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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第3章 伊豆守、受領

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宗盛記0068 平治二年改永暦元年一月

新章、開幕します。

正月なので、いつもより多めに回しております…

実際いつもの倍の分量でお送りします。


感想や誤字脱字を頂いた皆さん、本当に助かってます。

まるむしさんのレビューは、ヘタレそうになる時の支えです。

応援して頂いた皆様に感謝を。


新章は伊豆編となります。内政の時間です。


坂東武士…調べること多すぎ…。

平治元年はこうして終わった。

馬の返却と牛の回収のために人を出した。馬の確保はこれで解除。そのための礼状を書くのに年末かなりの時間が飛んでいった。

馬を依頼していた一人である別当湛快殿と湯浅宗重殿は、六波羅に参陣していたので直接礼を言いに行った。別当湛快殿の息子湛増殿は、最後の壇ノ浦で裏切るが、それは平家が負け続けたからだろう。

藤白王子から乱の知らせを受けてすぐに兵を出したのに、全く追いつけなかったと驚いていた。


この乱でわかったことがある。

俺の歴史知識はもう当てにしない方がいい。

なんせ八百年前?…後?のことなので、ちゃんと前世に事実が伝わっているか怪しい。さらに俺は歴史の専門でもないので、その知識も怪しい。

この辺が統子様達を危険に晒してしまった理由で、反省点だろう。

その上俺がやらかした諸々で歴史が明らかに変わり始めている。まぁ、変わらないと困るんだが。

どうやらタイムパラドックスを避けるために何をやっても結果が大きく変わらない、ってことはなさそうだ。

前世知識からの思い込みに頼りすぎると危険なところまできてしまった。俺のメリットの一つが早くも消えつつある。

引き換えに少数でも敢闘して平家と対抗できる源氏、のイメージはかなり無くせたと思う。これが二十年後、源氏と相対する時に少しは効いてくるといいんだが。



明けて平治二年 庚辰かのえたつ正月睦月。

もう1160年でいいよね。景教(キリスト教ネストリウス派)の宣教師辺りと繋がりのある宋の商人とかに聞けば確かめられるんだろうが。

俺は十四歳になった。背はかなり伸びた。五尺一寸(約154cm)。少し高めの女性位。


四日

宮中が正月行事に忙しい。

出仕中に俺は父上の曹司そうしに呼び出された。

「父上、お呼びですか?」

もはや蔵人では無くなった俺は俺で、伊豆守赴任の準備で忙しい。

「宗盛。お前、受領ずりょうすると申告したそうだな?」

「ええ、その準備で忙しくしております」

ここはできるだけ当然のように答える。

「何を考えておるかっ!」

だめっぽい。

「前に申しましたように、坂東に繋がりを作りに行くつもりですが?」

遙任ようにんして目代もくだいを送ればよかろう!」

声が大きいなぁ。さすが武家の棟梁。

ちなみに遙任は、代理の者を派遣して本人は在京する国司のあり方だ。自分が行く場合は受領ずりょうとなる。

「私のような若輩者が遙任などしても、縁など繋げませんよ。現地で横領される貢納こうのうが増えるだけです」

「都から離れれば出世はできんぞ!」

「日の出の勢いの我が家なら、仕事をちゃんとこなせば大丈夫でしょう。すぐには戦もないだろうし」

なんせ有力な軍事貴族がほとんど残ってない。

「貴族が都から離れればその分出世が遅れると言っておる!」

「ウチは武家だし」

「遙任せい」

受領ずりょうで申請しちゃいました」

「取り消せ」

外官げかん初任でそんなみっともない」

「任地はすぐにもっといい国に変更にできるぞ」

「それじゃ伊豆を選んだ意味がありません」

「伊豆なぞ何もない遠国だ。遠流の地だぞ」

「遠流の地だからこそ選んだんです。それに温泉いっぱいあるんですよ」

「屋敷も物もろくなものがないと言っておる!」

「あ、そこは大丈夫。自分で好きに作りますから」

「なっ!なっ!」

「とりあえず顔だけ繋いできます。源家に従った者で取り込めそうな者と、どうしても敵対しそうな者も調べておきたいですし」

「このまま都におるだけで昇進できるというのにか」

「宮中の出世なんて、ウチに多くの武士の支持があれば自然とついてきます」

「またわからんことを」

「平家が期待されてるのは唯一、皇家の問題を解決できる武力です。他は貴族に溶け込む方便でしょう。新たに問題を起こさないことは前提ですが。そのためにも今回集まってくれた武士達にどれだけ報いられるか、が次の一歩ですよね」

