表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宗盛記  作者: 常磐林蔵
第3章 伊豆守、受領

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/107

宗盛記0093 永暦二年五月

永暦二年五月皐月


皐月にはすでにサツキの花は終わっている不思議。

雨。よく降るなぁ。ワタの成長が早い。すくすく育っていく。花期に雨が少ないほうが良いというので先月植えたんだが、正解だったかな。特に大豆畑跡+鶏糞畑での成長はかなりいい。予想通り成長に肥料をそれなりに必要とするらしい。化学肥料ないからなぁ。

近世なら干鰯をどんどん投入していた。

前世だと獲りすぎでイワシが激減していた。


この時代の、というか近世までの五月晴れは、梅雨の合間の晴のことだ。

すっかり晴れ上がったこんな日は、九里の道を冷川峠に向かう。馬で三刻。歩けば一日掛かり。峠に着くと昼すぎになっちゃうので修善寺で泊まる。目的はもちろん温泉。

修善寺は真言宗の寺院なんで、他宗より縁が深い。他の寺より少しだけ手厚くしとこう。

次の日。現地で工事の今後の工程を決めていく。峠の西側が険しい地形が多くて、削るところも多い。掘削で出た石は交差する沢なんかの護岸に使う。硬い石は漆喰モルタルと組み合わせて舗装とかにもする。まぁ、雨が多いと進捗はちびちび。


修善寺から冷川に向かう北側の白岩というところで、大規模に石灰岩が採れることがわかった。地名大事。ここが見つかっている中で三嶋に一番近いかな。この距離なら一日で三嶋に運べる。帰る前に、都にもある程度送っとかないとな。


冷川峠から伊東まではニ里ちょい。

道もそこそこ良くなったし下りなので、一刻もかからない。また降り出したが、工事現場で蓑を借りて伊東祐親の館に。雨の山道はさすがにしんどい。

今回は港の改良について話し合う。職人達も三嶋から呼んで来てもらうことにした。山道の手前までは車で、峠は歩いてもらう。


これも俺の前世知識だが、今は平安海進の終期に当たる。要は縄文の頃のように暖かくなって海岸線が山に寄ってきてるのだ。温暖化の時代。それでも前世よりは涼しいんだが。海進の時代には砂浜が減る。海際の道が通りにくくなる。

この時代の港というのは、大抵単なる砂浜である。

鎌倉の東、葉山の北に和賀江島という日本最初の人工の港が残っているのを見に行ったことがある。もちろん前世の話。単なる浅瀬、海上の孤立した狭い砂地だった。

現世、和賀江島なんてまだない。下手するとないままで終わる。

この時代の港の第一の条件は、風待できること。風が吹いても舟を泊めておけることだ。次いで付近に岩礁がないこと。あったら時々舟が難破する。場所が分かっていても、事故というのは起こるのだ。波や風の力はハンパではない。だから平安海進のこの時代、港はたいてい河口である。伊東港も大川の河口の南側。なんか小さな湾ができている。伊東湾と言うらしい。

良港となるとこれにいくつかの条件が加わる。四方ができるだけ囲まれているのがいい。大坂や名古屋や江戸みたいに両側を島や半島で囲まれてるのが最高である。嵐になっても高い波が来ないところ。できれば津波も来ない所。

後はランドマークがあったり、街や街道が近くにあること。まぁ、これは良港なら自然にできる。水や食料、薪が補給できて、港の設備やエロ関係が充実してたりするとなおよろしい。

伊東はかなりいい。湾口が狭まっていて北東側の出口以外が塞がっているのが良い。伊東ってこんな地形だったかな、と思うが、八百年後は色々変わってても仕方ない。

日本は偏西風の影響でどちらかというと南西風が多い。だから南西が陸地なのはそれだけで長所になる。

これをさらに使いやすくするには、防波堤があればいい。これで港の価値は跳ね上がる。この時代、そんなことを考えてもまず無駄だ。技術が追いつかない。これをあえてやったのが平清盛、父上だ。もっともまだ先の話。

なぜ防波堤ができないか?土を入れても石を入れても、波が崩していくからだ。だから膨大な量の石を入れて、少しずつ高くして海中に丘を造っていくしかない。もちろん流されないほど大きな岩を沈められるなら話は別だ。俺はそのやり方を応用する。

ということで、伊東港の防波堤工事である。湾の両腕にあたる砂州を伸ばしていく。さらに段違いに伸ばせは湾口を覆えるので直接の大波は来なくなる。流石に時間がないので、できるところまでやるか。

土木は建築の近接分野で、大学の教養でも共通の単位は多い。多くのゼネコンは両分野を手掛けている。俺も教養程度の土木は履修している。

やっぱり港湾工事と言えばケーソンだろう。捨石をした後コンクリートで作った箱を沈めて、後で石を詰めて防波堤や岸壁を作る。前世では一辺100mに近いケーソンをそのまま沈めて海底トンネル作ったりしてた。問題はコンクリートがない。

最初だから、手探り。先ずは捨石からである。冷川峠や宇佐美沿岸の工事とリンクする。工事で出た石を、砂州を延ばすような形で海中に捨てていく。本来潜水して計画通り敷いていくのだが、そんな事ができる訳もなく、文字通りの捨石である。

海岸にコロを敷き詰めて、杭で固定してから、一丈立方の木の箱を作り、枠にする。木材は水に強い栗を使う。ほぞまで切った後柿渋に三日漬け込んでできるだけ染み込ませてから乾燥させる。

