宗盛記0092 永暦二年四月
永暦二年四月卯月
先月の名残で、礼状の返信を書くのに月の始めはかかりっきりだった。
中には上総広常からのもあった。
いかにも書き慣れない文字で
『せわになった ひろつね』
と、あった。なんか心が躍った。
いろは四十八(んも入れて)文字を書いて、まずこれだけ覚えるように返信する。濁点と半濁点も説明する。今後、この文字で手紙を書くからと。漢字にはふりがなを付けるからと。
ひらがな…限定しちゃえばいいんだ。
伊豆の国の触れも家人への手紙も、文字を絞ろう。なら四十八文字覚えれば、こちらの意図を伝達できるじゃないか…なんでこんなことを思いつかなかったんだ。
『上総どの つぎにあえるひをたのしみにしている 宗盛』
赴任して一年…と少し経った。
空いている土地では菜の花が随分収穫できた。
例によって買い取って、搾油して国衙の油に換える。これで浮いた油代は無論俺の収入だ。今年はさらに余裕があるので、一部は三嶋の市で販売、残りは武蔵、常陸、遠江に送ろう。無論有料である。従来の荏胡麻油なんかに比べてかなり割安。昔の菜種油は量によっては心筋を痛めるらしいから、食用には使わないように藍で薄い色をつけてある。小遣い稼ぎをする。ちまちま…。
去年一年で、半信半疑でレンゲを植えた田の生産が少し上がった。それを聞いた農家は、今年は割と植えだした。去年集めた種で。無論種は有料である。ちまちま…。
からし菜の育ちもいい。今年は随分増えた。これは都で売ろうと思っていたが、坂東の各地から問い合わせが来ている。他にわさびや干物なんかも売れているようだ。もちろんお分けする。ちまちま…。
職人達の販売も好調な様だ。もちろん利益の二割は俺の収入である。それなりに…。
さらに極めつけは塩である。サラリーはサラサラ…これが美味しい。
工事なんかで結構使ったが、蔵人の時よりは随分稼いでいる。父上には言わないが。もちろん工事や宴の準備なんかで使った分は報告してある。一年目はあんまり収入ありませんでした。将来の我が家への投資だと思って許して父上…。
でもバイト代は別腹だろう。ずっと受領してたいなぁ。
国衙領(荘園でない農地)で、新しく建てた鶏舎近くの大豆畑を借り上げて、半分に鶏糞を撒かせる。少し離れた、今まで豆類を植えていない畑でも同じ様にする。
半分しか撒かないのは比較のためだ。それと実入りが悪いと言う大豆生産の改良である。当然鶏舎も含めて周辺農家にとても評判が悪い。こういう時の切り札は減税である。周囲一町の農家と交渉し、鶏糞を撒いて少し休ませた畑で畑作を続けてもらう。この地域は税を一割引きとする。周囲五町の農地は税を五分下げる。臭いの詫びである。それだけで周辺農家の評判がとても良くなった。そらそうだ。ざっとした話だが農民は年収の約半分はいろんな名目の税に取られる。これが一割減れば年収が五分増える。
前世でも年収が5%増えたら、与党への支持率はずっと上がるだろう。
五割の税は良心的だと思うかもしれないが、戦国時代と比べてもずっと低い生産量からの五割である。苛政と言っていい。名目では三割とか言ってるが、その他の税の取り立て分とか含めるとそれくらいになるのだ。
ではなぜ農民の評判なんて気にするかといえば、鶏舎なんて初めての施設に反感が強いと、事故が起こりやすいかと思ったからだ。受け入れられればそのうち、自分達で育てて肉や卵を売ろうとするものがが出てくるかもしれない。
大豆を作っている農家は保証金を弾んだ上、足踏み脱穀機や唐箕が無料で利用できるようにしたので嬉しそうである。実験に快く協力してくれるという。
800年後の農家の常識、大豆の連作障害はまだ知らないようだった。当たり前だ。替える土地の余裕などない。普通は。水田だけでは食べていけず、米の取れないところで畑作して辛うじて税を払い続けるのがやっと。そういう農家である。ましてダイズシストセンチュウなんて微細な虫が原因とか知るわけがない。これを説得するのは結果を見せるしかない。ダイズシストセンチュウは、地中のシスト内で何年か生き続ける厄介な虫だが、豆科植物以外には寄生できない。麦でも野菜でも作って大丈夫なのだ。
国衙主導の輪作である。
鶏糞で臭くなる前に畑から確保した土を天日に晒したものを、鉢に入れて綿の種を植えていく。植木鉢作りは泉作に頼んだ。穴の空いた素焼きの鉢を怪しんでいたが、轆轤を回すまでもない、型作りの大量生産でガシガシ作ってもらう。なんせ一袋の種だ。予備の半分を残して植える。鉄雄に頼んで作った打出しの如雨露で、水をやる。大きくなれ綿花。
