宗盛記0030 保元二年三月
第二章スタートです。
おやすみありがとうございました。
歩行器無しで立って歩ける様になりました。
景太も十日遅れて元服した。藤原景経。名字は伊藤。俺よりかっこよくないか?
烏帽子親は父上。
保元二年三月弥生となった。
稽古は命を救う。かもしれないということで、立射がろくに当たらない俺には無理だと、後回しにされていた騎射が加わった。まぁ予想通り全然当たらない。なんせ騎射は手綱から両手を離す。この時手綱はすぐ取れるように鞍の前輪に掛けておく。馬を操るのも一苦労。当然真っ直ぐしか進めない。あの時これに頼っていたら死んでたな。
来客時は騎射も稽古しないことになった。武門の体面ってものがあるらしい。へこむ。
台無しで一人で馬に乗る練習も始めた。自分の背丈より少し低いくらいの馬の背に乗るのは、割と難しい。大人が低めのスチール棚によじ登る様なもんである。しかもその棚は歩くのだ。腹くらいの高さの鐙に外側の脚を蹴り上げて引っ掛け、手で鞍の前輪を持って飛びあがる。上半身を倒して馬の首を抱えて、内側の脚を反対に回す。もちろん左右から練習する。気長に付き合ってくれる、かけだからできる。今日も大根スティックを贈ろう。
元服したので、俺は寝殿を出て兄上達と同じ東泉殿に移った。母屋に自分の御帳台を貰う。三畳のプライベート空間だ。生前の下宿よりずっと狭い。
そこで驚いたのは、貴族の一日の生活だ。出仕前に慣れるようにと、生活習慣が変わる。
起床、寅の初刻。朝の三時である。朝の惨事である。
その時間に隣の寺の鐘がなるのは気づいていたが、これは日付が変わって内裏の一日が始まる時間を知らせているらしい。内裏近くの陰陽寮で太鼓を鳴らしている。これを周辺の太鼓で伝え、東寺や洛外では寺の鐘が鳴らされる。洛内の寺は東寺のみ、ただし個人の持仏堂は許されるので、六角堂や革堂、因幡薬師はOK。もちろん鐘を撞く。
この頃が暁。暁ばかり憂しものはなし。この時間に一斉に貴族は起きる。起きれないとダメな人扱いされる。俺は起きているのにダメな人扱いされているが。
今の時刻は太陽による不定時法ではない。漏刻(水時計)による定時法だ。もちろん定期的に修正はしてるみたいだ。
陰陽寮の時鼓は、基本各刻の初刻に鳴らされる。後は日の出直前の開門鼓と、出勤時、退勤時(季節によって変わる)にも鳴る。寺や神社の鐘は日付が変わる寅の初刻以外は、子、寅、辰、午、申、戌の正刻に鳴る。六時礼賛という行があるからだ。神社にも僧侶が多いので鳴る。
さらに言うと、大きな寺もない地方ではそんなことができるわけもなく、夜明け日暮れを元にした不定時法らしい。この場合すごく大雑把。当然ながら地域によって時間は違う。標準時という考え方はないし、あっても実現できない。時刻が違うことすら気づいてないだろう。
で、朝起きて最初にすることは、自分の属星(守護星)の名を七度唱える。属星というのは、北斗七星の七つの星のどれかで、生まれ年で決まる。
卯年生まれの俺は、文曲星。端から四番目の、唯一の3等星である。柄杓の桶と柄のつなぎ目の星。これを唱える。
「文曲文曲文曲文曲文曲文曲文曲」
亥年生まれの重盛兄上の
「巨門巨門巨門巨門巨門巨門巨門」
子年生まれの基盛兄上の
「貪狼貪狼貪狼貪狼貪狼貪狼貪狼」
が響く。
寝てたから気づかなかったが、多分
父上も
「廉貞廉貞廉貞廉貞廉貞廉貞廉貞」
とやっているんだろう。
貪狼ってちょっとかっこいいなと思う。ほかにも破軍とか武曲とかならよかった。俺のは3等星…。
でもまぁアホらしいよなぁ。一人暮らししたいなぁ。
