死にかわしながら、マドカが指示した方向へと全力で走った。

 

 頭の中には、モニターで見た、幼いカレンの苦しむ姿と、そして、彼女に対して行われた、あまりにも非人道的で、残酷な実験の映像が、何度も何度もフラッシュバックしていた。


 狭く、埃っぽい換気ダクトの中を、這うようにして進み、何とか施設からの脱出に成功した時、東の空は、もう白み始めていた。


 雨は、いつの間にか上がっていた。


 俺は、泥と汗にまみれたまま、サイレント・グレイドセンターを振り返る。

 あの忌まわしい施設を、そして、その奥に隠された闇を、決して許すことはできない。


 俺は、朝日を浴びながら、固く誓った。

 

「必ず、全ての真実を白日の下に晒し、そして……必ず、彼女を、その呪われた運命から救い出してみせる」


 俺の新たな戦いが、今、静かに始まろうとしていた。

 

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