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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第2章 蔵人、婚約、平治の乱

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宗盛記0051 保元三年十二月

方相氏の所、少しだけ修正しました。

保元三年十二月師走


京の都は厳冬期である。雪も多い。この頃つらいのが出仕である。牛車が寒いのだ。六波羅はかなり都の外れなのでそれなりに時間がかかる。前後に御簾が付いているが、男は巻き上げて乗るのがしきたり。しきたり多すぎである。牛車は割と色々決まり事があって、屋根の素材とか使っていい色とかサイズとか全部決まってる。勝手にいじれない。前後にせめて障子付けたい。物見遊山なら女車使うこともできるんだが、出仕となると流石にまずい。今年はみんな忙しいしなぁ。カイロで凌ぐしかないかなぁ。


それで思いついて、牛飼い童の伏矢と、輪副の亀二、亀三にカイロとカイロポケットの付いた退紅たいこうという色の水干を仕立てて贈ったらすごく喜ばれた。

雑仕に炭餅の支給も頼んでおく。もっと早く用意してやればよかったな。

背中には紋を入れた。揚羽蝶ではなく下半分塗りつぶした半円。

雅でも短命な蝶紋は好きではなかったのだ。で、製品のブランディングから使っている。

「これはどういう紋なんですか?」

亀二が聞いてくる。

「大地だ」

「はぁ?」

「平らだろう?」

「あはははは。これはいいですな」

受けた。良かった。


目立たないように表袴と共布で膝掛け布団を作ってもらった。ダウン製。中に湯たんぽを持ち込むと、これがかなりいける。

三日目には基盛兄上に見つかって、我が家はみんなこれを使って出仕するようになった。

十日経たないうちに、我が一族はみんなこれを使って出仕するようになった。



統子様の所の厠が仕上がった。年内になんとかなってよかった。

ご褒美を頂いた。もちろん支払いは院庁から出る。個人的なご褒美。何がいいかと尋ねられたので、こっそり御簾に入れて頂いたのだ。だって見たいよね。

噂通りのお美しさ。眼福でした。

それを知った近江局、滋子姫が激オコである。滋子姫は割ときっちりした振る舞いが好きなので、しきたりとかに特にうるさいのだ。

これでここに通わなくなるのもなんとなく寂しい。父上とも相談して、院号宣下の後、五日に一度、お仕えするということになった。早くも兼任である。もっと多くてもと思ったんだが、多分来年は平治の乱だ。その時を考えるとあまり父上の元を離れるわけにもいかない。



十七日

冠親の親隆様が正三位に昇位された。帝が御即位になり、春宮坊亮とうぐうぼうのすけであった親隆様がその功績により叙位されたそうだ。春宮職というのはそういう旨みがあるのか。

冠親の出世はありがたいかぎりである。



二十一日

四郎が元服した。冠親は俺と同じく藤原親隆様。諱は知盛。ああ、やっぱりか。とすると五郎は重衡になるのかな。

四郎、知盛は平家物語だと見るべきほどのものを見た、と言いきって鎧重ね着して投身入水することになっている。後にはさらに話が盛られて鉄碇かないかり(四ツ目碇)持って飛び込むことになるんだが。

まぁ、そんなことにならないように全力を尽くすけど。

ちなみに今どきの碇は石材を木で挟み込んだ木碇である。平安時代ではとても高価な鉄とか碇に使えないからね。でも木錨持って入水とか絵柄が間抜けすぎる。なので下関の石像も四ツ目錨だった。江戸時代、尾道の特産品だったか。

後、大鎧はクソ重いので一枚でも十分沈む。てか、箱みたいな鎧二枚重ね着するためには外側は相当大きな肥満用の鎧が要る。都合良くそんなものを船に積んであったのか。…もしかして俺のか?

