君はその眩い光の『窓』を何度くぐり抜けてきたか?
本作品はフィクションであり、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
また本作には科学的に検証不可能な事象について触れていますが、それらも作者が想う「確信」を自由に練り込ませながら思い描いたフィクション作品です。
人生は決して引き返すことの出来ない一本道。
──まぁ、そうだよね。
今日は然程風も冷たくない春先日和だ。
まだお昼前の清々しさの残る木漏れ陽が、時折キラリとした光の帯となって視界を通り過ぎていく。
PC画面上の日々の個人管理スケジュールには会議や資料提出の締切りがギッチリと登録され、年末から慌ただしく仕事に追われる毎日が続いてきた。しかし今週は主な懸案や課題事項が一区切りつき、奇跡的にポッカリと空白ができたこのタイミングは絶対に逃すまいと、単休ではあったが僕は空かさず、平日のど真ん中に有給休暇を一日ぶち込んでいた。
──英断だった。先週の自分よ! 感謝するよ。
とは思う一方、昨夕の時点でいとも簡単にびっしりと埋まっていた明日以降のスケジュールを尻目に、全ての『負債』を明日の自分に丸投げしていることもまた事実だった。
──まぁ、明日は明日の風が吹くからさ!
頑張れよ、明日の自分、よろしくね!!
そう想いながら、今日は気晴らしに自宅から車で小一時間の距離にある自然公園内の小高い山頂を目指して散歩道を独り登っている。
「……はぁ……しかし考えるとそれって辛れえよなぁ……まぁいいや。今この時点で明日にはもう世界が絶滅するということにでもしておこうや? 」
少し前から舗装されない山道は徐々に険しさを増してきた。丸太で設えた急な階段が時折現れる度に、僕はその不揃いな高さに何度も足を躓かせてはよろめいた。
デスクワークに明け暮れ、日頃の運動不足が祟ってか、軽いハイキングコースだろうと多少舐めて掛かった山道は、今の僕にとっては存外きつい道のりのように思えてきた。
「──おぉっ! 大分登ってきたな」
それでも何とかここまで上がってきた道を振り返ると、駐車場に停めてきた車は下の方でマッチ箱くらいの大きさになっている。
大分息が上がって額にじんわりと滲んできた汗を手の甲で拭い取るや、すぐに爽やかな微風が雫の軌跡をそっと優しく撫でてくれた。
──たまにはこういう日も悪くはない。
「心の栄養不足には気晴らしが一番よ……それに今日は運動不足解消も叶うな」
僕はそんなことを独り呟いては時々立ち止まって、山から見下ろす見晴らしの良い景観を眺めながらペットボトルのお茶を呷った。
途中山道では幾度も二股の分かれ道に出くわした。
「所詮は近場の公園内。どう転んだって山頂には辿り着けるさ」
穏やかな陽射しを受けながら、僕は散策のための案内板をよく確かめず、気に入った方向の道を適当に選んで登っていった。
──僕の人生は既に後半戦。子供たちはもう自分たちの元を離れていった。そうして家に残こされた僕と妻との関係はというと……
「久しく冷え切った状態か……これも辛えなぁ……」
もう一昔前の話だ。営業課長職の頃の日々の週の大半は出張か夜中近くの帰宅になった。その上妻は生来働くことに生き甲斐を感じる質だった。丁度フルタイムで働き始めた妻とは子育てや家事の分担に関して意見が一致した記憶が一度もない。
当然口喧嘩が絶えない日々となった。
──このまま離縁するか……
常日頃からそう想い、また喧嘩でそう口走ったことも一度や二度ではない。
しかしいざ離婚となるとそれはそれで二人にとって余計な負担が掛かり過ぎる。彼女だって離婚後の生活設計も考えなければならない。
