宗盛記0098 永暦二年七月 天覧
永暦二年七月文月
九日
里内裏の東三条殿に伺候する。普通昇位は勅使を家に迎えて告げられるが、今回は天覧があるので、里内裏でまとめて行われることになったそうだ。
ここは藤原摂関家、先関白忠通様の屋敷であり、おそらく日本で最大最高の私邸だが、今年の五月からは里内裏として使われている。保元の乱の時、父親の忠実様に取り上げられた藤原摂関家の正嫡屋敷だ。
その歴史遺産(違)を見ることができて俺は興奮していた。隅々まで見て回りたいのだが、仮にも御所である。警備もそれなりで、建屋を覗き込もうとする俺を、景経が無情に引き立てて行った。
本来の寝殿が清涼殿代となっている。昼御座、夜御寝、東庭、殿上間なんかが整えられている。それ風に壁代で仕切っただけだが。
高御座を設置すれば仮の紫宸殿代にもなる。でも焼けたわけでも改築中でもないので、紫宸殿は普通内裏のを使う。
この里内も、十月には関白基実様の屋敷、高倉第に移転の予定で、来年の春には二条東洞院に建設中の新しい里内に移るらしい。基盛兄上が新里内建設の責任者になっている。
俺は源為朝追討の功により、従四位下に昇位した。一年も経った今頃になったのは、追討の命が届く前に事が終わっていたため。それでは私戦ではないか、との意見も出たらしいが、国衙が襲撃されたので叛乱の認定は揺るがなかったらしい。状況の確認に時間を食って遅くはなったが、父上への忖度もあって昇位に繋がった様だ。
基盛兄上も同時に昇位する。俺は平家では最年少十五歳の四位である。四位になると都に帰ればほぼ間違いなく殿上が許される。もっとも蔵人経験者の俺は、その辺なくてまず殿上人だったろうが。
併せて、
那須資隆 正六位上 左衛門少尉
畠山重能 正六位上 右衛門少尉
土肥実平 従六位下 左兵衛少尉
山田是行 正六位下 右衛門大尉
巨勢秀次 従六位上 右兵庫大允
伊藤景経 従六位上 右兵衛少尉
天覧組は正六位上か。元々二人の父親は大番役と成功で官位を持っていたようだし、父上の罪悪感が位を押し上げたかな。普通の京官並である。いきなり庶民の極意。競技会での活躍は成功と同じ効果があったことになる。これは俺にとってもありがたい。もちろん宣伝になるからだ。二回目からはこうはいかないと思うが。
全員分の昇位の申し渡しと受任の儀礼が終わると、続いて騎射の御披露だ。資隆殿と重能殿が良いと言うので競技は笠懸である。
里内裏の制約から左近の桜(模)、右近の橘(模)の南側に設えた馬場の長さは七段程。的の数は等間隔に三つ。馬場からの的の遠さが二段(約22m)、的の大きさ一尺八寸。大会よりかなり緩い。二人以外に内舎人が二人加わって計四人。しかし的の距離を見て舎人達の顔色が変わった。流鏑馬しかしてないとこれはきつい。的は五割ほど大きいが立射の近的に近い距離だ。
帝は清涼殿代の中から御簾越しにご覧になられる。他にも参内している百人近い公家が殿舎の庇や簀子縁、渡殿を埋めている。
東側に四人の射手が待機する。
こうやって改めて見ると、重能殿の黒毛馬が大きいな。四尺六寸、いや七寸はあるんじゃないか?資隆殿の馬も四尺五寸位、かけより少し大きいか。舎人の四尺二寸、三寸程の馬が小さく見える。
進行の上卿は父上。上卿を務めるのは初めてだという。
沈黙の中、皆の準備が整ったのを見て取った父上が、声を掛ける。
「始め!」
最初の射手は舎人から。可哀想に…と思っていたら案の定全て外した。二人目も舎人。的の一つを射通す。お見事。三番目に畠山重能殿、特に問題なく皆中。最後に那須資隆殿。緊張していない。特に祈ってる様子もない。皆中。
二走目。残りの舎人が又一中。そこからは繰り返し。三走目で残った舎人が全て外して脱落し、五走して二人共皆中。
そこで騎射は終了となった。二人共余裕である。結果だけ見ると圧倒的だな。
実のところ、舎人達も笠懸に慣れていればかなり結果が変わってきたと思う。秀次に聞いてみたら、二走か三走位までは皆中いけそうだと言っていた。俺も投げ槍なら的にかすらせる位はできるだろう。
競技が儀礼化し、慣れてないことはできないんだろうなぁ。京官は勤務時間が長いというのもある。
とか考えていると、
「大層見事であった。平家の武者もあのようにできるものか?」
と御下問があった。おいおいおい。嫌な沈黙が拡がる。オリンピック選手の試技の後、警備の警官にちょっと君もやってみて、と言われたようなものだ。この方、空気読まないほうだったか?