にしても大きすぎだろう。

細かい所まで考えない嘘話の典型だな。


知盛の乳兄弟の伊賀二郎も数日後元服。諱は平(伊賀)家長。父親は平家継で、本貫地から平田家継、伊賀家継とも名乗っている。祖父は平家一の郎党平家貞。ウチの家司筆頭である。冠親はやはり父上が勤めた。

平は氏なんで「たいらの」と、伊賀は名字なんで「いが」と読む。藤原も氏なんで「ふじわらの」。近衛は名字なんで「このえ」。ザクッと「の」が付くと氏である。居住地や領地で名付けるのが名字、元々は苗字。ウチは都在住の本家扱いなんで名字は無い。あえて名乗るなら六波羅宗盛になる?



職人たちを集めて、統子様宅の仕事をねぎらう。併せて来年の予定を話す。重盛兄上(小松殿)、藤原親隆様、頼盛叔父上(池殿)と、既に三件。多分通盛叔父上や経盛叔父上も続く。大工の梁夫はずっと忙しいが、他の職人はそれなりに自分の仕事もできているようだ。荷車なんかは、統子様の雑仕からも話が広がって、注文が絶えないらしい。

今年の働きに応えて職人たちにもカイロとポケット付きの直垂を送る。地平線の紋入り。みんな紋について聞いてくるなぁ。半分くらいは笑ってくれる。優しさが泣ける。



今年最後の姫詣で。

ぐふふ、姫の一人は俺の許婚者なんだぜ。

蝋梅を持っていく。匂いも花も、名前も好きなんだ。親近感がある。俺もよくうろたえるからな。あとは柿襲。


「皇后様の女院宣下が二月に決まったそうよ」

と信子様。

「あ、俺、皇后様の蔵人に決ったから」

驚かれた。あれ?滋子姫に話行ってない?

怒ってたから姉妹には伝わってないのか。

ただし兼任で五日に一度だと説明する。

あとは、最近の派閥のお話。

信西派、信頼派、新帝派の三巴らしい。どこも父上の取り込みにかかっているとか。おかげで一族の出世が早いなぁ。


蝋梅の 春を寿ぐ 花の色

その香りすら 臈長けたるか



今年は大晦日が二十九日だった。大晦日は節分の前身である追儺が行われる。弐号機みたいに両眼が縦に二つずつある四つ目の方相氏が貴族達に追い払われていく。

あれ?なんかおかしくない?何故鬼を祓う方相氏が追われているんだ?


その大晦日の日に行われる臨時の追儺の除目で、基盛兄上が大和守から淡路守へ転任、教盛叔父上が以前からの左馬権頭に併せて大和守を兼任。

大和は大国で、淡路は下国なので、この人事は降格に見える。摂関期ならそうだったろう。しかし今は知行国制。その手の評価は割と曖昧になっている。

大和は特に興福寺が異様に強い。次いで東大寺。興福寺は大和国内の荘園をほとんど所有している。その力はほとんど国主であり、このあと戦国時代までそれが続く。

藤原氏の氏寺である興福寺は、歴代藤原氏氏の長者の後ろ盾をいいことに好き放題してきた。寺が三千人の僧兵とか狂ってる。

その兵力は他の寺を攻撃するか、朝廷を威圧するための人員なのだ。

大和守となると、勝手に領主として振る舞う興福寺からきちんと年貢を取り立てないといけないので大変である。だが、そもそも武家貴族というのは南都北嶺の抑制のために取り立てられている。

その辺父上が調整しつつ指示しているわけだが、若い基盛兄上より教盛叔父上の方が押しが効くのかも、とか思ってる。後は国司としての経歴増。


今年の大晦日はこれで暮れた。ウチも教盛叔父上も大晦日に宴の準備はできなかったみたいで、御祝を言うだけで終わったが、しっかり厠を強請られた。

基盛兄上は照れていた。まぁ、本人もいろいろ気づいているっぽい。

保元三年はこうして暮れた。





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― 新着の感想 ―
方相氏の話が良くわからなかったり。鬼を追う役のはずが追われているからでしょうか? 「滋子姫が激オコである。滋子様は割ときっちりした振る舞いが好きなので、しきたりとかに特にうるさいのだ。」 違う、それは…
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