次に鏡で顔をチェック。寝癖とか直す。
それから暦を確認する。物忌に当たると一日外出しない。方向が悪いと、例えば内裏の方角がダメならその日は休む。節句や重儀なんかでどうしても出仕しないと行けない時は、前日から方違えするらしい。
次に楊枝で歯の掃除。これは川柳の枝の端を金槌で潰したものと塩で掃除する。物心ついたとき、つまりは木から落ちたあとからずっと、これにはたっぷり時間をかけてきた。なんせこの時代、虫歯の痛みを止める方法がない。抜くしかない。最悪感染症で死ねる。歯ブラシ欲しい。
終わったら西に向かって手を洗う…方角が決まっているのである。守護仏の名を唱える。卯年の俺は「南無文殊菩薩」。次いで氏神に祈る、うちは平野社。最後に前日の日記を書く。まぁ、ゆっくりやってもここまで四半刻(30 分)だ。そこから女房を呼んで、手伝ってもらって官服に着替える。ウチでは出仕は卯の三刻頃(午前6時)なので通勤時間を一時間取って卯の初刻辺りに家を出るらしい。その前に軽く朝食。
着替えと朝食に四半刻(30分)かけても半刻(1時間)余る。仕方ないから俺はちゃんとした着替え前に、厩で馬の世話をして、ランニングを済ませて体を水で拭く。兄上達は出仕。昼になると帰ってくる。あと自由…。
寅の初刻(午前3時)に起きるので申の刻(午後6時)には夕食を済ませて遅くとも酉の初刻(午後7時)には寝る。これで八時間睡眠。成長期は八時間寝ると決めている。
ただ、物忌とかばからしい風習だと想っていたんだが、これらで休日を確保していることもわかってくる。
しかしこれを毎日毎日死ぬまでか…萎える。
厠紙の開発がほぼ終了した。昨年の五月以来十ヵ月、空き時間の俺の開発力はここに傾注した。厚さと強度、水溶性のバランスに苦しんだが、途中にわずかに小麦粉の糊を混ぜることを思いついて開発が進んだ。できた紙は一日水に浸せば概ねバラける。
凄く手間だった。いっそ葉っぱに頼るか、或いは紡績機と飛杼に走るかと考えた位。手伝ってくれる秀次達や雑仕達がいなければ諦めるレベル。でも試行錯誤の結果、大体望みの物ができた。
流石にロール紙にはできなかったが、簀に胡麻を柿渋で貼り付けることで、できる紙に凸凹作って、疑似エンボス加工まで成し遂げた力作。
ちなみに新製の紙は大体一枚五文から数十文、前世換算で五百円から数千円はする。
俺の厠紙だと材料費はほぼただで労力のみ。まぁ、労賃換算すれば一枚十円以上はかかってそうなんだが。
籌木からの解放。俺は自分の肛門を守りきったのだ。これはもう権力者からも守るしかない。俺のケツは俺のものだ。
樋澄童に内緒を言い含めて、しばらくは俺専用で使う。
俺はホワイトデーを前にして考えていた。といっても旧暦だけど。やはりお返しはスイーツしかない。でも味醂でスイーツはちょっと思いつかない。砂糖はない。砂糖黍も砂糖楓も砂糖大根もない。うどんの国は和三盆の国でもあったので、我が国に国産の砂糖が広まるのは江戸時代だと知っていた。
この時代、まだ菓子はほぼ無い。というか、菓子というのは果実、果物のことである。果樹の子なんで果子、転じて菓子。
それにたいして、小麦粉で作った唐菓子というものがある。製法は大陸からのもの。たまに小麦粉を練って捻って揚げたものを売っている。食用油が高いのでもちろん貴族向け。麦縄という。中国の油条みたいなやつ。でも甘くない。揚げパン。高級貴族の家では、甘葛を使って甘くしたのもあるそうだが。そうなるとほぼドーナツ。
母上に聞くと、粉熟という菓子があるそうだが、食べたこと無いな。
