宗盛記0091 永暦二年三月 相馬御厨
北相馬郡が下総国かどうか調べなおした結果、内容を一部変更しました。常陸国に跨るとした部分を下総に統一してあります。(12.5.12:00)
永暦二年三月弥生
五日
翌朝は皆が帰国の途に就く。参加賞の蒟醤の盃は、多くの者から家宝にすると喜ばれた。宴の参加者にも柄違いのを贈った。俺は昼前まで挨拶に追われた。
昨夜特に頼んで、残ってもらったのが三人。
上総広常、千葉常胤、佐竹隆義である。
祭の最後の仕事が残っている。
未の刻になって、残ってもらった三人と話をするために移動。もちろん父上も来てもらう。既に広間は間仕切りされて、十二畳(板の間だが)の部屋に戻っている。縁に沿った南側の部屋の中に既に待って居たのは、上総広常、千葉常胤、佐竹隆義の三人である。空気が重い。雰囲気は最悪である。三人を部屋に招いてすぐ来たんだが、遅れていたら刃傷沙汰になっていたかもしれない雰囲気。
父上と俺が座につく。
右回りに北から父上、俺、上総広常、千葉常胤、佐竹隆義の順である。秀次が部屋の入口に立つ。これなら広常が斬り掛かっても俺がすぐに対応できる。抜刀の速さならまず負けないと思う。
「お待たせ致した」
「どういうつもりだ?せっかく楽しく宴が終わって、これから帰ろうって時に」
上総広常が尋ねる。声が低い。かなり苛立ってるな。
秀次が身構えるのを手で制する。
「この三人を呼ぶと言うことは、当然…」
「相馬御厨のことですな。いくら平家の御曹司と言っても、この話に口を挟まれるのは不愉快ですぞ」
と千葉常胤。
「義朝殿に口出しされて、一番悔しい思いをしたのは千葉だろうからな」
三人共驚いている。こちらがかなりの所まで状況を把握しているのが分かったらしい。
今回、この機会になんとかしておきたかったのが、相馬御厨の件である。
御厨と言うのは、伊勢か賀茂の神社に奉納された荘園、と思っていい。
「ますは、父上への説明を兼ねて、俺から相馬御厨の話をさせてもらう。何か異論があったら話の区切りに問いただしてくれ」
皆、訳がわからんがとりあえず聞いてもいいかという雰囲気になった。
その土地については、伊豆に来てからずっと情報を集めていた。なんせ、平家にとって最大の敵を生みかねない紛争地帯だ。気合も入る。伝手も全部使った。各国の国司や目代に書いた手紙には、その件の質問も多い。
「まず、相馬御厨の場所だ」
俺が作っておいたざっとした地図を拡げる。大したものではない。というか、大した地図なんて誰も見たことがない。
常陸と下総の間、わずかに西寄りに、相馬郡がある。前世で言うと柏市、取手市の辺りかな。チーバくんの鼻の真ん中位。ざっとした位置が線で区切ってある。この国境は前世の感覚だと霞ヶ浦と利根川だが、今はほとんど巨大な内海だ。霞ヶ浦を延長した湾を挟んで両岸の南北を開拓したことになる。
相馬郡は湾の南北で北相馬、南相馬に分かれるが、その大きさは約二対一、ところが相馬荘の方は北側に半分、南側にも半分の領地があって、その大半が、相馬御厨という伊勢神宮の荘園、御厨になっている。南側で力を入れて開拓したのがよく分かる。御厨を侵すものは、例え父上でもただでは済まない。律令規定で最悪死刑。まぁ、死罪になったものはいないらしいが。
「今から三十五年程前に、この地は広常殿の祖父、上総常晴殿から常胤殿の父、千葉常重殿に譲られた」
「待て、正式に譲ったもんじゃねぇ」
と上総広常が話を止める。
「そう、正式に譲ったという証拠が無い」