──世に言う『家庭内別居』というのは、その様な現実的な問題を先送りする極めて便利な手法なのだろうか──
僕はてくてくと山道を登りながら、想いを巡らし始めた。
「世の中には仲睦まじいラブラブな夫婦もいるだろうが……きっとそういう彼らは人生において極めて幸運な贈り物を得たのだろう。誠にめでたいことだ……」
僕は何気なく枯れ枝を拾い上げ、腐りかけて柔らかくなった枝をパキパキと折り毟ってはポイポイと道脇に投げ捨てていた。
「……しかし実際、そういう夫婦は少数派だったりしないのかなぁ……所詮は生まれ育ちも違う他人同士だ。多かれ少なかれ必ず性格の不一致や行動のすれ違いはある。それに聖人君子でもありゃしない。あらぬところで誘惑に負ける時もあれば、嫉妬に心を焼かれることもある……」
「人生をこの軽い……いや、案外きつい登山に例えたとして……」
──ん? また出てきた……
僕はまたしても目の前に現れた分かれ道を前に立ち止まり、真ん中の分かれ際に立つ小さな標識に目を眇め、そして幾度か首を左右に巡らせた。
「──分かれ道、どちらを選んでもまた登り道……」
──こっちの方がひっそりとしているな……
僕は見通しが悪く枯れ枝に覆われた隧道のようになっている右の細い道を選んだ。
──しかし、愛に満ちた睦まじい夫婦の歩む道はきっと南側に面した穏やかなルートなんだろうなぁ……平和で楽しい人生に越したことはない……
どうやら僕は北側の、日が翳って薄暗く肌寒い山道を選んで、一生懸命登っているようだ……
「とは言っても、北側には北側の良さもある! 」
僕は誰かに強がって見せるように胸を張って、誰もいない小道で声を張り上げた。
「──あの遠くに映える富士山だって、この絡み合った枝々にレリーフされた見事な額縁に収まっているようじゃないか。熱くなってきた身体には頰を撫でるヒンヤリした風は気持ちよいし、下からは心地のよい清流のせせらぎが耳に届いてくる。それに目の前のこの細く曲がりくねった静寂の空間と言ったら、僕だけの秘密の抜け道のようでまるで知らない夢の世界へと僕を誘ってくれているようだ……」
「──それに比べて南面は幅の広い登山道の一部はアスファルトやブロックで舗装され、眼下に点在する無機質なマンションやアパート、地肌剥き出しの分譲区画は折角の眺望を損ない、案外日当たりも良すぎて、もう暑くて汗だくで登らないといけないなんてことだって……」
──まぁ、都合のよい想像だけどな……
「でも登り道が嫌だっていうのなら……わざわざ『登らない』という選択肢だって人にはあるんじゃないのか? 」
──そうだよ? 終わりに現れる『窓』の場所が山頂から山腹に変わるだけさ。
「──えっ!? 誰? 窓って何? 」
その時突然頭の中に響いてきた心の内なる声にハッとなって、僕は思わず頓狂な声を上げてしまった。
「じゃあ、登らずにただ立ち止まったままそこで一体何をするというのさ? 」
僕は内なる声に返答した。
──そりゃあ……同じところにただじっと座って、変わらない同じ景色を愉しむんじゃないのかな……
「でもそれって、退屈じゃないの? 」
僕は感じたことを素直に返す。
──僕もそう思うよ?
立ち止まるのも嫌、登っていくのも嫌というのだったら、いっそ谷底に飛び降りてみる?
内なる心の声の提案に僕はビックリして目を丸くした。
「──えぇっ!? 何を言ってるんだ僕は? ……悲しいことだが世の中にはそういう選択をする人もいることは事実だが……」
ふと山道脇から身を乗り出して、僕ははるか下を流れる清流の川縁から垂直に切り立っている崖下の様子をうかがった。
──カラカラッ! カランカランカランッ!
