第11話
任務失敗の翌日、午前10時。
俺と橘ミナは、JDF極東管区本部庁舎の最上階にある、第3査問委員会室の重々しい扉の前に立っていた。
ここに来るのは何度目か。
大抵、ろくなことでは呼び出されない場所だ。
部屋の中から漏れ聞こえてくる音は一切なく、ただひたすらに分厚い壁が、これから始まるであろう尋問の圧力を物語っているようだった。
俺の胃は、既に臨戦態勢に入って久しい。
「……司令官」
隣に立つミナが、消え入りそうな声で俺を呼んだ。
JDFの標準的な隊員用制服を着ている彼女のその肩は小さく震え、血の気の失せた顔は青白く、いつもの太陽みたいな輝きは完全に消え失せていた。
俺は何も言わず、ただ頷いて扉をノックした。
「真田ハヤト、及び橘ミナ、入室を許可願います」
「入れ」
室内から響いたのは、低く、感情の抑揚のない男の声だった。
足を踏み入れた査問委員会室は、窓一つない閉鎖的な空間だった。
壁一面にはJDFの輝かしい歴史を示すタペストリーや、歴代の英雄たちの肖像画が厳かに飾られているが、それがかえって息苦しさを増幅させている。
部屋の中央には、鏡面仕上げの黒曜石のような長大なテーブルが鎮座し、その向こう側に、JDF上層部の人間が二人、こちらに鋭い視線を向けて座っていた。
向かって右側が、白髪をオールバックにし、鷲鼻に神経質そうな細い眼鏡をかけた男――確か、戦略作戦局のナンバー2、ゴードン中将だったか。
書類仕事ばかりしているせいか、顔色は不健康に白い。
そして左側には、ブルドッグのように弛んだ頬に、威圧的な三白眼を持つ恰幅のいい男――人事考査局のオブライエン少将。
こちらは見るからに叩き上げの軍人といった風体で、常に不機嫌そうな顔をしている。
どちらも、俺たちバニー・フォースを快く思っていない筆頭格の連中だ。
やれやれ、最初からクライマックスだな。
俺とミナはテーブルの手前に直立不動の姿勢を取る。部屋の空気は、まるで鉛のように重かった。
ゴードン中将が、手元の分厚い報告書に視線を落としたまま、冷徹な声で読み上げ始めた。
「――昨夜未明、試験施設アルテミス・ラボにおいて発生したデビルズ襲撃事件に関する聴取を開始する。……調査の結果、極秘開発中の『感情増幅装置』プロトタイプは一部損壊。修復には最低でも1週間を要する見込み。被害拡大の直接的要因として、バニー・フォース所属、橘ミナ隊員の戦闘行動における重大な遅滞、及び一部戦闘放棄に近い状況が確認された。これは任務規定第7項及び第12項に著しく違反する行為と見なされる」
その言葉一つ一つが、まるで鋭い棘のようにミナの心に突き刺さっていくのが、隣にいる俺にも痛いほど伝わってきた。
ミナは顔を俯かせ、ぎゅっと唇を噛み締めている。
その小さな肩が、小刻みに震えている。
いつもの元気な姿は見る影もなく、まるで嵐に打たれた雛鳥のようだ。
続いて、オブライエン少将が、ゴードン中将の報告書から顔を上げ、威圧的な視線をミナに突き刺しながら、追い打ちをかけるように言った。
「橘隊員。君の自己申告によれば、『デビルズの予期せぬ奇襲攻撃に対し、適切な初動対応が取れなかった』とのことだが、提出された戦闘記録映像、及び君のスーツに搭載されたバイタルデータを見る限り、これは単なる対応の遅れではない。明らかなパニック状態、及びそれに起因する戦闘行動の完全な停止――つまり硬直状態に陥っていたと判断せざるを得ない。バニー・フォースの前衛アタッカーとして、その致命的なまでの精神的脆弱性は、隊員としての資質そのものに疑問符を付けざるを得んな」
オブライエン少将の言葉は、粘着質で、ねちっこい。
明らかにミナを精神的に追い詰めようという意図が透けて見える。
ミナは、もはや顔を上げることすらできないようだった。
か細く、消え入りそうな声で、ただ一言だけ絞り出す。
「……も、申し訳……ありませんでした……」
その声は、まるで罪人の告白のように、絶望の色を濃く滲ませていた。
見かねた俺は、一歩前に進み出た。
「お待ちください、両閣下。今回の任務失敗における全責任は、現場の指揮を執った指揮官である、この私にあります」
俺は、床に視線を落とし、深く頭を下げた。
「隊員の状況判断の甘さ、不測の事態への対応訓練の不足、そして何より、隊員の精神状態を事前に把握しきれなかったこと、全ては私の監督不行き届きによるものです。いかなる処分も、私が受ける所存です」
隣でミナが息を呑む気配がした。
だが、俺は顔を上げなかった。
これが、今の俺にできる、唯一のことだったからだ。
ゴードン中将は、表情一つ変えずに、俺の言葉を聞いていた。
やがて、冷たい声で言い放つ。
「真田司令の責任については、別途、軍法会議にて正式に審議することになるだろう。それは覚悟しておくことだ。だが、それはそれとして、橘隊員の処遇についても、我々は再検討せざるを得ないと考えている。バニー・フォースの存在意義そのものも含めてな」
その言葉は、事実上の最後通告のように、この重苦しい部屋に響き渡った。
……結局、査問会はそれ以上何か進展があるわけでもなく、形式的な質疑応答が数回繰り返されただけで終了した。
部屋を出るミナの足取りは、まるで鉛を引きずっているかのように重かった。
その小さな背中は、今にも折れてしまいそうなくらいに頼りなく見えた。
俺は、そんな彼女の背中を、ただ複雑な表情で見送ることしかできなかった。
胸に渦巻くのは、無力感と、そして……どうしようもない焦燥感。
(橘……お前を、どうすれば救える……?)
答えの出ない問いが、俺の頭の中で何度も何度も反響していた。