「それは!当地を開墾したのは間違いなく父だ!」
常胤が叫ぶ。
「それは知っている。そう考えると相馬荘は千葉家の物だ」
「だから譲ってねえって言ってるだろう」
と広常。
「話になりませんな。今のことを話しませんか?」
と佐竹隆義。
「ここで、上総と千葉は大きな過ちをした」
話を続ける。
「過ちだと?」 「何を!」
「そもそも、開拓していない土地は上総家のものではない。公領だ」
二人が黙る。
「公領を譲り渡したと証明されれば、上総家は押領の罪をきる。千葉家はそれを知りつつ開墾したとすれば、当然私有の権利を失う」
「それまでに爺様が開墾してんだよ!」
「それを証明するものはあるか?立件状や、大田文で」
「うぐ…」
広常が黙る。冷側峠の道の両側を開拓…する時に、ちゃんと申請は行った。だからその辺の手順は知っている。
「とすると、千葉常重殿はなんの申請もなく、自分の領地から遠く離れた公領を勝手に開墾したことになる。問題になることは分かっていたのか、三十年程前に相馬領は伊勢神宮に寄進された。寄進は認められて千葉家は預所となった。そうして相馬郡司に任じられた。それは別に問題ない」
「そうだ、だから千葉家の土地だと言っているのだ!」
「そのまま問題を起こさなければ、今でもそうだっただろうね」
「問題?」
と父上の合いの手。
「そう、常重殿は数年間税を滞納した。保延二年…二十五年前だね」
「ぐ…」
「それを当時の下総守、藤原親通殿が咎めて、目代、紀季経に命じて公田官物未進を口実に千葉常重殿を逮捕、監禁し、相馬郷、立花郷を官物に代わりに自分に進呈するという内容の新券(証文)を責め取った」
「それも問題ありませんな。国司の仕事の一つでしょう」
と佐竹隆義。
「あるよ。藤原親通殿は下総守だ。下総守が相馬御厨の領主を千葉家だと公的に認めたことになる。とすると後の義朝の言い分は通らない」
「あ…」
と、隆義。上総広常は苛立っている。千葉常胤は嬉しそうだ。
「その後、常胤殿は頑張って滞納分を完済した。たしか…」
メモを確認する
「上品八丈絹参拾疋、下品七拾疋、縫衣拾弐領、砂金参拾弐両、藍摺布上品参拾段、中品五拾段、上馬弐疋、鞍置駄参拾疋、だったかな。大変だったろう」
沈黙…なんか三人共気持ち悪そうにこちらを見ている。どんどんいこう。
「相馬郷は返還され、常胤殿は相馬郡司に任じられた。立花郷は藤原親通殿が奪ったままになったけど」
「ぐっ!」
悔しかろう。一所懸命の武士である。機会があったら殺しに行きたいが、相手は都に帰ってしまった…ってところか。そりゃ嫌いな義朝殿の息子頼って旗揚げするよな。
「ここで源義朝殿が割り込んできて横槍を入れた。相馬御厨は上総から千葉に譲られていないと」
ここにきて嬉しそうな広常と悔しそうな常胤。
「この時義朝殿は広常殿の父、常澄殿の所にいて、家人としていた。常澄殿は父親の常晴殿と折り合いが悪く、常晴殿は千葉常重殿を養子にして、相馬郡を譲った」
もう、誰も何も言わない。
「義朝殿は家人の上総常澄殿に味方して、千葉常重殿から圧状を責取った。力尽くで脅して。康治二年(十八年前)のことだ。常重殿は災難に会いやすい方だな…」
圧状とは力で脅し取った正当性の低い譲状である。河内源氏好みのやり方である。為朝も九国で散々やった。保元の乱で全て取り上げられたが。
「さらにそのままこれを伊勢神宮に寄進してしまった。つまり、本家は伊勢神宮のままで、領家はそれぞれが寄進の際仲立ちした別の神人、預所が義朝殿もしくは常重殿と言う変な領地ができてしまった。これが天養二年、十六年前」
