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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第3章 伊豆守、受領

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宗盛記0069 永暦元年二月 伊豆へ

永暦元年二月如月


五日。

よく晴れた。これから花の時期だ。

伊豆に向けて出発する。我が家では久しくなかった受領に、用意された護衛の者十五騎。伊豆に所縁のある宮中からの随身も加わるのに、過保護である。

中でも備前の難波二郎経遠、三郎経房の兄弟が護衛に加わってくれるらしい。父上の家人の中でも、この二人はかなり高名な武者だ。是行、秀次、景経も共に伊豆に来てくれる。二年の赴任なので是行と相談してその家族も連れていくことにしてもらった。是行の六波羅の屋敷はウチの下人が見てくれる。

職人たちや是行の家族は馬には乗れないので、伏矢と亀二、亀三に加えて馬を扱える家人に交代で車を馭して貰って乗せることにする。皆恐縮しきりだが登り坂では歩いてね。

ふた月ぶりにクソ重い大鎧を身に着け、総勢八十人程で伊豆まで行くことになる。


出発の時、誰よりも知盛が泣いた。嫌だ嫌だと泣く四郎につられて、三の君も四の君も泣き出した。俺もしんみりした。母上も顔を押さえているが若干嘘くさい。ちらちらこっちを見てくる。今更変更できませんって。

できれば半年に一度は帰るからとなだめると、

「それまで私のお昼は誰が作ってくれるの?」とか言いだした。

知らんがな。くりやに頼め。うなずいているその辺も。


父上が、

「無茶をするなよ」

と言ってくれる。

違うな、心から心配している。

俺の身をじゃなくて、これは釘を刺してるんだな。


清子も見送りに来てくれた。

はなむけにと矢立を貰った。箱と筆の軸に蒔絵で杜若の描かれた凝った品である。


かきつばた 旅の路行く つれづれに 

花咲くを見れば 君を思わん


ドヤ顔したが反応は微妙だった。

そりゃまだ杜若には早いけどさ。

母上が悲しそうに溜息をつく。それって息子が旅立つからだよね?ね?

皆に見送られつつ出発する。


本日の宿の予定は瀬田。どうせならのんびり観光しながら行きたいが、これはある意味出張である。というか十五騎もつけてくれたので、そんなことは言えない。実際いつもの出仕の様に五、六人の小人数だったら細かく観光しながらで二十日位かかるかもしれん。主に俺のわがままで。もしかして父上はそこまで考えていたのでは。熊野行でやらかしちゃったからなぁ。


山科を過ぎて逢坂の関を通り、左に曲がりながら山道を下る、大津の直前の峠道で襲撃された。


矢によって前に居た二騎の武者が落馬する。三段(約33m)程向こうに敵が出てくる。相手は一人。まだ若い。後は後の樹の陰にもう一人居るな。こちらは軽くだが武装して騎乗しているのに、弓と太刀とえびら一つの徒士かちで鎧も着けていない。死ぬ気だろう。これは怖い。

「平宗盛だな」

問われるが答えずに居ると

「怯えて声もでんか?」と挑発してくる。

「知らない人に声かけられても、答えちゃいけませんって躾けられてる…」

と答えているところで撃ちやがった。わかってるなぁ。

そのまま左に落馬する。肩口を矢がかすめるが、右の大袖は鉄盾だ。かすったが軽くはじく。ちゃんと顔を狙ってくるな。矢が早い。一瞬遅れていたら死体になっていた。こいつは強い。

こっちも手慣れた落ち方で、鞍の前輪に右手をかけて勢いを殺しながら、まっすぐ手をつかないように肘と手首を少し曲げて左手から落ちる。左肘がちょっと痛いが、左肩は大袖で勢いが殺せる。できるだけ勢いのまま転がるのがコツだ。そのまま転がって道の左脇に行こうとするが、箱形の鎧が邪魔でうまく転がれない。俺が道を塞ぐと後の兵が前に出られなくなる。前に居た護衛の騎馬が一斉に前に出る。後方の弓を持っていた者達はもう一人の射手を射つ。でも騎乗からの抜刀が遅いよ。このままだともう一射喰らう。

「俺はここだ!このままのがしていいのか!」

膝立ちになったまま煽るように叫ぶと、ニヤッと笑って俺にもう一矢射た。大鎧の右大袖、鉄盾で弾く。この距離で武装した俺に当たるか!