「…それで?」

父上の表情が無くなる。

あ、この反応は父上も似たようなこと考えてたな。聴く気になったってことだ。いい手応え。

「これ以上に平家の武力を高めるためには、地方の武士の力を取り込むしかありません。同時に各地の問題に干渉できますし。そのためには父上直系の俺は役に立ちますよ?平家は坂東に力を入れている、中央との繋がりもできて出世の道もある、訴訟の後ろ盾もできる、と思わせられます。俺なら源家の力の空白ができた坂東で人集めができます」

「ぐ…む……二年だ。それ以上は許さん」

「半期か。帰ったら結婚ですね。ぎりぎり十五歳に間に合うな♪」

「勝手にせいっ!」


父上のお許しを頂いた。

実際許しなのだ。父上の立場なら、問答無用で遙任にすり替えることもできた筈だ。あれで一応話を聞く機会をあたえてくれたんだろう。

国司の任期は基本四年。

実際、誰かの家人となっている地下人(殿上できない)の貴族を除いて、受領するものはかなり稀だ。少年国司の赴任例なんてない。なぜかと言うと、貴族側の怠慢や無関心もあるが、地方の側も気に入らない国司を襲撃したりとかが結構あったからだ。特に平安前期の国司はかなり大変だったようだ。これも後の改革により、国司の苛政への制限がなされ、受領も減って、その面での関係は少しマシになっている。


一族は遙任で都に居て、知行国を増やしつつ、たまに上京してくる利害の対立しない武士を家人に取り込んで地力を付けていく、父上の構想はそんなところか。

でもそれじゃ間に合わない。院の、朝廷の政治が、経済・武力で実力をつけた地方の不満を募らせていく方が、きっと早い。時間の問題で限界を迎え、味方より敵が増えて、それと対峙する平家は疲弊していくしかない。

院はむしろ裏でそれを煽るだろう。


帰ったらまた母上に泣かれた。

すみません。心配ばっかりかけちゃって。でも仕事なんです。本来国司は受領するのが当たり前だと思ってるし。

それに育ち盛りのうちに肉や魚たっぷり食いたいんです。


++

熊野行に同行した者を除けば、平家の内でも少数しか気付いておらぬだろうが、今回の乱での宗盛の殊勲はかなりのものだ。京からの報せの早馬と帰りの準備、それによる儂の予想外の早期の帰京、そうしておそらくあの出仕が兵の集まりと敵の自壊の決め手になっている。一日にして泉殿を砦と化した手腕も、いち早く院と上西門院様を確保したことも高く評価されておると云うのに。

気になったので是行にたしかめたところ、あやつが馬を確保し始めたのは既に二年前からだと言う。まだ熊野詣の話など出ておらなかった頃だ。あの数の叺の用意もすぐにできるものではない。後から考えると、熊野への行き道のあやつのぐずり様もわかっていてやったのであろう。もしかして天の声でも聞こえておるのではないか?

