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第28話

 あの壮絶な戦いから、一週間が経過した。


 廃墟と化した研究施設での一件は、俺たちバニー・フォース、特に白雪アイリにとって、大きな転換点となったと言えるだろう。


 JDF基地内の訓練場に併設されたバイタルチェックルーム。

 大型スクリーンには、今日の訓練を終えたばかりのアイリの各種データがリアルタイムで映し出されている。


 その数値を、マドカ博士が実に満足げな表情で眺めていた。

 白衣の胸ポケットから取り出したシリアルバーを齧りながら、彼女は俺と、その隣に立つアイリに向かって言った。


「いやー、驚くべき回復ぶり、というか、むしろ進化ね、これは!」


 マドカは、スクリーンに表示された逆バニースーツのエネルギー出力グラフを指し示す。

 そこには、以前のような不安定な波形ではなく、力強く、そして安定した曲線が描かれていた。

 

「基礎出力が、あの事件の前と比較して平均で30%以上も向上してるわ。しかも、特筆すべきはこの安定性。感情の爆発的な解放と、その後の適切なクールダウンを経験したことで、彼女の感情エネルギー変換効率そのものが、根本から改善されたみたいね」


 アイリは、その言葉を静かに聞いていた。

 逆バニースーツではなく、今は軽装の訓練ウェア姿だ。


 以前と変わらず、その美しい顔に表情らしい表情は浮かんでいない。

 

 だが、俺には分かる。

 

 その透き通るような青い瞳の奥には、以前にはなかった、静かだが確かな自信と、そして何かを見据えるような意志の光が宿っている。

 まるで、分厚い氷が解け、その下から清冽な泉が湧き出てきたかのようだ。


「感情抑制レベルのパラメータは、どうなんだ?」

「それも大幅に軽減されたわね」


 マドカは、別のグラフを呼び出しながら答える。


「もちろん、完全に感情が解放されたわけじゃないし、そう簡単になるものでもないでしょうけど、少なくとも以前のような危険なレベルでの自己抑制は見られない。かなり健全な数値に近づいていると言っていいわ」

「……まだ、私には多くの訓練が必要です」


 アイリが、静かに、しかしはっきりとした声で言った。

 

「私のこの能力を、自分の意志で完全にコントロールできるようになるまでは……まだ、時間がかかると思います」


 その言葉には、以前のような絶望や自己否定の色はなかった。

 ただ、自分自身と向き合い、課題を克服しようとする、真摯な響きがあった。


「それは当然のことだ」


 俺は、肩を軽くすくめてみせた。


「誰だって、最初から完璧な人間なんていやしない。俺だってそうだ。日々訓練し、失敗し、それでも前に進もうとする。それの繰り返しさ」

 

 俺の言葉に、アイリの白い耳が、ほんの少しだけ赤く染まったのが見えた。

 彼女は何も言わなかったが、小さく、本当に小さく頷いた。


 その時だった。


「おーい!  司令官!  アイリちゃーん!  聞いたー?」


 太陽みたいな明るい声と共に、訓練場のドアが勢いよく開き、オレンジ色のツインテールを揺らしながら橘ミナが飛び込んできた。

 その後ろからは、早乙女カレンがいつものように優しく微笑みながら続いている。

 二人とも、訓練を終えたばかりなのか、額にうっすらと汗を浮かべていた。


「あのね、私たち、近々、特別合同訓練があるんだって!  なんでも、アイリちゃんの新しい力を活かした、すっごい新戦術を開発するためなんだってさ!」

 

 ミナは、興奮冷めやらぬといった様子で、目をキラキラさせながらまくし立てる。


「そうなんですよ、アイリさん」


 カレンも、優しく言葉を継いだ。


「あなたの『感情増幅能力』を、今度はチーム全体の逆バニースーツの性能を向上させるために、積極的に活用していくんですって。マドカ博士が、もう新しいプログラムを組んでくださっているみたいです」


 アイリは、その言葉に驚いたように、ミナとカレンの顔を交互に見つめている。

 

「……私の……この、能力を……?」

「ああ、そうだ」


 俺が説明を引き継いだ。


「君の能力は、使い方次第では、バニー・フォース全体の戦闘能力を飛躍的に向上させる可能性を秘めている。もちろん、君自身への負担や、周囲への影響といったリスクも考慮しなければならないが……試してみる価値は十分にあると、俺は判断した」

「ええっ! それって最高じゃないですか!」


 ミナが、さらに興奮したように声を上げる。


「アイリちゃんの力で、私たちもみーんなパワーアップするなんて、もう無敵だね!」

「で、でも……もし、私がまた感情を上手くコントロールできなくて……みんなに迷惑を……」


 アイリの瞳に、一瞬だけ不安の色がよぎる。

 

