宗盛記 新年正月SS 弓
皆様、新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
二年目スタートです。
前回の続きの分は勿論あるんですが、副題が「凶報」というもので、新年最初の投稿にそれはないよなぁ、ということで、今回はSSとさせて頂きました。
次回六日(火)の更新から再開します。
今年も良い一年でありますように。
永暦二年、冬
武家貴族と言いながら、大抵は暮らしの快適さを求めるものか、売れ筋の高級工芸品の開発に明け暮れている俺だが、軍事だって忘れている訳では無い。将来のためには軍用品の開発だって必須である。
この時代、兵種が重装騎馬弓兵一択という世界でも不思議極まりない我が国で、武器と言えばまず弓である。
まぁ、国内で最後までまつろわなかった蝦夷と戦うために、その戦い方を真似したものだからなんだが。
戦闘技術では勝てないので、国力差にあかして整えたのが重装。
ちなみに日本刀も、蝦夷の蕨手刀の影響をかなり受けている。
弓と言えば伊豆三郎(為朝追討の時のバリスタ)を開発した訳だが、調子に乗った俺は、歩兵用の大型サイズの弩と、拳銃サイズの弩も開発した。
それぞれ伊豆四郎、伊豆五郎と名付けた。
よく考えればここで大型弩、標準弩、小型弩と修正しても良かったんだが、ノリってものはブレーキが効きにくい。
ヨーロッパのクロスボウは、初速が弓の1.5倍から4.5倍程あったという。巻き上げ機構を機械式にしたものは、亜音速に近い初速があった。しかしストロークが短かった為に、有効射程は弓と変わらない程度で、発射頻度の高いイギリスのロングボウに制圧される。典型例がアジンクールの戦いである。ボードウォーゲームで何度もやった。フランス騎兵の突撃がロングボウで制圧されていくのは、イギリス側をやった時は快感だった。射程が同程度なら発射頻度に劣るクロスボウは単なる的だ。特に騎兵との間に距離ができてしまうと殲滅しやすい。
物理的には、ストローク、つまり箭が加速される時間が短いと、慣性が弱く射線がブレる。命中率が下がるので、最大射程は長くても有効射程が伸びないのだ。だから伊豆四郎は、射程を延ばすために銃身にあたる臂の部分を長くした。普通の弓のストロークが三尺二寸から三尺五寸程度として、それよりも長いストロークを持つ様に五尺にした。全長は兵の目元位まである。当然重い。
二脚と照星照門も付けて、照門は引き出して高さが変えれるようにしてさらに目盛りを刻んだ。発射機構は大陸式の懸刀ではなく、引き金と用心金にした。
箭の鏃近くを両側から薄い小さな板バネで押さえて、箭の転落を防ぐ部品もつけた。これは毎回弦に弾き飛ばされる使い捨て。これで俯角射撃もなんとかなる。水平射撃の時にはつけない様になっている。
弓は六尺。竹と薄い鉄板の合成弓で、重籐の代わりに鋲と鉄帯と漆で纏めた。取り外しできる組み立て式。弓の真ん中に穴を開けて、そこを箭が通るようにした。どうしてもこれに矢羽根が擦るので、命中率が少し下がるが、箭の蛇行はなくなるので、直進安定性は格段にいい。弓の上か下を通すと、弦のベクトルと箭のベクトルにズレができて、矢羽根が受ける空気抵抗で箭が蛇行する。これは普通の弓でも必ずおこる現象だ。
箭(弩の矢)も五尺。矢柄を青銅製の円筒にして重さ、つまりは直進安定性を増した。矢羽根は幅の小さな三角形の紙を柿渋で固めたものを三枚、矢柄に溝を切って巴状に取り付けた。長さは矢全体の半分に及ぶ。
甲矢乙矢の別はない。全て時計回りに回転する甲矢である。
鏃は基本三角錘。差し込み式で小さく、一度刺さると抜けるので敵も再利用はできない。射た後は可能なら矢柄は回収して鏃を取り替える。なんせ鉄も青銅も貴重である。オプションで長いT字型の刃をつけたもの。主翼である。雁股同様に、対象を射切るのに使う。他に蕪の大きいのをつけたものも作ってみた。しかし命中率はグッと下がる。
取り回しはかなり悪くなったが、初速が早い上にストロークが長くなったので、有効射程は延びた。直進安定性の分、集弾率も上がった。
弦は、銃床に取り付けたリール状の巻き上げ機で引く。当然時間がかかり、発射前の組み立てを除いても、頑張っても一分(前世の三分)で三射位しか撃てない。ただし初速が速いので最大射程は六町(約660m)を超えるし、有効射程は二町と、通常の弓の倍近い射程を確保。つまりはアウトレンジ攻撃ができるのだ。
