宗盛記0096 永暦二年七月 維子
100話へのお祝いメッセージをくださった皆さん、ありがとうございました。
次は200話目指してがんばります。
寒いさなかに作中では暑い頃の話が続いて、なかなかイメージできなくなってたりするんですが、風邪などにお気をつけください。インフルエンザ流行中の様です。平安時代の『咳病』。
感染症怖いですね。一杯死にます(仕込み)。
まだ七月は続きます。
永暦二年七月文月
四日午後
「出家ってなんでそんなことに?」
「それが⋯重盛様がね⋯」
要は重盛兄上に愛想を尽かせて、出家しちゃったんだとか。源氏物語か。
まず、ことの始まりは維盛の育児中に重盛兄上が他所で子供を作ったことらしい。生まれたのは今年の三月。重次郎である。俺の感覚ではなしだが、この時代ではない話ではない。むしろよくある。通い婚というのはそういうものだ。問題は維子義姉上を家に迎えていること。嫡出の長男も居るのに他所に通って子供作るのはかなり体裁が悪い。結婚しても向こうの家に通い続けるとかしにくいからね。でも摂関家とかだと普通にやる。父上なんかもやる。というか、日の出の勢いの我が家にはハニトラまがいの誘いもいっぱいなのである。ついでに言うと俺の母方の祖父、時信様もやっちゃって七人姉妹ができた。まぁ、みんな本妻を立てはする。維子義姉上も耐性はあったんだろう。
重盛兄上の相手は藤原親盛殿の娘。あの相馬御厨の当事者の一人だ。千葉殿の開拓領地を税額不足で難癖つけて藤原親盛殿の父がぶん取った所だ。あれ?どっかで聞いたような話だな?
長男親政殿の嫁に、お祖父様の娘、つまり父上の妹で俺の叔母(失礼ながら知らない方である)を迎えて、掌侍であった娘を重盛兄上の妾に差し出したらしい。
掌侍は、内侍司に属するれっきとした女官だ。五位相当で帝のお世話をする。五位の受領層の下級貴族の子女が多い。権門との婚姻は家格を上げる手段ともなる。それ故、教養や容色に優れた女性が多い。維子姉上もかつてそうで、坊門局と呼ばれていた。つまり後輩による寝取り⋯ゲフンゲフン⋯新たな縁戚関係を構築したのだ。
藤原親盛殿はこんな感じでウチとの関係は深い。多分盛の字はお祖父様辺りからの偏諱だ。一族は下総の親平家の代表的存在とか。
ちなみに相馬御厨については、父上が伊豆から帰って、俺の領地になったことを告げて脅し⋯お話しながら随分値切ってくれたらしい。おかげで今年中に完済できそう。
維子義姉上が去年の夏あたりから元気がなかったのはそのせいか。だがこれで済んでいたらまだ良かった。維子義姉上も我慢してくれていたらしい。
問題は今年の夏に、藤原家成様の四女、藤原経子様を正室に迎えてしまったこと。
これはちょっとありえない。家に嫡男を産んだ妻が居るのに新たにより上位の妻を娶るのはかなりの不義理である。
ところが経子様は重盛兄上とはかなり前から付き合いがあるそうだ。平治の乱の前、維子義姉上の妊娠中から重盛兄上の妻であったという。しかしながら兄が藤原成親であったため、疎遠となった。成親は乱を起こした藤原信頼殿の副将であったが、重盛兄上と妹の縁もあって解官されただけで済んだという。もちろん父上が尽力した。
ところが今年の四月に元の正四位下、右中将に還任した。院の夜のお友達だったからだという。信頼殿もそうだったな…。反乱の首謀者と副将が夜の寵臣。これで院が乱に無関係とかありえないだろう…。
この段階で、院の政治的な発言力が、かなり大きかったのがわかる。
まぁ、これによって立場を戻した経子様が、後ろ盾の無い維子義姉上を押しのけて正室となることになったのだ。
滋子様が難色を示したが、院の御内意も近臣同士の縁組を歓迎したとか。つまり時忠叔父上もハブられたのだ。続いて当て馬⋯。正直その扱いも酷い。
維子義姉上の父親で俺の祖父でもある時信お祖父様は正五位下、兄の時忠叔父上も正五位下。維子義姉上の母方も従五位下の地下の家で、跡を継いだ伯父も既に故人である。
それに対して御祖母様(池禅尼)の従兄弟でもある家成様は、正二位で家格が圧倒的に上だが既に亡くなっている。保元の乱で家を焼かれたのが記憶に新しい。
