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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第1章 覚醒、保元の乱

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宗盛記0010 久寿二年八月

久寿二年八月葉月


後白河天皇。後に上皇、法皇とジョブチェンジし、日本の政治を三十年以上に渡って支配した人。平家を引き上げ、滅ぼした人でもある。

この人との関係が、今後の平家の命運を左右する。その政治的なスタートは、息子の守仁親王への中継ぎリリーフの筈であった。


近衛天皇の急死は、藤原頼長の呪詛によるものだと噂が広まっているらしい。何をアホな、と思っていたんだが、近衛天皇の霊を口寄せしてみたら、自分が死んだのは、愛宕山の神像の目に釘を打ち込んで呪詛されたからだ、と答えたと言う。

確かめた所実際釘が刺さっていて、住僧が言うには数年前何者かが打ち込んだとのこと。数年前から釘を放って置いたその僧こそ罰するべきだと思うのだが。

それにしても口寄せ、である。イタコのお婆さんに犯罪捜査の相談をしているようなもんで、かなり怖い。しかも当たっているというならあきらかなヤラセである。もちろん犯人は口寄せを主張したやつ。

でもそうはならない。帝は呪詛のせいで死んだ。この時代は理性の及ぶところがとても狭いのだ。

後は、流言飛語を政治の手段としてに利用している勢力がいるということ。今回の件で最も怪しいのは藤原忠通周辺だが、なんか今までのやり口と違う。藤原氏内部なら忠実、頼長側も対抗するはずだし。

情報操作…この時代、偽情報を市中へ広めるには多分宗教と芸能を使う。このうち芸能に通じているのは…と考えて、これまで並外れて遊興を尽くしてきたという人物が頭に浮かぶ。

これは口にしないほうが良いかな。



秋である。まぁ、七月から秋なんだが、八月になると感覚的に。

祇園祭、夏越に続いて盆も行ってしまい、既に中秋。残暑の候だが前世ほどきつくない。体感だが暑くても30℃以下位なんじゃないかな。温暖化無いとこんなもんか。前世では京都の夏は40℃に近かったし、9月になっても35℃はざらだった。

この頃から急に慌ただしく、来客が増えた。客殿に知らない大人が出入りする。偶に出会うと観察されているのがわかる。時々ヒソヒソ話。

「あれがうつけの…」

ああ、俺の話だなとわかる。

感じ悪いが仕方ない。



素振りも千に達して、立木打の木にも横木がついた。景太や秀次も剣道型を覚えた。打太刀と仕太刀で型ができる。横で見ていた四郎が真似するようになる。和む。



武芸の稽古に馬が加わった。気性のおとなしい年かさのおすの馬。名付けは主人が、とのことで、かけ、と名付けた。

めすの馬は軍馬にならない。一緒にすると牡が盛るからだそうだ。去勢の習慣が無いので気の荒い馬はホントに危ない。信頼関係がないと振り落とそうとしてくるし、最悪蹴り殺されたり、踏み殺されたりする。

この馬は普通の茶色。馬なのに鹿毛というらしい。鹿毛馬とは言うが馬鹿毛とは言わない。

馬の鹿毛のかけ…

とりあえず後ろから近づかない。急な動作をしない。大きな物音をたてない。を注意される。後は毎朝餌をやって毛を梳いてやる、辺りからかな。朝起きたら少し時間を取ろう。

馬具の装着なんかは馬廻りの者が覚える事だと言われたが、そういうことは素直に聞く俺ではない。いざという時自分で出来なければ役にはたたないし、改善もできないと思う。

景経と一緒に、厩の者から少しずつ教えてもらう。とはいえ身長が足りないので自分でやるのは無理。今のうちはやり方を見せて貰うだけだ。

くつわのはめ方が難しそうだ。調整が下手だと馬が嫌がるらしい。そりゃそうだ。口の中に鉄の棒を咥えさせるんだからな。轡は面懸おもがいで馬の頭に固定される。さらに手綱に繋がって、ハンドル代わりになる。