砂糖なしの甘味は、俺の作った味醂を除けば果物か甘酒か蜂蜜か水飴、後は甘葛、甘茶、甘茶蔓。果物と甘酒と水飴は市に行けば買える。蜂蜜は稀。入手が安定しない。
甘葛は地方からの貢納品で、蔦の僅かな汁を集めて煮詰めたものなんだが、収量が少ないので集めるのにものすごく手間がかかる。極少量なら宮中にはいつもあるらしい。というか、ウチは位は高くないが財はあるので、頑張れば手に入るだろうが、子供の思いつきに使えるものではない。
甘茶蔓も同じ。基本寺にしかないし、さらに利用が難しいようで、前世でも灌仏会以外では甘味料としてほぼ使われていなかった。
水飴なら作り方も大体わかる。昔のか未来のかは置いといて、前世の家から10kmほど離れたところに、昔ながらの麦芽から作った水飴を売っている店があって、買いに行った。どう作るのかも地元のテレビ番組でやっていた。要は酵素反応にしては高めの70℃位に保って、麦芽のアミラーゼで穀物の澱粉を糖化する。アミラーゼだと麦芽糖、マルトースまでしか分解できないので、それほど甘くはないが。
麦芽使わなくても大根とかでもできる。
今回は水飴は市で手に入れる。急ぎなんで買えるものは買わないと。でも生産ラインも立ち上げたいな。
水飴があれば求肥が作れる。餅米に、水に溶かした水飴を少し足して練る。少し取って齧る。粉っぽい。また水飴を足して練る。これを繰り返して大体いい甘さになるまで続ける。当たり前だが最後まで粉っぽかった。水飴を何匙加えたかは控えておいたので、次からは量が大体わかる。これを容器ごと湯煎してもう一度少し透明になるまで練ったものを、葛粉で打ち粉をしながら小さな団子状に丸めて、さらに麺棒で伸ばせば出来上がりである。
三月の果物と言えば覆盆子だ。これも市で買える。オランダイチゴは当然無いので野苺だけど。日持ちしないというので、溶いた水飴と混ぜてジャムにする。潰して混ぜて煮つめるだけ。焦げ付かないようにヘラで掻き回し続ける必要があるが、労働力はある。これを二つ折りにした求肥で挟んで出来上がりである。見た目餃子。思いついて包む前に求肥を四角く切って八ツ橋っぽくした。京都だし。切って余った皮は別に小腹がすいたとき用。試食するとかなりいける。俺も甘みに飢えてたらしい。出来上がった菓子の皆の評判も良好。四郎がすごく欲しがるので、朝晩の歯磨きをしっかりする事を約束させてあげる。大歓びだった。これはいける。
求肥から苺の餡が透けて見えるので、苺八ツ橋、もとい、苺襲と命名する。商標権で揉めたくないし。
十四日。幸い暦の障りも無い。
俺が出かけるときは、橋の見える位置まで門番が一人出てくることになった。前の門番は飛ばされたらしい。ほんとスマン。
桜の枝と苺襲を用意する。実は清子姫への御礼なんだけど、一人だけに渡すというのはどう考えても無理があるだろう。結局十二個作る。俺も入れて一人二つずつ。
行ってみれば維子姫は居なかった。既に出仕したとか。名は坊門局と決まったそうだ。ちょっと寂しい。一人二つ半ずつとなった。もちろん俺は二つ。虫歯注意は伝えた。麦湯を出してもらった。お茶欲しいなぁ。
その後は残り四つの優雅な奪い合いだった。何故か残りは四つになるそうだ。
年長者を敬いなさいと、私のために作ってくれたのよねと、こないだのお礼なんでしょうと、お兄様お願いの間で、俺の分も無くなった。苺の季節の間、来るときは必ず持ってくることを約束させられた。客なのにひどいよ。麦湯だけ飲んで帰る。
後日維子姫から恨みのこもった手紙を貰った。俺の出仕が始まったら持って行くと約束しました。




