宗盛記0103 応保元年十月
応保元年十月神無月。
発熱と同時に私邸の個室での自主隔離を宣言した俺は、そこから二日間を六畳の板の間で過ごした。
布を着けて扉越しに発熱を告げたとき、慌てて入ってこようとした景経に
「寄るな!伝染るぞ」
と言うと、泣きながら構いません、とか言ってくる。
まだ死んでない。縁起でもないから泣くのも止めろ、と叱る。
「お前、付き合ってる娘四人はいるだろ?ほぼ間違いなく父親になってるぞ。病気にかかってる暇ないからな」
部屋に居て聞いていた既感染の看病係のおばさんが、実に嬉しそうにニヤッと笑ったのが印象的だった。
怖い。必ず死ぬわけではない。若くて栄養状態のいい俺なら八割は助かるだろう。多少酷い顔になっても、俺自身はそれほど気にしない。清子には済まなく思う。眼とか潰れるのは嫌だな。独眼竜宗盛か。
それに考えたくはないが残り二割は死ぬ。
板の間で寝転んでいると、最初に死んだ商人のことが思い出される。あいつが逃げたかったのは、このどうしようもない恐怖からだったのかな、と思う。
俺のことを恨んで死んだだろう。反省はしてないけど。
嫌な汗をかいて眠るしかない。
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「兄さん!兄さん!目を開けて!目を開けてよ!」
泣き崩れる□□を、俺は何故かそれを後から見ている。
「ねぇ、私の誕生日なんだよ。いつもみたいにお祝いしてよ⋯」
涙ながらに□□が呟く。俺には何もできない。なぜなら俺はもう⋯
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翌朝、なにか夢を見ていたが覚えていない。
どうやら俺の熱は下がっていた。
看護のおばさんも、大丈夫じゃないかと言っている。人騒がせな子供だと思っているんだろう。針痕を確認すると小さな水脹れができている。明日の夜まで待って、全身に水疱ができたら豌豆瘡、できなければただの副反応かもしれない。
翌日夜。自分の見える範囲を確認した。左のこめかみ、右の顎の下、上腕と胸に数個発疹がある。口の中、左頬の辺りにも違和感がある。看病係のおばさんに背中も見てもらって、そちらにもいくつかあるとのこと。感染した様だ。目の前が暗くなる。が、数が少ないのは救いか。まだ望みはある。あと五日は個室で待機して扉越しに指示を出すことにする。
翌日発疹は少し大きくなったが、それ以上育つことはなかった。
どうやら人痘は成功したようだ。針傷の水疱もそれ以上膨らむことはなかった。
七日経って発疹がそのままで固まり、再度発熱しないことを確認したので、とりあえず業務に戻る。年貢の帳簿の写しの検算。これなら自宅でできる。一応半月間は様子を見ると言ってるあるから、後八日は人に会うのはできるだけ控える。外出もしない。
これが終われば任期の間の収支決算に入れる。
暇な時間を使って弓の開発を始めた。職人たちとは手紙か扉越しでやり取りした。…が、開発の方はあんまりうまく行かない。
予定通りいけば、コンパウンドボウ部隊も含めた軍を組織できる筈なんだが。
豌豆瘡の対策のために自領の河津に帰っていた祐泰が戻って護衛に加わる。
しかしまぁ、距離を置いて部屋の外には居てもらう。お互いにマスクは着ける。これだけでも空気感染は減るだろう。布マスクなんで、ウィルスを遮断できるわけではないが、空気中の飛沫を取り込む数が減れば、初期免疫が対応しきれる様になる。安全度はずっと高まるのだ。
伊東に遂に患者が出たが、祐親が手順通り隔離したらしい。やはり港からだったとか。書状もあるので、対応も確認して返事を書いて送った。河津以南には患者は出ていないらしい。
発疹は白く固くなったが、痂皮にはならず、一分程度の大きさで止まったままだった。
半月自主隔離して、業務に戻る。
月の後半になって、北条に発症者が出たとのこと。荷車を送って患者を三嶋に運ばせる。布団ごと荷車に縛り付け、休憩の時は既感染の者しか近寄らせない。関わった持ち物などはすべて煮ろと指示する。糞尿は使っていた厠は閉鎖し、排水は塞いで大量の石灰をぶち込んで他の厠を使うように。家族は半月間は家から出ること、他の住民との接触を避けさせ、代りに食料や水、薪等は面倒見てやるようにいう。その場合も戸口において置くようにと。患者が出たら又三嶋に運ぶ。