「広常殿が自領だと言うのは、謀反人の義朝殿から預所の職を譲られた、ということかな?」
「…そ、それはだな…」
認めれば義朝の領地として収公される可能性が高い。
「続けるよ?常胤殿は南相馬を中心に開拓を進めた。一方北相馬は上総常澄殿の子、広常殿の弟の相馬常清殿が管理した。だが伊勢神宮も当然変だと思ったんだろう。後の揉め事を避けるために圧状の件から義朝殿を咎め、避状を書かせた」
避状とは、自分の権利に対する主張を引っ込めるという文書だ。これで義朝、上総側は徴税権は保ちつつ、北相馬郡の税率や土地に関する伊勢の決定に関して主張できなくなった訳だ。
「これで終わっていたらまだ解決の手段はあったんだが、ここで藤原親通殿の子、親盛殿が返済時に破棄しないで持っていた証券を、佐竹隆義殿に売り払った」
「な!」「なぜそれを!」
経盛叔父上と俺の関係は良好だからね。常陸の目代も俺が問い合わせたら普通に教えてくれたよ。
「ということで、今権利を主張してるのが、この三家になってるわけだ。千葉家はまたしても失敗した。契約の時や破棄の時に書類を確認するのは基本だよ?」
「それで?お前はどうしたいのだ?」
と父上がついに口を出す。
「佐竹隆義殿。その証券を俺に譲ってくれないかな。もちろん掛かった費用は払う」
「そ、それでは今までかけた時間と労力が…」
「元々立件に物言いがつきそうな不良債権だったのに?これからずっと命がけでこの二人と戦い続ける?」
「しかし…」
「お待ち下さい、それでは当家は?ただ領地を放棄しろと!?」
千葉常胤がキレ気味だ。
「うちもだ!そんなふざけた話があるか」
上総広常も激怒している。
「南相馬の預所は、千葉常胤殿に任せる」
「え…」
「北相馬の預所は東半分を佐竹隆義殿に、西半分を上総広常殿に」
「それは…」「ほぉ」
「あと、俺が死ぬまでは、領家への貢納は無しでいいよ。もちろん本家は伊勢神宮のままで、そっちの貢納は当然必要だ。でもその条件なら倍とは言わなくてもかなり取り分は増えるだろう?千葉殿はほぼ全領地分に近い収入がある筈だ。ここで争い続けるより、他の土地に目を向けたほうが良くはないか?」
「「「……」」」
「つまり、北相馬の東半分は隆義殿、西半分は広常殿、南相馬は常胤殿が預所、でもそれぞれの領地では領家への貢納は無しでいいってことだ」
「それではお前は買取の費用を払うだけで何の得もなかろうが」
父上。
「得はこの三人への顔つなぎですね」
「とは言え三人の誰かが断ればこの話は流れるぞ」
「その時は、朝廷に俺の調べたことを全て報告して終わりです。それでも掛かった時間以外何の損も無いし。でも相馬郡はどうなるかな」
「おそらく立件に不備ありということで収公だな。儂ならそう進言する。少なくとも長い裁判になるな」
「御厨ですが?」
「何、誰かの名で再度寄進すれば問題にはなるまい」
「それはそれで楽でいいなぁ」
「お、お待ち下さい」
ついに常胤が音を上げる。
「す、全てお任せ致しますのて、宜しくお願いいたします」
「私もそれでお願いしたく」
佐竹隆義も折れた。
「ハハハハハ!すげぇな。十五の子供が三十年以上拗れきった土地争いを、半日で解決しちまいやがった!!」
一番嬉しそうな広常。
「なぁ、お前は他に望みは無いのか?」
「じゃあ、賭けをしよう。よければ乗ってくれ」
「どんな?」「賭け?ですか」
広常と常胤。
「後三十年の内に、東国で大乱が起こったら、広常殿と常胤殿は俺の家人になってくれ」
