宗盛記0087 永暦二年一月
大庭の領地の説明が間違っていたのを一部訂正しました。
(2025/11/20 21:00)
基盛の官位が正五位上だったので表現を少し直しました(2025/12/30)
永暦二年(1161年)正月睦月
辛巳
俺は十五歳になった。
背丈は五尺三寸(161cm)余り。伸び盛りである。大体成人男性に届いた。まぁ、みんな烏帽子をつけているので、正確な身長とかわかりにくいんだが。俺も流石に身長測るために髻解いたりしない。髻の付け根まで測ってる。為朝の七尺っていうのも、髻の先端までならかなり近くなるか。身長は髪も含めてだからな。モヒカンの人とかどう測るんだろう。
父上も四郎も母上すら出仕したが、俺は赴任中の扱いとなっている。元服後初めての正月在宅である。寝正月、と、いきたいところだが生活習慣が許さない。今年五つになった五郎と遊ぶ。この時期の男の子は走り回るのが大好きだ。しかも今日は父上、母上が留守。ガチで遊ぶために、四郎のために用意した重りを背負って前庭で鬼ごっこ。簀子もふくめて駆け回って、最後には吉野に叱られた。
庭に出ると池が凍っていたりして、さすが都と変なところで感慨深い。伊豆はここまで寒くない。
することがない上、元旦はしっかり訓練するのもなんなので、軽く走って素振りして弓を引いた後は、触れを出して清子の所に遊びに行く。
向こうも意外と暇だったようで、歓迎してくれた。五日には伊豆に帰るしね。
正月衣装が皆華やかだ。お洒落してみんな小袿袴。お披露目なのか、几帳が上がっている。出仕でないので唐衣や裳までは着けてないが綺麗な衣装である。顔は檜扇で隠している。時々チラチラ片目が見えるが。
「明けましておめでとうございます。あ、俺来年はもしかしたらこっちで過ごすのかな?」
というと清子があからさまに動揺している。
「清子真っ赤よ」
「清子姉様真っ赤ね」
照れた顔見たいなぁ。来年から俺だけは見れると思うと楽しみである。早く嫁とイチャつきたい。
昼は厨を借りて雑煮を作る。鰹節(進化中)のお陰で味が上がっているのだ。ついでにお裾分けしておく。この歳になるとあんまり未婚の娘の居るところで長居するのはよくないとわかっているが、帰りづらい。信子姫と季子姫が気を利かしたように用があると言って外してくれたので、思い切って母屋に入ってギュッとハグして雰囲気作って今年の初キス。
清子綺麗になってきたなぁ。パッチリした目に小さく膨らんだ唇が俺好みである。照れて真っ赤になってるのがまたかわいい。このまま持って帰りたいが、我慢する。
時忠殿を見ると、いろいろ愚痴りたくなるので、元旦の宴会から帰る前に帰宅した。
二日はウチの宴会日。一族総出だし、清子の所もみんな来た。昨日会ったばかりなので割と照れる。
「「昨日はお楽しみでしたね」」
おい、君たち気を利かしたんじゃなかったの?もしかして覗いてたの?用って覗きかい!
母上と姉上たちと叔母上?たちがその話で盛り上がってる。
季子「またしばらく会えないのね」
信子「いつも清子のこと考えてるよ」
季子「私も…ずっと想ってる」
信子「清子」
季子「宗盛様」
「そんなこと言ってないでしょぉぉ!」
清子が荒ぶっている。
そっちの話題に気を取られていたら、時忠殿が着けお歯黒のことで泣きついてくる。忠子叔母上から聞いたらしい。ちょっとやつれてきた気もするので、大体出来上がったのを渡す。正式版は伊豆に帰った後に送ることにする。
三日の申渡で、重盛兄上は正四位下、俺は基盛兄上と同じ正五位上に昇位した。
勅使が帰ったあと、妹達が遊びたいと言うので、竹ひごと紙で凧を作る。糸巻きも用意した。洋凧が揚げやすいんだが、風情を考えて二本尾の付いた四角い凧にする。書き初めついでに一文字。
「盛」
ちなみにこの時代の凧は鳥のような形をしているので紙鳶と言うらしい。初めて見る四角いタコにみんな集まってくる。大庭景親一行も。ウチは広いので、馬場で十分凧揚げができるのだ。俺が走って揚げて妹達に持たせる。風に合わせて張りを変えて糸を出し引きすると高く揚がる訳だが、六つになった四の君が意外と上手に風を読む。褒めると自慢げに小鼻を膨らますのが可愛い。
