宗盛記0084 永暦元年十二月 帰京
永暦元年十ニ月師走
三日に大庭景親が三嶋に着いた。伴は十五騎。雑仕を入れて約三十人。十騎でいいと言っていたのだが、都に上がりたいというものが多かったらしい。これでもぎりぎりまで選んだのだと恐縮している。まぁ、一、二ヶ月で京往復することなんてそれほどないしな。租税と貢納の警護位か。その場合、京では二、三日しか過ごせない。経費かかる出張だから。一月足らずの旅程は、滅多にない遊山(観光)のチャンスだろう。
今回は祐泰は伊豆に残ることになった。
他の氏族とのバランスからまだ任官させる訳にもいかないし、河津の様子見もあると言うからだ。でもそのうちなんとかしてやらないとな。
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「この半年程、殿のお側にお仕えしてどうであった?」
父上に尋ねられた。
「都の貴族とは、かくも働くものかと」
「言い忘れておったが、あの方を普通と思うなよ。昨年まで三嶋におった伊豆守様の目代は、よくここまで働かぬものだと驚くような人であったわ」
「…それにまぁ、様々なことまでご存知で」
「当たり前だが、それも普通と思うなよ。伊豆だけでなく、近隣諸国でも聞いたことがない話ばかりだぞ」
「…鍛錬も怠りなく、さりとてちゃんと暮らしを楽しんでおられました」
「あれでお主の一つ下だ。付いて行けぬとどんどん引き離されるぞ」
「そう考えると、怖い方ですな」
「家人になって初めて分かった。あの方は恐ろしい。家人であり続けるために、気を抜いてはならぬ」
「肝に銘じまする」
「ところで、八重に随分と親切にして頂いているようだが、どう思う?十歳違いは適齢と言って良いし、伊勢平氏本家との縁組は悪くないと思うが」
「…さすがにそれは早すぎるかと」
「そうか、しかしあの方は色々普通ではないからな」
いや、八重はまだ四つだ。さすがにそこまで考えられていると知れれば、宗盛様も引くだろう。
男親とは娘のことでは普通ではいられぬものらしい。祐泰は小さくため息をついた。
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今回は冬なので少しのんびり。日が短いから。師は走っても俺達はゆっくり行く。
と言っても泊まる場所と替え馬の都合でそこまで延ばせないんだが。
相変わらず遠江三河は時間がかかる。頻繁に小さな渡しが現れる。その度に車を舟に載せる。天気が良ければ渡し一つでしばらくは済む富士川や大井川、広瀬川(後の天竜川)の方がずっと手早かったりする。
今回はこっそり熱田神宮に寄った。と言ってもこの時代、ちゃんとした身なりの武士が神社に参ってそのまま帰るわけにはいかない。大庭の名前で幣と進物の麻布を納めた。俺は偉そうな付き添いの子供である。直垂姿はこういう時に助かる。
例によって社域はかなり広い。社殿は思ったより大きく無かった。まだ尾張は田舎だからな。宝物館も信長塀もないのであんまり見るものがない。本殿は記憶にある神明造(平入切妻反りなし板葺)ではなくて、平入入母屋のなだらかに反る杮葺屋根の造りだった。本殿・祭文殿・拝殿が回廊でつながっている。拝殿は妻入切妻。
もちろん烏も居た。ここでは神使なんで追われることはないから当然のように居る。それどころか鶏も居た。見て閃いた。神託である。鶏飼って卵を食おう。もちろん鶏肉も食おう。そう思って見つめると何故か鶏が逃げて行った。