「だからこそ、訓練するんでしょ?」


 マドカが、悪戯っぽく微笑みながら言った。


「それに、今度は一人じゃないわ。あなたには、頼れる仲間がいるんだから」


 その言葉に、ミナとカレンも、力強く頷いた。

 アイリは、そんな仲間たちの顔を一人一人見つめ、そして……ほんの少しだけ、口元を緩めたように見えた。


 ◇


 その日の夕方、JDF基地内の隊員食堂。


 俺たちバニー・フォースのメンバーは、いつものようにテーブルを囲み、ディナーを楽しんでいた。

 ミナは、大きな身振りと効果音を交えながら、今日の訓練であった(と彼女が思い込んでいる)武勇伝を熱く語り、カレンはそれを相槌を打ちながら優しく聞いている。


 時折、アイリもその会話に、短い相槌や、ほんの微かな反応を示している。

 俺は、そんな彼女たちの様子を、コーヒーを飲みながら静かに観察していた。


 アイリは、依然として無口で、表情の変化も乏しい。

 だが、以前のような、周囲を拒絶するような冷たいオーラは消え、どこか肩の力が抜けたような、自然な佇まいになっていた。

 それは本当に微妙な違いだったが、俺にははっきりと分かった。


 彼女は、もう完全に心を閉ざしてはいない。


 食事の終わり頃、ミナがパン! と手を叩いて提案した。


「ねえねえ!  今日、私の部屋で映画鑑賞会しない?  この前マドカ博士にこっそりもらった、最新のSF超大作のデータがあるんだ! なんでも、すっごい爆発と、熱い友情と、あと可愛い宇宙ペットが出てくるらしいよ!」

「わぁ、いいですね!」

 

 カレンはすぐに喜んで同意した。

 そして、ミナとカレンの二人は、期待に満ちたキラキラした眼差しを、アイリへと向ける。


 アイリは、その視線を受けて、一瞬、ほんの少しだけ躊躇うような素振りを見せた。

 だが、それも束の間。

 彼女は、ゆっくりと、しかし確かに頷いた。


「……参加、します」


 その声は静かだったが、拒絶の色はどこにもなかった。

 やがて、ミナとカレンが「じゃあ、準備してくるねー!」と賑やかに食堂を後にし、テーブルには俺とアイリの二人だけが残された。

 

「……順調そうだな」


 俺が、何気ない口調で言う。

 

「……まだ、慣れません」


 アイリは、正直に、そして少しだけ困ったような表情で答えた。


「感情を持つこと、それを表現すること……他人と、普通に接すること……全てが、まだ手探りです。でも……」


 彼女は、手元の空になった食器を、どこか愛おしそうに見つめた。

 

「でも、あの日……司令官が、私に言ってくださったこと……『君は兵器じゃない。一人の人間だ』って……。あの言葉を、もう少しだけ……信じてみようと、思います」

 

 俺は、その言葉に、思わず微笑んでいた。

 

「ああ。それは、良い決断だと思うぞ」


 アイリは、その俺の言葉に、ふっと顔を上げた。

 そして、ゆっくりと立ち上がり、去りかけて……途中で、ぴたりと足を止めた。

 

 そして、俺の方を、もう一度だけ、振り返った。


 その顔には――驚いたことに――ほんのかすかだが、しかし確実に、柔らかな微笑みが浮かんでいた。

 それは、まるで雪解け水のように清らかで、そして温かい、今まで見たこともないような、彼女の本当の笑顔だった。


「……ありがとう、ございました……司令官」


 その言葉を残し、彼女は今度こそ、食堂を後にしていった。

 俺は、少しだけ照れくさいような、そして何とも言えない温かい気持ちで、彼女のその後ろ姿を見送った。


「……どういたしまして……」


 自然と、そんな言葉が口をついて出ていた。


 彼女の歩き方には、以前にはなかった、どこか軽やかで、弾むようなリズムがあるように見えた。

 

 窓から差し込む夕日のオレンジ色の光が、彼女の銀色の髪と、その小さなシルエットを優しく照らし出し、まるで、彼女が新たな未来へと、確かな一歩を踏み出す瞬間を祝福しているかのようだった。


 俺は、その光景を胸に刻み込みながら、静かに微笑んだ。

 白雪アイリの、そして、俺たちバニー・フォースの未来は、まだ始まったばかりなのだ。

 

 そう、このイカれた世界で、俺たちの戦いは、きっと、これからも続いていくのだろうから。

 

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