あかん、このままできませんとは言えん。父上もだが、おっしゃられた帝もフォローできずに固まっておられる。仕方ないか…。
「僭越ながら発言をお許しいただけますでしょうか」
「許す。乳母子殿」
あ、ご存知だったんだ。
「弓の技とは異なりますが、お時間を頂いてよろしければ平家の技もご披露いたしたく存じます」
言っちゃったよ。
「おお、そのようなものがあるなら見たいものだ」
「私の太刀等をこの場に持ち込むことのお許しを頂きたいのですが」
「許す」
「秀次、俺の太刀とお前の弓。あと鏑矢を三本頼む」
「はっ」
秀次の目が諦めきったものに変わる。景経は目が合わないよう顔を伏せてる。難点はこのクソ硬い文官束帯だな。まるで剣道の防具つけてるみたいだ。なんか当たっても痛くないような気さえする。
検非違使を連れて秀次が戻ってきた。太刀を受け取って、二人に鏑矢を渡してもらう。後簡単な説明と。束帯着ての訓練もしとくんだったなぁ。ってそれはさすがに意味ないか。
秀次、重能殿、資隆殿から大体四十歩離れて立つ。大股で一歩二尺五寸(約75cm)位だから、大体三段(約33m)足らず。上を向いて深呼吸する。都暑すぎ。鯉口を切る。
「構えて」
三人が矢を引く。重能殿と資隆殿の躊躇いが伝わってくる。
「秀次」
秀次が放つ。これはまぁ、いける。届くまでの時間に体が慣れている。抜きつけて斬る。斬った。
「おお」
「重能殿」
矢が少し早いな。太刀をそのまま正面に、やや袈裟斬りに斬る。カーンと高い音を立てて割れた蕪が落ちる。
「資隆殿」
弓勢が一番強い。重能殿より早いか。
脇構えから斬り上げ。
カーーン。割れた蕪が飛んでいく。
「オオオオオオオオオオオオ」
満場のどよめき。
残心。納刀。
御簾に一礼して、
「平家相伝の太刀、矢斬り、と申します」
と言ってみた。私の矢斬り。
お褒めを頂く。二人の弓技に比べると、一発芸のようなものなのだが、なんとか場はごまかせたか。
++
「平家相伝の太刀、矢斬り、と申します」
と宗盛が言ったとき、思わず父上の方を見た。嫡男の儂が伝えられていない技があるのかと。そうして父上の顔は…
阿弥陀仏の様であった。前を見ながら何も見ていない。表情がなかった。目がジトついていた。
ああ、宗盛のいつものヤツか…。
「なら清盛も使えるのか」
「もちろんでございます。達人の父なら三本同時でも切り払います」
「それは凄いな」
「あ、ただ門外不出、秘伝の太刀故、皆の前で使ったのはまずかったかな?もしかしたらこの後大層叱られるかも」
父上の手の中で蝙蝠(扇)がミシミシ音を立てている。
一見秘伝を人に見せたのを怒っているようにしか見えない。
「二人の弓技にのぼせてついつい使ってしまいました。これ以上は何卒ご容赦賜りますように」
これが全部この場の口からでまかせだと言うのか…。三郎恐るべし。
父上の変わらぬ表情とこめかみに浮き出た血管と変わり果てた扇を見て、子育ての大変さというものを思い知った。
重太郎グレないでくれよ。
++
「見事であった。二人にはもちろんだが、宗盛にも褒美を取らせよう。なにか望みはあるか?」
「雑袍宣旨を、雑袍宣旨をお願い致します」
束帯から解放されたい。玉帯と下襲を外したい。冬からは下手すると毎日着ねばならんのだ。できれば直垂宣旨をいただきたい(そんなものはない)。
「ふふっ。では禁色勅許もつけてやろう」
「あ…ありがたき幸せ」
思わず棒読みになってしまう。
「そちらはどうでも良かったか。とりあえず束帯を着たくないと顔に書いてあるな」
思わず頬を抑えてしまう。そんなに出てましたか?