大体四畳半位の床面積。方丈である。

床と壁沿いに煉瓦を組んで、モルタルで固めていく。煉瓦は二寸✕四寸✕八寸の直方体。溝が長辺に二本、短辺に一本、高さを変えて彫り込んである。ずれに対応するために上面下面は鑢目やすりめ。もちろん型で作る。敷き詰めた後、溝に割った竹を入れてモルタルで固める。このままでは板と厚さ八寸の煉瓦の床と壁だ。十分固まったら浜から船で曳いて目標の位置まで持っていき、底に煉瓦を足しながら二寸ずつ厚みを増していく。

そのうちケーソンの浮力が減って水より重くなってゆっくり沈んでいき接地する。中の凹みに煉瓦を足していって、上まで届いたら、一丈立方の防波堤のブロックができる。設置場所の誘導が難しいところ。沈み始めたら周りから棹で突いていい位置に誘導しないといけない。舟の反対側で逆に海底を突かないとただ流される。水深のもっと浅いところは、ケーソンの高さを低くすればいいだけだからこれで水深七尺(約2.1m)位の所まで防波堤ができる。これを三つ作って沈めるのに半月掛かった。三つ並べれば防波堤の厚みは約三丈(約9m)になる。後は祐親に引き渡す。同じやり方で防波堤を伸ばしていけばいい。同じやり方で月二丈ずつ伸ばしていける。塩で十分まかなえるだろう。

敷設位置の測深と位置設計は俺がやった。

ただ、波の力というのは、ハンパなく強い。このままだと必ず流される。コンクリート製の厚さ10mを超える堤防も海底ごと流されたりするのだ。だから波の力の掛かる外側に斜面を作って横からの力を分散する。本来ならテトラポットを入れていくんだが、替わりに石を捨てていく。これでも洗掘という現象でいずれ崩れるだろうし、津波が来たら耐えられないだろうが、そん時は又造ればいい。俺の死んだ後のことまでは知らんし。そもそも浚渫しないといずれ湾が埋まる。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□□□□□□□□□

               □□□

               □□□

               □□□

□□□            □□□

□□□            □□□

□□□            □□□

□□□□□□□□□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□□□□□□□□□


こういう物の大きいのを作ろうとしている訳だ。もちろん陸側のほとんどは砂浜と砂州。


ちなみに海中の木の部分というのは、少しずつ減っていく。腐るのではない。フナクイムシという貝の仲間の生き物が、少しずつ喰うのだ。海中のシロアリみたいなものである。だからいずれボロボロになり、なくなってしまう。柿渋のタンニンが引き延ばしてくれるといいが。

俺のやり方は、言ってみれば煉瓦造りの家を逆さまにして沖に運んで、中を埋めて沈めるのだ。後で煉瓦を足していって一塊の大きなブロックを作る。ケーソンの位置は大潮の頃の満潮の高さを元に二尺ほど高く考えている。ひとつ目は砂州の先端から二段(22m)と少し離れたところに沈める。上では船が間違って衝突しないように上で小さな篝火を焚かせる。内側は大型の船が横付けできる、波止場にする。これで港としてはかなり良くなるはずだ。

今年伊東に俺ができるのはこの辺までか。


広島の福山の南に鞆の浦という街があって、江戸時代の港町を良く留めている美しいところだ。江戸時代の港の五要素というのがあって、番所、常夜灯、雁木、波止場、焚場が、全て残っているのは鞆の浦だけである。これら五つを揃えれば、伊東は日本で最も先進的な港になるな。あ、余裕ができたらクレーンとキャプスタンも作ろうか…。


八重姫に猫の張子をあげる。すごく嬉しそう。癒やされる。この子は笑顔が可愛いし、頭撫でても目を細めて気持ちよさそう。まして蹴らないから安心である。サラサラの髪が気持ちいい。


港の工事と並行して、木綿関連の道具を作った。まずは綿繰機。

木綿というのは、ワタの種から伸びる長い繊維でできている。

直径二寸程の二つの丸木を引っ付けた状態で枠に取り付けて、片端に歯車を固定して、一方の丸木が回ったらもう一方は逆に回るように作る。要は印刷機のローラーの様なものだ。昔の洗濯機の脱水装置もこんな感じ。片方の丸木の歯車と反対側の端にクランクハンドルを取り付けて、枠から伸ばした板で装置全体が体重で固定できるようにしたら出来上がり。二つのローラーの間に綿を入れて回すと、種だけ引きちぎられて受け皿に残るという装置だ。今ある種もおそらくそうやって手に入れた。種は油が多いので、搾ったりもできる。前世では実物も多く残っていて、博物館に割とよくあった。これを五台ほど作る。

次は糸車だ。綿の塊から伸ばした繊維を糸巻きに取り付けて手で車を回すと、んだ糸が巻き取られていく。この際に自然と撚りがかかっていくのだ。これも色んなところで目にした。羊輸入したらそっちにも使えるな。

これも五台。



三嶋に帰ったら清子からの手紙。

滋子姫が御懐妊らしい。

泣き崩れた。もう何もする気がしない。

おのれ後白河院。プチ呪う。

気持ちだけ。実際なんかやると重罪である。

次は流されて伊豆に来るとか、シャレにならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>羊輸入 飛鳥時代から導入の記録はありますけれども、なかなか定着しないんですよねー 国土の殆どが山林の日本では放牧地が乏しくて飼育が難しかったんでしょうかね…… (飼育舎で飼うと毛が無茶苦茶汚くなるの…
現在、なろうで一番更新を愉しみにしている作品です 作者様の書きたいように書いてください 自分はwikiのお世話になりながら、宗盛君の内政を味わってます 作者と読者の知識に落差はあっても、阿る必要はない…
うーん、説明回の一人語りなのでなんというか内容かは凄いことかいてるのに物語として面白くないのが残念。 もうだれか一人と会話調でボケとツッコミで話を進めれたらよかったんですが、宗盛さんの周囲にそんな切れ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