強制村八分である。費用は国衙持ちだ。
潜伏期の半月、長すぎである。幸い収穫期が終わって集団行動が減っているのと、寒くなって旅人が減って少し伊豆国外からの患者が減っている。
行商を制限しているので、各村で必要な物は書き出して請求すれば国衙から送ると通達する。もちろん有償だが。
三嶋に着いた北条からの患者を隔離施設に入れて、感染済の者に聞き取りさせている。特に移動経路。駿河の親戚に弔事があったんで行っていて、一昨日帰ったと言う。
房事の有無を尋ねるのは少し気が重いが、仕方ないんだ。なんて下世話な国司だと、噂になるかもしれないが。途中伊豆では宿や人の家に泊まってはいないし、帰ってからはしてないと言うので、対策は一段落かな。
多分、水疱が破れるまでは感染力は弱いと思っているが、体液の直接の接触は危うい。
いくつかの症例の報告と聞き取りは続けて、新たにわかってきたこともいくつかあった。まず、初発の発疹は、何故か口の中にできることが多いと言う事。しかし下痢などの消化器症状はそれほど多くないのが謎である。また、発疹は、顔に多いこと。さらに発疹の大きさは大きくなっていくが、ある時点では全身で大体同じで、同調して拡大、痂皮化すること。途中で小さい発疹が追加で増えたりしないこと、等が確かめられた。
祐親に頼んで、商人を紹介してもらう。
国衙にやってきたのは三人。内一人は痘瘡が残っている。
「伊豆の国外に商品の買い出しに行ってもらいたいんだが」
と打診すると、二人は明らかに迷惑そうな顔をした。その二人には帰ってもらい、残った痘痕のある商人に尋ねる。
「名はなんと?」
「鳩屋の豆八と申します」
「温泉旅館とかやってる?」
「いえ、普通の商人の、それも八男ですが」
「国外に出るのは大丈夫かな」
「既に豌豆瘡にはかかっておりますので。これまでは外には出してもらえず、帳簿付けや商品の整理ばかりやっておりました故、外に出ることが嬉しく思っております」
「すぐにではなくてもいいが、都まで来て商売をすることはできるかい?」
「私自身はなんの問題もありません。ただ、荷が多くなると、一人で運ぶという訳にもいかず⋯」
「最初はこちらで援助できる。護衛も用意するよ?」
「そ、それでしたら喜んで」
ということで、話が決まった。とりあえず駿河相模武蔵辺りまで、米などの追加の買い出しを頼むことにする。各村から希望のあった品も頼む。車と護衛は付ける。これも既感染の者を選んである。
話が終わって帰る時に気づいたが、豆八は随分背が低かった。家系らしい。伊豆の豆じゃなかったのか。
伊豆山権現の修験者が、変わった石を見つけたからと持ってきてくれた。
ほとんど黒に近い灰色の石に、オレンジの粒が混じっている。鏨で少し削ってみるとかなり柔らかい。オレンジの粒は鉄かと思ったが、よくよく見ると黄色味が強く明るい。しかも色が割と均一で、鉄錆ではないようだ。口に入れたくはないが、なんとなくこれは使えそう。
まだまだあったと言うので、西伊豆の山中、松崎に流れる仁科川沿いだという場所も教えてもらって、礼として去年作った蝋燭の残り十本と、宇佐美で米一石を引き渡す引き換えの書状を渡す。大変感謝されたが、こちらも嬉しい。ウィンウィン。
俺は退任するか、また、なにかあったら後任に知らせてくれと言いおいた。
石は半分は泉作に渡して、釉の素材として使ってもらう。残り四分の一は鉄男に渡して鋳鉄に混ぜてもらうかな。さらに残りはこっちで性質を探ってみよう。
何かに使えそうなら、祐泰に頼んで、現地に人を遣って採集してもらう手筈を整える。
綿の実の収穫が増えている。採った実は綿繰して一部は糸に変えたが、ほとんどは綿のまま使う。
意外な使い道に、国衙で働いている雑仕女から月の障りに使ってみたいと言うのがあった。脱脂綿にしてから渡す。使ったあとのレポートの代わりに無償。
増産が軌道に乗るまではそっちの販路もありか。