血筋と今回の殊勲、時折見せる政治的な洞察力も考えると、あやつを棟梁候補にとも頭に浮かぶというのに、本人はむしろ別の方に走っていこうとする。しかも伊豆に自分で好きに作るとあやつがぬかしたとき、それはもしかすると都よりも快適なのではないかとすら思ってしまった。

そうしてあれがそうしたいと言うなら、何か意味があるのではないかと考えてしまうのだ。

十四で一番上の息子が家を離れるとあって時子にさんざん恨み言を言われたが、本人の望みなのでお門違いというものだ。

このまま都に居れば、二十歳までに四位の位すら見えておるというのに。

++


尾張から義朝殿の首が届いた。享年三十八歳。俺もそのぐらいで死ぬ…前世の歴史では。

届けに来たのは義朝殿を殺した長田忠致おさだただむねと長男 景致かげむね。尾張の知多半島、野田に住む武士である。兵を出して戦ったのではない。忠致は義朝の側近鎌田政清の舅で義朝に仕えてもいた。落ち延びて頼って来た義朝殿をもてなし、風呂を勧めて入浴中謀殺した。娘婿の政清の首も持ってきやがった。自慢げに。それを知って娘は自害したと聞く。忠を致すとは笑わせる。人の姿をした外道である。家臣と言ってもこの時代はそんなもんか。命を捨てて殿を務め、義朝殿を逃がした源重成のような者も居れば、平気で外道な振舞いができる忠致のようなヤツもいる。

「余計なことを」

と言ったのを父上に聞きとがめられた。

「まるで義朝に逃げて欲しかったようだな」

「坂東で乱でも起こしてくれれば、官命で追討して加勢するものを根絶やしにできたのにとおもいまして」

と答えておく。

「そうだな…」

ちょっと引かれた。


考えてみれば、頼朝の仇は長田忠致である。或いは院と帝。父上は反乱を起こした義朝殿を討伐した軍の司令官に過ぎない。戦に勝ったというだけで、直接殺しても捕らえてもいないのだ。おそらく前世の歴史でもそう。

しかし後になって平家が仇だと言い続けた頼朝の宣伝工作のおかげで、八百年間皆なんとなくそうかなと思う風潮ができる。それは院と敵対せずに近づいて、権力を握りたいからだ。言いがかりもはなはだしい。そんなことを言うなら、死刑執行の担当官が死刑囚の家族の仇となる。

その害を考えるだけでも頼朝はやはりここで殺しておくべきだと思う。あいつは成り上がる為の手段として叛乱を企む。そのために女に手を出す。その意図がないなら、親源氏の家がいくらでもある中で、わざわざ平家方の自分の監視役の娘ばかりを選んで関係を持とうとはするまい。


…でも父上実は甘いからなぁ。子供殺したくないんだろうし、お祖母様とかに頼まれたら断り切れないんだろうなぁ。

まぁ、その甘さが父上の魅力だと思ってしまう俺も甘いんだろう。



義朝殿の息子たち、長男義平、三男頼朝の所在がわからないのと、準備もあるので伊豆への下向は二月に入ってからとなった。次男の朝長は美濃の国で戦傷が元で死んだと言う。

今月は各所に正月も兼ねての受領の挨拶回りである。しばらくは俺にも交代で警護の兵が着く。前のこともあるからな。

今まで四人で動いていたものが、日替りで武者六人が付けられて十人となった。このまま熊野詣とか行けそうだなぁ。



六日

昇位した。従五位上。

重盛兄上も従四位下になった。

基盛兄上も正五位上になった。

もちろん平治の乱の功績による。

三年近くとかなり長かった俺の蔵人勤めだが、適当な外官職がなかったのも一因だったのかもしれない。評判うつけだし。


あんまり官位が上がると家の中での立場がめんどくさそうだから、実はこの辺で足踏みしたい。前世の感覚だとわかりにくいところだが、兄上達の母方の祖父、高階基章様は正六位上の右近衛将監、官人で貴族ではないのだ。これは出世に意外と大きい影響がある。基盛兄上と違って、俺や知盛がいきなり蔵人から始まったのもその辺だろう。母親が富裕な庶人の娘だった義平は、あれ程武勇で有名だったのに嫡男になれなかった。

家の中に変な波風を立てたくない俺は、都での出世を言われても魅力には感じない。

この後の武家の、跡継ぎ一択集中の中世・近世と違って、公家貴族の主流の慣行は未来の均分相続を思わせる分家制度だ。末弟、末妹まで何らかの相続があるのが普通。ところが戦力という観点で見るとこのやり方は問題がある。集中の原則、指揮統一の原則に反するのた。

