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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第1章 覚醒、保元の乱

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宗盛記0020 保元元年七月 保元の乱

保元の乱 開戦です。

保元元年七月文月

 

二日朝、鳥羽宮にお住まいの法皇様が身罷られた。もう持たないと周囲もわかっていたようで、大葬の儀は当日おこなわれた。八日間放っておかれた…けふんけふん…準備に日を要した先帝とはえらい違いである。実際の権力がどこにあったかよくわかる。

まぁ、先帝の時の悲惨な状況…棺から腐…やめとこう…は避けたかったんだろうし。


そうしてその二日後の四日の夜、一族の話し合いが開かれた。元服前の俺と四郎は、二棟楼に近寄ることを禁じられた。四郎は母屋に入ったが、俺は庇に居て、周りの目が途切れたときに西側の妻戸から外に出た。二棟楼から声高な罵り声が聞こえてくるが、そちらは迂回して、庭からまわりこんで中門の脇で待つ。やがて、足音高く、一人の初老の男性が門から出てきた。

「お待ち下さい」

男が太刀に手をかける。

「もしかして、大叔父上ではありませんか?」

「そなたは…三郎か?」

「やはり忠正大叔父上でありましたか」

まぁ、今回意見が割れるとしたら、この人か池殿だろう。

「久しいな。覚えておるか」

「おぼろげに」

嘘です。俺の中では全くの初対面です。

「子供がこんな時間にどうした」

思ったより優しい声の人だ。

「どちらに付くかは、それぞれの縁故立場もありましょう。ただ、」

「ただ?」

「此度の戦、勝った側は負けた側を逆賊と扱いましょう。今までの様に流罪では済まないかもしれません。もし大叔父上の側が負けるとなったならば、なんとしても落ち延びて下さい。決して降ってはならぬかと」

「言うではないか」

むしろ面白そうに聞いてくれる。

「あとまぁ、父上が敗れた場合は、母と弟妹を連れて伊勢あたりに逃げまする。その際は後々お救けいだだければとおもいます」

「くくっ。うつけたと聞いていたが、面白い童になったな。では儂はどこに逃げると良い?」

「逃げるとすれば、当家が強く、見つかった時まず父上に報せが行く、伊勢、伊賀、越前、西なら安芸、この辺りなら父上がしばらく匿えます。後は…何となくですが讃岐」

「覚えておこう」

「ご武運を。できれば平家の間で直接に戦わずに済みますように」

「ふふっ。さらば」

とりあえず言いたいことは伝えられた。思っていたよりいい感じの方だったのでちょっと余計なことまで言ったかも知れんが。保元の乱ではそれまでの倣いに反して、負けた方の助命は許されなかった筈だ。父上に叔父殺しをさせたくはない。一族内の殺し合いなどまっぴらだ。

元服前の俺ができることはこれくらいしかないだろう。後は…

もしもに備えて、荷物をまとめておくか。


五日になって、新院と左大臣が反乱を企んでいるという噂が都中に広まった。噂の根拠のなさと広がり方が早すぎるだろう。御崩御後三日。ネットの炎上に慣れた前世の人間なら、まず作為を疑うレベルだ。新帝側が流したのは明らか。随分準備が進んでいて、素早く情報を操作できる者がいる。

基盛兄上が召集された。京内で武士の移動が禁止となったそうだ。勿論それぞれの側はそんなこと聞かないが。その取締を任された兄上、ひいては父上は、帝(後白河帝)側に就くと旗色を示したことになる。



八日は法皇様の初七日。その子供の二人は法事よりも戦準備に余念がない。この親子兄弟はどっかおかしい。藤原忠実、頼長親子が兵を動員することが、帝によって禁じられた。摂関家の本宅、東三条邸も帝が没収したという。いきなり踏み込んておいて、近衛帝呪詛の犯人である勝範という僧を捕らえたとか。鳥羽院呪詛ならともかく近衛帝…亡くなったの一年前だぞ?なんで一年間も屋敷に居るんだ?

これはもちろん(後白河)帝側の挑発…いや宣戦布告である。明らかに帝側が好戦的で、初動も早い。立場上も詔勅を出せる帝側に対し、院政を敷けない新院(崇徳院)は打つ手が乏しい。

前世の教科書なんかではわからなかったが、帝側の追い込みがエグい。まぁ、もはや戦は避けようがないだろう。池殿、頼盛叔父上は渋ったが、御祖母様の口添えもあり、父上に、つまりは帝の側に就くと決めたそうだ。

新院側の落胆は激しいだろうなぁ。

後のことを考えると、新院に張って恩を売ったほうが美味しいかもしれない。まぁ、そうなって頼長を増長させるのも気が進まないか。父上は博打に走るよりも一族全体の安定を考えちゃうだろうしな。


秀次に頼んで、馬四頭を確保。母上と俺で一頭、秀次と大姫、中姫で一頭、景太と四郎、家太で一頭。食料その他の荷で一頭である。これはいざとなったら捨てる。この時期に馬を押さえるのは難しかったろうが、頑張ってくれた。