夕方は祝の宴の準備に追われた。兄上達と「俺の」昇位の祝…。
四日、臨時の除目。
大庭景親 従六位下 左兵衛少尉
初任官。三十半ばの景親が感激して涙ぐんでいる。地方武士だと、青年期に都に出て誰かに仕えて任官しないと、壮年期には領地を離れにくいので延び延びになるとか。景親の場合、保元の乱には参戦したそうだが、任官はできなかったらしい。あの頃の義朝殿にはそこまでの権限はなかったしな。
あと、呼び出して備中からわざわざ来てもらった難波経遠、経房の兄弟。これにも景親と同じ官位に就ける。義平討伐時の礼である。父上の家人で俺の家人では無いので領地確認証はない。もちろん俺が父上に頼んでの任官だ。二人共恐縮しきりだった。
午後は挨拶回り。上西門院様と親隆様と維子様、清子の所。
滋子姫と信子姫には、これでもう当分会えないだろう。
吉野に空性様の煎餅と沢庵の件を頼んでおく。沢庵はこの際だから広めてしまおうか。脚気も減るだろう。
夜、今日も出発前の軽い宴を開いてもらう。
為朝討伐の賞は使っちゃったから俺の昇位は当分はここまでだろう。というか、普通はこの辺の勲功はいくつかまとめて一つ昇位する位だ。俺にはもちろん父上補正がかかっている。次帰るのは夏か年末、結婚の時かな。
五日。朝早くに家を出る。今回はのんびりできたが、それだけに別れづらい。
出掛けに父上が、袋一杯の綿の種をくれた。前に言ったのを覚えていてくれたようだ。これは嬉しい。気分が上がる。何度も礼を言った。なんとしても軌道に乗せたいが、こればっかりは植えてみないとわからない。
今回も清子が朝早いのに送りに来てくれた。みんなに挨拶を済ませたあと清子に
「年末になったら都に帰ってくるから、そしたら結婚しよう」
と言うと、赤くなって固まってしまった。かわいいなぁ。
フラグ?いいんだ。武家は旗立ててナンボである。
じゃ、行ってきます。
帰りは雪で少し遅くなったが、替え馬有りなんて十五日夕方に伊豆に着いた。駿府でひさしぶりにかけに会ったらちょっと太っていた。お前とじゃないとうまく落馬できないよ。もちろん乗って帰る。
十六日、大庭景親を送って熱海まで行くと、伊東祐親と土肥実平殿が来ていた。実平殿は宴会以来の久しぶりだったが、領地は湯河原なんでここから一里半程である。伊東祐親から俺の帰国を聞いたらしい。湯河原も伊東も温泉地だよな。
聞けば俺に臣従を願いたくてここまで来たと言う。俺の出世の効果かな。いや、もちろん大庭の任官のせいなんだろうが。もちろん喜んで受ける。
東国に家人が増えていくが、在郷なんで俺が帰京しても都については来ない。俺がこちらに来たときや、戦で動員したときに来てくれればいい。かわりに俺は何かあった時には家人達を中央から守ってやらないといけない。相互利益の契約がこの時代の臣従の基本である。
相模国境の土肥実平は願ってもない相手である。実平としてもそれまで義朝寄りだった中村党がそのまま源氏側では、先行きが望めないと判断したのだろう。例によって領地確認の手配を是行に頼む。
領地確認証について説明すると感激している。なぜ広めないのかと聞いてくるので、それが目的の家人は要らんと応える。
この時代、弱点を残しておくととことん削られる。新任の目代は、父上への忖度も兼ねて落ち目の源氏譜代を容赦なく圧迫してくるだろう。
大庭の中央任官も一層の後押しだったろうな。中村党は為朝の追討までは大庭景親の属する鎌倉党とあまりうまくいってなかったからな。なんせ大庭は義朝に御厨を侵略されている。無茶するもんだ。伊勢をガチで敵に回せば、平家とて危ういというのに。
俺の、というか平家の庇護に入れなければこのままでは取り残されると思ったようだ。次に伊豆守の俺が近くに来た時は是非にと考えていたという。為朝の時の協力も、いいツナギになった。
伊東、大庭、土肥と共に、海路輸送の打ち合わせをする。海運の荷に対する相互の港からの荷に対する税の半減。期間限定で一年間。これは皆抵抗があるようだったが、三年でいいから様子を見てみろと説得する。人と物の流れができる方が結果として儲かる筈だと。物流の様子によっては延長し、できるならほぼ無税にまで持って行きたい。それでも船の大きさによる港の固定使用料は取れるし、宿や市には金は落ちるのだ。
