宗盛記0101 永暦二年八月 初発
港への入船禁止を上陸禁止に訂正しました。
物資の補給についても加筆しました。
永暦二年八月葉月
三嶋に帰って俺が出した最初の指示は、豌豆瘡の罹患済みの者を集めること。もちろん夫役(税としての労働の強制)ではなくて賃金は払う。任意だが給金ははずむからと。
疫鬼に憑かれていると迷信で厭われることの多い既感染者に、仕事を与えて偏見を減らすことも期待する。
集まったのはやはり大治の頃の罹患者が多い。地方の庶民なんで治療なんて一切ない。痘痕が酷いものが多い。概ね四十代以降。その頃それより幼児だった罹患者は大抵死んだと言う。
あとは、豌豆瘡によく似た症状の牛が居たら三嶋に運ぶこと。特に複数の水疱が発生した病気の牛。これは生きているものなら、米三石の賞金もつけた。
そして伊東から帰った後は、収容施設の整備に入る。東海道、沼津と箱根の国境間近と、三嶋の北側に検疫所と隔離収容用の長屋を建てることにする。
伊豆国内は、東海道(沼津、三嶋)、伊東以外には移動させないし、三嶋、沼津の宿に置いた既感染者の検疫担当が毎日宿泊客の発熱を確認する。体温計がないから触れて測るしかないんだが。毎回手洗い必須で。
検疫所と隔離所はもちろんプレハブで建築の棟梁は梁真。これは感染期が終わったら焼いてしまうつもりなので、耐久無視で竹や藁を多用する。柱は束ねた竹だし、薄い壁板の中は束ねた藁だ。
一棟は発疹が出る発症までの未確定患者用に一間二畳の個別隔離型が二十部屋と、もう一棟が五段(約54m)程離れて四十畳の大部屋が一つ。大部屋と言ってももちろん柱は並ぶが。それぞれの建屋の横に厠が未確定用に十と、確定用に十。風呂はない。どちらも熱湯をかけて洗えるよう床に溝と排水口、そこから下水溝を作ってもらう。下水溝の下流は消毒槽に集まる様にしておく。ここは石灰を使って消毒する。工期ひと月はきついと思うが、人手はいくら使ってもいいから優先でと頼む。冷川峠からも一時的に引き抜こう。
世話人用に十人分の長屋も併設する。
同時に生石灰の生産の手配。冷川峠の手前で採れた石灰石を焼いて、水車で粉にする。本来なら水簸して精製するところだが、消毒用なのでそこまでの手はかけず、そのまま使う。投入用の水槽から濾過層越しに消毒槽の汚物にアルカリの液を流し込み上澄みを排水する仕組み。古い畜舎とかにあるやつだ。
沼津と伊東の港に検疫を置き、それ以外の港は伊豆国外からの上陸を禁止する。物資は申請があったものを海岸に置いて引き取らせればいいか。熱海や宇佐美も同様だ。感染源を絞らないと対応しきれない。
熱海始め各地の旅館関係者は休業で冷川峠や三嶋での日雇いに回ってもらう。後で保証も考えないとな。
持ってきた麻布に加えて、さらに買い込んでこちらでも手拭いを作る。マスク用と清拭用。持ってきた型紙を使って同様に薬師如来の梵字を摺染する。とりあえず国衙関係者用に三百枚ほど。さらに市販用に増産していく予定だ。
伊豆は土質のせいか、東側では桑の発育がイマイチで、絹生産は東海でも最低クラスだが、麻は普通に採れる。馴染みのある幅一尺、長さ三尺(鯨尺)の手拭を定格にして仕入れしよう。
ただし、この時代の地方で見るありきたりの織機では、幅一尺の布は織りづらいので、真ん中で縫い合わせの物になってしまう。杼を改良して尺幅織れる小型の織機もそのうち開発しないとなぁ。
最近潤沢になってきた塩の利益を使って、近国からの食料他必需品の買い取りも依頼した。しかし、近国に豌豆瘡の報せは出したので、どこも値上がりしていて、ちょっと痛い。
ま、ここはケチるところじゃないな。
置き場所は騎射競技会用に建てた宿舎が使える。
検疫で熱がある者は、隔離か、伊豆を出て元の国に引き返す。の二択。水疱の出た者は強制隔離である。
それにしても潜伏期間半月、病期ひと月は怖すぎる。確定情報ではないが、痂皮が落ちきるまでは感染力があると思ったほうがいいだろう。組織液は当然として、大抵の体液と、多分痂皮にも感染力がある。
ワタがそろそろ実をつけそうな頃なのに、そっちに集中できそうにない。痛いなぁ。
水疱の出た牛の報告は一例だけ。それも明らかに偽造だった。年寄りの牛に火傷をさせて水疱を作ったようで、毛が焦げている。よく蹴り殺されなかったな。
ブチ切れそうになって笞打ちとかも考えたが、ここで変に噂が流れて、病気の牛を持ってくる者がいなくなると困るので、牛は米三斗(約30kg)で買い取る。ちなみに米五斗あれば乳離れした子牛が買える。しっかり名前と在地は控えた。なんか喚いていたが、嫌なら牛を連れて帰れと言ったら黙って牛を置いていった。
帰りに蹴られると思ったのだろうか。
今後しばらくは行動を監視するように、居住地の保司に命じておく。
もちろん気長に待つが、残念ながら伊豆では牛痘は手に入らないかもしれない。そもそも牛痘なんて見たことないんだが。
麦芽と麦、粟、稗を原料にできるだけ水飴を用意する。溶かして飲ませられるので、体力が無い子供でも栄養が取れるだろう。
必要なら疫鬼除け(消毒用)の石灰は無料で持って帰っていいと告知もした。各保や在庁官人にも配る。