武家貴族の弱体化は大抵が一族の不仲からきている。河内源氏がその典型だが、それ以外の各家や、末は各地の地方武士で同様の事が起こっている。それを熟知している皇家や他の公家貴族は、有力な武家貴族の後継者の二番手に位を進めたり、別の勢力と婚姻関係を持たせたりして家を割ろうとする。

古い話だと家盛叔父上、亡くなってからは頼盛叔父上、今は基盛兄上にその傾向がある。嫡男の重盛兄上と、次男の基盛兄上の位階の差が一つしかない現状。婚姻で言うと重盛兄上は院周辺と、基盛兄上は美福門院との関係が深い。

それが異母弟の俺に回ってくるのは面白くない。一族の無事が最終目標の俺にとって、平家の分裂は避けねばならないルートなのだ。


長田忠致が壱岐守に任じられた。急に伊豆守がつまらないものに思われてきた。それでも報奨が低すぎると文句を言ってるらしい。今までは無位無官の武士で、ろくに政治経験などないというのに。この男が国司となれば領地からただ貪ることだけを考えるだろう。

政治家としては賞さないといけないのはわかるが、どっかで殺されちゃえばいいのに。


統子様の所にご挨拶。

滋子姫も既に戻っている。

調味料一式持ち込んで、厨の者にも教えつつ、雑煮、黒豆、栗の甘煮、ごまめ、里芋の煮っころがしなどを作る。

昇任の御挨拶と、受領のため上西門院の蔵人を辞する旨、正式にお伝えする。滋子姫も驚いているので、今回はまだ母上から聞いていなかったらしい。

とても残念がって頂いた。帰ってきたらもう一度仕えて欲しいとも。喜んでお引き受けする。こちらからお願いしたい位です。


乱の際のご褒美に御簾に入れて頂いた。

膝行して近寄らせて頂く。

赤の経糸と白のよこいとで織り上げられた紅梅の織りの色目の小袿こうちぎの装束が目に鮮やかだ。二重織物の地の織は花菱、大紋は対い鶴の雲鶴。次に目線は胸元に引き寄せられる。仕方ないよね。緑(この時代だと青になる)の単と淡紅梅から濃紅梅に移り変わる五衣からなる、紅梅の匂いの襲色目が正月らしい華やぎをみせる。女主人で裳唐衣もからぎぬではないので、帯となる小腰がない。引き合わせただけの襟はお腹の辺りまで開いている。下着の小袖がチラリズム。透けブラとかそんな感じ。目を離さねば。

薫物たきものは…沈香じんこうが強め…黒方くろぼうかな。

母上と同じ、三十五歳となる筈の統子様は、小皺一つなく、どう見ても二十代半ばにしか見えない。睫毛なっがいなぁ。整った目元や形のいい鼻筋、艷やかで柔らかそうな唇。しばらくはお会いできないとわかっているので不躾ながらガン見してしまう。ちょっと含羞はにかんでまなじりを赤らめた統子様が新鮮で眼福である。

「もういいでしょう!早く出てきなさい!」

いつも通り滋子姫がキレた。



九日

六条河原に義朝殿の首が晒された。割と近所である。時忠殿の屋敷からなら南に三、四町。嫁の実家の土地の評価額下がるから別の所にして欲しいものである。そういう場所だから手に入りやすいというのも当然あるんだが。

正月なのにと思うが、この流れでは仕方ないのだろう。しかし名目だけでも四位の貴族を、梟首きょうしゅとかやり過ぎ感はある。これを最初に進めた者は自分達に返ってくる事を考えないんだろうか。

って信西だった…しっかり返ってきてるな。信西の首は先月まで獄の門に架かっていた。

今度の命令者は院かな…因果応報といってもさすがに獄門は無いか。

まぁ、三条東殿で殺された者の縁者にしたら手ぬるい位だろう。当然ではあるが、院の女房や北面は、多くは貴族の子弟である。恨みは相当積もっていると思っていい。後は武士だからそういう扱いでも構わないって思ってるのかもな。

