宗盛記0105 応保元年十二月 帰京
応保元年十二月師走。
余裕を持っているつもりだったが、引っ越しとなるとやはり忙しい。
時々発生する新しい豌豆瘡の患者への手配に手を取られたりして、出発まであっという間だった。出立の三日前に三嶋神社、若宮神社、浅間神社、広瀬神社と挨拶に周る。やっぱり近い。下乗して馬を預けるより歩いて回ったほうがよほど早い。ぎゅうぎゅうに神様が詰まっているこの街が大層気に入っていた。
八日
予定通り教盛叔父上達が到着する。今度は東海道を使って。箱根越は恐ろしく大変だったとか。目的もあるんだけど、そっちの整備サボってすみません。いやまぁ、着任時から現状は維持してるんだけど。
九日
伊東祐親、狩野茂光、北条時宗、天野遠景が揃う。四人とも着いてくるという。直属の家人や波路も含めて三十人。この内十人は俺のもとで都に残ってくれると言う。
是行の家族や職人たちも含めると四十人近い大人数になった。
教盛叔父上達と併せると五十余人。
今後の打ち合わせ。開発について、隣国との関係について、家人としての働きの内容、有事の際の連絡と行動、教盛叔父上への引き継ぎ等を話し合って伊豆の最後の日が終わる。もちろん夜は魚尽くしだった。教盛叔父上が、常陸に比べても伊豆は極楽だと言っていたのが印象的だった。
十日。
三嶋を立つ。祐泰に長らくの護衛への感謝を伝える。非番のものも全員が集まって見送ってくれる。流行り病がまだ収まってないのに。
ちょっと目が熱くなる。
さらば伊豆。俺の最初の任国。
冬場の短い陽と、国衙か、郡衙などできるだけしっかりした宿を選んで帰ることにした。途中の駿河、遠江、三河、尾張の国衙では、豌豆瘡の書状の件でおおいに感謝され、扱いもとても良いものだった。
今回は安全を考え山田には寄らない。もちろん向こうの安全である。替わりに美濃国衙に泊まることにした。二人の国司の帰任である。夏と違って国衙に泊まるのになんの遠慮も要らない。
これはつまりは国府の直前で青墓を通るということだ。半年ぶりの青墓宿はすっかり寂れていた。あれだけ活気のあった宿場が、今では人通りも乏しい。
教盛叔父上達に先行してもらい、直属の者達だけで大炊の延寿殿の屋敷を訪ねる。
屋敷の寝殿に通された。
「又来たのかい。酔狂なことだね」
顔を見るなり延寿殿が口を切る。相変わらずの気の強さだ。
「かなりキツそうに見えるけど?」
「花街はさっぱりだよ。ほとんど商売は止めたのに女達も三割は減った。病にかかると仕事は続けられないし、半分は死んだよ」
「波路を連れ戻して正解だったな。よく働いてくれる」
「いやみを言いに来たのかい?」
「感謝を述べに来たんだ。あの時はケチったが、安い買い物だったよ。だから⋯」
「自慢かい?」
「支払いが釣り合わないのは気分が悪い。米十石置いていく」
そのための車も三台用意してきた。延寿殿が実は結構義理堅いことは以前のやり取りでわかっている。
「施しのつもりなら要らないよ」
「正当な対価を払わないと落ち着かないってだけだ」
「要らないってんだよ。用がそれだけなら帰っておくれ」
「表に置かせて貰っている。要らないなら宿の皆に振る舞ってくれ」
「勝手だねぇ」
「武士だからね」
十石なんて、百人いればひと月ちょっとだ。多分今なら受け取ってくれる。気休めだがここは押し付けさせて貰おう。
関ヶ原から近江に入り、かなり遠い大津の国衙で一泊して、都に着いたのは二十二日だった。幸い体調を崩すものもなく、都に着いた。
父上に伝えて、気休めだが六波羅の新築の空き家で三日間の自主隔離期間を置いて発熱が無いことを確かめる。その間、できるだけ家の者との接触を避ける。
