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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第3章 伊豆守、受領

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宗盛記0090 永暦二年三月 宴会

今回、ほぼ一週間空いたのに、直前まで校正してました。登場人物が鬼のように増えましたが、モブが多いです。調べるのがホント大変でした。間違いも多そうなんで、徐々に直します。

永暦二年三月弥生


日が暮れる頃から宴会。競技参加者は全員マグロの漬丼と味噌汁、鮃の煮付け、練り辛子付きの風呂吹き大根、奈良漬けが振る舞われた。

それ以外、伊豆の在庁官人や従者達、商人にも大量のブリ漬丼、一夜干し、振舞酒が配られた。

ごめん、一般客向けの宴会料理はおかわりって無いんだよ。バイキングとかビュッフェとか無いからね。普通無いよね?

この人数になると、厨の要員死にかけてるし…。量はたっぷりあったはずなんだけどなぁ。というか、試合ならともかくここでそんなに殺気だたれると怖いんですけど…。


今回手紙を出した招待客、各国目代、郡司、郷司、荘官、官位持ちは俺の私邸での宴に呼んだ。父上は客寄せだ。私邸に移動すると、みんな飯待ちでこっちでも殺気を感じる。

屋内だけでは無理なので、庭一面に筵を敷いて会場にした。酔ったものは東西の対でゴロ寝させる。襖を全て取り払って作った八十四畳の広間は特に有力な招待客で一杯になった。


酒または麦湯が運ばれて、宴が始まった。

特に好評だったのは伊豆の魚の刺身と醤油。わさびや練り辛子も喜ばれた。あとカツオのたたき。海のない上野下野や、秩父方面の武士はガツガツ食っている。味噌汁は濃い目の赤味噌。今日の具はアサリ。これも好評だった。あつものよりこちらがいいという。マグロのヅケ丼が見る間にはけていくのはちょっと怖かった。まぁ、俺が食っても断然うまい。父上も伊豆に来てからお気に入りで毎日食べている。

酒と冷やした麦湯は瓶子と盃を置いてあるが、無くなったらフリードリンクで自分で取りに行ってもらう。

しばらくするとマグロはついに無くなってブリの漬丼に変わっている。伊勢海老の姿焼きに辛子味噌を添えたのも好評だった。膳で出してるのにおかずのお替り要求するのはどうかと思うけど。

おかず食い尽くして奈良漬けだけで飯お替りするのもやめて。こっちが恥ずかしいから。


やがて食事が一段落した所で、今回集まって貰った礼を述べ、今後も四、五年おきに開催したいと説明して、本来の宴会外交が始まる。父上の前に列ができるが、俺の前にも挨拶の客が現れ始めた。

一人、やけに馴れ馴れしいのが居て、

「おう、伊豆守殿、今回は世話になったな。上総広常だ」

と声をかけてきた。上総介を名乗るかと思ったが、流石に遠慮したようだ。僭称だからな。あまりの態度に周りがどよめいて、父上の家人が顔色変えて割り込んでこようとしたが目で止める。もっともこいつは知っている話ではツンデレらしいんで、キツめに咎めたほうが感激して従属し易いかもしれず、一瞬悩んだ。

下国の国司なんかは同僚感覚なんだろうか。官制では正六位下相当の上総介ならそのとおりだ。上総は親王補任国で上国だから、上総介は相当官位では俺より上なのだ。下国の伊豆守は従六位下相当官で、権介ごんのすけが普通の権官とするならほぼ同等。ところが権介だけは性格が違う。この時期、国のかみと言うのは原則貴族しか任命されない。例外は知行国主の家人の場合だ。広常は在庁官人筆頭の権介。名前だけ聞くと普通の介の権官に見えるが違う。キャリアとノンキャリくらい違う。本来、四等官の次官である介に権官はつかない。権限も利益も少ないからだ。ところが親王任国の上総、上野、常陸のみは、介が最上位となる。そこでは権介は介が受領していない時に現地の有力者が就く臨時職である。つまり現地採用で貴族ではない庶民。あくまで介の代理である。当然都に行けば六位の下級官人扱いとなり、殿上もありえない。つまり庶民の広常が俺を同輩扱いしたのだ。この辺が多分当人も分かっていない。貴族の特権で、この場合もし俺が広常を斬っても、俺は軽罪となる。広常のつれらしい武士があまりの馴れ馴れしさに真っ青になっている。

親王任国なんていう例外を、都から遠い坂東にのみ三カ国も指定したために起こった弊害である。このことが坂東平氏の広がりと、坂東が半独立の気風を持つ要因となり、平将門の乱や後の鎌倉幕府成立の遠因となったのだろう。