小石が音を立てて崖下に吸い込まれていく様子を見て、僕は思わずブルッと背筋を震わせた。
──ふふっ! ……それだって『窓』の場所が山頂から崖下に変わるだけさ。
「いやいや……『窓』とか何のことか分からないけど、僕は痛いことは大嫌いだから。高いところもそんなに好きじゃない……」
僕は気に掛かったことも口に出した。
「……でも簡単に『登りもしない』でその道を放棄してしまうというのは、やっぱり良くないことだよね? 」
──さぁ、どうだろう? もちろん折角の『人生』を軽率に投げ出してしまうのは誰しもの直感として良いこととは言えないと思う。でも、そもそも良いか悪いかで単純に括れないことは世の中には沢山ある。このことも部外者がそう簡単に決めつけて、その善し悪しを語ることはできない類の話さ。
結局その人自身の成長できた『心』にしか、そのことを判断することはできないと思うんだ──
「そうか……」
僕は腕を組んで暫し目を閉じた。
──さぁ、それじゃあ。僕たちは山頂を目指そうよ。
※◇※◇※◇※◇※
そうこうしながら登っていくうちに、僕はさっき分岐したと思われる南側ルートとの合流地点で立ち止まり、そこらから頂を見上げてみた。
もう少し上った場所にとうとう山頂に設けられた展望台の鉄柵が見えていた。
展望台の基礎となっている下部から階段はコンクリート造りに変わって、ステンレス製の手摺りがその両脇にしっかりと据え付けられている。
僕は最後の力を振り絞って、その堅固な手摺りをしっかりと掴んでそれを手繰り寄せるように、急な階段の一段一段から疲れて重くなった身体を持ち上げていった。
──早く遠くの景気を眺めたい……
パンとコーヒー缶はリュックに入れてある。厚手のダウンジャケットはもはや前を開けていても暑いくらいだ。
脇の下からはポタポタと汗の雫が垂れ落ちているのが分かった。
「はぁはぁ……あとちょっと! 早く上で一服しよう! はぁはぁ……はぁはぁ……」
鉛のような足を一歩ずつ階段から引き剥がしていくと、遠くの地平に映える美しい光景が僕の視界に飛び込もうと準備を整えた。
とうとう展望台の上に顔を覗かせた。
僕はキラキラと耀く眩い陽の光の中へ呑み込まれていった。
──うわっ! 眩しっ!
思わず手を翳し直射する日光を遮ろうとしたが、僕の目の前でチカチカと明滅する光の粒子が狂喜乱舞を繰り返した。
残像のせいだろうか、僕には見上げた青空にまるで溢れ出す光の『窓』がぽっかりと浮かんでいるように見えた。
「いや、むしろ開け放たれた光の扉か? ──う〜ん……やっぱり窓かな。まぁどっちでもいい……」
明るい陽射しに次第に目が慣れてきた僕は今ようやく展望台というステージに独り立った。
山頂のぐるりを取り囲む鉄柵に沿って、そこには背もたれのない木製のベンチが三台据えられ、コイン入れて三分間見られる望遠鏡もあった。
「ようやくゴール! ここまで結構長かったぁ! 汗かいたわ! 」
僕は思わず握り締めた両の拳を天高く突き上げ叫んだ。
「人生のゴールだ! 」
コンクリートで固められた小さな円形状の広場の真ん中に僕はピョンと躍り出た。
──そして、これが僕の死だ……
僕は新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、芽が膨らみ始めた小枝や枯葉に包まれた山々の清々しい匂いを嗅いだ。
展望台のデッキから半身を乗り出し、僕ははるか彼方に臨む稜線の真ん中でポツンと独り、その孤高の存在を解き放っている富士山の眺望に暫しの間心を奪われた。
「天気最高! すっごくいい眺め! 小腹減ったな。でも取り敢えず富士山綺麗だわ。そうだ、記念に写メ撮っとこ! 」
僕は一通りはしゃぎ終わるとリュックの中から掴み出した、生クリームと餡子がたっぷり詰まった好物のコッペパンを噛じり、グビグビと喉を鳴らしながら喉奥にブラックコーヒーを流し込んだ。
「──ぷはぁぁっ、山頂での飯は美味い! 他に人が登ってくる気配はないし、まだ時間も早い。もう少しだけ休んでから下ろうか」
そう言って僕は、山頂のベンチに腰掛けた。
──お手軽ハイキングと言えど そして、目の前の富士山の足下にも及ばないが、それでも僕はこの小さな頂を登り切った!
これを名も無もなきの人の一生に例えるなら……
『天寿全う』だな。
そう想った時、僕の身体は知らぬ間に光の『窓』をくぐり抜けていた。
その刹那、辺りが闇に包まれた
「──え? 辺りが急に真っ暗になった? 」
──とても少数ではあるけど、この暗闇の代わりに眩い白光に照らされる人たちも中にはいるんだ。
そう囁く心の声に耳を傾けながら、僕は何かが気になって後ろを振り返った。
僕の前で今まで光に溢れていた窓が、どんどんと遠ざかっていき、最期は暗闇の中で小さな星のようになって消えようとしていた。
一度閉まってしまった窓は二度と開かないのはどういう訳か直感で分かった。
──だってこれは後戻りのできないたった一度の人生だから。
人は死んだらもう生き返ることはないからね。
「じゃあ、もうそれっ切り? 」
僕は心の僕に自問した。
──どういうこと?