隔離期間中、付き合ってくれた教盛叔父上から常陸の様子を聞く。魚は美味かったが鹿島神社の他にはなんにもなかった、らしい。水戸もまだ育ってないしなぁ。筑波に至っては町すらないだろうし。まぁ、そこそこ大きな神社はあるはずなんだが。がんばって牛久に大仏作るように言えばよかったか。
常陸の国府は筑波山の東。鹿島までは十三里程はあるとか。川と内海(鹿島海)で繋がってはいるが。流行期だったので、着任時以外は行ってないそうだ。温泉有名なのないしなぁ。筑波山と男女ノ川は普通の山と川だったと言う。
佐竹隆義は色々と協力してくれたが、本拠地の太田から出てくるのにこれ又十二里程で二日はかかる。月の半分以上は奥七郡に帰っていたと言う。
豌豆瘡のせいで、当てにしていた伊豆との連絡も領地の見分もできなくて、貢納の輸送とか大弱りだったとか。
叔父上からは相馬御厨の話、佐竹など有力者の話と常陸の情勢を聞いておく。こちらからは伊豆の現状と進めている伊豆の開発について、あと豌豆瘡の話をしていると三日はすぐだった。
解由を貰って、これを太政官に提出すれば引き継ぎは終わりだ。
二十五日
メリークリスマス。でも俺はもう赤い服ではない。今日のために赤い冠を作ったりもしない。
泉殿に帰った俺は、七月の昇位の時に新しく誂えた黒の袍を着て、久しぶりの大内裏出勤である。
解由状の提出をもって、俺は伊豆守でなくなった。
散位、つまり無職である。
さあ、結婚だ。
解由の提出は服装の規定は無いが、さすがに空気を読んで牛車で文官束帯で行ったため、その格好のままで時忠邸に向かう。相変わらず臭い都である。
見知った家人に訪いを告げて入れて貰おうとすると、今日は入れませんと言われた。え?何が起こってるの?門の所に体格の良い警固の家人が出てきて、申し訳無さそうに門を塞ぐ。
「どういうことだ?俺は遠方から帰ってきたところで、今は家人も充実してる。扉ごとぶち破って押し入りたくなる前に教えて欲しい」
と、丁寧に通過をお願いすると、真っ青になって、
「許しがないとお通しするわけにいかないのです」
と返してきた。
「時忠叔父上が通すなと言っているの?」
「ち、親宗様です」
「ああ?」
意外な名前を聞いて驚いていると、
「宗盛様、ここは一度帰って着替え直して参りましょう」
と是行が言ってくる。クールダウンしろってことかな?向こうの家人がビビってるし。
「一応、これ礼装なんだけど」
「その格好では落ち着けませんでしょう」
「それもそうだな。では後程伺うか」
「お待ちください」
ん?この美しい声は⋯。
「宗盛様、おかえりなさいませ」
屋敷の中から壺装束の糸子がやってきた。
「糸子様!勝手に出られては困ります!」
家人達が本気で狼狽えているが取り押さえるまではいかないようだ。そんな事をすれば俺が黙ってはいない。糸子は向こうの家人達をガン無視。
「ただいま、糸子…様?」
「あなたは糸子で良いのよ。私も乗せていってくださいな」
「よろこんで」
ああ、糸子キレイだなぁ。
「ちょっと髪伸びたね」
「ふふ、まだ尼みたいでしょ」
「短いのも悪くないけど、糸子の長い髪も綺麗だったからね。はやく伸びるといいなぁ」
出家のこととか早く忘れてほしいのである。
時忠叔父上の家人が止めようとするのを睨むと、俺の家人達が前に出た。二十人はいる。ここでやり合っても圧倒できる。向こうも諦めて引いてくれた。というか口実ができたので喜んで引いた?
さて、牛車に乗るのも久しぶりなんだが、糸子と二人だけとか初めてだな。なんてご褒美。さっきまでの怒りがトロトロ溶けていく。いい匂いだなぁ。
とか、思ってたんだが…近い、近いよ?
義姉上。なんか艶っぽさが増してないか?これが既婚の色香?