この時代は戦国時代と異なり地域によって多数の関所があって通行税を払う、ということはない。関は三関(逢坂、鈴鹿、不破)が有名だが、これは犯罪者などの通行検問のための機関で関銭をとったりはしない。少し小さい安宅や勿来なんかも臨時検問所である。
たが港は違う。港湾管理(ほとんど何もないことが多いが)の費用として積荷の一部かそれに相当する物を徴収するのが普通なのだ。だから金のない商人は箱根を越えるが、そういう商人は陸路ではせいぜい牛数頭分の荷物しか積めないわけだ。それ以上で進むなら、牽く人や餌の費用の方が大きくなる。
伊豆諸島と伊東と宇佐美の灯台は、漁民と荷船に非常に好評らしい。漁師からの貢納も随分増えたとか。これも湯河原と、大庭の領地の茅ヶ崎に拡げることになった。
大庭は鎌倉党と呼ばれる鎌倉郡を中心とする一族のうち最有力の武士で、大庭御厨の下司。藤沢の大庭の館を本拠とし、茅ヶ崎、平塚も領地だ。一宮のある寒川の東から相模川下流東岸、いわゆる湘南。渋谷氏の渋谷荘と隣接し、鎌倉とも隣り合って三浦にも近い。
三浦はどう動くか分からないが、親義朝、というか、娘を嫁がせた義朝の義父だったりするので、要警戒対象。大庭御厨襲撃で大庭との仲も良くはない。
とすると茅ヶ崎までが海上ルート。ここからは相模川を用いた河川水運で知盛領の武蔵と繋がりを深くするか。相模原、橋本の辺りまで相模川を遡ると、東海道とも交差するし武蔵の国府まではすぐだしな。平家領の武蔵から常陸まで陸路と河川や内海の航路を整備すれば、房総周りの危険な海路を避けて交易ができる。
伊東、宇佐美、熱海の港湾整備も行いたい。国外の湯河原と茅ヶ崎の予算はさすがに出せないが。
湯河原から熱海までの道の整備も提案する。ここは海際が崖なので、少し内側を峠道が通っている。
去年の税が無事納められたので、今年の予算化できる様になってまた余裕ができたのがありがたい。建屋は概ね揃うだろうから、今年は拠点の宿と峠と海運関連だな。
いずれ船もなんとかしたいところだが。
次いで三人と、今年の春三月初めを考えている宴会について話す。三島神社で騎射の大会を開き、坂東一の射手を決める。開催は四、五年に一度を予定。最終日は参加者全員の宴会とする。参加者は坂東と伊豆在住の者なら誰でも。首位には米十石の賞品付。さらに俺が『坂東一の武士』の称号を贈る。八位まで賞品を出す、と。実は首位には官位をと、父上と交渉している。これはサプライズだが。全員目の色が変わった。坂東一の武者、の名は大変武家の心をくすぐったらしい。伊豆は坂東じゃないって?いいだろそれぐらい。
この空き期間に堤の修繕も行わないと。
特に狩野川の大きな屈曲部では何箇所か堤が切れている。毎年少しずつ流れで削られた結果、堤が切れるのだ。説得して土地を提供させて堤を厚くする。まぁ、本来はその土地の領主が自分でやることなんで、断る様ならほっとくだけなんだが。今年は狩野、天野、北条、仁田もちろん全員賛同した。峠の工事を一時止め、人を回して堤を厚くし、柳の木を植える。柳は水に強く、根を張って土手を固める。人里近い場合は桜だ。人が花見に来て、土を踏み固めてくれる。桜と言ってもオオシマザクラなんで、材もいいものが採れる。
忠子叔母上と時忠叔父上と滋子姫、信子姫、季子姫、統子様に、出来上がった着けお歯黒を送った。時忠叔父上のは今後外注。
一月の残りは阪東各地に騎射大会のお誘いを書くのに費やした。名のある名主には大体送ったはず。こういうの出さないと拗ねる童話の魔女みたいな奴が必ず居るから神経を使った。基本各国衙と主な在庁官人、有力荘官、郷司以上には送った…よな?
『坂東一の武士は誰だ!』
来る三月三日、四日の両日に、三島神社境内馬場に於いて、騎射大会を開催致し候。
参加資格は坂東及び伊豆在住の武士、首位には米十石の賞品と坂東一の武士、の称号が贈られる…(以下略)
という手紙が坂東中に配られた。
大会前後十日は運航する、茅ヶ崎から伊東までの定期輸送便の報せもちゃんと入れておいた。
人集まるといいなぁ。