九日

鳥羽田中殿に居た新院が、白河法皇が建てて同母妹の統子内親王様の御所である白川北殿を占拠。頼長と合流して高松殿にいる帝と対峙した。ちなみに院と帝も同母兄弟である。三人の母の待賢門院様は十一年前に亡くなって既にない。父親は死んで一週間。機会が棚ぼたで回ってきた弟は、兄を追い落とそうと全力をあげている。

それぞれの武将も守りにつく。ウチからもごっそり兵が出ていった。

源為義殿は新院側、源義朝殿は帝側に別れたとか。父親と長男が闘うとか訳わからん。親子以上の義理ってなんやねん。


十日

ここからの二日間は大半が後で父上や兄上から聞いた話。

頼長が院と合流した。この日まで宇治にいたそうなんで、実際戦争になるとは思ってなかったのだろう。どちらかというと帝側につきたかった気配さえある。

白河北殿は聖護院の西と聞くから、京大病院の辺りか。…そういや熊野寮に石碑があったな。あそこか。もちろん前世の話だが。源為義を筆頭に、平忠正、多田頼憲、平家弘等三百騎。従者も入れて千人で三町(一町は約120m四方の面積)はある広大な白川北殿を守備したので、ほとんどスカスカだったらしい。恐ろしいことに、その内情は帝側に筒抜けだったそうだ。

高松殿は姉小路西洞院北東辺り。烏丸御池駅の少し西側だ。その距離は…3kmってとこか。鴨川をどちらが渡るかが決め手…。

もちろん、兵も勝馬に乗りたい。

今回大勢は帝側。父上、源義朝、源頼政、源義康、源重成、平信兼、他に命令権のある六衛府、検非違使からも動員したとか。千騎は超える位。兵力比約四倍。


ここで人数の話だが、一千騎というと人数は概ね三千人位になる。これは状況によって二千人から五千人位まで変わる。この辺がわかりにくいので人数が曖昧になりやすいが、領地を持つ騎兵が千人で足軽が大体二千人位。もちろん十人を超える足軽を持つものもあれば、一人もいない事もある。足軽は腹巻はらまき位は着て戦闘に参加する徒士武者かちむしゃと、武装なしで基本戦闘はしない従者に別れる。ただ、貴族だと一人で馬に乗るのも難しい者もいるのだ。他に馬に乗った後武器(弓)を渡す者、首を取りに行く者、水や食料、替えの武具や矢を持つ者(調度懸ちょうどがかりという)等、非戦闘員が必要になる。割と下人を使うが、一族郎党の場合も雇人の場合もある。そういうのは徒士武者として働くことが多いが。

従者を討っても手柄にはならないし、狙ったりすると軽蔑される。有名な所だと屋島の菊王丸とかそうである。これが後の時代になると兵の主体になっていくんだろう。


今回の戦の要点は、摂関家の家人けにんで義理から逃げられない源為義殿や忠正大叔父上がどれくらい奮闘するか。

ちなみに父上は約三百騎を従えるらしい。思ったよりずっと少ない。つまりそれだけ事態が急に進んでいる。そして源義朝殿は、約二百騎の兵を従えたという。伊賀伊勢より河内のほうが近いしな。源氏がまとまってたら、父上と並ぶ勢力だったのか。

これで父上が負けたとして、生き延びた俺達兄弟が再起する物語ができるかな?

シン平家物語?


十一日

両軍ほとんど徹夜で待機。

ウチでもみんなほとんど眠らずに報せを待つ。待っているだけの方は堪らんな。

夜明け前に帝側が高松殿から出陣し、鴨川を渡って院側の拠点の白河北殿を夜襲したらしい。

その直後手狭な高松殿から北隣りの東三条殿に本陣を移した。と言ってるが、これは攻撃目標を撹乱するつもりだったのかな。兵の出陣後手狭になった、ってことはないだろう。

南の二条大路を父上が進んで為朝と戦い、大炊御門大路を義朝殿が二百騎、北の近衛大路を源義康殿百騎が進んで西側の門を守る為義殿の軍と当たった。

後陣として源頼政殿の三百が加わる。

父上は二条大路を行ったか…。夜襲をするなら近衛大路一択なのになぁ。少数の敵はさらに門の守備に拘束されて動けないんだから、手薄で建屋の多い北側が狙い目のはず。指揮官が多くて調整に手間取ったかな。統制がいい加減なこの時代の戦らしい。

朝のまだ暗いうちに決着が着いたようだ。

興福寺の大衆が院側に味方しようとして間に合わなかったとも聞いた。新院側はこの大衆を待っていたため夜襲をかけなかったとか。パトロンの藤原氏本流に迎合したんだろうが、間に合わないとかバカもいいところである。結果興福寺の立場が悪くなっただけだ。

新院側も宇治を拠点にして兵を集めてそこで落ち合って北進するなり、なんでできないのか。当然先に六波羅を叩いて各個撃破を狙うべきだろう。

為朝他個々の武士の奮戦はあった様だが、風上にあった西隣の藤原家成様の邸に火を放って、白河北殿を延焼させて敵を崩し勝ったとか。源義朝殿の策らしい。さすが坂東武者の棟梁。戦闘の対象範囲を限定しない手がエグい。隣家を燃やすためにいきなり家に火をつけられたら嫌すぎるが。