闘争を家職とする穢れた武士達による生命の奪い合いは、普通の貴族の関わるところではない。紅旗征戎は知ったこっちゃないのである。そうして殺戮に慣れた武士は、争いのエスカレートを制限できなくなる。これが一番の問題なのかもしれない。

もちろん見に行ったりはしない。下手すると二十五年後には俺の首が同じ様に晒されるのだ。


十日

年号がかわった。あまりにいきなりな改元だった。帝が践祚されたとしても、元号が変わるのは翌年である。乱の始まりの後ひと月、終わりの後半月…いや、首謀者の首が届いて六日である。元号ってその気になれば半月で変えられるのか。

大乱があったので不祥とのことだが、じゃなんで四年も保元を続けたんだってことになる。もしかして最大の武力を握ったウチを連想する、平治という字を忌み嫌ったのかもしれない。重盛兄上など、平治に平安京で平家が負けるわけがない、と兵を煽っていたからな。聞いてて笑った。さすが兄上。

実際、武家貴族の多くが姿を消し、今やウチが最大の兵力で、源光保様がそれに次ぐ状態。問題解決の為の武力はウチが握るが、平家が意のままに動かないなら、次に排斥されかねない状態になった訳だ。


二回の乱で最も力を付けたのは実は平家ではない。今の院だ。父鳥羽法皇様から本来統治の役割を任されていなかったお飾りの院が、保元の乱以来の四年間でこの国の主権者としてのし上がった。全く予定されてはいなかったのに。

利に聡い多くの貴族達が院の近臣の位置に就こうとしてすり寄っていく。二回の乱で最も得をしたのは誰か。この国の有り様に叛乱を起こしたのは誰か。

わずか十ヶ月間の平治の、乱の後一ヶ月の改元。新たな年号は永暦えいりゃく。なんかこれも短そうな気がする。


色々あった内裏が不祥だと言い出す者がいたので、正月前にウチから八条院に移られた当今は、そこで太皇太后 多子まさるこ様を見初めて入内させたそうだ。

太皇太后というのは、先々代の帝の正妻。つまり近衛天皇の正妻である。それ程の位の方でも帝の前で御簾に入って顔を隠していることはできない。そうして即熱烈に口説かれたそうだ。

当今は十八歳で多子様は二十一歳というから、年齢的にはなんの問題もない。しかし、前々帝の后を娶ったのは史上初めてだという。多子様は二代のきさきと呼ばれているらしい。さらに逆賊藤原頼長の猶子。すごいね。義理の叔母で未亡人で逆徒の娘とか属性盛りすぎだろう。それを口説くとかチャレンジャーすぎる。

でもお気持ちはわかります。歳上美人いいよね。


初子の日に小松引きに行く。母上と、清子と信子姫、季子姫、維子義姉上と一緒。知盛と三の君、四の君も一緒で車二台に護衛が二十人位付いてる。俺は馬。知盛がせがむので前に乗せてやる。思ったより高かったらしく、とてもはしゃいでいた。幼い頃は割と体を壊しやすかった知盛も、九つになってかなり元気になった。体を動かしているからだろう。

清子姫達と松を引く。十日程前までウチの二棟廊にいたんだけどね。

昇位のお祝いを言ってもらって、赴任の話をする。帰ってきたら結婚しようねとフラグを立てまくる。照れてあうあう言ってる清子が可愛かった。

気がつくと三の君が羨ましそうに見ていた。俺も照れる。あうあう。



親隆様と忠子叔母上に新年の御挨拶と報告色々。

「姉上から、宗盛が言うことを聞いてくれないと愚痴のふみが来ましたよ」

「もぅ、恥ずかしいなぁ。母上は過保護なんですよ」

と笑い合う。

ここでも雑煮を作った。親隆様と叔母上と従兄弟の親雅殿とで食べた。いつもは食事は別だとのことで、ちょっと和んだ空気。



美福門院の正子姉上の所に行くと、女房達に囲まれた。一本御書所の件がおおげさに伝わっているらしく、思いっきりちやほやされた。でも来月から伊豆に赴任するんですよと話すとすぅっとみんないなくなった。魔境である。