「ほぉ」「なんと」
「もし、起こらなかったら、俺が全力で二人をどこかの国の守に推挙する」
「私は?」
と、佐竹隆義殿。なんかハブられた様な顔をしている。
「佐竹殿は父上の家人だろうが」
「あ…」
「ふふふ、儂を前にして、言いよるわ」
「はははは…」
俺だけが笑う。
三人共、毒気を抜かれたような顔をしていた。
領地の分割線を確定し、証書をここにいる五人分作って、話は落ち着いた。伊勢への再寄進の手続きはこの書類を元に父上がやっておいてくれると言う。佐竹殿への支払いは、二年払。来年の分はどこかの国司に就けばなんの問題もないし、父上には言いたくないが実はそれくらい払える程度の副収入はある。二年に分けたのもその辺を知られたくなかったからだ。
再会を約束して、この日はお開きとなった。
++
行き道では考えられなかったことだが、三家が一緒に三嶋を離れることになった。
「俺は、今すぐに家人になってもいいかと思ったよ」
広常が話す。
「恐ろしい御子でしたな」
と、永年の懸念がなくなってすっかりくつろいだ常胤が返す。
「武家の棟梁…か」
佐竹隆義が小さく呟いた…。
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冷川峠は大渋滞だったそうだ。もちろん東海道を選んで箱根から帰った者も多かったんだが。情報に敏感な者は遅くなってでもわざわざ見に行ったんだろうな。
夜から雨になった。両日天気が持ってくれてよかった。さすがにきつい。さっさと寝た。
六日
朝遅く雨が上がってすぐ、父上は熱海と湯河原の温泉に行ってくると供回りとでかけた。
少し暖かくなった。一日曇り。
狩野茂光はめぼしい馬を見つけては、持ち主に宿と牧草を提供するかわりに種付けを持ちかけていた。このあと伊豆の馬産に大きく貢献しそうだ。がんばれ。
北条時政は、長岡を三嶋から峠無しで通える温泉、で売出しを図った。かなりの入湯客が行っていたようだ。それ以外は普通の農村だしなぁ。
天野遠景は乗り遅れた…。微妙に要領悪いヤツだな。そこまで面倒見きれんからね。沼津に領地があるんだから、うまくやればそれなりに儲かったのに。魚とか。
それでも天野と沼津の宿泊と飼い葉の販売で、若干の儲けはあったみたいだ。
他の在庁官人達も、同じく。
みんな割と満足げ。祭りの後の気だるさが漂っている。
七日
父上は今日も熱海で過ごすらしい。俺は競技会の後始末に忙殺される。又雨になった。
八日
夜の内に雨が上がって、熱海から父上が帰ってきた。ちょうどカニが上がったのでカニ鍋にした。しばらく黙って蟹時間…。
「あの名刺というものだが」
食後父上に聞かれる。
「あの様な約束をして大丈夫なのか?」
「どうせ今回の招待客が来れば、その日の内に俺は会いますからね」
「では、お前の名を広めるためだけか」
「あの名刺がある限り、いざという時は俺を頼ろうと思ってくれるかなと」
「頼られるだけにならんか?」
「恩と奉公はひとかたまりでしょう」
「五年と区切ったのは?」
「その頃に次の大会を開けば、期限が切れて次の名刺を手に入れるために訪れる客も増えるでしょうから」
後、こっちは言わないが、自分の名を書いて俺に示した者達が、将来俺に交名する時の心理的な抵抗を少しでも減らせればいいかと。
「ふむ…、儂も作るか」
…アイデア料ください。
散々飲み食いして、父上は翌九日に帰って行った。とてもとても満足そうだった。
また来ても良いな、とか言っていた。
その、別に呼んでないんですよ?