二度外したことに驚いた顔をした男が、馬で駆け寄った難波経房殿に弓ごと斬り伏せられる。

そう、逃げることを捨てて最後の一射で俺を射たのだ。

「先にもう一人を押えろ!」

俺の命で、何人かが馬から降りて残りを追う。

先頭で射たれた護衛の一人は喉を射られて死んでいた。ちゃんと名前を聞く暇もなかった。射線が通っていれば俺が危なかった。奇襲の狙撃は避けようがない。

もう一人の護衛は脚を射たれて落馬したようだ。ふくらはぎを深く裂かれてはいるが骨や大血管は逸れているかな。傷は致命的ではなさそう。

男に近づくと、左肩を大きく斬られている。かなりの出血。左手は動かないようだ。それに酷くやつれている。それでも髭を剃って身なりは整えていた。

「名は?」

「悪源太義平」

こっちを見返して答える。

やはりか。二十歳位だからあるいはと思っていた。

「東国に落ちなかったのか」

「父と弟が捕らわれたと聞いてな。六波羅のあの砦もおまえの仕業と聞いて、一矢報いておこうと思ったんだが」

軽く微笑みながら答える。理性的ではない、馬鹿げてる。

でもわかってしまう。戦に負けて家を失ったのだ。昨日まであったものが全て奪われる。家族も、臣下も。関わったものが死んでいく。武士という生き物はそういう世界に生きている。

そうして明日、討たれる側で座っているのは俺かもしれない。

「自決、するか?」

「はは、やはりお前を狙ったのは正しかったな」

そんな正解嬉しくない。

返答を待つと

「そうさせてもらおう」

晴れ晴れとした風で言う。

弱敵に討たれるのは恥。負けるとしたら、それは自分より強い者でなければならない。そういう美意識が、武者にはある。むざむざ討たれる位なら自決すべきだと。

「俺が介錯する」

と言うと、側で警戒してくれていた難波経遠殿が慌てて止める。

「そのようなこと、我々が致します」

まぁ、それもそうか。どこでも刑吏は卑業扱いされやすい。

「源家の長男だ。武家の礼を尽くしたい」

太刀を抜いて後に回る。

「おまえが敵だと、家の者も大変だな」

右手で短刀を抜こうとしてうまくいかないようだ。

「景経、抜いてやれ」

多少腰が引けている景経が、抜いてやった短刀を渡す。

このまま俺に切りかかってくるかともちらっと思ったが、そういう性質たちではなさそうだ。

しばらく青空を見上げて

「坂東ももう春だろうな」

と呟くと、腹に短刀を突き立てた。

前のめりになった首に太刀を振るう。頚骨を断ち切る鈍い抵抗が手に響いて、そのまま首が落ちた。崩れ落ちる体から勢いよく血が吹き出して、辺りを濡らす。

既にもうここにあるのは、ひとつの死体でしかない。


もう一人の敵も射られて死んでいた。

死んだ護衛の武者の弔いと、怪我をした者の手当と後送、後、首二つを届けるために、一騎の武者と何人かの従者、車一台を付ける。義平の胴の弔いの費用も渡す。手厚く葬るようにと。伴の皆は道中の護衛が減ることに難色を示したが、義平が討たれたとなると最大の懸念は消えた。戻るべきだとの意見が多かったが、進む。

先使さきのつかいが既に到着予定を知らせているし、今朝出てすぐに戻るとか恥ずかしいじゃないか。


瀬田の宿について鎧を脱ぐと、落馬の際に打ったところが酷い痣になっていて痛んだ。

生きている証拠だ。



それからは順調で、先触れが宿を確保してくれたのもあって、大井川の増水で一日止められた他は特に問題もなく、十二日ほどかけて東海道を下り沼津に着いた。約百里。一日平均八里余だが、馬なのでかなり楽だった。せめて熱田神宮に立ち寄りたかったなぁ。蒲原を越えて富士川を渡ってからはずっと富士が見えた。義平も想ったであろう春の富士が心に残った。


伊豆の国府は三嶋にあるが、先使さきのつかいが行っているので、田子の浦を過ぎて国境にたどり着くと迎えが来ていた。

伊豆目いずのさかんで、俺の次官となる狩野かのう(工藤)茂光もちみつを筆頭に他十数人。茂光はモチっとしたえびす顔のおヒゲのおじさんである。

茂光は在地任官だが伊豆で唯一の官制に則った国司官だ。今までは中央の指名の外官げかんは茂光だけだった。本姓は藤原。名字は工藤だが父の代からは狩野を名乗っているとか。しかし工藤家の本家に当たる。本領と屋敷は狩野川の上流域の狩野荘牧之郷。

名の通りこの国一番の良牧だという。

茂光は修善寺の北に位置する牧之郷以外では伊豆七島の三島郷の郷司でもあるらしい。大島の為朝の監視を申しつかっており、その乱暴に手を焼いているとか。

連絡は行っていた筈だがあまりに歳若い国守の赴任に戸惑っているのがありありとわかる。まぁ、中学生位の子供が新しい県知事です、ってやってきたら驚くよな。

話しながら三里ほど進んで国庁に着いて在庁官人の紹介を受ける。

在庁官人首席の掾官であるイケオジの伊藤(工藤)祐親は家内に相続争いがあり、新たな国司に期待していたそうだ。さかんの狩野茂光の甥でもある。年代はあんまり変わらない様だが。

「私の本領は久須美荘の伊東なので、今は伊東祐親と名乗っております。そちらでお呼びいただけるとありがたいです」

ん?伊東祐親…それって八重姫関連じゃないの?