「良きものを見せてもらった」
帝が奥にお入りになる。終わった。
禁色勅許と言っても四位に上がった今の俺に追加で許されるのは、親王色である深紫くらいだ。後、綾織の服が着れるか。もちろん黄櫨染や院の赤、春宮の黄丹、なんかの(概ね)一人に限られた色は着ることができない。悪目立ちしそうな色なんて別に着たくないし。ブッシュカモの直衣とか作ってみたいが、またうつけと言われそう。ちなみに、男は摺染の衣装は原則禁止である。放免だけが着ているので、許されても着たくはない。
二人への褒美は桐竹の漆絵が描かれた重籐の弓と箙だったそうだ。家宝にするとか。だろうなぁ。
資隆殿と重能殿に謝る。
「俺の宴会芸みたいなので、お二人の天覧をひっかきまわしちゃって悪かった」
「いえ。というか本当に都の方々はあのような技が使えるのですか?」
と資隆殿。
「ん、知ってるうちでは俺くらいかなぁ。知盛も練習してるからできるようになると思うが」
「あのお歳で武蔵守様も…武家貴族の家というのはそこまで…」
と重能殿。
ん、なんか誤解を広げた?
夜は昇位の宴。今年は暑いので盆過ぎの十七日に出発することにしたから、割と日程に余裕がある。だからといって、俺の宴の為の料理を俺に作らせるのはどうかと思う。
料理後宴の間、俺は父上の隣に座らせられた。強制である。そうして何故か骨の歪んだ蝙蝠(扇)で、ペシペシ烏帽子を叩かれ続けた。今日の宴は那須や畠山、土肥の三人は居ない。侍所で宴になっているようだ。
「今日は皆、ご苦労であった」(ペシ)
「最近、身内の話し合いの不足というものを感じておる」(ペシ)
「皆の思うことなど、どんどん話してほしい」(ペシ)
「はい。あのー、今日俺割と頑張ったんですがなんでこうペシペシされてるんでしょう」(ペシ)
「いつの間に平家相伝の太刀などというものができたのか。この辺りも話し合いの不足だな」(ペシ)
「いいじゃないですか。あれで場が持ったんだし。むしろ褒めて欲しいです」(ペシ)
「誰が達人だと?今後見せろと言われたら儂はどうすれば良い?」(ペシ)
「だから、門外不出の秘伝って言っといたじゃないですか。あれで通せば大丈夫ですよ。多分」(ペシ)
「褒美に何かと言われたら、なぜ家の者と相談します、と言えんのかも教えて欲しいなぁ」(ペシ)
「新年から毎日束帯とかとても嫌だったんです。ほんとは直垂で通いたい」(ペシ)
「冠位はともかく、官職辺りは望めば得られたかもしれないのにか?」(ペシ)
「あんな一発芸で恥ずかしいですよ。それより今後の話では?」
「そうだったな」
父上が、時忠叔父上達の『計画』について皆に説明する。知らなかった皆が呆然としている。時忠叔父上、教盛叔父上、信隆義兄上は青くなって俯いている。
「まぁ、うまくいくはずもない計画だが、これを知ればお上は大変お怒りになるだろうな」
「今日のご機嫌の後だから、反動が怖いなぁ。皇嗣の決定について臣下ができるのはせいぜい提案まで。それも陣定に加わる参議以上の話、ですよね」
「実際は大臣でもなかなかできることではない」
「じゃぁ、ちょっとした謀反ですね。処分はどの程度になりますか?」
「お上がよほど強硬に進めん限り、解官(免職)、流罪といったところか」
「その程度ならまぁいいか」
「「「良くないぃぃ!」」」
なんか叫び声が上がる。自業自得。
一応、対策は以前にたてたもの。報告は父上から。宴会の席の戯言だったと言い張り、併せて時忠叔父上はどこかの地方官の空き探し、教盛叔父上は左馬権頭を辞任。俺と同行して、急遽常陸に受領すると言う話になった。左馬権頭は経盛叔父上に引き継ぎ。罷申の日程も先の使いの準備もしていると。さすが父上、仕事が早い。信隆義兄上は様子見とか。俺の予想は信じきれなかったか。正子姉上のためにも、外れるといいなぁ。
帝親政派の近臣の経宗様、惟方様が、ありえないはずの笞刑を受けて流されてからまだ一年少し。当今の恨みは晴れてはいまい。現状把握の甘さはおっとり育った弊害かな。
質問などはあったが、概ねそんなところかと言う流れになった。次は盆行事の打合せでその日は終わった。
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東三条殿
今年最後の投稿となります。
無事一年目を書き切ることができました。
ブックマーク、評価で応援頂いた皆さん、誤字脱字でご協力頂きました皆さん、レビュー、ご意見頂きました皆さんに心から御礼申し上げます。
本年中は大変お世話になりました。
良いお年をお迎えください。