要はライフル。的から十分離れて立ってみたが、これは避けれるものではない。矢の速さに慣れている俺でもほぼ見えない。速さも倍位あるんじゃないか。速度倍で射程倍は変な気もするが、単なる印象なのと空気抵抗考えるとそんなものかも。
是行にこれを使ってもらったら、珍しく目の色を変えてのめり込んでいた。
将来的には、弓の苦手な者で弩隊を組織して、先制攻撃する。或いは狙撃する。狭間や防盾越しに使えば、かなりの脅威だろう。
つまりこれが広まれば、俺も含めて狙撃の恐怖にさらされると言うことだ。
伊豆五郎は長さ一尺二寸程の片手持ちのミニ弩だ。
ただ、銃身本体の前につけた金属製の鐙に脚を掛けて引くので、鉄弓の強さは強く、初速はかなり早い。箭も専用の、これも青銅の矢柄と三角錐の鏃を使った一尺程の短いものを使う。
ストロークが短いので、集弾率はかなり悪く、有効射程は二段(約22m)程と短い。
装填にも時間がかかる。伊豆四郎程ではないが、半分位、つまり前世の三十秒程で一射位。
見通しのいい野戦では弓には全く敵わないだろう。
ただ、貫通力は強い。弦を引く時に背筋力を目いっぱい使えるので、弓の四倍程。四人張り相当なのだ。試してみたところ、近距離なら大鎧を簡単にぶち抜く。為朝ばりの使い方ができる。屋内や見通しの悪い場所での近接射撃では活躍してくれるだろう。森林を使った待伏せなんかでも使えそうだ。単発なら騎乗しても使える。
これまた暗殺向きだという思いが浮かんだが無視する。
だが定番の新武器開発と言えばコンパウンドボウだろう(そうか?)
前から作ってみたかった。なんせロマンがある(そうか?)
ただ、アーチェリーをやっていなければ、あの構造は普通わからないと思う。
仕方がないので、おぼろげな記憶を元に自分で考えることにした。
まず基本、いきなり射法を変えるわけにはいかないから、本来の洋弓と違って、矢は弓の右側を通る和弓の造りにする。蒙古式射法というやつだ。
強い弓は、子供のおもちゃで使うような、人差し指と親指で摘むような撃ち方はできない。摘む力では弓の張力に耐えきれないからだ。
今の時代、通常の戦闘では馬に乗って刀も使わないといけないので、弽は両手にはめて堅帽子の無い革手袋に近いものを使う。右手の固定はほとんどない。通し矢のような強い弓を何度も引ける作りではない。指は親指と人差し指の付け根、薬指、小指で弦を引く。
プラスチック系の素材が使えないので、当然(⋯でもないが)弓の素材は天然木。最初は和弓と同じく、山櫨と竹を使った。ちなみに昔の丸木弓では、山櫨以外には梓、檀、柘植、櫟なんかの折れにくい弾力のある木が選ばれた。これが残っているのが、辟邪の鳴弦で使う梓弓である。これは丸木弓を使う。まぁ、鳴弦には普通に自分の弓を使うことも多いんだが。
これが近代になると、黄櫨と竹の合成弓一択になる。でも黄櫨は我が国にはまだない。近世辺りからだったはずだ。
ちなみに山櫨の樹皮の黄色(と蘇芳の赤)を使って染めるのが黄櫨染だが、黄櫨は使っていない。
作りたいのはコンパウンドボウなんで、弓弭(弓の両端)に滑車を付ける。確かグリップ部分と弓幹が別材になっていたはずだが、ここは一体でいいか。
滑車は鉾のように、弓弭に差し込んで竹釘で留めることにした。
滑車と言うが、ここがカムを兼ねているのがコンパウンドボウの特徴だ。つまり、この滑車は場所によって、回転軸からの距離が違う様に作ってある。そのために、引く途中の力に対して引きった後、離れ(リリース)前の貯めに必要な力が小さく、離れの時のブレが少ない。
滑車と二本の弦を使うことで、輪軸の効果を使って、弦を引く長さを長くしてその分強い力を弓に加えるのが、構造の一番重要なところ。両端の滑車に矢を番える為の弦と滑車を絞る為に両端を滑車に固定して8の字に掛ける弦、合計二本の弦を使う。二本目の弦が両端の滑車を引き寄せ、輪軸兼動滑車としても働くので、かけた力より少し強い力で弓を曲げられるのだ。
開発は物凄く難航した。まず、弓幹が何度も割れた。漆を使ってもダメだった。かかる強さが強すぎて構造材が持たないからだ。最初引いた時に割れて派手に腕を切ってからは、固定して綱で引いて試すようにしたが。
かといって材に合わせて張りの弱い弓を作っても意味がない。