正子姉上は、自分だけいろいろ食べてないのにほっておいて伊豆に行くのね、とご立腹だった。知らんがな。



婚約が破棄になった章子姉上は、再出仕は当分しないつもりらしい。

「出戻りみたいに言われちゃうのも嫌だしね」

でも俺は正子姉上から聞いて知っている。

家が快適すぎて戻りたくないんだと。ご飯美味しいしお風呂気持ちいいし今更籌木なんて使えない、とふみに書いてあったとか。確かにシルエットがちょっとふくよかになっている。まだ結婚前ですからね?姉上。



重盛兄上の所に年賀に行く。乱の間ウチにずっと詰めていた兄上とはしょっちゅう会ってたんで、主に維子義姉上のご機嫌伺いである。御簾越しだけど。

ここでも伊豆の件でむくれられた。仕方がないので、この人には俺の意図を話しておく。武家貴族のトップに立ったウチは、皇家の意に反する様になれば必ず排斥される。その手段には地方武士の力を使うしかない。坂東に力を拡げることで叛乱を抑え、平家を安泰にすること。これが皆を守るために必要なのだと。

納得はしたけど気に入らないとごねられた。ちょっとかわいいと思ってしまった。兄嫁兄嫁。



空性様と覚性入道親王様にもご挨拶に仁和寺に伺う。空性様、少しおやつれになられたか?

乱のおり、信頼殿は最後にここに来て捕らえられたらしい。入道親王様に助命を請いに来たとか。最後まで命乞いをしながら引かれていったというあの御人が、どうしても哀れに思えてしまう。入道親王様も、子供には罪が及ばないように頼んでみると言っておられた。



職人たちを集めて、今後の話をする。まず基盛兄上の新邸の厠と湯殿(風呂)の整備。これは俺からの結婚祝いでもある。後は希望を受けている親隆様、重盛兄上、頼盛叔父上(お祖母様)、時忠殿、経盛叔父上、教盛叔父上の湯殿工事。何かあったら伊豆に問い合わせてといっておく。すると泉作と鉄雄が、連れて行って欲しいと言い出した。今の工房を弟子に任せて伊豆に行きたいそうだ。残りの仁助、幹也、圭介、梁夫、蒔輔も代わりの者を連れて行ってほしいと言う。これは嬉しい。費用は俺が持つから、お抱え職人の形で着いてきて貰うことになった。


受領の手続きが済んだ。

出発が来月五日に決まった。



二十一日。

基盛兄上が遠江守着任。父上が知行国主になったんで、最初俺を国司に据えようとしていた国だ。

空いた淡路は知行国主に源頼政殿がなった。本来なら頼政殿が伊豆国主のところ、父上が交渉して代わってもらったらしい。本貫地が摂津の頼政殿は、大喜びで伊豆と淡路との交換を引き受けたとか。

無理言ってすみません、父上。

この頼政殿は、先々代近衛帝が妖怪の夢を見たとき鳴弦めいげん四方奉射しほうほうしゃで追い払ったという逸話がある。その時トラツグミの鳴き声が聞こえたと言うので、陰陽師によってぬえだろうと推定されたとか。まぁ、うなされた時に近くで鳴弦されればたいてい起きる。俺の知っている話とだいぶ違うな。射たれて落ちてきたんじゃないのか。鵺。

そういえば玉藻の前も鳥羽天皇の頃だったか。もちろん都では聞いたことない話だったが。なんにせよ、この親子は精神的に割と不安定な人だったのかもしれない。



月末、二十五日に頼朝が尾張で捕らえられた。頼盛叔父上の家人が捕らえたらしい。

父上からどうしたいかと聞かれた。

多分叛くからできるだけここで殺すべきだけど、義理でどうしようもなければ隠岐か佐渡辺りに流すべきだと言っておく。伊豆に来たら事故に見せかけて俺が消しておくからとも。

