方針決定
俺とエミリア嬢は応接室に通された。
侍従はアランたちに付いていったのか、お茶を出してくれたのは中年のメイドだった。
ひどく恐縮した様子でお茶を注ぎ、お菓子のお皿を置く。
「すごくおいしそうだわ!!」
エミリア嬢は瞳をキラキラさせている。
皿の上にあるのは何の変哲もない、むしろ多少いびつな形をしたジャムクッキーらしき焼き菓子である。
しかし、かくいう俺も口の中に唾が溜まっていた。
きっと俺たちが来たので、急いで用意してくれたのだろう。
室内には明らかに焼き立てのお菓子特有の甘い香りが漂っているのだ。
抗えるはずもない。
「おっ……おいひいわ!!!」
クッキーを口の中に含んだままカッと目を見開いたエミリア嬢が、バンバンと俺の肩を叩く。
俺も続いて大きく開けた口へ放り入れれば、ほかほかとした温かさと乳脂の香り、小麦の香ばしさと果物の甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。
これまでご相伴にあずかった王都の洗練されたお菓子とは違い、昔に実家で食べていたものを思い出すような懐かしくて素朴なおいしさがある。
……いや、それよりもっとうまいか。
客人に出すのと、自分のところの食べ盛りの子供向けでは、違いも出るはずだ。
そんなことを考えながらもぐもぐとしていると、反応に気を良くしたらしいメイドがニコニコと笑顔を浮かべる。
「お口に合ったようでよかったです」
「焼き立てなのもあるけど、とにかくこのジャムが抜群においしいのよ! どうなってるのこれ!?」
「あら、まぁ……地元の特産品をジャムにしたものですが、高貴な方にそうおっしゃっていただけるのは本当にありがたいことですね」
「特産品!? そういえばアランがそんな話をしていたわね」
聞けば、クッキーにのっているのはプラムのジャムだという。
ボーウェン子爵領の特産品はプラムとイチジクで、収穫期になると隣国の商人がやってきては大量に購入していくらしい。
この国ではさほど珍しい果物でもないが、山を挟んだ反対側の国では育たないので需要があるそうだ。
「だから王都では流通していないというの……!? なんて口惜しいのかしら」
あまりに憎々しげに言うものだから、メイドはコロコロと笑い出した。
自分のところで作ったものをこんな風に言われたら嬉しいのだろう。
「まあまあ、お嬢様がそんなに気に入ってくださったのでしたら、ジャムの瓶をいくつかお持ち帰りくださいまし」
「あはっ、嬉しいわ! 遠慮なくいただいていくわね!」
よっぽど気に入ったのだろう。
深紅の瞳を細めて屈託なく笑うエミリア嬢だが、その間もクッキーを口に運ぶ手は止まらない。
それでも上品に見えるのだからすごいと思う。
あまりにおいしそうに食べるものだから、俺の分も進呈した。
この笑顔を守りたかったのだ。
***
しばらくすると、アランとメリッサ嬢が戻ってきた。
二人の決意を固めた表情に、俺も背筋を伸ばす。
エミリア嬢は、まるでこの部屋の主であるかのように腕を組んで二人を見据えた。
「どうやら結論が出たみたいね」
「はい……おっしゃっていただいた通り、寄付を募るオークションに全て出品したいと思います。もちろん、あの鶏の置物もです」
アランは大きく息を吐いた。
「父の気持ちは嬉しいです。しかし、先立つものがなければどうしようもありません。僕の大切なものを守るために、今必要なものです。何よりも……傍にいてほしいのはメリッサで、幸福を運ぶ鶏ではありません。彼女と共に歩む未来と天秤にかけるものなどないと気づかせていただきました」
「アラン……」
「込められた想いは、大切に胸に刻んでおきます。鶏は、オークションの目玉として出品してください。……きっと、父も許してくれるでしょう」
「よく言ったわ!」
エミリア嬢は満足そうに笑う。
浮かんでいるのは、ちょっと悪そうに見える笑みだ。
「あはっ、オークションの開催は私に任せておきなさい! あの鶏は、貴方のお父様が買ったときよりも絶対に高く売ってみせるわ! もちろん、他の品も全てよ!」
楽しいことは得意分野だと、エミリア嬢はやる気に満ち溢れている。
アランは今になっておろおろとしはじめているが、既に手遅れだ。
こうなった彼女は、もう止まらない。
「だから貴方はゆっくり休みなさい。心配事はまだたくさんあるでしょうけど、オークション当日にもそんな体たらくじゃ困るの。どれだけ取り繕ったところで、ボーウェン子爵家が困った状況にあると丸わかりよ」
「そうよ、エミリアさんの言うとおりだわ。アラン……せめて王都にいる間は、きちんと食事と睡眠をとってちょうだい。私も心配でたまらないの」
口々にそう言われ、アランは苦笑しながら頷いた。
恐らく、メリッサ嬢と二人になった際も散々言われたのだろう。
最後にエミリア嬢は、彼に釘を刺すように重々しく言った。
「落ち着いてからでいいから、領地にいるメリッサのご両親にもきちんと説明するのよ。二人が想い合っていることも、貴方が誠実なこともちゃんと理解してくれるわ。大変なときに頼らなかったことを怒られたなら、きちんと謝りなさい」
「……はい。もちろんです」
アランは恥じ入っているようだったが、真剣に頷いた。
多分、彼はもう大丈夫だろう。
少なくとも、重荷の一つは外れたのだ。
自分がどれほど大変な状況にあっても、薄れるどころか想いが強まる相手がいるというのは羨ましいことだと思った。