胴体の方は、まず泥障あおりを掛けて腹帯はらおびで固定し、二枚重ねの下鞍(肌付、木付)を乗せたあと鞍を置いて、胸懸むねがいしりがいで馬に固定する。といっても鞦が尾の下あたりなので、回転方向でズレの可能性はある。ここは鞍の底面の形が、馬の背にフィットしていることが重要。その辺で木製になっているのかなとも思う。鞍の両側からは力帯という紐が垂れ下がって、あぶみがぶらさがっている。

鐙の位置はかなり高い。馬腹の下面よりやや高い位。二尺二寸ほどはあるか。身長四尺と少し位の俺は、台無しだと登るのがツラい。背の高さが馬の背より低い位だからな。大人でも鎧を着ての乗り降りはそれなりの熟練がいる。

馬は右から乗ると決まっているらしい。どっちからも乗れなくていいのか。しかしまぁ、最初は決まり通りやろう。

違和感アリアリだったのが鐙。何だこの側面のないスリッパみたいな重そうな鐙は。かなり馬の負担になるだろうと思う

秀次に聞いてみると、舌長鐙と言うらしい。輪鐙と違って踏込の位置でも馬を操れると言うのだが、本当だろうか…力帯一本しか無いので、鐙の踏込位置なんてわかるのか?微妙な違いがあるのかな?

鞍も木製で重そう。革の鞍に比べてずいぶんゴツい。武家が公務のために使用する移鞍うつしくらと、水干すいかんを着るような場合に用いるやや細身で山型も小さな水干鞍すいかんぐらがあるが、どちらも大差ない。金属加工の手段ができたら、早めに軽い鐙や鞍に切り替えてやろう。

まずは手綱を取ってもらって馬場を歩く。常歩なみあし。半刻で一里半(時速6km)程歩けるらしい。このペースならずっと進めるとか。



母上が最近調子が悪そうで心配していたら、おめでただった。冬に三姫を産んで…年子だなぁ。両親ラブラブである。



八月の十五夜は今も昔も…あれ?どっちが昔か一瞬混乱するが、この時代も…月見である。

団子も好きだが、里芋も好きだ。三宝に積むとき、十五個積むのって難しいよね。九、四、一で一個余るし、七、三、一だと四個余る。

この日は一族集まって、月見の宴。

六の君の兄にあたる、当然俺の叔父にあたる親宗殿、とか出てきた。知らん人だ。平家物語に出てきたかなぁ。俺の三つ歳上の十二歳。諱があるから元服してるんだろう。うつけの子とは遊びたくないらしく、挨拶した俺はほとんどガン無視された。兄上達に混じろうとしているが、そっちではあんまり相手にされていない。


俺としては年の近い六の君と、いつものように話をする。他の姉妹は来ていない。今日は姫のお気に入りの源氏物語が話題。

「月見の宴って場面あったかな」

「夕顔にあったわよ。すぐ死んじゃうんだけど。あと須磨とか明石とか。鈴虫もそうね」

さすがよく覚えてる。前世で読んだ俺とは違うなぁ。

「空蝉とか夕顔って良いよね。人妻って感じがなんかイロっぽくて」

はたかれた。解せぬ。

ちょっとムッとして、

「何すんだよおばさん」

と言い返したらもっとはたかれた。


次の手習いで詠んだ歌


おばぎみを おばとよびいて はたかるる このよにかかる りふじんはなし


さらにはたかれた。



立春ですね。

節分の大儺の儀を見に、平安神宮行ってきました。

いずれ出てくるかと。


鬼やろう〜

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― 新着の感想 ―
中世温暖期だから暑いのでは
最後の詩は後世に残っていれば歴史的駄文として評価されそうですねw
もしまだ未読でしたらなろうの 伴遠江守伝〜転生!起きたら平清盛の八男になってました〜 作者:周防蛇足 と 転生したら平清盛の嫡男だったけど、知ってるはずの日本とかなり違う 作者:くつろぎペンギン …
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