後、下の三人については、母親を奪われたら子供は必ず一生恨むので、これもどうしようもないのなら先に子供を処分すべきだと。

思いっきり嫌そうな顔をされた。心当たりがあるらしい。本当は義経兄弟もここで殺しておきたいところだが、流石に生まれたばかりの赤子を殺す法はない。そんな先例もないし、なにより父上がそれを選ぶまい。

坂東あたりだと石子詰いしこづめとか柴漬しばづけとかやっちゃいそうだが。



罷申まかりもうし

国司赴任にあたって、帝にその旨ご報告する。

もちろん蔵人を退任して殿上籍も削られたので清涼殿の庇の下から御簾越し。

「宗盛か。長きにわたって蔵人の働き大儀であった。以後国守の任に励むように」

「ははっ。全力を尽くします」

これだけである。

当分文官束帯から解放されるな。



二十七日。重盛兄上が左馬頭に補職。伊予守と兼任。



姫詣で。

しばらくは通えないなぁ。持っていくのは梅の枝と柿襲。


向こうの暮らしについて話しているうちに、歌の話になった。清子姫が向こうでも歌の練習は欠かすなとかいい出した。

それに何時出るの、と聞かれてなんか頭のなかで鐘が鳴った。


何時伊豆に いづるものかと 君問わば

五日なりしと いつか答えん


ウケるかと思ったのにいきなり空気が冷えた感じがする。

早々に退散した。


++

「ぷくくくくくっ」

季子が笑っている。

「あれって、清子のせいよね」

滋子姉様が溜息をつく。

「なんでよっ!」

なんで私のせいになるのよ。

「だってあなたが、うたのししょう、でしょ」

「ふくくくくくっ」

「そんなの無理よ!元々あんなだったのよ!」

「ほら、蓋とかひっついちゃってるのに無理やり開けると、壊れちゃうことってあるじゃない?」

信子姉様も結構酷い。

「ぷはははははっ」

「それ、人にする例えじゃないからね!」

後朝きぬぎぬの歌、ちょっと楽しみだったりするのよ」

「ふひひひひひっ」

「何期待してるのっ」

精一杯の抗議。ついでに笑い続ける季子に取ってきた枕を投げる。宗盛印の入った蕎麦殻枕。

ぼすんっ!

「…………」

顔に当たって季子が黙る。

ひゅん

拾った枕を投げ返してくる。

なんか枕投げが始まった。

後で綾部にえらく怒られた。

++


結局、受領しちゃいました。


宗盛が気づいていないので、本文では語られていませんが、史実では信頼は清盛の前に引き出されて処刑されます(愚管抄)。つまり法務関係者による刑量の審議なしで戦時処刑されているのです。

ここではその過程はありません。

保元の乱でも、最初に忠正が斬首になるのは約二十日後なのに。

信頼に余計なことを言わせないための口封じっぽく思えます。そんな事が命令できるのはこの時点で院しかいない訳で…。

ここでも少しだけ歴史が変わっています。


https://www.birdfan.net/zoothera_dauma/

鵺の鳴き声です。


次回、伊豆行。

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― 新着の感想 ―
伊豆は領域は小さいので、在地豪族の掌握は多少は楽に思えたり。2年でどこまで影響力を残せるのか。坂東の入り口でもあるので、足柄峠や伊豆国府あたりに平家一族の拠点を設けることが出来たら、坂東で騒乱が起きた…
第二部完結おめでとうございます。(周回遅れ) 何時も楽しく拝見させて頂いています。 正直な所、平安時代の地方史は殆ど正確な記録が無いと、 勝手な偏見を持って居るので、 此処からの伊豆新皇編(違う)は…
新章ありがとうございます。 今章から本格的に史実から離れていくとのこと、難しい部分もあると思いますが楽しみにしています。 湛増と湛快ですが、wikiが正しければ親子関係が逆のようですが… 本来もう処…
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