結局、伊豆四郎と同じく、弓幹は鉄板と竹の合板を漆とリベットと鉄箍で張り合わせにした。
散々苦労して、小さな力でリリースを保持できるようにできたのはひと月近く試作にかけた後だった。伊豆三郎の開発経験がなければもっと掛かっただろう。
結論を言うと、出来上がった物は全くの失敗作だった。滑車の精度があげられず、固定して試射しても集弾が安定しないのだ。手の込んだ軸径の小さいローラーベアリング入に変えたが多少マシになった程度だった。基本の加工精度がダメだった。さらに弓返りの感覚が違いすぎて、本来の弓もうまく使えなくなった。これを修正するのにも、その後数カ月掛かった。威力は僅かにあがったが、総合的に見て従来の弓に全く敵わない。開発費用も全部無駄になった。腕のいい弓師に頼んでも、百本は買える費用が飛んだ。
カムと輪軸を兼用する仕組みは、井戸の釣瓶を持ち上げる滑車に応用した。努力には全く見合わない成果だったが、無いよりもマシかな。
開発なんてそんなものである。
気を取り直して次に作ったのが鉄弓。伊豆三郎、伊豆四郎の応用である。コレなら五人張り、十人張りも可能である。なんなら弦を張るための専用の道具を作ってもいい。
これはまぁ、普通にできた。握りの部分に櫨材を貼って、断面を丸くするくらいしか手間もかからないので、開発費用も鉄が高かった位で、さほど負担も無い。
勿論自分で試してみた。
あれ?なんか変だぞ?
射った時の反動が変なのだ。当然振動するんだが、材が重いせいか小さな震えがいつまでも手に残る感じがする。重さの割に弾性が小さいので、弓幹としての性能が良くない。極端な話、硬い木の薄い板で弓を作ったようなものか。ダンパーのないサスペンションとも言える。
当然弓の返りも上手くいかない。
で、当たらない。
腕のせいかと思って秀次に頼んだら、数射して返された。これはダメだそうである。
景経が喜んで試してみる。
感想は
「きもちわるい」
どうやら弓というのは、引きが強ければいいというものではないらしい。
将来への戒めも兼ねて、三嶋神社に奉納した。
結局採用になったのは、胎弓。今主流の三枚打の弓の真ん中の櫨材を、左右の両側だけ櫨にして、中は板状の竹四枚を重ねて芯とした。
(前世の)近世以降に用いられる普通の和弓である。
中層の接着剤は漆を使って、膠も併用して籐で巻いた重籐の弓にする。こっちは見栄え。普通重籐の弓は指揮官、熟練射手クラスしか持てない。
設計と素材はこちらで用意したが、仕上げは地元の弓師に頼んだ。
これは秀次の評判もとても良かった。試作品は秀次と景経にねだり取られた。
後に俺の軍の将や上級射手の標準装備となる。
他に、長さ二尺ほどの梓弓と矢の組み合わせを三百組用意した。仕事にあぶれた民のうち、手先の器用な物が原形を作り、残りが材料を確保した。仕上げはウチの職人がやる。先には蕪を付けて矢柄は赤く塗った。
何のことはない、破魔弓と破魔矢である。
これは覚性入道親王様と相談して作ったもので、正月の授与品として仁和寺に納入する。
向こうで祈祷して札を付ければ出来上がりだ。
無駄遣いしちゃった開発費の足しになるといいなぁ。
良い新年になりますように。
年末、前回の更新日頃に奈良に行ってきました。
奈良国立博物館の最終日、展示は『春日若宮おん祭の信仰と美術』
毎年この時期になると行われる展示なんですが、この祭が始まったのが十二世紀前半、その始まりに尽力したのが、保元の乱の敵方、藤原氏長者、関白藤原忠実です。
毎年十二月七日に、時代衣装の行列が午前で市内を一巡し、午後は夜十時過ぎまで奈良博の裏手の一の鳥居横の春日大社のお旅所で神事芸能(舞楽以外に田楽、猿楽、細男、神楽等)の演舞もあり、盛り沢山な祭りです。この日は奈良国立博物館が無料になります。関西にお住いの方は機会があれば行ってみてください。寒いので防寒必須。
今年は忠通、頼長関連の品も多く出てました。工芸品も平安時代の物の他、人間国宝の桂盛仁氏が復元した金鶴銀鶴とか、祭の行列の衣装とかでていたのでとても満足。
あと、菩提山正暦寺に初めてお参りに。ここは藤原道長の弟兼俊僧正が開いたお寺で、一条天皇の勅願寺です。当寺は法相宗だったので、興福寺に協力して重衡に焼かれます。南無⋯。
般若坂も観てきました。いずれ本作にも出てくるかも。