あと職人達に噴霧器を作らせた。霧吹きはあるので、自転車の空気入れみたいなポンプ部分とアルコールを入れるツボを取り付けた。ポンプを広めたくないので持ち出し禁止。手のひらに収まる前世のアルコールスプレーが懐かしい。
是行と秀次にアルコールの作り方を教えてひたすら蒸留してもらう。
景経は⋯口が軽いからな。市中の調査とか頼むか。適材適所。
十五日
いつ初発が来るかドキドキものである。
太宰府での初発が先先月末。既にひと月以上経っているので、いつ患者が出てもおかしくない。
悩んだが十六日の三嶋祭礼は予定通り行う。患者が出る前に祭りを制限すると、祭を止めたから病が流行ったとか考えるのがこの時代。
膳所が頑張って、里芋と団子の重ね飾りを作ってくれた。波路がススキも立ててくれて、このまま宴にしたいところだが今年は自粛。
少し波路と話す。
「いきなり、バタバタして悪いね」
「いいえ、むしろ連れてきて頂いて良かったです。あのまま近江にいても、ただ狼狽えるだけだったと思いますし」
「そういった貰えるとありがたいよ。ホントに助かってる」
波路はよく気がついて、細かいところを補ってくれるので役に立ってくれている。
夜は晴れた。名月は綺麗だった。
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結局、子供に恵まれなかった私だが、早くに子ができていればこの方位か。最初に歳を聞いた時、十五と言われて驚いたものだが。
落ち着きは二十歳過ぎ⋯いや、もっと上にも見える。海千山千の筈の在庁官人が、この若殿の言う事に逆らわず動く。噂を聞く限り、それなりのことがあったらしい。
十五の子供が⋯である。
大津で我が家にいたあの男を襲撃した時の手配りは、とても若者のものとは思えなかった。周りの大人を手足の様に使っていた。伊豆に来て、豌豆瘡の対策を矢継ぎ早に命じていく様子も同様で、それを思うと、伊豆国衙での周りの態度にも納得がいく。
こうやって、こちらを労って下さる時の顔は歳にふさわしいものなのに。
周りに見せる二つの顔の違いが、なんだか悲しいとさえ思えてしまう。
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十六日
三嶋神社の祭礼の本番は夜祭である。しかし神事は日中も数多くあって、かなり時間をとらされた。まぁ、神楽舞なんかは楽しい。浦安の舞とかではない、かなり長いものだ。楽人も神官、神人から選んでいる。
今年は特に巫女さんが可愛い娘揃いで、自分の顔が緩んでいるのを感じる。お神酒とか注いでくれる時に笑いかけられると、ついデレデレする。いかんいかん、結婚前である。ここで衝動に負けて長男とか作ったら家庭が崩壊する。糸子のことがあったばかりなのにそれはダメだろう。結婚後なら欲望に負けてたかもしれん。多分神社側のハニトラだ。こっちで子供を作れば縁は深まる。三嶋神社との関係はうまくいってるしな。
夜祭になると元気になるのが景経である。歌垣があって、今年も帰ってこなかった。感染ったら隔離長屋に放り込んでやる。
まぁ、十五歳の男子は年中発情期だ。その衝動は俺にもわかるがそれだけにムカつく。
秀次は今年は流石に自粛したようだ。
十七日
そろそろ収穫期が始まる。この時代、稲の品種は多様で、玄米の赤いのとか黒いのとか、水のない田で育つ陸稲に、ほとんど胸まで浸かるような深田で採れる背の高い水稲とかもあるので、収穫期は割と多様だ。
税所だけでなく、田所、調所の官人まで出して、できるだけ徴税を行わせる。輸送の時間が取れないので、狩野川流域の北部のみ、実の入った田だけでいいから、貢納分を早くに都に送る体制を作りたい。今年はとりあえず急げ、と言ってある。残り、地元分はもう一度徴税することになる。二度手間になるが、病が蔓延する前に必要な量を貢納しておきたい。もしもの時の備えも必要だし、各国からの貢納が遅れる可能性の中、早く着く米は喜ばれるだろう。
沼津に行って、問のまとめ役と今年の貢納の輸送について話す。問というのは、年貢の上納分を都や寺や神社の様な大きな権門に輸送する業者の組織だ。構成員は在庁官人と重なることも多い。何人か伊豆の国衙で見た顔が挨拶に来る。問同士の連絡もある様だ。
例年でもそろそろ早い田だと刈り取りが始まる時期だ。国に残す分は後回しにして、九月の十日頃までには集まった貢納分は発送すると言うことで話が纏まった。特に急いでもらうので、輸送費は例年の一割増。痛いが今年は早く届ける方が大事だろう。安全のため、できるだけ寄港時の上陸を減らして紀州回りで浪速に向かってもらうことにする。
思いつく準備に日を取られていく。
二十八日。
沼津の東海道の検疫で、高熱の商人が見つかった。とうとう来たか。熱があるのに申告無しで通ろうとしたらしい。罰則付き事案。とりあえず手枷を着けて個室の隔離長屋に拘束する。併せて沼津港の上陸範囲を限定する。それ以外に出るには検疫する。伊東も、初発患者が出た時点で茅ヶ崎、湯河原以外からの国外船の上陸時の検疫を命じる。
豌豆瘡との闘いが始まる。
この三連休、ずっと日本伝統工芸展行ってました。
工芸作家さんの列品解説等、ネタが転がってて、宗盛の財布的にうれしい休日でした。
寒かったけど⋯




