アランの事情
メリッサ嬢に促され、アランはソファーに座り直し居住まいを正した。
「どこから話せばいいのか……君と話した日は僕も混乱していて、不安にさせて悪かった。とんでもなく最悪な知らせが立て続けに来て、その対応に追われていたんだ」
そう言って、アランは再びメリッサ嬢に頭を下げた。
「結婚できないかもしれないと口にしたのは、卒業後に君を妻として迎え入れられるか、その時点で怪しかったからだ。そのくらい領地の情勢が不安定で、それがいつまで続くかもわからない状態で……けれど、僕と結婚するせいで君を不幸には絶対にしたくなかった……!」
「そんな……! あぁ、アラン……」
「そうならないために、今は全力で対応している最中なんだ。君には辛い思いをさせて、本当に申し訳ない」
憔悴の滲むアランの様子に、メリッサ嬢も悲痛な表情を浮かべる。
アランは苦悩を抑えるように頭に手をやりつつ、自身の置かれた悲惨な状況を簡潔に語った。
ボーウェン子爵領にある河川の一部が氾濫し、橋が流されたこと。
周囲の確認や周辺住民の避難など、対応に向かった領主である彼の父親がその際に事故で怪我を負い、意識不明の重体となったこと。
領地へ呼び戻された彼は被害の復旧に向け、日夜対応に追われることとなる。
彼の母親は、目を覚まさない夫の看病にかかりきりになったという。
大変なのはそれだけではなかった。
元より領地が潤っているなどとはとても言えず、大した財産も持たないボーウェン子爵家ではあったが、金庫の中身がほとんど空だったのは彼も予想外の事態だった。
橋の修繕や住民たちへの支援など、多額の資金が必要となるのは言うまでもない。
「とにかく、悪夢のような日々だったんだ。……いや、それは今も続いている。僕はそんな状況の中で、自分にできることを一つずつ片付けていくしかない」
アランはソファーにもたれ、疲れたように目元を押さえた。
そのやけに体に染みついたような動作から、彼がどれほどの困難をくぐり抜けてきたのかが垣間見えた。
このひと月というのは、アランにとっても短いものではなかったのだろう。
それを感じさせる瞬間であった。
「すまない、メリッサ。寝る間も惜しいほど、多忙だったのは事実だ。けれど……君から届いた手紙には目を通していた。当然、返事を出すべきだったが……どうしてもできなかった」
とうとうアランは、頭を抱えてうめいた。
「君に、僕のこんな情けない状況を知らせたくなかったんだ。その勇気が、どうしても出なかった。本当に……すまない」
「そんな、アランは情けなくなんかないわ……! 大変な中で、一生懸命頑張っていたんじゃない」
気づけば、メリッサ嬢は立ち上がっていた。
そうして今度は彼女がアランの元へ駆け寄ると、こわばった彼の肩を優しく撫でる。
「私、何も知らなくて……そんなことになっているなんて、考えもしなかった」
「僕が一切伝えなかったんだから、当然じゃないか。こんな風に優しくしてくれることなんかない。僕は最低の男だ」
「あなたを最低だなんて思わないわ、アラン」
「メリッサ……!」
「ちょっと! お互い感傷に浸るのは結構だけど、それじゃあ何も解決していないじゃない」
見つめ合う二人に、エミリア嬢の呆れたような声が割って入る。
メリッサ嬢とアランはハッと顔を上げ、ばつの悪そうな表情を浮かべたのだった。
***
少し気恥ずかしげなメリッサ嬢に、アランの隣に座っていた俺はソファーの席を譲った。
流石に、ようやく婚約者との再開を果たした二人をもう一度引き離すのは心苦しかったのだ。
そうなると必然的に、先ほどまでメリッサ嬢のいたエミリア嬢の隣が空くわけだが……そこに座るのも、それはそれで気が引ける。
わずかに逡巡したものの、俺は結局エミリア嬢の「早く座りなさいよ」という視線に従った。
「アラン、お父様のお加減はどうなっているの? あなたがここにいるってことは、お母様おひとりで一層大変なのではないの? 被害のあった地域は……領民の方たちは安全なの?」
メリッサ嬢がアランの手を握り、心配そうに問いかける。
彼女にとっても、気が気ではないだろう。
婚約者とは家族ぐるみで良好な関係を築いていることがわかる。
アランは彼女の言葉に頷くと、安心させるような笑みを浮かべた。
「あぁ……父の容態は、かなり安定したんだ。もう、いつ目を覚ましてもおかしくはないと医者も言っている。ようやく母も落ち着いて、別の部屋で寝てくれるようになった」
「よかった……! それで少しは安心ね」
「本当に。幸いなことに、領民にも死者は出ていない。父の初期対応がよかったんだろう、被害も最小限に留まっていると思う」
彼の話に、室内には少し安堵の雰囲気が流れる。
大変なことは多かったのだろうが、聞く分にはこのひと月の間に大分状況は改善したように感じられる。
そこで腕を組んだエミリア嬢が、アランへ胡乱げな視線を送る。
「貴方が大変な状況だったのはよくわかったけど、今日学園に現れたのはどうして?」
「それは……お恥ずかしながら、金策のためです」
「金策?」
全員が首を傾げる中、アランは目を伏せる。
本当は、こんな話などしたくないのだということが強く伝わってくる。
「橋の修繕などの復旧に伴う費用を捻出するため、領地から売れそうな家財を運んできたのです。向こうで処理するよりも、王都で販売した方が少しでも高く売れるのではないかと思い……。しかし僕にはそういった伝手がないので、友人たちに協力してもらえないか声をかけていくつもりでした」
「あら……そんなに酷いの?」
「借金がなかったことが救いです。収入の目途はありますが、それは収穫期を終えた後のことで……。それでも到底、まかないきれるようなものではありません」
アランは暗い表情でため息を吐いた。
これで知らない借用書でも見つかろうものならどうしようもなかったと、苦渋の色を滲ませている。
「どういう品を持ってきたの? 内容次第では手を貸せると思うわ」
「本当ですか!?」
「エミリアさん、ありがとうございます……!」
エミリア嬢の言葉にアランは目を白黒させ、メリッサ嬢は瞳を潤ませて頭を下げる。
そんな二人に、エミリア嬢は「内容次第だって言ってるでしょ」と手をひらひらと振った。
「それに貴方が落ち着かないことには、メリッサとの婚約がどうなるかわからないじゃない。アラン、貴方メリッサと結婚したいんでしょう?」
「もちろんです!!」
そんなやりとりに、メリッサ嬢はぽっと頬を赤らめる。
やはりこの二人は想いが通じ合っているのだ。
眩しくて、少し羨ましく思ってしまう。
「あはっ、楽しくなってきたわね……!」
エミリア嬢はエミリア嬢で、鼻息が荒くなってきている。
この婚約の行方が気になって仕方のないところに、事情を知れただけでなく自分が協力できるかもしれないのだ。
興奮するのも仕方のないことだろう。