昔、都で厨の者と相談したら、そんな蛇のような、残酷です、と断られたので卵は諦めていたのだ。それどころか、この時代鶏は地獄の王だと言う話があるらしく、食うなど以ての外です、と詰られた。そう言えば地獄草紙に居たな。火を吹く巨大鶏。でも伊豆で飼う分には文句はでるまい。表立っては。なんせ俺が国守。
「(熱田の神様、このまま平家が滅びると草薙の剣がなくなっちゃいます。宮司の縁とか目を瞑って、どうぞ平家をよろしくお願いし致します)」
手を合わせて深く祈る。
でもよく考えると、草薙の剣って、ここにあるんだよな。とすると内裏のはコピーなのか、それともこっちにあるのがコピーなのか、よくわからん。神武天皇に授けられたのは古事記を読んでいるから覚えているが、熱田に来たのは日本武尊の時だろう。少なくとも焼津で草焼いた後だ。辺境への軍事遠征に皇統を示す神器を持っていくって、考えてみたらすごいな。その後朝廷に返さないってのも。つまり元々朝廷にあった神器を日本武尊が勝手に持ち出したのか。伊勢にあるという八咫の鏡もだけど。剣璽は玉体と常に一緒に…とか言ってるのにどういうことだ?まぁ、その時辺りにコピーを作ったんだろう。神道は分霊とか得意だしな。
考えにふけっていたら、秀次に肩を叩かれ引き戻された。
「殿、そろそろ行きませんと怪しまれます」
「時々三郎様はこうなるから、その時は誰かが呼び戻さないといけないんだ」
景経がしたり顔で大庭景親に説明している。恥ずい。
東海道はここから陸路で西に海沿いに進んで濃尾三川を渡って桑名に行くコースと、熱田から舟で桑名まで行くコースがある。
俺が知っているより、熱田神社は随分海に近いようだ。前回で様子がつかめていたので、熱田の渡し場で馬を預かってもらって、車と人だけ海を渡って桑名に向かうことにする。
濃尾三川は高低差があるので繋げないし、それぞれ渡し舟を乗り換える必要があるからだ。替え馬は桑名の渡し場に用意して貰った。ここも大規模な行軍の際はネックになるなぁ。一度は国衙、一宮経由で美濃を回って東山道の不破関を通ってみるか。
舟に乗った途端景経が真っ青になっている。よほど伊豆での島行きがこたえたらしい。まぁ慣れてくれ。平家で船戦できないとシャレにならん。
桑名からはまた是行の家に泊めてもらった。土産に一夜干し一揃いと金彩の皿一揃いを置いてくる。そこからは二日で六波羅に帰った。十一日の昼過ぎだった。
今度は大津の国衙で馬を借りて人を遣って先触れしたのだが、そのせいか家に着くとすぐに二棟廊の客殿に呼ばれた。ちゃんと挨拶する暇もない。一族勢揃い。兄上達や叔父上達もその嫁達も集まっていた。もちろん女性は几帳の中であるが。時忠殿も居る。
「三郎宗盛、伊豆より正月の休みで帰って参りました。皆様方もお変わりないようで祝着…」
「うん、よく帰った。ところで聞きたいのだが…」
被せてくるなぁ。
「何でしょうか?あらたまって」
「その、お歯黒の話なのだが」
都は今日も平和でした。
「ふぅ」
途端にやる気が無くなった。
「旅で疲れておりますので、その話は明日にでも」
「その、お歯黒の汁はヌルデの虫瘤から採ると聞いたのだが」
うわぁ、こっちの返事はガン無視ですか。虫の話だけに。
「虫瘤、開けてみましたか?中から虫の死骸がボロボロ出てくるのはかなりえぐいですよね。アレを毎日歯に塗り付けるのはなかなか覚悟が要ると思ってました」
何人か口を押さえて真っ青になっている。御簾の中からは小さな悲鳴。今のは維子義姉上かな?