広常は義平十七騎の一人。都からの帰途は奮戦したと聞く。十万を超える大国の上総のほとんどの土地を領有し、動員力は坂東筆頭級である。相続争いや隣国との領地争いを抱えているが、概ね上総一国はこいつの下知で動くのだ。田舎の超有力者。当然俺にとっては賓客である。気取らない態度も、なんか付き合いやすい。

「楽しんでもらえたなら良かった。向こうに父が居るから紹介しよう」

父上にどう接するか、これも楽しみだったが、そっちでは借りてきた猫のように大人しかった。公卿と国司の違いはなんとなくわかっているんだろう。愉快な人である。

「上総の国の最大の領主、権介上総広常殿です。義平殿の選んだ十七騎の一人でもあり、坂東の誇る勇将です」

と父上に紹介する。

「とすると、先の乱では敵方か」

と、驚いた様な父上…これはわかる。驚いたフリである。

「此度伊豆に来てくれたのは、全て私の客人、遺恨を持った者は来たりはしていないでしょう」

大きめの声で説明。父上もわざとらしくそうかそうかと頷いている。坂東の領主達を前に、ここで手打ちを済ませたという体裁を整えているのだ。小芝居である。皆肯いている。

「そうか、よく来てくれた。不肖の息子であるが、今後ともよろしくお頼みする」

上総広常はなんだか言葉に詰まって、ただただ頷いていた。

これを皮切りに他にも斎藤実盛、岡部忠澄、熊谷直実、波多野義通、平山季重、金子家忠、三浦義澄、山内首藤経俊、と言った十七騎又はその跡継ぎも挨拶に来た。もちろん杯を交わす。平山季重は武蔵七党の西党の領主で、武士には珍しくぽっちゃり顔だった。体は引き締まっているのになんでこうなる?

金子家忠の技量を誉めると照れていた。顎が大きい。

十七騎の生き残りで、この場に来ていないのは猪俣範綱、佐々木秀義、足立遠元、と行方の知れなかった後藤実基。あとまだ居た様に思うが…誰だっけ?十七人全部覚えているのは結構難しい。七本槍でもツライのに。

斎藤実盛とは俺も話した。上総広常と斎藤実盛は、内裏で俺と会ったことがあるという。一本御書所の統子様の所に出仕した時だ。二人ともそこそこ年配なんで、俺を脅した武士の中にはいなかったよな。周りが聞きたがったので、嬉しそうにあの時の話を始める。こいつ、根っからの話好きだ。しかも話を膨らます。富士川の戦いには絶対参加させん。いたたまれない。父上が嬉しそう。精一杯虚勢を張っていたのを見られてるのか。しかも話が大きくなってる。一年遅れのまさかの晒し者である。


他にも武蔵から河越重頼、小山田有重、広瀬太郎、河口次郎大夫、横山弥太郎、大河戸重行、久下直光、本田近恒、小衾二郎、真下重直、半沢成清、中山重実が、常陸から佐竹隆義、佐竹義政、小栗重成、多気義幹、下妻弘幹、東条貞幹、鹿島成幹かしままさもとが父上に挨拶に来た。この二国の場合知行国主への挨拶である。直接会える機会は貴重だろう。

下総からは千葉常胤、千田親政、原常継、豊田頼幹、金原常能、片岡常春。

上総からは伊北常仲。

安房からは長狭常伴。

相模からは中村重平、長尾為宗、飯田家義、香川五郎、海老名季貞、国分太郎、渋谷重国、荻野俊重、本間五郎、糟屋盛久、土屋義清、曽我祐信、八木下正常、河村義秀、毛利景行。

上野から新田義重、里見義成、瀬下広親、利根四郎、那波太郎。

下野から小山朝政、足利俊綱、宇都宮朝綱、小野寺禅師太郎、辺屋子七郎太郎といった面々が続く。


知行国の武蔵、常陸は言うまでもなく平家に近い。まぁ、正確に言うと武蔵の場合、みんな近く見せたがっている。なんせ以前の国主は信頼殿だ。

常陸の多気義幹、下妻広幹、東条貞幹の兄弟や鹿島成幹は以前からの父上の家人である。佐竹隆義は河内源氏義光流。磐城に接する奥七郡の郡司であの佐竹家の当主である。義政はその兄だ。庶長子なのだろう。父上と同じ位の歳かな。常陸の平氏の本家に当たる大掾氏の後継となる。ちなみに常陸の有力武将はほとんど大掾氏の流れである。こちらも父上の家人で、保元、平治の乱にも兵を出してくれたと言う。