「これから先、僕はずっとこのまま真っ暗な闇の中で佇むのかな? 」
──そんなこと分かるもんか……
僕はまるでひんやりとした空気が沈殿してしまったかのように静寂の空間を、トロトロと漂いながら想像した。
考えてみればたった今終わった人生が始まった時、僕は突然暗闇の『窓』が開いて人生という登山道に放り出された。それから長くもあり、また短くもあったこの細い山道を一歩一歩登って来て、今こうして『光』の窓をくぐり抜けたのだ。
「じゃあ、これは一回切りのこと? 」
──そんなこと分かるもんか、って言っただろう?
「でもたった一回こっきりだとして、あの窓をくぐり抜けたからもう終わりだなんて、少しつまらなくはないかい? 」
──さぁ? そう感じる人もいれば、きっとそう思わない人もいるだろうね?
「僕はちょっとつまらないな……もっと違った人生を味わいたかった。だって相思相愛の夫婦生活というものを人生のうちについぞ味わうことはなかったし、知らない街を旅したり、美味しいものを食べ歩いたり、何か楽器を習ってみたり……他にもまだまだやりたいことは一杯あった訳だし……」
──そうか……それはちょっと残念だったね……
でも、一つ言えることがあるよ?
僕は暗い宙の中を彷徨いながら、いつしか心の声に向き合い問答を始めていた。
「何だい、それは?」
──窓はたった一つではないってことだよ?
「窓は一つではない? 」
──だって君は見てきただろう? 君が生きてきた人生の中で沢山の人たちの窓々をさ?
「──え? どういうこと? 」
──つまり君が生きてきた世界や社会の中で、君は多くの人と繋がり、関わり合いを持った。君は直に見てきたのさ。沢山の人たちの生き様を。
「もちろん。でもそれは他人の人生であって、僕の人生ではないよ? 」
──本当にそうかい?
「──えっ!? 違うのかな? 」
──他の誰かと心が通じて、何かを確かに分かち合えた気がして嬉しくなった瞬間だってきっとあっただろう?
僕はもう終わりを迎えた人生で出会ってきた友人や親戚の人たちの笑顔や、その人たちとの出来事の一つひとつを学校時代から順番に思い出そうとした。
僕は静かに頷いた。
「……でも齢を重ねるに連れ、最近は辛いことや面白くないことの方が圧倒的に多くなったし……でもまぁ、長い人生の中でないこともなかったかな……」
──幾つか思い当たる想い出はあったんだね? それはなによりさ。全くないって言う人だって普通にいるし、それがダメだなんていうつもりもない。むしろその逆かもしれない。
それじゃあ、これも経験則。僕は人生の始まりの暗い『窓』をくぐる、その前の人生は何も覚えていない?
「確かに。人生を生きている時にその前の記憶なんて全然なかったさ」
──じゃあ、そのことには一体どういう意味が隠されているのだろう?
「前の人生のことは今の人生においてすっかり忘れてしまう意味かい? ……さて、何だろうか? 」
僕は心の内から湧いてくる不思議な問い掛けに小首を傾げた。
「そうだな……もし意味があるとしたら、それを覚えていたら邪魔だってことかな? 」
──そう、当たり! 窓はそれらが繋がらないための窓でもあるのさ。
あともう一つの経験則。一つの人生を生きている間は他の人の窓をくぐることはできない?
「うん。そりゃそうに決まってるだろう? 自分の人生は自分だけのものだし、その瞬間は自分の人生を生きている。もしそんな事ができたら僕は同時に二人分の人生を生きなければならないから、そのこと自体が大きな矛盾だろ? だからそんなことは普通の感覚ではあり得ないし、他人の人生ももちろんその人だけのものだよ」
──確かにそうだけど……
「何か違ってるの? 」
──でも自分と他人って、詰まるところ違いは何なのだろう?
「ん? 一体何を言ってるのか、僕には分からないよ。ねぇ? この暗い場所は決して凍えはしないけれど、やっぱりどうも少し陰鬱だからもういい加減外に出たいな……僕の目の前に次の『窓』はいつ現れるのかな? 」
──さぁ? それは君、いや、僕次第だと思わないかい?