父上も大変世話になったとか聞いたことがある。嫡男の従三位藤原隆季様はできが良い方らしいが、次男の成親はハズレだ。成親は信頼殿に引っ付いて平治の乱を起こしたが、院に唆されたと皆思っている上に、余りに振る舞いが小物なので解官で済まされたお調子者だ。不要の者、と呼ばれているらしい。右中将の位にあってろくに本殿上もせずに院に引っ付いているとか。まぁ、次男で不出来でも右中将にしてもらえるなら院からは離れられまい。
妻がありながらより上位の家格の妻を娶ると、先妻は正妻ではなくなる。その上成親は、重盛兄上の館小松殿にその嫁、経子様を迎えて、維子義姉上に東の対に移るように仕組んだらしい。そりゃ義姉上もキれる。
「それっていつのこと」
「先月の始め頃」
と清子。
「どこの寺?」
「上西門院様の御縁で、仁和寺の法金剛院付属の尼寺の坊って聞いたけど」
「清子」
「なに?」
「俺は維子義姉上を家の女房に迎えたい。いいかな?」
「え…そんなのできるわけ」
「いい?」
「そりゃ維子姉様と一緒に暮らせたら嬉しいけど⋯できないわよ」
「もう、出家しちゃったのよ?」
と季子姫。
「やるだけやってみる。後でくるから出かける用意しといてね。あ、これお土産」
猫の張子をおいて直ぐに立つ。
「え?本気で?」
すぐに寝殿の時忠殿の所に向かう。
男三人、暗い顔で相談している。
「時忠叔父上、維子義姉上のこと聞きました」
時忠叔父上と教盛叔父上の顔が更に曇る。
「ウチの女房に迎えたいと思います。いいですね?」
「な⋯維子は出家して」
「もちろん還俗してもらいます。いいですね?」
「そんな、できるわけがなかろう」
「前の報酬、忘れてませんよね?」
「あ、ああ、もしできれば、の話だな?」
「ありがとうございます」
直ぐに移動だ。馬で来て良かった。
次に重盛兄上の小松殿。良かった、もう帰ってた。
「兄上」
「おお、よく来たな。昨日帰ったと聞いたので、後で行くつもりだったが」
「俺、ここの厠と風呂の報酬、もらってませんよ」
「え?え?」
「維子姉上のこと聞きました。ウチの女房に迎えたいと思います。いいでしょうか?」
「いや、あれはもう出家してうちとは縁が切れて…」
「先妻に出家されたとか光源氏みたいでカッコ悪いですよね?だからいいでしょう?」
「できるの?」
「なんとかします」
「いや、それは儂も心苦しいとは思っていたんだが」
「ではそういうことで。詳しくは後程ウチで」
「あ、おい⋯」
一旦戻って準備をして、次は上西門院である。
いきなりお伺いしたが幸いお会いできるとのこと。
「統子様、御無礼申し訳ありません。何卒お願いします」
「え?え?おかえりなさい?」
「ただいま戻りました。詳細はまた明日伺うとして」
「急用ですか?」
「はい。統子様にご紹介頂いた滋子様の妹、維子義姉上の出家の件、還俗させたいと思います。何卒お許しください」
「あ⋯⋯ふふふ。許します」
「ありがとうございます!」
次である。これが最大の山。
仁和寺。覚性入道親王様にお目通りを願う。
「宗盛か。久しいの。帰っておったか」
「は、入道親王様にはご無沙汰いたしております。昨日都に帰りました」
「元気そうで何よりじゃ。それで、急ぎの願いがあると聞いたが?」
「先月出家いたしました平時信の娘、維子の還俗をお許しいただきたく、参りました!関係者一同の許可も貰ってあります」
併せて土下座する。
「は?」
「何卒、何卒お許しの程を」
さらに両手を前に伸ばして五体投地。具体的には合掌して手を伸ばしてうつ伏せに寝る。バッタリ。
「いや⋯流石にそういう例は聞いたことが無いが」
「何卒!お許し頂ければ仁和寺に帰依します。南無大師遍照金剛、真言宗万歳」
「クッ、ククッ」
「大事な義姉なのです。何卒。それなりの歳までご猶予下さい!」
「ふぅ。普通許すようなことではないが、空性の命を救ってもらった恩があったな。手続きの間違いということでなんとかできるだろう。任せよ」
「ありがとうございます。ありがとうございます。あ、こちらは、献上の品です」