それによって父親との直接の交戦を避けたのかもしれない。

日本の戦で火計がうまく行った数少ない例になるだろうな。

家成様は鳥羽院の寵臣だが既に亡くなっている。夜の寵臣でもあったらしい。鳥羽院が生きていたらその手は使えただろうか。ウチは家成様には大変お世話になっていた様なので、燃やすなんてとても言えなかっただろう。

南側の門を巡る戦いで景太の叔父が為朝に射殺されたらしい。平家隊は南側で敵を誘引しているが、火計の成功まではそれ程の戦果をあげていない。

ちなみに寝殿造りの特徴から南に池があるので南北には延焼しづらい。南からは火計自体困難だ。そう考えれば、父上は近衛大路を担当して北に回り込むべきだったと思う。まぁ、それを言うなら為朝は火計に備え、場合によって南北に動ける遊撃担当として西面に配備すべきで、総指揮官はどっちもどっちだったと言うしかない。

戦では重盛兄上が為朝隊相手に奮闘され、名をあげられたようだ。

めでたいめでたい。


帝側、つまり父上側の大勝利。

新院と左大臣頼長、源為義と一族は逃亡。

とりあえず家族の脱出の準備を解除。バレずにすむかな?



十三日

逃げていた新院が降られた。三井寺に行こうとして如意ヶ岳の険しさに断念し、近くの僧坊で出家して、仁和寺の覚性法親王様を頼ったが、あえなく捕らえられたとか。

山中越じゃなくて山越えを選ぶとは…宮中育ちの院は藪漕ぎの困難さとか想像もしておられなかったんだろうなぁ。


十四日

叛徒となった左大臣藤原頼長は、奈良まで落ち延びて興福寺と忠実殿を頼ったが受け入れられず、矢傷がもとで死んだらしい。

逃れた大叔父上一家は行方がわからないとか。


 

++

三郎に、我が隊の動きを教えてやると、「二条大路ですか…」

と怪訝な顔をしていた。南側を受け持ったことが意外だった様だ。実際敵主力と当たることを要求されて南に回るしかなかったが、行ってみて策の失敗を感じた。これでは火計の助けにならん。一部を西面に回して用意した松明で火計を助けたが、始めから北に回るべきだった。それを家にいて予想していたとすれば、思いの外戦上手になるかもしれん。早めに元服を考えねばならんな。

「殿?なにやら嬉しそうにお見受けしますが?」

「人というのはどう変わるかわからんな」

清盛の返答に時子は戸惑うしかない。

++



今回院側についた者の処分に関して揉めているらしい。六の君がいればもっと色々教えてくれるのに。あのドヤ顔が懐かしい。



二十三日

新院を讃岐に配流すると決定。坂出の八十場辺りだな。駅の北辺りだったか。

藤原氏の氏の長者に返り咲いた関白忠通殿は、左大臣頼長を縁者ではないと振り捨ててやり過ごそうとしたが、仮にも氏の長者の反乱である。伝来の所領の多くを没収された。これで摂関家はこの百年に無いほど力を削がれた。自分が担いだ帝に…。



三十日、源為義殿とご子息達、斬首。

朝廷はこれを義朝殿にやらせやがった。薬子の乱以来三百余年振りの死刑を、実の息子に行わせる。義朝殿は救命のために連日奔走したというのに。

今回の処分を取り仕切ったのは帝の近臣、信西。僧侶だという。このやり口が坊主のすることか。学問の家の出身で法の前例に詳しく、帝の乳母父でもあるとか。頼長とこいつは同類の臭いがする。でもこいつのことは前世で覚えている。お前なんか次の乱で殺されてろ。

しかし考えれば出家前たかだか正五位下の信西が、全てを仕切れるはずはないか。人の恨みを買うところを信西に全て押し付けたのは…もしかすると大天狗かも…。


保元の乱が終わった。

武士の時代が始まる。


スプートニクさん、感想の件、失礼いたしました。

せっかく書いて頂いたのに。

活動報告にお詫びを載せております。

申し訳ありませんでした。



保元の乱、元服前の三郎を戦場に持っていくのは無理があり、こういう形になりました。

そろそろ元服が近づいています。



シン平家物語…元々考えていた題のひとつですした。


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― 新着の感想 ―
待機期間に読み返し中。 >今回大勢は帝側。父上、源為朝、源頼政、源義康、源重成、平信兼、他に命令権のある六衛府、検非違使からも動員したとか。千騎は超える位。兵力比約四倍。 保元の乱の新帝側に源為朝…
「義朝の心に似たり 秋の風」  日本史上屈指のむごい仕打ち、忠正殿が逃げたならワンチャンあるかと思ってましたがダメでしたか。大天狗様は今様繋がりの遊女や傀儡子には優しいのに……。 人を死刑に処さぬ平…
>スプートニクさん、感想の件、失礼いたしました。 せっかく書いて頂いたのに。 どういたしまして! >従者を討っても手柄にはならないし、狙ったりすると軽蔑される 後の戦争を考えると何となく長閑という…
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