農家に、水やりを頼む。水の量を列ごとに変えて、葉が弱ってきたら水を増減してもらう。最適の水の量を調べるためだ。うまく育ったら報奨金を約束する。
熱海の温泉に行く。
宿の建築が始まっている。温泉の隣である。宿の名は…貫一楼にしよう。なんか肉まんが食べたくなった。
港の様子を確認する。そのまま海路の定期便で馬ごと宇佐美に移動。また景経がヘタれた。馬もかなり嫌そう。すまん、沿岸の道の整備には時間がかかる。慣れてくれ。
宇佐美で塩作りの監督。信じられないほどの収量だという。と言っても以前の十倍ほど。伊東と同じ位である。ポンプは使ってないので生産コストはコチラのほうが掛かっているが、動力が人力なだけなので生産効率はたいして変わらない。それなりに凄いかな。出稼ぎの必要がなくなったとかで、冷川峠で前に見た顔もこっちに帰っている。できた塩はそのまま舟で伊豆国外に輸出する。
宇佐美からは亀石峠を通って北条に出る道がある。人専用。馬も牛も無理。開発する気にもならなかった。山道である。徒歩なら一番近いんだが。
ここでも綿花の種を蒔く。残り四分の一。
ツユクサが咲いているのを見つけた。花を集めて、搾り汁に和紙を浸して乾かす様に、宇佐美の子どもたちに頼む。報酬は水飴である。やる気がはねあがった。来年も欲しければ取りすぎないようにと注意する。
水飴は高価なものだが、その原因の多くは人件費と燃料費だ。燃料の豊富な山国で作ったほうが当然コスパがいい。しかもやり方さえ覚えれば誰でも作れるし、味さえ問わなければ稗や粟、黍等の雑穀や、芋、葛、大根等の根菜からもできる。要は材料にでんぷんさえ多く含まれていればいいのだ。雑穀は鶏の餌としても買い取りを始めたが、雑穀や畑しか作れない土地しか持たない農家は当然貧しい。大抵何らかの原因で没落した農民だ。労働力も含めて利用すればみんな幸せである。
さらに大きな利点として、日持ちする。細菌やカビの繁殖可能なレベルより、浸透圧がはるかに高い。
他に病気の子供達には無料で、水飴を支給する様に村役に命じておく。子供を育てるには多くのリソースが掛かっている。低栄養で死亡率が上がると、結局誰も得をしない。もちろん全てを救えるほど、俺の手は大きくはないが。
伊東で祐親と相談。来年以降、俺が居なくなった後の話だ。予め言っておいたんだがかなり動揺される。ウチの知行国ではあり続けるし、俺も定期的に来るからと説得する。ここまで育てた伊豆を手放すつもりはない。
八重姫が遊んでほしそう。妹慣れしてる俺はこれくらいの歳の子の相手は得意である。肩車で庭を散歩する。時々スキップ。時々バック。とても嬉しそうである。絵面が不審者っぽいが指摘されないからいいか。
もちろん帰る前に温泉を楽しむ。
冷川峠を回って帰る。人夫は若干減ったがさほど支障はないようだ。他国から少しずつ人が入ってきているという。馬から降りずに峠を越えれるようになった。ただまぁ、まだ馬の負荷は大きい。峠の最高部が割と急なので少し削ってもらう。切通の感じ。目指せ荷車輸送。牛を集めることを始めてもらう。荷は牛に積み替えて運ぶ。もちろん荷車が使えるようになったらそちらに使う。
東国、不破鈴鹿より東では、牛より馬が多くなる。坂東以北ではほぼ馬である。
消化管の短い馬は、腸内での発酵の度合いが低く、地面に落ちてからも発酵が続くので温かい。肥料にした時、発酵熱が期待できる。さらに牛に比べれば草の消費量が少ないのだ。
東京の競馬場跡に馬の博物館があったなぁ。
以前雑な測量で出したこの峠の最高地点は約百二十丈(360m)である。北側の頂きが割と近く高度差も十丈位。こっちは崖である。南側は十町(約1.1km)程離れていて高度差もあるが傾斜は緩い。とりあえずどちらにも登れるルートを作ることにする。高所からの見通しが欲しいのだ。作るのは階段、大きく削るのは大儀なので煉瓦と漆喰を使う。土を洗い流し表面の石灰石を削って煉瓦を敷いて、一段ずつ固めていくのだ。斜面の法面は岩場以外は最大30度。それ以上の所も煉瓦と漆喰で固める。
人夫長屋は好評だった。
修善寺で温泉に入ったあと、北条時政の屋敷に招かれて立ち寄った。地方武士の屋敷は珍しいので、嬉しい。
