第30話
ザーザーと降りしきる冷たい雨が、廃墟と化した街並みを無慈悲に濡らしていた。
視界は悪く、足元は瓦礫とぬかるみで最悪だ。
こんな状況で、俺たちバニー・フォースは、またしても厄介な新種のデビルズと交戦状態に陥っていた。
そいつらは、これまでのデビルズとは明らかに違い、まるで知性を持っているかのように統率の取れた動きで、俺たちをじりじりと包囲しつつあった。
「クソッ、奴らの動きがおかしい! どうなってるんだ!」
俺は、遮蔽物代わりにしている半壊したビルの壁際から、通信機を通して後方の狙撃ポイントにいるはずの白雪アイリに怒鳴った。
『敵部隊、高度な連携行動パターンを確認。まるで……こちらの動きを予測しているかのようです、司令官。私の射線も巧みに回避されています!』
アイリの冷静な声にも、焦りの色が滲んでいる。
まずいな、このままではジリ貧だ。
「……わたし、もう少し、がんばれます……!」
通信機の別チャンネルから、ミナのか細く、震える声が聞こえてきた。
だが、その声は明らかに限界が近いことを告げていた。
雨に濡れた薄紫色の逆バニースーツが、今は痛々しいほどに頼りなく見える。
「アイリ! 左翼の突出部隊を何とか抑えろ! ミナ、無理はするな、回復を待て!」
俺は必死に指示を出すが、まるでこちらの思考を読んでいるかのように、次から次へと新たなデビルズが、廃墟の影から、あるいは降りしきる雨のカーテンの向こうから湧き出てきて、俺たちの包囲網を狭めてくる。
まずい……このままでは、本当に全滅する可能性が……!
額を伝う雨水なのか冷や汗なのか、もう判別もつかない。
俺は状況を打開すべく、必死に次の手を思考していた。
その時だった。
ゴロゴロゴロ……ピシャァァァァン!!!
突如、夜空を切り裂くような激しい雷鳴が轟き渡り、一瞬、戦場全体が真っ青な閃光に包まれた。
視界が白く染まり、数秒間、何も見えなくなる。
『――司令官。これより、戦闘の指揮権を一時的に私に委譲していただきたい。全員に、現地点より50メートル後方、旧商業ビル跡まで後退するよう、指示してください』
雷鳴が収まった後、ヘッドセットから聞こえてきたのは、カレンの声だった。
だが、その声は、いつもの彼女の、おっとりとした優しい響きとは似ても似つかない。
それは、まるで鋼のように冷たく、それでいて戦場の全てを支配するような、絶対的な威厳に満ちた声だった。
俺が驚いて振り返ると、いつの間にか俺のすぐ後ろに、早乙女カレンが立っていた。
雨に濡れた薄紫色の髪は頬に張り付き、逆バニースーツの露出した肌は痛々しいほどに白い。
だが、その顔つきは……まるで別人だった。
普段のほんわかとした雰囲気は完全に消え失せ、その大きな紫色の瞳は、鋭く、そして冷徹な光を宿し、まるで猛禽類のように戦場全体を見据えている。
引き締められた表情には、一切の感情の揺らぎも見られない。
そこには、戦場を支配し、勝利を確信する指揮官の凄みがあった。
「……カ、カレン……なのか……?」
俺は、自分の声が困惑に上ずっているのを感じた。
「説明している時間はありません。私の分析によれば、この状況を打開できる可能性は0.3%未満。ですが、私の指揮ならば、それを30%以上に引き上げることが可能です。信じてください」
カレンの声は、冷静で、淀みがなく、そして有無を言わせぬ命令的な響きを帯びていた。
驚くべきことに、彼女は瞬時に戦場全体の状況を完全に把握し、極めて精密な戦術指示を、俺やミナ、アイリに対して次々と発し始めたのだ。
「橘ミナ、あなたの現在位置より10時の方向、敵部隊の薄い箇所へ、15秒間の全力集中攻撃を。その後、反時計回りに迂回し、敵後方へ。白雪アイリ、ミナの陽動の間、敵部隊の左右の連携を寸断。3時の方向と9時の方向にいる指揮官タイプと思われる個体を最優先で排除。司令官は、私の合図で、現在位置より部隊を率い、中央突破を敢行。突破後の集結ポイントは、先程指示した旧商業ビル跡です」