僕は宙に浮かんだまま胡座をかき腕組みをしてから首を傾げた。
「どういうこと? 」
──心から現れて欲しいと思えば現れるし、そう思わなければいつまでもたっても現れない。
そうする間にも前の窓の中の出来事は、どんどんと過去のものになって色褪せていくのさ。
だから前の自分に縛られ過ぎて本当の自分を忘れてしまわないように……次の窓に心を向けてその取っ掛かりを見失わないことも大事なことさ。
「じゃあ、もし次の『窓』が開いて、僕がもう迷いもなくそれに飛び込んだら? もう前の窓での出来事を僕は跡形もなく全部本当に忘れちゃうのだろうか? 」
僕はキラキラと透き通る漆黒で出来た絹の衣の上にプカプカと浮かんで、両手を頭の後ろで組んで目を瞑っている。
「──でもそうなんだとしたら実際それは少し淋しいことだと思うんだ……」
──神様だったらはっきりと答えてくれると思うのだけど……
僕たちの経験則では、その前の人生のことなんてこれっぽっちも覚えていないのだから。少なくとも前に起こった細かな出来事なんかは綺麗さっぱり忘れてしまう仕組みなんだろうね。でも本当に全てなのかどうかなんてことまでは分からないさ。
「──ハハハッ! そうなんだ。そこは流石の君でも分からないのかい? 」
──おいおい、僕は君でもあり僕でもある。根っこは同じなんだ。独りでじっと考えても分からないことはどう足掻いたって分からない。
「じゃあさ。僕と君でもっと一緒に考えてみよう? 」
──あぁ、いいとも。
「本当に何も残らないのかな? 次の窓に飛び込んだら、僕は真っ新の僕として一から人生をやり直すの? だとしたら、そんな果てしのない繰り返しの作業を一体誰が望むのだろう? それにあんなに汗をかいて登り切った小さな山と遠い向こうに聳え立つ富士山の勇姿の記憶が後にはなんにも残らないだなんて、それってそれ自体全然意味のないことになってしまわないのかな? 」
──言いたいことはよく分かるよ。じゃあ、最初にこう考えてみたらどうだろう? 何でも物事には始まりがあるからね。もし君が人生に対するビギナー登山者だったら、それこそ真っ新な自分からのスタートなのだから、見るもの聞くもの全て新鮮! 珍しい! それに不思議で楽しい! っていう気持ちがまず最初に起こるんじゃないかな?
「それは確かにそう思うけど……そうなるとそれぞれの人にはそれぞれの歩んできた人生の経験回数というものがあって、その回数が少ない人は何に対しても好奇心が旺盛な傾向にあるっていうことを言いたいのかい? 」
──そう。必ずしも人生の回数に依らないケースはあるだろうけれど、それでもやっぱり少ない回数の人生の方が、起こる出来事が初めての体験である確率は高いのではないかな。だから初体験の出来事に対してはいつも心がドキドキして、興味や関心が引き起こされ易くなる。
でも逆に辛いことに対する心の抵抗力は、数少ない人生の場合においてはそもそも未体験か不慣れなことは多いし、心がその対処方を十分に学んでいる訳ではないので、耐性として然程強靭とは言えないのかもしれない。
「──もしそうだとしたら経験の少なさという点で、人生回数が少ないほど興味や関心を惹かれる度合いが強くなる一方で、逆に挫折や敗北感を感じることも多くなってしまうということ? 」
──うん、確かにそうだと思うな。もっとも人生という『舞台』の仕組みとして、ちゃんとそれぞれの体験量のステージに応じた難易度のイベントを用意してくれているのかもしれないけどね……
「じゃあ、僕からも一つ推論を言うよ? 理由はよく分からないのだけれど、どういう訳か途中ですぐに飽きちゃって興味が持てなくなってしまうようなことや、最初から全然興味が持てないと感じてしまうことってあると思うんだ。そういうことっていうのは、その人にとってこれまで歩んできた人生のどこかでもう沢山経験済みということが逆に言えるんじゃないかな? 」
──ハハハ! そうだったね。君はゴルフとかお酒は途中ですぐにもう沢山って感じになってしまって、周囲の人達がワイワイと楽しんでいる様子がサッパリ分からなかったりするんだよね?