全体に上野、下野は平家に好意的な武士が多い。逆に房総は源氏に近く平家とは距離がある。それぞれの国司とウチの付き合いの深さもあるし、数の話でそうでない者ももちろんいるんだが。


残り一国、両端が親源氏の相模は、今回三浦義澄が積極的に近づいて来た。多分三十台半ば。伊東祐親の次女の婿、祐親にとっては義理の息子でもある。それぞれの年齢考えると、歳の差婚だったんだろうなぁ。まぁ、この家は目端が利いて利のある方につくからな。取り込んだとしてそれはそれで安心できないのが難点。もちろん歓談する。でもきっと呼ばれても行かない。気を抜いて向こうの家で飯食ったりすると暗殺とかされそう。こちらで進めている海運に興味があるようだ。相模川ルートの開発推進で、当分そっち行きの荷は減るけどね。

今、三浦は安房の長狭と仲が悪い。浦賀水道の権益を巡って一触即発の関係だ。この辺りも迷ったが、両方の当人を見ておきたかった。ずばり、三浦に浦賀水道を押さえられるのはあんまりうれしくない。長狭との関係も作っておきたい。まぁ、この時代は、常陸、上総の内海を使った水運網が盛んなので、江戸湾以外の選択肢も多いんだが。


ちなみに上総の印東常茂は呼ばなかった。こいつが来ると上総広常や伊北常仲と揉めそうだからだ。広常にとっては兄、常仲にとっては叔父だが、広常にとって上の兄、常仲の父親の嫡男常景を殺して家督を奪った男である。当然同族の皆から総スカンを食らって、弟で十七騎で名高い広常に皆が従ったというわけだ。常茂が確か平家にすり寄って来て、上総広常を敵に回す原因のひとつになる。もう一つは忠清。ここであえて呼ばずに平家はお前とは関わりたくないのだと示しておいた。


近頃は親王任国でない下総も権介を名乗るようになって、それが千葉家、千葉常胤だ。

千葉周作の先祖。兼相馬郡司。もちろん本貫地は千葉である。八百年後に人口百万に及ぶ巨大都市となる千葉の主。四十歳位。こいつは上総広常と佐竹隆義と相馬御厨の土地で紛争中のためウチとはやや遠い。でもどう見てもこちらにお近づきになりたそう。取り込むとすると佐竹との調整が要るので、悩ましい。上総広常の又従兄弟なのに相馬御厨では権益がぶつかっているのも悩ましい。まぁ、一献どうぞ。


新田義重の様な源氏姓や、佐竹隆義とかの戦国時代の大名家など、聞いたような姓が並ぶ。でもみんな今は親平家なのだ。こないだまでは義朝の配下であるが。足利俊綱は藤原氏、源氏の足利義兼はまだ十歳だ。義兼の父親の義康は数年前に死んだという。義兼は新田義重の甥でもある。

新田義重は、五十歳近い年齢で、この中では珍しく、正六位上大炊助。


下野の那須資隆は、次に上京したら官位が与えられるはず。京官の初任は京で行う慣例なのだ。

畠山重能と共に宴に呼ばれて、皆から褒め称えられている。実のところ、父上は畠山重能にも官位をと考えているらしい。公卿となると、顕官の推薦権を持っているとかで、低位なら何人かは官位を配れるとか。普通は平家の家人を叙位するところだ。

それもあって、前回の俺の家人に配った官位はカウントされていないので、つまりは為朝討伐の賞が残っていて、夏に一度帰ってこいと言われた。次帰ったら結婚しよう、的なことを言っちゃったので、大変バツが悪い。


武蔵の有力者は秩父党。あと小さく比企氏。横山党、猪俣党、児玉党、西党、なんかの諸族。頼朝の乳母の比企の尼はいない。 阿波に移り住んだそうだ。比企能員もそっちらしい。機会があったら滅ぼさねば。

秩父党は武蔵国留守所総検校職というのについている。何代か前の武蔵守が任命したそうで、正式な官職ではもちろんない。武蔵にしかないローカルタイトルだが、まぁ問題にするようなことでもないので税を納めてくれるならと放任している。多分取り上げたら反乱するだろうし。馬と銅の産地。宗家の秩父氏は、源義朝と足利氏、新田氏なんかと対立して、6年前に大蔵合戦という内戦でほぼ滅んだ。その時の武蔵の知行国主が藤原信頼である。内戦をもみ消してもらった恩が回り回って義朝を滅ぼした。分家の畠山氏、河越氏、江戸氏は義朝についた。坂東の怖いところは、縁戚関係と利害関係が複雑で、どう転ぶかわからないところ。畠山重能が二位だったため面目を施したが、知行国主がウチに変わって一番ヒヤヒヤしているのは畠山氏だろう。平治の乱以降の新参親平家。武蔵は坂東最大の国なのでうちも仲良くやっていきたい。