門の左側の角の建屋の上に簡単な櫓が建ててあって、板と竹製の鳴子が掛かっている。紐が付いた引板と言われるものだ。つまり警報機。国境から割と離れたこの辺りでも、野盗なんかの襲撃がありうるのかな。
用地は一町四方程のほぼ方形。周囲を囲む横に渡した板塀の中央に開いた冠木門。これを抜けるといきなり主屋が現れる変則的な寝殿造で、屋根は板屋根、寝殿(主屋)だけが寄棟板葺の上に切妻茅葺の屋根が乗って錣屋根になっている。ちょっと珍しい造りでワクワクする。
渡殿で繋がった寄棟の対が一棟、同じ程度の大きさだが独立した建屋が三棟。やや小さな建屋や小屋がいくつか。
寝殿は土壁と蔀戸併用。平入の妻戸が片側に付き、対への渡殿には網代の簡単な扉が立ててある。蔀の裏の御簾なんかは…千茅製かな?竹じゃないから簾と呼ぶべきか。建屋の一つは蔵に使っているらしい。厨や厠は小屋。
大姫の政子ちゃんに紹介された。五つ。近寄ってきたので頭を撫でようとしたらいきなり膝裏を蹴られた。よろめいて呆然とする俺と時政を残してそのまま逃げて行った。とても勝気な女の子である。目元がややきついが割とかわいい。時政が引きつって平謝りに謝ってきたが、気にしない様に言う。頼むから叱らないであげて。
原因は追求しないから。
長男の三郎君にも顔合わせ。六歳だという。こちらはきちんと振る舞ってはいるが、やはり態度の端々に不信が見える。そらそうだ。こちらが父親より十一も歳下の十五の子供の上、伊東の優遇と伸長が面白くないんだろう。もちろん時政が。
三嶋に帰って、綿の育ち具合を見に行く。思ったより発芽率がいい。八割は出ている。いい商人に当たったようだ。鶏糞の畑と対照の普通の畑に植え替える。
綿の欠点は地力の消費だ。肥料を大量に必要とする。干鰯が使われたのは教科書にも出てくる話だが、伊豆一国でできる話ではない。代わりに鶏糞に頼るつもり。
宇佐美に採集用の壺と水飴を届けさせる。ツユクサ用と病児用。
熱海峠から海沿いに回らせる。こっちなら、峠以外は馬を引いて進める。ただ高度が高い。ざっとした三点測量で二百丈(約600m)程。さらに熱海から海沿いの道も狭い。岩壁と海が近いので、満潮の時は浸る様な浜辺の細道を進む。馬がすれ違うのは大変。熱海のすぐ南と網代から宇佐美まではそれすらできないので小さな峠を越える。海から岩が立ち上がっているような地形で、主要道にするには時間がかかりそう。
伊豆は地形がダイナミックすぎるな。この国でこれ以上の道路整備を急いでもコスパが悪すぎる。西岸から南岸にかけては前世でも移動が大変だった。鉄道もなかった。東岸の南側は伊豆急を待とう。
梁真に頼んで宇佐美に小さな宿舎を作ってもらう。
泉作には夏の土産用にかなり気合の入った花瓶を依頼する。デザインを考えるのが楽しい。泥漿で凹凸をつけたあとに、都で買った呉須を使って、高温焼成の藍をベースに緑、茶、赤で色絵を入れていく。最後に金彩。派手になりすぎないぎりぎりを狙う。献上用だからな。
あとアルコールランプが欲しくなったので、陶製の物を図を書いて作ってもらう。陶製だと不透明で残量が分からないが仕方ない。
漆職人の蒔備には、彫漆の盃を頼む。絵柄は松と鶴。定番で。これも献上用。
後は妹達用に久しぶりに張子。巳歳なんで…干支は止めて猫にしようか。多めに作る。
後は着けお歯黒の予備。この作業は楽しくないなぁ。契約不履行の叔父さんのとか、もうやめちゃおうかな。
清子から手紙が来た。滋子様と信子叔母上が新しくできた院御所に移ったとの事。
もう泣きそうである。でも清子が夏に会えるの楽しみにしてる、とか書いてくれるからなんとか耐える。
空性様の御加減が良いそうだ。統子様経由滋子様経由で伝わってきたらしい。良かった良かった。何より俺でも治し方を知ってる病気で良かった。
父上がご機嫌で帰京して、坂東の弓の技と、伊豆の魚がどれだけうまいか語りまくっているそうだ。なんとなくみんなのウザさが伝わってくる。
今年もはよ帰ろう。七月入ったら帰ると決めた。清子分を補給しないと。土肥実平と連絡を取る。翌日実平からの使いが来る。では六月の二十四日辺りでは如何かと。その日程で頼む。出発は二十五日と決まった。六月は大の月だから多少遅くなっても七月の五日には着くな。
清子に手紙を書く。伊豆かなり快適になってきました。今年は一緒に七夕を祝おうね。
離れいて 心待ちする 七夕の
逢瀬の夜の 晴れをば願う