今年度の徴税と会計監査が終わった。借り上げた分の補填もできた。今年は父上の取り分も確保できそうだ。発送は遅れるだろうが。
豌豆瘡がなければ俺の余剰も出たのに。昨年借りた分と豌豆瘡の対策費でほぼ飛んだ。考えてみれば俺の伊豆赴任はほぼ無償ということになる。結婚の費用は父上にたかろう。
春の騎射大会以来、三嶋では銅銭の流通も少しずつ増えている。こちらでも米と換金できるので、備蓄を銭にする者も出てきた。でも定着までには至らない。後二年あればなぁ。
都から手紙が来ないと寂しいが、反面わかってくれているのは嬉しい。これは糸子のおかげもあるかな。
月末になって綿の収穫が終わった。
綿は三十本を残して、全て抜いた。多分冬枯れするので、残しておいて変に虫とか来るのを恐れたのだ。栽培を頼んだ農家に褒美を与える。
来年も作りたいと言うので、種の一割を渡す。
ただし来年以降も、当分は綿は全て俺の買い取り、渡す種は一割との契約。何年かして国中の生産が増えてきたら、自由にしていいと言っておく。
大体一反辺り綿百斤(60kg)位の収量だ。種は蒔いた量の二十倍くらい取れた。これならいける。
でも国中に行き渡るのに五年はかかるかなぁ。
硝酸カリウムの製造をしておく。
伊豆での最終回である。今後は作業の監督を地元の者に頼まないといけない。特に三嶋の分を祐泰に、伊東と宇佐美の分を祐親に頼んでおく。つまり鶏糞と馬尿を染み込ませた土を沸かした湯に溶かして濾した後、液体部分を濾して冷やして結晶を取り出す作業。
何故かこの化学変化は前世では中学校で習うことになっている。文科省⋯不思議な事を教えてたんだなぁ。
臭い⋯がなかなかくる。典型的な汚れ仕事。しかし我慢してやってもらわないといけない。くれぐれもと頼む。それに関する記録も含めて依頼する。今回は一緒にやって見せる。手順は覚えろと、決して人に教えるなとも、書いたものを残すなとも、言っておく。軍事的に重要なことなので、どうしてもわからなくなったら、問い合わせしてくれれば手紙で送るから、読み終わったら焼けと念をおす。
生成した硝酸カリウムは送ってもらうが、使った湯は、作付け期以外の綿の畑に撒いてもらうことにする。それ以外は休耕地に。三大栄養素のうち、カリウムと窒素化合物に富んだ、植物にとってかなり栄養価の高い土になっているはずだ。後は馬糞なんかでリン酸を補えば、地力を消費する綿作りには役立ってくれるだろう。
波路を呼んで話し合い。
「聞こえて来てると思うけど、俺の任期は今年までなんだ。十二月になったら都に帰る。その後について相談したい」
波路の顔が緊張する。
「実際、今都に連れて行くより、病の流行ってない伊豆の方が安全だと思う。残ってこの建物の管理をしてもらうというのもありだよ。都に行けば、女房達に使われる暮らしになると思う。どうしたい?」
「お供いたしたく思います」
声に躊躇いがない。
それならばと、一緒に都についてきてもらう事になった。職人達にも帰京の準備を始めてもらう。泉作なんかはこちらでも弟子を作っていた様だから、その辺の手配もあるだろう。
鉄男にいくつかの依頼をする。と言ってもすぐにできるもので、長さ二尺の鉄の管と鏨を十本ずつ。
結局コンパウドボウも、代用の鉄弓も失敗作だったが、サイズの違う弩の開発は上手くいったし、胎弓も作ることができそうだ。
二十七日。確認のために、またも人痘の日。今回も灰汁で処理した痂皮を使う。どうやら酢より灰汁の方が効きが良さそうだ。酸よりアルカリの方が細胞への障害が強いと聞くが、それと同じことなのか。
ただし今度は灰汁に一割水を混ぜる。こうして増やして行けば、最後になる来月は二割水の酸、アルカリの溶液だ。pHは対数の指標だから濃度の少しの変化で大きく変わる。感染力を残したウィルスはそれなりの量になるだろう。
二十八日。またも微熱っぽい。周りから見たらよく熱を出す国司だろうな。サボってるんじゃないよ?
自主隔離二日、自室待機二日を宣言。
伊豆での受領はもう少しです。当初の予定では受領二年遙任二年だったのですが、教盛叔父上のやらかしのフォローで遙任は無くなりました。
四章は十二月までです。応保二年正月から第五章となります。