起き上がって持ってきた色絵金彩の花瓶と彫漆の香合を差し出す、ちゃんと金襴の袋に入れて桐の箱に入れてきた。帝への献上用にと作ったものだから目には適うと思う。義姉上の出家先も確かめた。
よし、中ボス戦は終わった。あとは今回のラスボスの維子義姉上である。
もう一度六波羅に戻る。牛車を出して清子を迎えに行く。再び仁和寺、法金剛院に。早くしないと日が暮れる。件の尼寺の場所はすぐ教えて貰えた。
壺装束の清子と車で向かう。押し倒しちゃいたい位可愛いが緊急時で自粛。
「維子義姉上、居ますか!?」
「何よいきなり。今は話したくないの。帰って」
思いっきり迷惑そうな顔で維子義姉上が出て来た。
「墨染尼削ぎの維子義姉上もなかなか魅力的ですが」
「聞いてる?」
もっかい五体投地。バッタリ。
「維子様、俺の女房になってください!」
…沈黙。ちなみにこの姿勢、手を真上に伸ばして合掌したままうつ伏せに寝転ぶのである。音をたてて派手に倒れるのがポイント。知らなければアタマおかしくなった?何やってるの?ってポーズ。当然清子は呆然として見ている。真言宗ではありだから義姉上は知ってるはずだ。
「待遇は保証します。清子とだべっててくれたらそれでいいから」
「いや、私、出家したのよ?」
「知ってる」
頭を上げて見つめる。
「そんなの許されるはず無いでしょ?」
「時忠殿の許可は取ったよ?」
「し、重盛様も」
「いいって。兄上も心苦しく思ってたって」
「だって、上西門院様にお願いしてっ!」
段々声が悲鳴みたいになってる。
「統子様は、許します、って」
「もう出家しちゃったの!お寺がそんなこと認めるわけないじゃないっ!」
維子義姉上泣いちゃった。
「覚性入道親王様にお願いしてきた。なんとかしてくださるって」
「え⋯⋯」
「うわ⋯ホントになんとかしちゃったの?」
清子がちょっと呆れたように言う。
「日頃の善行に免じて許すって」
「ないわね」
本日は清子の副音声でお送りしております。
「でも、でも⋯」
流石に起き上がって言う。あの格好で話し続けるのは恥ずかしい。
「俺に知恵を貸して欲しいんだ。俺はちょっとズレてるみたいなんで、維子姫に色々相談したいんだ。お願い。俺の女房になって」
「清子はいいの…」
「良いわよ、もちろん」
「一緒に考えよう。一緒に美味しいもの食べて、いろんなもの見て、いろんなとこ行って、そうしてそれなりの歳になってからなら、出家を止めたりしないから」
「う⋯」
「俺の女房になってください。維子様」
「⋯うん」
「やったあぁぁ」
不思議な踊り。クルクル回ってみる。
「私の時より熱心だった⋯」
あ、清子がむくれた。いやいや清子の方が熱心だったよ。厠の謝礼だったけど。
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「挨拶とかあるだろうから、明後日迎えに来るね」
と、言い残して妹ととりわけ不思議な甥が帰ってからしばらく、私は呆然としていた。
下の姉妹五人の中で、私の血筋は一番位が低い。そうして重盛様から、新しい正妻を娶るので妾になってもらえないかと言われた時、何かが壊れたような気がした。もうあの家に居続けるのは無理だった。
五条の実家に帰って、滋子姉様に頼んで伝手を頼って出家した。重盛様は慌てて話し合いたいと言ってきたが、心がついていかなかった。
朝起きてお経を唱えて作務をしてお経を唱えて夜眠る。そんな暮らしをひと月近く続けたのだ。そうしてこれから一生それが続くのだと思っていた。それでもあんなふうに心をすり減らして暮らすのは嫌だと。重太郎はどうしているかと思うことも多かったが、重盛様に任せるしかないことと諦めていた。暮らしの中から色が消え、視るものが全てが灰色になって、笑うことも泣くことも久しくなかった。
なのに突然やってきた三郎が、全部ひっくり返していった。幾重にも掛けた筈の鍵をやすやすと引きちぎって。
「あんな風に口説かれちゃ、仕方ないわよね⋯」
荷造り⋯しないと。
三郎がおいていった猫の張子は、赤い首輪をつけていた。
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