「そなたならなんとかできると聞いたのだが」
父上のこんな真剣な顔は久しぶりである。
「こんなに大勢無理」
沈黙。
もとよりこの展開は考えていた。
「何人くらいなら…」
「一つ塗るのに三十日はかかるからね。一度に三つ位?」
「なら儂と時子と…」
「お待ち下さい兄上!」
「父上私も!」
「宗盛殿、ぜひ私にも!」
「三郎殿お願い!」
阿鼻叫喚とはこういうのを言うのかなぁ…。
「まて、静まれ!静まれ!」
「虫の死骸汁、塗り塗り〜♪(今様風)」
みんなギッと睨んでくる。目が血走ってるよ。怖い。
「いいじゃないですか。今まで気にせず塗ってきたんだし」
「聞いてしまって我慢できるか!」
頷く皆さん。
「それでは私から提案を」
「なんだ?」
「お歯黒、止めましょうよ。ウチは武家なんだからお歯黒しない、でいいじゃないですか」
「貴族の中でそんなことができるかっ!」
「なら、虫の汁塗りで」
「ぐぬぬっ、お前はどうしておる!」
「ほら、ちゃんと黒いですよ」
にっと笑ってみせる。
「外せると聞いたけど」
母上も目が恐いです。あとバラしたの誰だよ。
「さぁ、なんのことやら。それに源氏はしてないんですよ?」
「おおお」
満場のどよめき。
「そういえば、義朝殿も常磐殿も…」
しっかり見てるんですね、父上。母上が睨んでますよ。
「武家はお歯黒しない。危急の時に対処するための嗜みである。それでいきましょうよ」
「いきなり変えれるか!」
「前からでしたと言えばいいです。どうせ男の歯なんて誰も気にしてませんって」
たしかに、それもそうだな、と、声も上がる。
「俺は清子姫と結婚したらそれでいこうと思ってました。歯を美しく保つための道具も用意してあります。大丈夫ですよ。今更歯の色如きで平家の武力を手放せるものですか」
言い切る。着けお歯黒でも毎日付け外しするの面倒なんだよ。
「むぅ」
「待って、待って下さい宗盛殿、ウチは武家ではありません」
時忠叔父上の悲鳴のような声。
「あぁ、では虫の汁で」
できるだけ沈鬱そうな声を出してみる。
「ひぃぃ」
「これから毎朝一生ですもんね。慣れたら虫の湧いた飯とか食べられるようになるかも」
「うぷっ」
みんな真っ青である。想像したんだろう。
「わかった。しばらくお歯黒無しで様子を見よう。聞かれたら平家は前からそうであると」
「清盛様ぁ〜」
一同頷いている。一人以外。
宴は明日の夜になった。みんな歯が気になって食欲がないらしい。誰だよ拡めたの。知らなければみんな幸せだったのに(笑)。
そうだ、持って帰った歯ブラシについても説明しないとな。一本米一升として米三石。お年玉位にはなるか。しかも需要は当分続く。
「宗盛殿、着けお歯黒なるものを作れるとか」
すがるような目というものを久しぶりに見た気がする。
「男の歯とか作りたくないなぁ」
「そこをなんとか」
「いくら叔父上の頼みでも、俺忙しいし。すぐ伊豆に帰りますし。虫の汁、みんな我慢してるわけだし」
してない。知らないだけである。製品になると黒い粉だからな。
「もう一人つける」
「え?」
「清子の他にもう一人」
目が据わっている。
「義兄上様、何なりとお申し付けください」
時忠殿がハッと我に返ったようだがもう遅い。
「では用意できてますからすぐ型を取りましょう」
そう、用意はできているのだ。予想はできてたのでちゃんと一式持って帰っている。
呆然としているところを、流れるように粘土型をとってお帰りいただく。まいどあり〜♪
この叔父は頭はいいのにテンパると迷走するな。よく考えれば、自分で作らせればいいことに気が付くだろうに。
待機していた大庭景親を父上に紹介したのは日が落ちてからになった。すまん。
その日のうちに石膏型を作って、下地塗りまで持っていった。
だ~れ~に~し〜よ〜う〜か〜な〜♪
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/74/Hell_Scroll_Nara_Flaming_Cock.jpg
Wikipedia>地獄草紙>奈良国立博物館