助かったけど。
十日
流石にみんな帰って、残っているのは牢にブチ込まれて保釈金も払ってもらえなかったやつらだけだ。こいつらは一日働いて米一升の強制労働が待っている。まぁ、保釈金が届くか賠償が終わったら帰すが。
収支は大幅に黒字だった。国衙に入った粗利だけでも前年の年収の一割ほど。わずか四、五日でである。三嶋全体なら三千石近く落としていってないか。そのうちかなりは俺の懐に入る。これで相馬御厨の買取の半分位は払えるかな。ちゃんと食料や飼い葉の販売許可や売り場指定にもあらかじめかんでいたしな。こういうのは元締側に回んないとうまみが小さい。
儲かってもすぐに出ていくが。
一段落したので長岡の温泉にでかけた。久しぶりに北条時政の所に寄って、労をねぎらう。こいつもそこそこ美味しい思いをしたようだ。長岡に温泉宿を増設しようと考えているらしい。
やがて国衙も日常に戻っていった。
俺は冷川峠にちょくちょくでかけて、人夫用の長屋とかを整える手配をしつつ、それより多く温泉を回った。熱海の宿泊客が増えてきたというので、そちらも建屋の手配。入湯御朱印も好評らしい。宇佐美では塩田施設の拡張。
三嶋では、卵計画に備え、郊外に鶏舎を建てた。鶏糞の臭いは普通に臭いからな。場所は風下になることが多い街の東側の山寄り、前世の遺伝研のある辺りの手前だ。三嶋の各宮や市中から鶏を分けてもらって飼育する。神社で時を告げるためや、闘鶏のために鶏はそこそこ居る。まずは平飼いで数を増やす。周りには獣よけのかなり頑丈な柵を立てた。狐、狸、一応狼も警戒する。野鳥が来ないように上には漁網を張る。卵の価値が浸透すると、これに盗難対策を加えないといけない。
鶏の足元はトレー状にして鶏糞を回収できるようにする。回収した鶏糞は、乾燥させた後豆科の根と共に厩の地下に作った砂を敷いた保管庫に貯めていこう。硝酸ナトリウムの原料だ。馬の尿はもちろん、蓬も定期的に加える。
三嶋神社に御礼参り。何か必要な物はと矢田部殿に聞くと、厩舎が足りないのがよく分かったと言う。今回の収入の一部で寄進することにした。普請もこちらで行う。なんなら馬糞と馬尿の回収もサービスで。
伊東、宇佐美、熱海の船便が増えた。今のところ毎日一便。島の方も灯台が揃って船便が少し便利になったようだ。ちらほら温泉巡りの客。
沼津では鰹節が少しずつ完成度を上げている。
十日に一度ほど、前のように街の人を呼んで話を聴くのも再開した。
駿河の吉田から沼津の航路も交渉を始めた。
東海道沿岸航路は、田辺伊南の紀州沖の岩礁、風待ち港の乏しい遠州灘、伊豆南方、房総半島東南側の岩礁、が危険地帯である。船が未発達なため、黒潮の影響を受ける南の海域は割と多めの頻度で難破する船が出る。沿岸ギリギリを航海すれば、迷いにくいし岸に当たることで波浪の影響は減るが、大きい船は座礁しやすい。
荷を大井川の渡しで積み替えてそのまま船で沼津まで運べるようにしようと思っている。陸路の薩埵峠も難路だしな。南側に遮るもののない遠州灘に比べて、袋状になって海岸からすぐに深くなり、南風以外では波が弱まる駿河湾内の航路は、かなり安全なのだ。殆どの方向に山があって迷うこともない。沼津まで来れば狩野川、大見川、冷川の舟運で冷川峠のすぐ下まで荷を持っていける。この辺りは遠江側との交渉が必要である。駿河を飛ばすことになるが、短距離で元々駿河に寄らない船が多く、駿河にさほど損は出ないと思う。というか船で駿河伊豆を飛ばす房総、尾張ルートより安全なので、陸路の流通量が増えると駿河の得にもなるはず。当然伊勢尾張三河辺りから坂東向けの船の荷を奪うわけだが、そこまでは知らん。
川船は竿や櫓、櫂、曳舟で川を遡るが、帆も使う。ただし筵帆。当然切り上がりはほとんどできない、これは要改良だな。
清子に手紙を書いた。父上に持って帰ってもらえばよかったんだろうが、慌ただしくて余裕なかったんだ。一番の知らせは、又夏に帰ることになりました。後は騎射の話…でも読み返すとあんまり面白くない。その辺はかなり削って鰹節や祭の料理の話に書き換えた。
一度清子を伊豆に連れてきたいけど、どうすればいいか考えてる。俺は文才ないから、文でうまく伝えられない。清子分が足りない。おんなじものを好きな人と一緒に見て、一緒に話をしたいなぁ。
バカラさんより、こちらの地図を紹介して頂きました。分かりやすいのでリンクを貼って置きます。
https://www.city.noda.chiba.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/779/2-2a.pdf