彼女の指示は、まるで神の視点から戦場を見下ろしているかのように的確で、寸分の無駄もなかった。
俺も、そして通信越しに聞いていたミナやアイリも、そのあまりの変貌ぶりに困惑しながらも、その指示の的確さと、有無を言わせぬ迫力に、まるで操られるかのように従わざるを得なかった。
カレン自身の動きも、以前の彼女とは全く違っていた。
優雅さこそ残ってはいるものの、その一挙手一投足には一切の無駄がなく、まるで百戦錬磨の戦士か、あるいは冷徹な戦略家のように、戦場を静かに、しかし確実にコントロールしていく。
「――今です! 全員、反撃開始!」
カレンの凛とした合図と共に、俺たちバニー・フォースは、まるで生まれ変わったかのように、完璧な連携で反撃に転じた。
そして、カレン自身もまた、驚くべき回復サポート能力を発揮し始めた。
それは、単なる負傷者の「癒し」ではない。
俺やミナ、アイリの逆バニースーツのエネルギー効率を瞬間的に最適化し、それぞれの能力を最大限に引き出す、まさに戦術的なサポートだった。
まるで、彼女の意志そのものが、俺たちの力を増幅させているかのようだ。
「な、なんなの、これ……! これが……カレンちゃんの、本当の力……!?」
ミナが、デビルズを薙ぎ倒しながら、驚きと興奮の入り混じった声を上げるのが聞こえた。
信じられないことだが、あれほど絶望的だった戦況が、わずか10分後には完全に逆転していた。
統率を失い、混乱したデビルズの群れは、次々と撤退を開始し、やがて雨の廃墟の中に姿を消していった。
バニー・フォースの、奇跡的な勝利だった。
戦闘終了を告げる俺の号令と共に、カレンは、まるで糸が切れた人形のように、その場にふらりと膝をついた。
俺が慌てて駆け寄ると、彼女は苦しそうに頭を抱え、浅い呼吸を繰り返している。
「カレン! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
彼女がゆっくりと顔を上げると……そこには、先程までの冷徹な指揮官の面影はどこにもなく、いつもの、気弱で優しい、おっとりとした早乙女カレンの表情が戻っていた。
その大きな紫色の瞳は、困惑と、そしてなぜか涙で潤んでいる。
「……あれ……? わ、わたし……何を……してたんでしょうか……?」
彼女は、まるで数分間の記憶が完全に抜け落ちているかのように、不安そうに辺りを見回した。
「……もしかして、私たち……勝った、んですか……? でも、どうやって……?」
俺は、隣で同じようにカレンの異変を目の当たりにしていたアイリと、意味深な視線を交わした。
間違いなく、何かが起きている。
早乙女カレンの中に、俺たちの知らない、もう一つの何かが存在していることは、もはや疑いようもなかった。
基地へ帰還する輸送機の中、カレンだけは、深い疲労と、そして拭いきれない混乱に包まれていた。
彼女は、自分の両手を見つめたり、窓の外の流れる雲をぼんやりと眺めたりしながら、しきりに「……頭が、痛いんです……ズキズキする……」と小さな声で呟いていた。
そして、時折、まるで誰にも聞かれたくない秘密を打ち明けるかのように、虚空を見つめながら、遠くを凝視する。
「……なにか……声が、聞こえるような気がするんです……」
彼女は、俺の方を不安そうに見上げ、囁くように言った。
「わたしじゃない……でも……わたしの声、みたいな……それが、頭の中で……」
俺は、そんな彼女の様子を注意深く観察しながら、心の奥底で、ある決意を固めていた。
あの食堂で感じた、ほんの些細な違和感。
それが、今、確信へと変わった。
早乙女カレンの中に秘められた、この巨大な謎を、俺は、必ず解き明かさねばならない。
それが、彼女自身のためにも、そして、このバニー・フォースというチームのためにも、絶対に。