それとなく聞いてみると上二人は嫁に出したが、まだ四つの三姫がいるとか。

いい夫に恵まれるといいね。幼馴染の甥とか。もう生まれてるのかな。

続いてびっくりな有名人。北条時政。幼馴染の甥の父。同じ国香流の平氏です、長旅で喉が渇かれたでしょう。ささ一杯と嬉しそうにやってくる。着任直後に酒を勧められるとは思ってなかった。在庁官人次席である中座で狩野川中流域の北条郷の郷司。やや小太りの人の良い兄さんに見えるが、こいつの腹黒さは前世の歴史が示している。いや、後妻が悪かったのか?牧の方、だったかな。茂光の関係者?

まだ二十二だとか。

「平氏の、しかも近い縁者と任地でお会いできるとは、頼もしい限りです」

にこやかに応対する。腹黒くても役に立ってくれるならいいんだよ。伊東祐親の娘婿だと言うから、あの兄弟姉妹も生まれているか。あんた坂東武者じゃないけどな。

地元三席の書生は天野景光。北条の南隣の天野郷の郷司。沼津にも領地があるらしい。嫡男の遠景も挨拶に来ていた。これも工藤氏の血を引き、祐親とも血縁がある。景光は四十歳位かな。


その日の夜は狩野茂光主催の歓迎の宴だった。いい加減眠いのに。

酔って久しぶりに一首


何処いずこより 伊豆にきたると 問う人に

都より出ずと 春を伝えん


皆が褒めてくれるが目が冷たい。このシリーズはイマイチ評判が悪いな。

…それにしてもこの生ぬるい反応は新鮮である。

だから、そんなに追従ついしょうしなくっていいから。

当分人前で歌を詠むのは止めよう。


翌日。

本来なら仕事を始めるところだが、護衛の労をねぎらうために皆で熱海に行った。着任即湯治…。いや、視察である。

五里半。途中熱海峠を越えるので、馬から降りて歩かないといけないらしい。半日少しかかるとか。熱海の南に領地を持つ伊東祐親が案内してくれた。

今回は職人たちも行きたいものは連れて行く。そっちは途中まで車に乗せる。峠の手前の祐親の縁者という大きな農家に車と馬を預けて峠越え。道は普通の山道である。人を遣って峠の向こうに替馬も手配してくれているそうだ。未の正刻(午後2時)には着いて温泉に入る。備前の難波兄弟は湯郷ゆのごう温泉に行ったことがあるらしいが、これほど大きな温泉地は初めてだとのこと。もちろん俺も初めてだ。温泉最高。

まぁ、伊豆は大きな島がプレートの端に乗って南から来て本州にぶつかったところだ。当然温泉だらけである。

熱海は地名からして温泉。昔魚が煮えて死んでいたから熱海、と名付けられたという。熱水鉱床でもあったのかしらん。


「難波殿は備前の方と聞きましたが、海際のほうですか?」

「我が家は代々吉備津彦神社の神職を務めております」

弟の難波三郎経房が乗ってくる。

「おお、では吉備の、備中との国境ですね」

「よくご存知で」

そら近いし、前世では。

「純友の乱の後、吉備津神社から分霊わけみたまして一宮になったとか」

「そこまで御存知でしたか。宗盛様はそういったお仕事でも?」

「ああ、奉弊使の方の関連で少しだけ」

「なるほど…さすが蔵人を長く務められただけのことはありますな」

いや、嘘はついてないんだが、それで知ってる訳では無い。

「楯築の祭祀跡とか、不思議なものがあると聞きます」

「いやぁ、都の方にそこまで知っていて頂けているとは。なんだか嬉しいものですな」

兄の次郎経遠も話に乗ってきた。確かに嬉しそうだ。

そう言えば、一宮同士があそこまで近いのは備前と備中位かな。

「吉備津神社までも、半里位とか?」

吉備津神社は駐車場が有料だというので、吉備津彦神社から歩いて行ったことがある。

「そうそう。隣国にはなるのですが、子供の頃は楯築にも時々遊びに行きました。一里半位でしたので」

と経遠。

江戸時代とは違って、国境の管理とかうるさくしないからな。戦国時代程に、物騒ではないし。

温泉仲間として、難波兄弟とはすっかり打ち解けた。


隣国の相模から大庭景親殿が挨拶に来ていた。伊豆国衙に務める縁者から聞いたとのこと。

景親殿は四年前の保元の乱で義朝に従っていたが、それも十六年前に義朝が率いる三浦氏、中村氏に本領の大庭御厨を攻められてやむなく臣従していたそうで、平家の御曹司(俺である)が隣国の伊豆に下向すると聞いて喜んでやってきたらしい。もちろん歓迎する。相模の話を聞かせてもらった。やはり今回の乱でかなり混乱しているらしい。義朝殿の舅として勢力を誇っていた三浦氏が勢いをなくしているとか。


明けて十六日。大庭殿と別れて三嶋に帰る。途中早い山桜が咲いていた。


伊豆ももう春だ。ここは坂東じゃなかったんだけどね。





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― 新着の感想 ―
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