大体俺の牛車は単身通勤用二人乗りなんで広くない。昔からの決まり通り、屋形の長さ八尺、広さ三尺二寸なのだ。床面積は、長さが二尺増しの畳位である。
例えば父上の牛車はもう少し広く、幅は五尺、高さも五尺にしてある。ちょうど軽ワゴン位のサイズだ。
俺の牛車も、高さ三尺四寸だと這って進むことになるので、高さだけ五尺まで伸ばしてある。
そうして女人は服がかさばるのだ。シングルのベッドの上に二人で並んで座ってる感じ。ついでにこの時代座るときは普通立膝である。前後の長さは十分あるはずなのに肩が触れている。
自制。全力で自制。
「連絡できなくてごめんなさい。都は豌豆瘡酷くて、遣いを出すのが躊躇われてしまって」
「ううん、ありがとう糸子。俺の希望通りだ。糸子が居てくれて良かったよ」
嬉しそうに笑って、またちょっと近くなった。
自制。
この半年の話を聞くことにする。
まず豌豆瘡だが、俺が都を出てまもなく、七月の末には都に達していたそうだ。
まず七条の巷所の私設市の商人に患者が見つかり、驚くほど早く感染が拡がったのだとか。巷所というのは、私的に占有された街路のことだ。
八月が終わるまでには、都中で豌豆瘡が蔓延し、慌てて改元の話し合いの陣定が持たれたという。それ以外の対策は諸寺社による祈祷。そこからは酷いもので、特に流民の集まる鴨川、八条以南、西京で猛威を振るい、九月になってからは道で死体を見ない日はないと言う有り様。カラスや犬がまるまると太っているという。そう言えば出仕の時もかなり臭いがキツかった。清子に会えると浮かれていたので、ちゃんと見てなかったが。
七月に俺と教盛叔父上が発ってからすぐに時忠叔父上は右少弁を辞任して、経盛叔父上の後を継いで伊賀守に赴任。そのまま受領して七月末には伊賀に移ったそうだ。豌豆瘡の報せが届いて直ぐだったので、都から逃げたと悪し様に言われたそうだが、伊賀に居ても豌豆瘡はやってくるんだけどな。国守の方が神経使うからしんどいというまであるが、受領したことがない想像力不足の馬鹿共にはわかるまい。
まぁ、叔父上も院の罠から慌てて逃げたとは、おおっぴらには言えんだろう。
九月の三日に滋子様(今は東の御方と呼ばれているらしい)が、八条河原口の盛国の屋敷に移って、院の第七皇子(七の宮)をご出産、祝賀のムードをぶち壊すように四日に豌豆瘡による改元があって、なんと九日には今上が罹患なされたという。そのうち病の今上に無断で滋子様(と院)のお子の東宮擁立を図ったとの噂が流れ、十五日には信隆義兄上と藤原成親が解官される。同罪が噂された時忠叔父上、教盛叔父上は、早くに外官として都を離れていたので無罪。
父上は帝に近侍して却って信頼を得たらしい。そもそも噂を伝えたのは父上だろう。信隆義兄上は新婚であるからとの父上の熱心な取り成しにより予定されていた出雲への流罪は回避された。替わりに成親が出雲に流された。
この陰謀に帝は大層お怒りになり、というか熱で朦朧としながら、我が国初めての院政停止を決定。百官も粛々とそれに従ったとか。
今回の企てはタイミングもあって院の悪手に終わったようだ。あの恐怖はわからんでもないから、それまで遠慮されて不満を持ちながら院の人事を概ね受け入れていた帝が、院のやりようにブチ切れたんだろう。
まぁ、無理が見える手だったからな。
信隆様と正子姉上は父親の右京太夫藤原信輔様の屋敷に移って謹慎中らしい。新婚なのに姉上可哀想に。お見舞いにいかないとなぁ。
で、少し戻るが時忠叔父上が伊賀に赴任され、留守を任された親宗が、何を勘違いしたのか当主風を吹かせ始めた。難色を示す用人を馘首にして、糸子を重盛兄上の所に戻そうとし、季子姫には本人に相談無く出仕先を探しているらしい。さらに清子の婚約を解消し、もっと良縁を探すとか言い出したので、母上に連絡をとって遠回しに俺の帰りを確認し、今日こうやって逃げてきたというわけだ。手紙は親宗に検閲されていたと言う。
「三郎様、さっき結構怖かったわよ」
「あ、ごめんごめん。ちょっと親宗ボコって泣かせてやろうかと思ってた」
「あなたまで解官されたら話にならないから止めてね」
ってところでウチの車寄せに着いた。
次回で四章は終了となります。