「……確かに……いやいや! でもそれは単に人付き合いが苦手なインドア派気質だからとも取れなくはないぞ? 僕は陰キャで自分でも社交的と性格とは決して言えないからね……」
僕は自分で自分の好きになれない性格の一面を想いながら苦虫を噛み潰したような顔を作った。
──アハハハ! そうだよ。その『気質』と呼ばれるような君のその心の性格こそ、一つの人生を通じて学び、その結果として心に焼き付けられた貴重な成果の表れなんだよ? それはきっとこの後の人生でも消えずに残っていくか、逆に正されていくものなのかもしれない。
「だから真っ新な自分というものは、人生の中で必ず少しずつ個性というものの上書きが加えられていって、決して真っ新に逆戻りなんかはせず、人生を経る度に『僕』を『僕』たらしめるものとしての個性が段々と強められながら成長していく……きっとそういうことなんだよね? 」
──そうだよ。だから次の人生においても消えずに残るものはきっとあるんだよ。
僕たちの人生の舞台は、失敗と成功のバランスが上手く保てていて、頑張れば向上心が維持され、その過程で心が学んだ個性を積み重ねられるように、きっと僕たちには想像すらつかない神様の高度な仕組みが敷かれているのかもしれない。
そうやって舞台の回数が多くなればなるほど、『僕』の心にとっては退屈だと感じてしまう人生の出来事はきっとどんどん増えていく。
その代わり、過去からの人生を通じて難しすぎて永らく持ち越してきた、自分に課された高度でより難しい宿題に取り組み始めるようになる。
そして最後に、自分にとっての最も手強いラスボス的なチャレンジを見事に達成できた暁には……
「暁には? ……」
──もはや自分の関わる世界の事象を粗方を知り尽くしてしまったのだから、もう満月のように満ち足りてしまった心は『窓』から『窓』へと旅する必要を感じなくなり、本当に最後に目出度く『卒業』を迎えられる……
「何かをずっと探求し続けてきた自分の心が最後に昇華するんだね……」
──そうだよ。その時こそ僕たちは根無し草のように暗く淋しい闇の表層に浮かぶのではなく、光の『窓』辺で誇らしげに立ち、目も眩むような百光に優しく、そして柔らかく抱き包まれる。
「そして天に召されていく? それは何となく分かるような気がする……」
僕は静かに閉じていた目を開けると首をグルリと巡らし、この薄暗い空間の果てを透かし見ようとした。
しかし、僕以外の他に人の気配はなかった。
「……というかさ。この妙な暗闇の空間に他の人って誰かいるの? さっきからの話だったら、もっと沢山の人がここに集まっていても不思議ではないのだけど、なぜ今僕はここで一人っきりなんだろう?」
──それはさ……ここにいる僕たちはきっと色々な人生を旅するそれぞれの『僕』ではなく、全ての『僕』だからなのかもしれないよ? ──アハハハッ!!
「──え?! 全ての僕?? ……それって……いや、もしかして……? この世界って何なの? ねぇ、どういうことなんだろう? 教えてくれよ! 僕って一体……」
……誰なんだろうか?
※◇※◇※◇※◇※◇
──チュン! チュン! チュン! ……
耳の穴を突っつき回すようなスズメの鳴き声に僕はハッとなって目が覚めた。
「何だ、夢か……」
スズメたちは、ベンチに腰を下ろす僕の真横に置いある噛じりかけのチーズ入り塩パンに興味があるようで僕の周りに沢山寄り集まってきていた。
──フワァ……
僕が両手を上げて伸びをした途端、スズメたちは驚いて一斉に飛び立っていった。
「あぁ……ついウトウトしちゃってた……陽射しがとても温かいから……」
僕の頭の中に今まで見ていた夢の光景がジワジワと蘇ってきた。
混濁した脳の中で埋もれてしまった何かの大事な芯を選り分けようとして、僕は何度もブルブルと首を振った。
──そうなると……次に開く『窓』から僕は一体どんな景色を望もうとするのだろうか?
しかし今の自分には分かりようもない話だな。
「さて、取り敢えず今の僕にできることは……」
僕はそう呟いて、食べ掛けのパンを噛じりながらベンチを立ち上がった。
「また明日から暫しこの世の窓の眺めを愉しもう……」
僕は頭上に降り注ぐ陽の光を軽く手で遮りながら、枯れ枝の陰に見え隠れしている登ってきた細い山道の道筋を見下ろした。
「……北側の山道がいかに細く曲がりくねった急坂で、冷たい風が吹こうともね」
『君はその眩い光の『窓』を何度くぐり抜けてきたか? 』
〜終わり
いつもご愛読ありがとうございます。
下欄のポイント評価欄(☆☆☆☆☆)でのご評価や、感想欄への投稿、ブクマ、いいね登録等頂けましたら、作者大喜びします。
何卒よろしくお願いしますぅぅ~~!(╹▽╹)