猪俣党のうち、岡部忠澄は来たが猪俣範綱は今回も来なかった。


この内ほぼ九割ほどが前世では源氏に付いたのを俺は知っている。


まぁ、坂東諸氏に顔つなぎができてよかった。というかこれが目的だったのだ。騎射は客寄せ。どう考えても本末転倒になったが。

酒がみるみる減っていく。


招待客、参加者に山ほど食わせて大出費に見えるが、もちろん招待してないお供達は有料で外で食っている。持って来た布や米を銭に替えさせてそれで売り買いしているが、二万人が落した銭(布及び米)はそれなりの黒字になりそう。銅銭もかなりはけた。貨幣の便利さを初めて味わったようだ。まぁ、ゲーセンの換金できるメダルみたいな感じかな。


大盛況の一夜が過ぎていく。

少し話しただけだが、気がつけば二刻ばかり過ぎていた。他にも話したそうな者も居たが、そろそろ亥の刻である。

頃合いなんで宴の終わりを告げた。

「宴もたけなわでありますが…本日のご挨拶として、よろしければ私の名刺をお持ち帰りいただきたく思います」

合図すると、大庭景親と土肥実平が、木の箱を持ち込んで来てくれた。

中には二寸かける三寸の桐の札が、六百枚程入っている。焼印で、表に俺の名前と、下半丸の宗盛紋、裏に今日の日付の焼き付けられた物だ。日付以外に、通し番号も、これは墨書で入れてある。

「よろしければ、一枚ずつお持ちになって、かわりにそれぞれに番号に合わせてお名前を頂きたいのです」

皆、黙り込んでしまった。父上が又なんか始めおったとニヤニヤ笑いながら見ている。もちろん名刺なんて習慣はまだ無い。ただ、大陸の歴史に詳しい者なら、何処かで読んだことがあるかもしれないが。

だがいきなり、名札を持って帰って名前を書け、と言われても、何を言っているのかわかるまい。

「今日より五年に限り、」

話を続ける。もはや起きている皆の視線が集まっている。

「この名刺をお持ちくだされば、必ずその日の内に、私が直接お会いいたします」

ざわめきが起こる。

「また、これを書状に取りつけて頂けば、必ずお返事をお返しします」

大きくなる反応。

「お持ちになる方は、老若男女を問いません。私がお渡ししたものか確認を取るために、これからお名前をお聞きすることになりますが」

「それは、例えば小さな子供であってもお会い下さると言うことか?」

新田義重が声を挙げる。

「もちろんです。名簿を調べ正式に渡されたものであればお話をお聞きし、必要であれば保護することもありましょう」

「…なんと」

徐々に俺の言うことが染み渡っていく。

フリーハンドの面会状だと言っているのだ。逃げてきたものでもこれを持っていれば会うと。

困った時に書状を出せば目を通すと。

これが争乱の多い坂東でどういう意味を持つか、わからないものは少数だろう。自力救済の社会に、かすかにでもセフティーネットを張ろうというに近い。

理解したものは既に列を作り始めている。

それぞれ名を書いて、名刺を一枚持って行く。

「俺は、字が書けん」

上総広常である。少し笑い声を漏らす者もいる。

「私が代わりに書きましょう。私も、六年前は読み書きができませんでした」

そう俺が言うと、客は様々に反応する。

嘲りの笑いを浮かべる者、あれは小山朝政か。

失望する者。三浦義澄だな。

反対に純粋に驚く者。畠山重能、長狭常伴、荻野俊重、斎藤実盛。とっさにはそれくらいしかわからない。

驚いた者は、俺がそれから六年で伊豆守となり、受領して伊豆を整え、この大会を開いたことに思い至った者だ。聞いた情報を他の知識とすり合わせて判断する能力を持っている。できれば味方にしたい。上総広常は文盲仲間ができて普通に嬉しそうだった。

それからも招待の礼と別れの挨拶が日が変わるまで続いた。


この土曜日に、徳川美術館の源氏物語絵巻を見に行ってきました。すごい人。でも目的が平成復元の方だったので、大満足です。日曜日は愛知県立陶磁器博物館行ってきました。猿投や古瀬戸の資料が多くてこれも助かります。

ちょうど紅葉の盛りでした。

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更新お疲れ様でございます。 すっごい人名数でびっくりしました。 下調べホントにお疲れ様でした! 坂東一円に顔と名前と平家ブランドを浸透させ、銭使いの教育まで行なうとはなんと壮大な成果!! もうパッパも…
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